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呪いの館  作者: 宮城まこと
三頁目
24/29

第一話

 初夏の薫りが風と共に運ばれてくる。

 心地よさに心を浸らせて大学内を歩いている稲穂は、三村家の大きな解呪の依頼を無事解決出来て、気分が良かった。

 思わず飛び跳ねたいぐらいに。

 夕夏梨にも彼の嬉しさが伝わってしまったらしく、朝一番に会って「何か良いことでもあったんですか?」と尋ねられた。

 彼女にはもう呪い師のことについてや、稲穂がやっている解呪師の助手について隠す必要は無い。と言っても言葉を選んだ。

「ああ、仕事が無事に終わったんだ」

 とだけ。

 それでも噛み締められない喜びは出ていたのだろう。

 心が軽い。この大地を踏みしめる足も。彼なりの悩みも解呪と同時に解消された。

 しかし、夕夏梨に説明しなければならない。呪い師についても、解呪師についても。

 そう考えると、浮かれてばかりいられない。自重しなければ。

 自重と言えば、先日また東から飲みに行かないかという旨を伝える連絡が来た。

 まずメールが来ること自体珍しいなと思いつつも、稲穂は断りの返事をした。

 あれきり、また連絡は途絶えてしまった。最近顔も合わせていないし、彼女のことだから元気にやっているに違いないが、ここまで会っていないと心配になる。

「ようやく見つけた。おはよう、稲穂ちゃん」


 声がした。綺麗で透明感があり、すっと心の隙間に入ってくる女性の声。

 聞き間違えではない、良く知っている。そして自分を稲穂ちゃんと呼ぶのは彼女しかいない。

 稲穂は振り向くと、彼女はそこにいた。

「あっ――東さん!?」

 思わず声が裏がってしまった。

(あづま)(かおり)。幾度ともなく説明してきたもはや説明不要な美人な稲穂のサークルの先輩。

 彼女は微笑みながら、じっと彼の姿を見据えながら立っていた。

 どこでも彼女の姿は映える。たとえ稲穂の瞳には日常に映るこの景色でさえ例外ではない。

 肩までの短い髪、他人の心を見通すかのような大きくて綺麗な瞳、薄くそれでも色っぽい唇。モデルのような長い手足と白い肌。

 これで、男性と未だに付き合ったことがないのだから驚きだ。

 いや、逆に彼女の存在が神秘的過ぎるが故に手が出せないのか。それだと納得がいく。

「うふふ、そんなに驚かなくてもいいじゃない。可愛い後輩に会って声をかけたくなっただけよ、稲穂ちゃん」

 驚いたのは、彼女の意外な登場だったからではない。

 普段は部室以外で見かけない彼女が校内でしかも自分に声をかけたことに驚いたのだ。

「あっ、いえ……久し振りに声をかけられたもので」

 そう、誰かにこうして声をかけられるのも久し振りだ。無論、夕夏梨を除いてだが。


 だが、まったく緊張していないというのも嘘である。この人は会うたびに綺麗になっている。

 それは女性にとっては良いことなのかもしれないが、男性の稲穂にとっては、話すだけでも一苦労なのだ。

 しかし、そんな疲労感すら感じさせないのが彼女――東薫なのだ。

「久し振りって、稲穂ちゃんってそんなに友達いなかったっけ?」

 彼女は一歩近寄って、稲穂に話し続ける。

