第二話
食堂に向かっている最中、稲穂は夕夏梨に手短にそして要所をしっかりと押さえて、千歳のことや解呪師について説明をした。
彼女はよしんば信じられないと言った顔をしていたが、意外にもすんなりと受け入れてくれた。
「風のうわさですけど、そういう事は実在しているって聞いていましたから。まぁ、本当にあったんだっていう驚きはありますけどね」
彼女はそう言った。
たしかに、呪いの館について訊いたのも彼女からだった。思えば、彼女は大分オカルトチックな話に精通している。
女性なので、占いとかが気になる年頃なのかもしれないが、変なもの、特に呪いには出来るだけ関わらないでほしい。と稲穂は加えて伝えたのだった。
食堂に到着し、東がいる席に座る。窓際の日差しが気持ちいい特上の席だった。
東は二人の様子を見るなり、こう言った。
「うん、二人が元に戻って良かった。やっぱり二人は仲良しじゃないと」
東には隠し事は出来ないと悟る二人を知ってか知らずか、意味ありげに彼女は微笑んだ。
そして、早速昼食を摂る。
稲穂はこうしてこの三人で食事をするのも久し振りで、楽しみなのは間違いなかったが、周りの視線を自然と集めてしまう女性二人がいるので、男子大学生諸君らの嫉妬と羨望の眼差しがあり、内心穏やかではない。
自分でも勿体無いと思えるほどの境遇だ。
方や大学中の視線を集める美女と、方や男女問わずに友人が多い可愛げのある彼女。
こう並べてみるだけで、どういうわけか稲穂自身の大学内でのイメージが底上げされている気がする。
とある男子生徒に稲穂は疑問の視線をぶつけられた。
どうしてそこに平然とした顔でいられるのか、と。
それはこちらが聞きたい。と稲穂は視線で返す。
しかし、気後れしているのは彼だけで、前を仲良く歩いている彼女らには一切ない。
羨ましいものだ。
喉元まで登ってきたため息をぐっとこらえて、二人のあとをとぼとぼと歩く。
席に座り、ここから楽しい楽しい昼食の始まりだ。
「ところで稲穂先輩、あの話、覚えていますか?」
あの話。目の前に座った彼女が開口一番にそう言った。
どの話のことだろう。稲穂は頭をひねらせてみるがまったく覚えがない。
「ごめん、どの話のことだっけ?」
素直に謝ると、夕夏梨は少しだけ頬を膨らませて不機嫌そうな顔をした。
「もう、遊園地の話ですよ、遊園地の!」
二度目の遊園地はかなり語気が強めだった。
こう言われては稲穂も忘れようにも忘れらない。
「あの話、本気だったのか!?」
「はい、本気も本気。マジ本気ですよ!」
夕夏梨の言い方からして、冗談で言っているとは思っていなかったが、まさかここで話を切り出されるなんて。
すぐに気になったのは、東の顔だった。
彼女はすぐに面白そうなことに手を出したがる。この遊園地の話だってきっと。
「なになに、二人は遊園地に行く約束でもしていたの?」
東は嬉々として身体を前に乗り出す。あまりにも予想通りのことが起きたので稲穂は僅かに頬を緩めた。
「そうなんです。私と稲穂先輩で一緒に遊園地に遊びに行こうって、約束していました!」
「遊園地かぁ……最近私も行ってなかったなぁ」
東は乗り出した身体を元に戻し、感傷に浸り始めた。
「ほら、この歳にもなると無性に遊園地に行きたいなって思わなくなるじゃない? 子どもの頃は好きだったんだけどね」
「大人になると微妙に行きづらくなりますもんね、遊園地って。そうだ、良かったら東さんも一緒にどうですか?」
夕夏梨が東を遊園地に誘うと、東は首を横に振る。
「誘ってくれるのは嬉しいんだけど、夏はちょっと忙しくて。ごめんね」
彼女は胸の前で、手を合わせて夕夏梨と稲穂に謝った。
忙しい。東にはそれだけの予定が夏に入っているのだろうか。
「忙しいって、何かあるんですか?」
どうやらそう聞いてほしかったようで、稲穂の問いに東はにんまりと嬉しそうに、東は口角をあげる。
「よくぞ聞いてくれました。私、ちょっと北海道に旅行に行くことにしたの」
「北海道ですか……また遠いですね」
彼女の旅行好きな行動はたびたび現れる。去年の冬は京都に行って、その前は沖縄に行っていた。
「夏の北海道は涼しいし、それに、おじいちゃんとおばあちゃんも北海道に住んでいるから、顔を見せるついでだから、ちょうど良いいの。ほら、就職すると顔を合わせる機会も少なくなるじゃない?」
たしかに東の言う通り、就職をしてしまうとどうしても他の家族と顔を合わせる機会が少なくなる。
稲穂の脳裏に父と母の顔が浮かぶ。夕夏梨との遊園地の約束が終わったら、実家に帰ってゆっくりしよう。
