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呪いの館  作者: 宮城まこと
三頁目
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第四話

 夕日が稲穂の目線の向こう側で、沈み始めている。

 淡い日差しに横にいる彼女たちの顔は、赤く染められている。

 稲穂たちは、東の授業が終わると約束通りに駅前のクレープ屋に向かった。

 甘い物は嫌いではなかったが、いざクレープ屋に到着すると、当たり前のことだが女性客がほとんどだった。

 そこはかとなく居心地の悪さを感じていたが、夕夏梨や東の笑顔を見ていると、そんなものはどこか遠くに飛んでしまっていた。

 楽しい時間というのはあっという間に過ぎてしまうもの。

 三時頃に入店し、気がつけば六時頃まで話してしまっていた。

 呪いも呪いも無い、平和で落ち着いている時間。稲穂もこの時間に浸れていることに満足していた。

 しかし、稲穂は平和な時間とは少しの間お別れとなってしまうのだ。

「あの人、どうかしたのかしら?」

 東の一言がきっかけだった。

 駅の帰り道を三人は談笑しながら歩いていると、目の前にネギが飛び出ているレジ袋を、重そうに持っている一人の女性がいた。

 稲穂には驚くほど見覚えがあった。極め付きに、電柱の近くで足を止め何やら焦っている。

 あの擬音が聞こえてきそうなほどの焦り方に、どこか頼りない後ろ姿。

 ――間違いない。


 自分の目の前にいるのは千歳だと、すぐさま気がついた。

「千歳さん……?」

 稲穂の声に反応し、彼女が振り向く。

 抱えているのはレジ袋ではなく、小さな柴犬だった。

「ああ……稲穂さん。良かった。少し、手助けをしていただけませんか……?」

 あの大人しそうにしている柴犬。千歳の飼い犬だろうか。いや、犬を飼っているという話は今まで聞いたことがない。

 様々な思案をしながら、稲穂は夕夏梨と東を置いて駆け寄る。

「それで、どうしました?」

「この子犬を……ここで偶然拾ってしまって。その……見るからに辟易としている様子だったので……」

 千歳が抱えている子犬は無邪気に彼女の上での中で動いているが、毛並みがだいぶ乱れて汚れてしまっている。

 加えて、千歳の言った通り疲れているようだ。

「どこかの飼い犬ですかね?」

 稲穂の対処に困っていると、後ろの夕夏梨と東が声をかけてきた。

「ねぇ、稲穂ちゃん。大丈夫?」

 稲穂の困った顔を見て、東は事態を把握した。

「可愛い柴犬ね。……きみはどこから来たの?」


 子犬の頭を撫でて、微笑みながら尋ねた。

「実はこの子、迷い犬っぽくて」

 稲穂の言葉に夕夏梨が顔を出す。

「たしかに、そうっぽいですね。もしかして、捨てられたんでしょうか?」

 夕夏梨は悲し気な声色で言った。

「いえ、多分……飼い犬ね」

 東が言い切った。そして根拠を加えて説明する。

「毛並みも今は乱れているけど、ちゃんと洗えば汚れも落ちて綺麗になるでしょうし。きっと飼い主から毎日手入れされていたのね。首輪があれば、もっといいんだけど、途中で外れちゃったのかな?」

