第十一話
翌日、稲穂たちは山村家を訪問していた。稲穂たちの町から離れており、いわゆる隣町。木々が所々に見え、緑が盛っている。
市内から更に歩き、山も麓近くに山村家はある。かなり敷地の広い家が彼らを出迎えてくれた。
千歳の住む館もそこそこ大きく驚いていたのだが、それよりも和風で厳かな雰囲気を感じさせる。
かな子から事情を聞く限り、以前までは鉄治とその妻が住んでいたのだが、妻が他界し、一人身となった鉄治を心配してみな子が一緒に住むことを決めたらしいのだ。
今日で呪いを解く。そのために来ているのだ。千歳が持っている呪い本の中に答えがある。そして鉄治はどうして蔵に呪いをかけたのか。
すべての答えが出るときが来たのだ。
例え、ここで呪いを解いたことによって何が起ころうとも、稲穂はもう迷わない。それが正しいことだと信じているから。
そこはかとなく緊張している面持ちの稲穂に千歳は声をかける。
「緊張……していますか?」
稲穂は顔に緊張の色が出ていたことに驚きながら、困ったように微笑みながらこう言った。
「すいません、緊張してしまって。なにせこういうのは初めてなので、どういう気持ちで向き合ったらいいか……一晩考えただけでは見つからなくて」
昨晩は眠れなかった。今も寝不足で眠い。電車での移動中ずっとあくびをしていた。
その様子を見て千歳も微笑み返す。
「大丈夫ですよ、私も初めの頃はずっと緊張していましたから。その、なんと言うか……私の場合ですけど人にありがとうとお礼を言われるたびに、不思議と緊張は解け始めました。……単純に慣れた、だけかもしれませんが、お礼を言われるとまた頑張ろうと思えるようになりました。きっと感謝の言葉には、私たちには見えない力があるのかもしれませんね。あっ、えっとですね、つまり何が言いたいかと言うとですね――!」
お礼を言われ、自分のしていることが正しいことをしている自信が生まれて、余計な緊張が消えていく。
彼女は口下手だがそう稲穂に伝えたかったに違いない。
彼女が慌てて説明をつけたそうとする姿が可愛らしく、稲穂からも自然と笑みが零れる。
「いっ、稲穂さん! 人が困っている姿を見て笑うのは、あまり良い趣味ではありませんよ!」
彼女は、珍しく頬を赤らめて恥ずかしそうに怒っている。
しまった、少し意地悪が過ぎただろうか。だが千歳のその姿もまた愛らしい。
しかし、戯れもほどほどにしてこれからする仕事に集中しなければならない。
一通り肩の力が抜けたのを確認すると、稲穂は深呼吸をして一言。
「行きましょうか」
千歳は頷く。
稲穂はインターホンを押す。すると程なくしてかな子が玄関から出て来る。
二人の姿を見て、はつらつとした笑顔を見せるかな子は小走りで駆け寄ってくる。
「お待ちしていましたよ。千歳さん、津田さん!」
稲穂は、千歳だけ下の名前で自分だけがどうしてまだ名字なのだろうかと気になっていたが、あえて聞かずに挨拶を交わす。
「こんにちはかな子さん。今日はよろしくお願いしますね」
千歳も稲穂につられて挨拶をした。
「こんにちは、かな子さん。今日は……よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げて、早速庭にあるという蔵に案内してもらった。
みな子は朝から鉄治の着替えを持っていくために病院に行っているそうだ。そして家に負けず劣らず大きい蔵が二人を待っていた。
これがウワサの。話しでしか聞いたことがなかったがたしかに年代を感じる。
こう言っては失礼だがいかにも呪いがかけられていそうな蔵だ。
開けたら呪われてしまわないだろうか。いや何を馬鹿なことを。
ここには解呪師の千歳がいる、たとえ本当に開けて呪いがかかったとしてもすぐさま解いてくれるだろう。
そうじゃない。開けたら何か起こるようなものをかかっているはずがないのだ。
稲穂は内心苦笑しながら、蔵を正面に見据える。