「それで、どこに行くんですか? 札幌とか、小樽とかやっぱり知床ですか?」
東は微笑みながら「実はまだ決まってないの」と言った。
旅行計画などなくても、彼女ならきっと自由に楽しみ、酒を交わしながら土産話でもしてくれることだろう。
半ば確信に近かった。
「だから、夕夏梨ちゃん。稲穂ちゃんとの遊園地デート楽しんできて!」
デート。おそらく東は言葉について深く考えずに発言した。男女が二人きりで行くからデートと言っただけ。
なのに、どくんと胸が熱くなるのはどうしてだろうか。
意識してしまうと気恥ずかしくて、夕夏梨の顔をろくに見られなくなってしまった。
「それじゃあ私、東さんの分まで楽しんできますね!」
「うんうん。夕夏梨ちゃんのそういう素直なところ好きよ」
それなのに。と東は珍しく言葉を加えた。
「稲穂ちゃんときたら、こんなに可愛い後輩をその気にさせておいて、約束を忘れているなんて。先輩としても、女としても見過ごせないなぁ」
それを言われてしまうとぐうの音も出ない。
「そうですよ、稲穂先輩!」
「ごめん。最近忙しくてさ」
夕夏梨の野次に素直に謝ると、この会話を始めた張本人、東はくすくすと笑い始めた。
夕夏梨と稲穂は、どうして彼女が笑っているのかいまひとつ理解が出来なかった。
彼らにとって、ごくごく普通の会話をしていたはずなのに。
「僕たち、何か面白いこと言いましたか……?」
「ううん違うの」
東はかぶりを振って訂正をした。
「ごめんなさい、いきなり笑って。ただ、こうして三人で集まって話をするのが久し振りだなって思っただけ。深い意味はないの」
たしかに、夕夏梨や東とこうやって落ち着いて話すのはずいぶんと久し振りだ。
一か月前までは、稲穂が呪いにかかるまではこうして集まり、他愛もない話をしていた。
呪いと対峙しているときが非日常だとすれば、彼女たちといる時間こそが稲穂にとっての日常と言っても良いだろう。
凡庸とさえ感じていたあの空間が、今の稲穂にとっては、安堵できるものの象徴となっているのだ。
「そうですね。……僕も暇なときには部室に顔を出します。そうだ、東さん、もしよければ今度飲みに行きましょう」
稲穂の予想外の提案に、東と夕夏梨は目を見開いて驚く。
「どうしたのいきなり? 稲穂ちゃんお酒あんまり飲めないでしょ?」
「そうですよ先輩! 東さんのペースで飲まされたらほろ酔いなんかじゃすみませんよ!」
恥ずかしそうに頭を掻いて、稲穂はこう言った。
「いや、僕も東さんのお誘い結構断っていたので、その罪滅ぼしをしておこうかなと」
「いいの稲穂ちゃん? 朝まで付き合ってもらうけど、途中で帰りたいって言っても帰さないからね?」
東は念を押す。
「言いませんよ。男に二言はありませんから!」
東はにんまりと嬉しそうに笑う。すでに頭の中では稲穂とどこの店に行こうか、どの酒を飲もうか思案しているのがまるわかりだった。
しかし、稲穂は思い知らされる。飲めない相手を連れまわしているという負い目もなしに、東が飲めばどうなるかを。
「あっ、もうこんな時間! 私三時間目があるから先に行くね。そうだ、今日は二人とも暇?」
東が腕時計を見ながら、夕夏梨と稲穂に尋ねる。
二人は顔を見合わせて東に答える。
「ええ、暇ですけど……」
「駅前に美味しいクレープ屋さんができたの! 今日はそこに行きましょう! 約束ね、じゃあ三時ぐらいに駅前で!」
彼女はそう言って手を振り、去っていった。
「急いでいても東さんって、綺麗ですよねぇ。どこか余裕を感じられるっていうか」
夕夏梨は、東がいなくなった席を見つめながら独り言のように呟いた。
「そう言えば、ずっと気になっていたんですけど、どうして東さんに稲穂ちゃんって呼ばれているんですか?」
「そのこと?」
夕夏梨は興味津々な顔をして訊いてくる。
「言いたくないんだけどなぁ」
「お願いしますよ、稲穂先輩」
彼女は可愛らしく上目遣いで、手を合わせてお願いをする。
稲穂は観念して話す。
「……ただ、僕の名前が女の子っぽいってことであの人は、稲穂ちゃんって呼ぶんだ」
「なるほど! 言われてみればたしかに女の子っぽいですもんね」
「小さい頃から気にしているんだ、あんまりいじらないでくれるか?」
稲穂は顔が赤くなっているのを察して水を飲む。
「じゃあ私も、稲穂ちゃん先輩って呼びますね」
「――っ!?」
危うく水を吹き出すところだった。
「げほっ、げほっ、止めてくれよ。ああ呼ぶのは東さんだけで十分だ」
咳き込む稲穂を見て夕夏梨は「冗談ですよ、冗談」と意地悪な顔をしながら、見ている人も明るくしてくる曇りのない笑顔をしていた。




