第十二話
鉄治の葬式は良く晴れた夏の午後に行われていた。火葬場から斎場に遺灰は運ばれて、家族に囲まれて静かに眠っている。
解呪の成功を伝えた数日後に、彼は息を引き取った。鉄治の最期は家族に見守られながら、手を握られながら逝った。
穏やかな顔をしていたそうだ、あの写真のように。
一報を千歳から聞かされた稲穂は、全身から力を抜けて部室で椅子に寄りかかっていた。
本当に最後の頼みだったのだ。
鉄治の最期を聞いたとき、稲穂は安心した。これこそ彼が一番良く知る家族の在り方だったから。
家族の在り方はそれこそ家族の数だけある。だが、喧嘩しまま別れてしまうのは悲しい。多くのすれ違いを彼らは取り戻すことができただろうか。
稲穂と千歳は山村家に出来れば葬式に参加してほしいと言われた。
稲穂は父が来ていた喪服を着て、千歳も自分で買った喪服で葬儀に参加した。
鉄治を弔う人は決して多くなかった。だが、誰も彼も鉄治の死を悲しんでくれた。
稲穂も線香をあげ、千歳を待っているとかな子に話しかけられた。
遺族でいろいろ大変なのは知っている、疲れていないだろうか。
ましてや彼女の目の下には、一晩中泣いていたのかまだ目が赤い。
だが稲穂もそのことには触れず、目に溜まっている涙を拭きとるためにハンカチを取り出す。
「良ければ使ってください」
稲穂は微笑みながらかな子に手渡す。
「ありがとうございます津田さん。ごめんなさい、涙が止まらなくて」
彼女はそう言いながらハンカチで必死に涙を拭う。
「泣きたいときは思いっきり泣けばいいんです。誰も文句は言いませんよ」
かな子は何度も頷きながら涙を流していた。千歳に視線を向けると、何やらみな子と話している。
孝太は他の人の対応をしている。
ここで泣いている女性に向かって、気の利いたセリフでも浮かべは良いのだが、そこまで稲穂は器用ではない。
ただ泣き止むまで傍にいてやれることしか出来ない。
線香の独特の匂いがようやく鼻に馴染む頃、かな子は泣き止んだ。
当たり前だが、先ほどより目が赤い。
「外の空気でも吸いに行きますか?」
稲穂はかな子の気分を変えるために彼女を連れて外に出た。
頭上で輝く太陽はもはや夏の輝きそのものだった。
肌にまとわりつく風も徐々に爽やかさを失い、肌にまとわりつくべったりとしたものに変わっていく。
二人は近くにあったベンチに腰掛ける。
「あのっ」
二人が同時に喋ろうとして、出だしがかぶってしまった。妙に言い出しにくい空気に包まれる。
「津田さんからどうぞ」
「あっいえ、僕は大した話ではないのでかな子さんの方からどうぞ」
お互いに譲り合って、結果かな子が話を切り出す。
「あの、ハンカチありがとうございました。洗ってお返ししますね」
稲穂は別にそこまで気を遣ってもらわなくても良いのにと思ったが、彼女の好意を無下にするわけにはいかない。
かな子は話を続けた。
「津田さんはやさしいですよね。見ず知らずの他人の為に怒ってくれたり、おじいちゃんのために頑張ってくれたり。私、なんてお礼を言ってらいいか」
すると稲穂は自嘲気味にこう言った。
「大学の友達からも、優しいだけが取り柄だってよく言われていますから」
「でも、人にやさしく出来るのはものすごく偉いことだと私は思います」
ああ、たしか千歳にも同じことを言われた覚えがある。以前に夕夏梨にも言われたこともあった。
他人に優しくすることは何よりも難しい。皆口をそろえて言ってくれた。
だからこそ、稲穂も自分に少しだけ自信が持てた。
「千歳ちゃんに津田さんみたいな男の人がついていてくれると、私も安心です」
自分は大したことをした記憶はない。むしろ逆だ、千歳には助けられてばかりだ。
そしてまた呼び方が変わっている。もしかすると二人は稲穂が知らない間に友人関係になっているのだろうか。
また自分だけ置いてけぼりを喰らっている気がするが、気にはしていない。はず。
「千歳さんもかな子さんみたいな友達が出来て、きっと喜んでいますよ」
稲穂が笑っているとかな子も照れたような笑みを浮かべる。
「私、おじいちゃんのために何かできたのかなって思って」
「多分、その笑顔を見せてあげることがきっと鉄治さんの為になったと思いますよ」
空はまだ青く、どこまでも深い。親が子に向ける愛情のように。
時は数十分前にさかのぼる。千歳は、かな子と稲穂が話しているのを視界の端にとどめながら、みな子に鉄治からの言葉を伝えるために歩み寄っていた。
みな子もどうやら彼女の姿に気がついたらしく、あちらも千歳に近づいてくる。
「みな子さん、この度はお悔やみ申し上げます」
丁寧に頭を下げて、挨拶をする千歳にみな子も頭を下げる。
「日比谷さん、この度は本当にありがとうございました。何度言ってもこの御恩は返しきれません」
自分より歳が上な大人が頭を下げたままだと居心地が悪い。千歳はみな子に急いで顔を上げてもらった。
「私は……ただ、鉄治さんに頼まれて呪いを解いただけです。それ以外の、特別なことはしていません。……あくまで仕事ですから。ですが、呪いを解いてこれほど心が温かくなったのはこの依頼が、初めてでした」