 首輪こそなかったが、東の言う通り飼い犬という事で間違いなさそうだ。

 次の問題は、この子犬をどうするかだ。

 警察に連絡し、保健所に預けるのが一番いい方法なのだが、稲穂は一応相談することにした。

「それでこの子犬はどうします? やっぱり、警察に連絡して保健所に預けたほうが」

 みんなの顔色を伺ったが、全員難色を示している。

「稲穂ちゃん。飼い主が探している場合は、それで良いけど、もし探していなかった場合を考えると、保健所に預けるのは得策じゃないと思うわ」

 それに――。と東が続ける。


「この子もまだ震えている。人が傍にいて安心させてあげないと」

 東は手慣れた感じで子犬をあやす。

 たしかに、彼女の言う通りだ。この子犬ができるだけ、安心できる環境にいさせてあげたい。

 飛躍した考えだが、もし飼い主が見つからず、永遠に会えなかったと思うと、胸が苦しくなる。

 東の意見にこの場全員が頷く。

 ここは一度、誰かが引き取りせめて一晩だけでも、温かい家の中で休ませてあげよう。

 となると、次の問題が自動的に発生してしまう。

 誰がこの可愛い子犬を引き取るかだ。

 無論、稲穂のアパートではペットを飼うことは禁止されている。

「それで、誰がこの子を引き取りますか? 引き取ってあげたいのは山々なんですが、僕のアパートはペット禁止なので」

「私のアパートも稲穂先輩と同じく、ハムスターや亀とか小さい動物なら良いんですけど、猫や犬はダメなんです」

 これで、動物好きな夕夏梨の所も駄目だというのなら、頼る先は千歳と東しかいない。

「私のところ、ペットは大丈夫なんだけど、大家さんが犬アレルギーだから、一応聞いてみないと」

 東が残念そうに言った。

「では……私がこの子を一時的に引き取ります」

 消去法となって大変申し訳ないのだが、千歳が子犬を拾った責任を感じているのか、名乗り出てくれた。


 ともあれ、優しい千歳になら子犬を安心して任せられる。

「すいません、ありがとうございます千歳さん。なんだが押し付けたような形になっちゃって」

「いえ……元と言えば、私が拾ったのですから、私がきちんと責任をもって……この子をお世話しないといけませんから……」

 千歳は、すっかり自分に抱かれていることに慣れてしまった子犬を微笑みながら見つめる。

「そう言えば、稲穂ちゃん。この人とは知り合いなの?」

「え?」

 しまった。子犬のことですっかり忘れてしまっていた。夕夏梨は千歳とは面識があっても、東は千歳とまったく面識がない。

 何と答えればいいものか。

「あっと、えっと、その……。僕が仲良くさせてもらっている友達です」

 東に夕夏梨についたような嘘は出来ない。大学内で東薫を知らない人物などいないからだ。

 咄嗟についた嘘。東はすんなりと信じてくれるだろうか。東の目を見て嘘を突き通すのは至難の業だ。

 アイコンタクトで、近くにいた夕夏梨と千歳に同意を求めた。

「ああ、お久し振りです。日比谷さん」

 夕夏梨は頭を下げてあいさつをする。

「あっ、赤碕さん……お久し振りです」

 千歳も彼女より深く頭を下げてあいさつを返す。


「それであなた、お名前は?」

 東が興味津々な顔をして千歳に尋ねる。

「すいません、自己紹介が遅れました……私は日比谷千歳と申します。あの、稲穂さんや赤碕さんとは……仲良くさせていただいています」

 今度は東に向かって頭を下げていつもと変わらず、至極丁寧に自己紹介をした。

「ご丁寧にどうも日比谷さん。私は東薫。一応、この子たちの先輩です。よろしくね」

 東も実ににこやかに爽やかに自己紹介を済ます。

 そして、千歳の身体を上から下へじろじろと見つめ始める。

「私、あなたのこと気に入っちゃったみたいなの! 千歳ちゃんって呼んでも良い?」

 千歳は、いきなりのことできょとんとした顔をしている。

「えっ? ああ、はい。ご自由にお呼びください……」

「稲穂ちゃんったら、こんなに可愛くて綺麗な子が友達にいるなら、紹介ぐらいしてくれたっていいじゃない?」

 千歳を子犬のように可愛がりながら、稲穂に不満そうに言った。

「ああ、ええっとすいません。最近忙しくて」

 どうして謝ってしまったのか、自分でも分からない。

「ねぇ、千歳ちゃん。どこに住んでいるの? お酒は飲める方? 大学生? それとももう働いているの? どうやって稲穂ちゃんと知り合ったの?」


「あの、えっと、その……」

 恐ろしいほどの質問攻めだ。普段これほど質問をされたことのない千歳にとって、受け答えが追いつかないことだろう。

「東さん、初対面の人に質問攻めして困らせないでください!」

 見かねた稲穂が助け舟を出す。

「稲穂ちゃんの言う通りね、また別の機会にするわ。私たちもそろそろ帰りましょう? きっとこの子も早く休みたいでしょうから」

 と言って東は子犬を撫でる。

「それもそうですね、僕たちはこれで失礼します。千歳さん、子犬のことで何か困ったことがあったらすぐに連絡をください。駆けつけますから」

 そう言って稲穂たちは子犬に僅かばかりの別れを告げ、三者三様の帰り道につく。

 稲穂と夕夏梨は帰り道が同じなので、歩いている最中に千歳のことを話題に出した。

「日比谷さんって不思議な人ですよねぇ」

「どうして?」

「うまく言葉に出来なんですけど、人とか動物を落ち着かせてくれる雰囲気を持っている。って言えばいいんでしょうか?」

 夕夏梨に言われ、稲穂は考えてみた。

「たしかにそうかもね。僕も、あの人といるとすごく落ち着けるよ」


 夕夏梨は一歩、稲穂に気づかれないように近づき――。

「つかぬことをお伺いしますけど……」

「どうしたんだ、いきなり改まって」

 彼女はは俯き、小さな声で稲穂に尋ねた。

「私といるときは……どうですか?」

「夕夏梨といるとき? うーん、夕夏梨といるときはそうだなぁ……楽しい気分になれる、かな」

「なんですか、かなって」

 稲穂は顔を逸らして気恥ずかしそうに答えた。

「あんまりそういうこと意識してなかったから、僕もうまく言えないんだ」

 夕夏梨は稲穂の答えに満足したのか、顔を上げた。

 その顔は、空の向こうに沈む夕日のように色鮮やかに赤く染まっていた。

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