誰かの侵入を拒んでいるように思えてしまうのは、おそらく鉄治が誰も蔵に入れてないからなのか。
かな子に蔵の錠前を外してもらい、稲穂が重たい扉を開ける。
「ゲホッ、ゲホッ!」
稲穂は勢いよく咳き込む。ほこりが舞っている。何年も掃除されていないのだろうか。
戸棚に置いてある壺や本、銅像にすら大量のほこりが積もっている。
まずは掃除から始めたほうが良さそうだ。このままだと健康に害を及ぼす。
自分だけならまだしも、女性の千歳までいる。アレルギーにでもなってしまうと大変だ。
「掃除から始めましょうか」
稲穂の気持ちを知ってか知らずか、千歳がかな子にそう伝えていた。
せっかくすぐに呪いを解く準備にかかれると思っていたが意図としない所で時間を有してしまった。
マスクをして各々掃除を始める。かな子も手伝ってくれて掃除は思って以上に捗った。
稲穂は掃除をしている最中にもこの蔵を見渡していたが、特別おかしい点はない。ただのドラマなどでよく見る蔵だ。
これでは何故、呪いをかけたのか分からない。
頭を悩ませながらも、しっかり手は動かしていた。たが結局、午前中は掃除だけで使い切ってしまった。
午後もこの調子だと、今日中に見つけ出すのは難しいかもしれない。
稲穂と千歳は山村家の縁側に腰かけ、休憩をしているとかな子がお菓子を持ってきた。
「二人ともこれどうぞ」
彼女から差し出されたビスケットを口に運ぶ。
「美味しいですね! 初めて見る形ですし、どこで買ったんですか?」
稲穂の何でもない質問に彼女はえへへと照れた笑みを浮かべた。
「これ実は私が作ったんです」
「ええ!? 本当ですか、これお店のものかと思っちゃいましたよ!」
稲穂が興奮気味に褒めると、部屋の奥から男性の声がする。
「かな子の作るお菓子は本当に美味しいんですよ、おかげで僕も太っちゃって」
稲穂たちの前に現れた男性はお盆にコップを乗せて、歩み寄ってくる。
かな子に似た柔らかい笑顔だ。
「もうお父さんも、津田さんも褒めすぎだよ」
彼はかな子の父、山村孝太。背は稲穂と同じぐらいでややほっそりしている。だが、先ほど彼自身が言っていた通りかな子の作るお菓子を食べているせいで太り始めたようだ。
「申し遅れました、かな子の父の山村孝太と言います。この度はわざわざ足を運んでくださり、ありがとうございます」
頭を下げられ、稲穂たちも頭を下げて挨拶をする。
稲穂は何か解呪の糸口を掴むために、孝太に質問した。
「あのいきなりで申し訳ありませんが、鉄治さんがあの蔵に呪いをかけたのですが、その心当たりとかありませんでしょうか?」
彼は頭をひねってみるが、この様子だと何も出てこないだろう。
半ば諦めたときに孝太が口を開く。
「呪いをかける理由になるかどうかは分かりませんが、依然と僕とみな子が付き合っているとき、結婚を申し込むために鉄治さんに挨拶をしに来たことがあるんです。その日の夜、みな子と思い出話でもしようかと昔の写真を探していたら、みな子が突然言ったんです。写真が足りないと。どうやら、鉄治さんが映っている写真だけ無かったようなんです。僕も何せ婿入りですので鉄治さんにはあまり強く言えず、結局何も聞けずじまいでした」
そう言えば、かな子も同じことを言っていたことを思い出した。
子どもの頃に鉄治に写真を見せてもらったが、今ではまるっきり見なくなったと。
「ねぇお父さん、そうなると私が生まれておじいちゃんと一緒に撮った写真もなくなったよね」
かな子がそう孝太に尋ねる。
「そうだね、所々抜けているね。それも鉄治さんが映っている写真がほとんど。あっ、写真で思い出した。鉄治さんの夫婦だけで撮っている写真もあまりなかったね」
お義母さんは写真が撮るのが好きだったのに。と孝太は続けた。
鉄治は写真を撮られるのが苦手だったのだろうか。
待て、どうしてか何か引っかかる。かな子の言っていたことを正確に思い出せば違和感に気がつくはずだ。