 一番、気にしている質問を彼女は相手に嫌な顔をさせずにする天才なのか。

「友達は……多いはずなんですけど」

 稲穂は、徐々に質問の答えに自信を持てなくなっていった。

 ここ二週間ほど、千歳と透子、そして夕夏梨、目の前にいる東を除けば他の友人たちと会話した記憶がない。

 夕夏梨は、忙しい自分を気遣ってくれてのことだったが、寂しさを感じないかと言われてみれば、そうではない。

 あのときもそうだったが、遊びに誘ってもらいたい。

 見るからに元気がなくなる稲穂に向かって、東は彼の顔を下から覗く。

「ねぇ! 稲穂ちゃんはもうお昼ご飯は食べた?」

 いきなり下から煌びやかな顔を寄せられて、稲穂は目を見開きながら再び驚く。

 夕夏梨ならまだしも、どうして自分の周りにいる女性たちは己の魅力に気がついていないのか。


 いや、気がついているからこそそんなことが出来るのか。

 稲穂は咳払いをして彼女の質問に答える。

「僕はまだ食べていません。これから食べようかと」

「どこで? 誰と?」

 東は間髪入れずに質問をする。

「まだ何も決まっていませんけど……」

 稲穂は戸惑いながら答えた。

「じゃあ、私とこれからご飯を一緒に食べましょう。決まりね、ほら早速学食に出発!」

 彼女は人の答えを聞いてくれない。それでも不思議と嫌な気持ちは、稲穂には無い。

 これが東薫の真骨頂と言える部分だ。

 彼女に目を見られながら誘われると、どうしてもついて行ってしまう。

 東は楽し気に稲穂の先を歩く。

「あっ、そうだ。夕夏梨ちゃんも呼んで久し振りに三人でご飯を食べるなんて良さそう。そう思わない?」

 どうせ否定的な意見を出しても聞いてくれなそうなので、稲穂は大人しく頷いた。

 夕夏梨と会うのが嫌なわけでもない。しかし、呪いのことがあってからそのことについてはろくに話していない。

 当たり障りのない日常会話だけ。

 それが稲穂にとって、安堵した部分もあれど寂しいという気持ちの方が大きかった。


 いつもなら、自分から聞きに来るはずなのに。

 覚悟を決めて彼女と話すしかない。

 いつまでも俯いてばかりはいられない。

「そうですね。赤碕も呼びましょうか」

 稲穂の言葉に東は一つ質問をした。

「ねぇねぇ、夕夏梨ちゃんと稲穂ちゃんって、高校時代から知り合いなんでしょ?」

 夕夏梨が入部してきたときに、彼女にも他の部員にもさんざん説明してきたはずなのだが。

 いまさらこの質問にどんな意図があるのだろうか。

「ええ、そうですけど?」

 東は納得しないと言った顔をして、続けた。

「ずぅっと気になっているんだけど、どうして赤碕って苗字で呼んでいるの?」

 たしかに、稲穂は夕夏梨のことをずっと名字で呼んできた。

 特別に彼にとって明確な意味があったからではない。

 ただなんとなく、彼女を名字で呼んでしまっているだけなのだ。

「どうしてって言われても……」

 互いに自己紹介をしたときに、初めに赤碕さんと呼んで次第に年下だと分かり、仲良くなって、さんと付けなくなった。

 この経緯も話したほうが良いだろうか。


「二人っていつも一緒にいるじゃない? 稲穂ちゃんいるところに夕夏梨ちゃんあり。二人はセット。部員からはそう言われているけど、その本人が苗字で呼んでいるって、少し距離があるなって」