元から家族の絆を取り戻すために動いていただけではない。ただ、呪いを解いただけなのだ。
千歳と稲穂はただそのきっかけを作ったに過ぎない。絆を修復し、もう一度繋ぎ直したのはこの家族だ。
だから必要以上に恩義は感じなくてもいい。
「あと、もう一つだけ」
千歳は人差し指を立てて、みな子にそう言った。
「鉄治さんからの伝言を預かっています。……それをお伝えしますね」
千歳はゆっくりと口を開く。
「『みな子、今まで苦労をかけてすまなかった』と言っていました」
みな子は下唇を噛んで涙をこらえる。
「それに……『ありがとう』と」
ありがとうの言葉でみな子の涙腺は崩壊した。大粒の涙をぼろぼろと零して、震えている声で今はもう答えることのできない鉄治に向かって話しかける。いや、最後の文句とでも言った方が正しい。
「最後ぐらい、ちゃんと面と向かって言ってよ。その言葉、生きているときに聞きたかった……!」
鉄治は恥ずかしかったのかもしれない。あまり会話もせず、顔を合わせれば喧嘩をしている自分の娘に対して感謝の言葉を伝えるなんて。
あるいは、この言葉を伝えようとしたときには、嫌われたまま逝ってしまおうと考えていたのだろうか。
だが、その目論見も最後の最後で崩れてしまった。
あの写真を見つけられ、みな子の鉄治に対する気持ちが変わったのだから。
おそらく、鉄治は最愛の父として、家族として向こうの世界に渡っていったのだろう。
千歳は鉄治の無表情な遺影に向かってぽつりと呟く。
「しっかりと、お伝えしましたよ。鉄治さんの言葉」
そう言うと遺影の鉄治がほんの少しだけ笑っているように見えた。
みな子が孝太の介抱で落ち着き、その場を離れようとするが稲穂とかな子の姿がない。
どこに行ったのだろうかと、きょろきょろと辺りを見渡す。
どこにも姿はない。
斎場のどこを探してもあの二人の姿を見つけることは出来ずに、千歳は外に出ることにした。
近くのベンチで二人が座っているのを見て、思わず物陰に隠れてしまった。
どうして隠れる必要があるのだろうか。千歳には自分の行動が理解できなかった。
意図とせず、耳に意識を集中させていた。
かな子が千歳の友人になってくれて良かったと、稲穂が言っている。
たしかにメールのやりとりをしているうちに親しくなっているのは感じられた。呼び方もだんだんと親し気になり、今では千歳ちゃんと呼ばれている。
嫌ではない。むしろ嬉しい。
こんな自分が友達でもいいのかと思ったが、かな子はそんなことを気にする人ではない。
かくして千歳はかな子の友達になったのだ。
それでも、稲穂がかな子に仲が良さそうに話している姿を見ると胸の奥がざわつく。
どうしたことだろうか。最近の自分はどこか様子がおかしい。
何故、ここまで不安になるのだろうか。
脳裏にかすかに夕夏梨と稲穂がともに遊んでいる絵が浮かぶ。
自分だけを置いて行って、二人は手の届かない場所に行ってしまうような気がしてならない。
また一人になるのだろうか。
千歳は稲穂が来るまで、比較的誰とも接しないままで生きてきた。ここまで日常的に話した男性は稲穂が初めてだった。
他人の家族以外での糸が羨ましくなっていているのだろうか。
彼女もまた、森の木々がさわめく理由を知らない。その意味を知ったとき、彼女は大きく一歩前進できるだろう。だが、それは稲穂と違いもっとあとになる。
姿を隠しているのも馬鹿らしいと思い、強い日光に参りながら二人の前に姿を見せる。
「あっ、千歳ちゃん。私もう戻るからあとは二人でゆっくりしていてね」
かな子は気を遣ってくれたのか、千歳と稲穂を二人きりにしてくれた。
千歳は稲穂の隣に座る。
「今日は暑いですね」
稲穂が話し出し、千歳は相槌を打つ。
「そうですね。もう夏です」
「何はともあれ、解呪が成功に終わってよかったです」
「はい」
話す内容に困った稲穂はどうしたものかと頭を悩ませるが、ふと斎場で泣きじゃくっていた子どもの頃を思い出す。
かな子とあのときの自分が重なったのか。
「僕も、祖母が死んだとき泣いていました。三日間は寝ても寝ても、そのことが忘れられずに母に迷惑をかけていました」
一息ついて、稲穂は続けた。
「よくその人の価値ってものは死んだときに泣いてくれた人の数で決まるって言いますけど、それっておかしなことですよね」
千歳はゆっくりと頷く。
「……人の価値に多寡を決める時点でおかしな話ですが、故人の為に泣いてくれる人が一人でもいるのなら……私はそれが価値のある人生だと胸を張って言えます」
彼女は空を見上げてそう言った。
多い少ないの話ではない。自分の為に泣いてくれた人がいるということが重要なのだ。
稲穂は自分の死でどれだけの人が泣いてくれるのだろうかと考えたが、想像もつかない。はるか先の未来の話だ。
稲穂は顔を上げて、太陽の輝きが激しい空を見つめる。飛行機の轟音が駆け抜けていく。
空の向こう側には大きな積乱雲も見えている。
夏特有の乾いた、そして何かが焦げている匂いが鼻孔を掠める。
夏がすぐそこまで迫っていたのだった。