 二人はセット。ほんの少し前まではそう言われていたこともあったが、彼女との時間は千歳の時間へと変わっていっている。

 夕夏梨はいつも稲穂のことを気遣ってくれている。彼が心寂しいときにはいつも彼女がいた。やはり、寂しい想いをさせてしまっているのだろうか。

 しっかりと彼女にために時間を作らねばならない。

「そうですか? ……いまさら呼び方を変えるってのも、どうも恥ずかしくて」

 稲穂は後頭部を掻きながら、はにかむ。

そして、稲穂たちの目の前にその渦中の女性が現れた。

 偶然、一人で歩いている夕夏梨を見つけたのだ。

稲穂と彼女が示し合わせたように目が合い、相手の方が稲穂より僅かに早く気まずそうな顔をした。

束の間の沈黙のあと、東が底抜けに明るい声で彼女にあいさつをした。

「噂をすれば影が差す。ってのはこのことだね。おはよう、夕夏梨ちゃん!」

 手を挙げてあいさつをしようとしていた稲穂は、その右手をそっと元の位置に戻す。

「東さん、おはようございます」

 普段の彼女を知っている者なら、いつもより元気がないことに容易く気がつくだろう。

 いつも通りに振る舞おうとしている彼女の姿が、かえって稲穂の胸を締め付ける。


「夕夏梨ちゃん、元気ないね。……もしかして、稲穂ちゃんと喧嘩でもした?」

 喧嘩。はもちろんしていない。稲穂が彼女に対して声を荒げたこともない。

「そんなことないですよ!? ただちょっと……」

「ちょっと? なるほど、だったら私は少し席をはずそうかな。積もる話もありそうだし。先に食堂に行って席を取っているから、話が落ち着いたら、三人でお昼ご飯を食べましょ?」

 東は微笑み、先に食堂へと向かう。

 この場には稲穂と夕夏梨だけになった。

 周りは多くの人が行きかっていたが、今だけ二人の間にはまったく別の、ひんやりとした静寂が包んでいた。

「あの……!」

 最初に口を開き、静寂を破ったのは稲穂だった。

 真実を話す覚悟は出来ている。東がせっかく作ってくれた機会だ。逃すわけにはいかない。

「ちゃんと話しておきたいんだ。今、僕がやっていることや千歳さんのことも」

 稲穂は、自分の言葉を訂正するかのようにすぐに首を横に振った。

「いや違う。まずは赤、碕に謝らないといけないよな。……今まで嘘をついてごめん」

 頭を深く下げた。

 自分が謝ったことによって彼女が怒っているのか、それとも呆れているのか、彼には怖くて顔色を伺うこともできなかった。


「顔をあげてください、稲穂先輩」

 彼女は消え入りそうな声で言った。

 稲穂はおそるおそる顔をあげると、夕夏梨は様々な感情が入り乱れているのか複雑そうな表情をしていた。

 稲穂が彼女のことを見つめても、彼女は自分のことを見てくれていない。

 それだけのことなのに、胸がいばらで締め付けられたような痛みが走る。

 問題なのは、彼女に嘘をついたことではない。心配してくれている彼女に対して、嘘に逃げたということが問題なのだ。

 たとえ相手を想った嘘でも、傷つけてしまう場合もある。稲穂には真実を伝えるだけの勇気がなかったのだ。

 彼女に怒られるのも仕方ないことをした。ここで怒鳴ってくれた方が良かった。しかし夕夏梨は、むしろ誰よりも優しい声でこう言った。

「人間、嘘をつくときだってあります。先輩は優しいから……私に余計な心配をかけまいとしてしたことなんですよね?」

 こくこくと何度も深く頷くしか稲穂にはできなかった。

「だったら、私から何も言うことはありません。私の方こそ、今まで先輩の話をはぐらかしてすいませんでした」

 今度は彼女が頭を下げる。

 

 稲穂は慌てて彼女に頭を上げてくれるように頼んだ。

「頭を上げてくれ! 悪いのは僕なんだから!」

 稲穂の慌てた様子を見て、彼女は顔をあげて微笑む。

「ふふ、じゃあこれでチャラってことですね。この件はお互いに悪かったということにしましょう」

 今度はしっかりと、夕夏梨は稲穂の目を見てそう伝えた。

「赤碕……がそう言うなら」

 すると、彼女は思い出したかのように胸の前で手を叩いた。

「あっ、そうだ。それじゃあ仲直りの印に私のこと『夕夏梨』って呼んでもらっても良いですか?」

「え、それは……」

「言ってくれないと私また拗ねちゃうかもですよ?」

 彼女はいたずらっぽく笑う。

「分かった、分かったよ。だから拗ねないでくれよ。な?」

 しかし仲直りをするためとはいえ、三年近くも苗字で呼んできたのに、いまさら呼び方を変えるなんて恥ずかしい話この上ないのだが、これで許してもらえるのならお安い御用だ。

「それじゃあ、東さんも待っていることだし、食堂に行こっか、あか――、夕夏梨」

 すると彼女は見たこともないような満面の笑みで「はい!」と返事を返したのだった。

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