そうだ、かな子は鉄治自身が映っている家族写真も一度しか見せてもらったことがないと言っていた。
今の話を言聞くだけでも写真が消えている。それも鉄治が映っているはずのものだけ。
はっとして、千歳の顔を見る。
千歳もまた稲穂と同じ考えのようだ。
ただ写真は無くしていたものだと思っていた。それは違っていた。
千歳はハンドバッグから呪い本を取り出す。そして手紙が挟まっていたページを開く。
そのページの呪いの名前は『物隠しの呪い』ある特定の物を見えなくする呪いだ。
稲穂と千歳は勘違いをしていた。話を鵜呑みにして蔵に呪いをかけたとばかり思っていた。しかし、実際は蔵の中にあるとある物を隠していただけだった。
ぼそりと千歳は呟く。
「……おおよそ目星つけていましたが、やはりこれでしたか」
本を開いたまま、千歳はすっと立ち上がり蔵に歩を進める。
「千歳さん、もしかして解呪を?」
稲穂の問いに彼女は静かに頷く。かな子も孝太も稲穂もゆっくりと千歳の後を追うようにして蔵に向かう。
千歳は蔵の中に入り、呪い本を開いたまま地面に置き、自分も座る。
稲穂から見て透子に変わる気配がない。おそらく千歳のままで解くつもりなのだ。
千歳は目を閉じ、深呼吸をして目を開く。
物隠しの呪いの陣を指でなぞり、そのままなぞった指で空中に対となる陣を描く。
「見」
彼女は言霊を放つと、蔵の中に一陣の風が舞い込む。暖かくどこか寂しい初夏の風。
解呪の成功を固唾を飲んで見守っていた稲穂は、立ち上がる千歳の振り向いた顔を見て安心した。
無事、成功したようだ。
「おそらくですが、この蔵のどこかに今まで見えなかったものが見えているようになっているはずです。稲穂さん、探すの手伝っていただけますか?」
稲穂は頷き、千歳の手伝いを始める。
先ほどの掃除で見つからなかったもの。千歳は一階をそして稲穂は二階を探すことにした。
壺なのど骨董品は先ほどもあった、大きな箪笥もあった。子ども用の机もあった。だが、その机の上に置いてあった小さな桐の箱だけは先ほど掃除していたときにはなかった物だ。目の前に今、存在しているこの箱な一体何が入っているのか。
「千歳さん、ありました! この小さな桐の箱がそうじゃありませんか?」
二階から千歳に見せ、彼女は見上げる。
「きっとそれです! 中に何か入っていますか? 開けて確かめてください、私も二階に上がりますから」
千歳の指示通りに箱を開ける。
「これって……」
稲穂は言葉を失った。千歳が梯子を上って稲穂の元に近寄り、中身を確認した。
「家族を想わない者はいない。そういうことでしょうか?」
稲穂が独り言のように呟く。
「ええ、きっとそうです。だからこうしてここに隠していたんでしょう。鉄治さんは恥ずかしがり屋ですからね」
千歳が箱を大事そうに抱えながら蔵を出ると、みな子が病院から帰ってきていた。
丁度良かった。これを渡すなら最初に彼女と稲穂と千歳は考えていたところだ。
「みな子さん、これが鉄治さんが呪いをかけてでも隠していたかったものでしょう」
みな子は手渡された箱を開けた。
入っていたものは――写真だった。何枚もの写真。どれもこれも鉄治が映っている。
孫と戯れている鉄治を写したものや、家族で撮ったたった一枚の写真と、これは結婚式に撮ったものだろうか、鉄治とその妻が映っている。
そしてみな子が手を止めたのは、赤ん坊を抱いてあやしている鉄治の写真だった。
裏にはみな子の初めての誕生日祝いと書かれている。
無邪気に笑うみな子、そして春の太陽のように優しく温かく微笑んでいる鉄治の姿。
みな子は涙を流し始めている。
あれだけ自分が嫌っていた父に、自分がどれだけ愛されていたのか。
このたった一枚からでも伝わってくる鉄治の深い愛情。
あの厳しい言葉も、すべて自分を想っているが故だったのだ。
そのはずなのに、みな子はそれを理解できずにただ嫌っていた。
過去の残影が残るせいで、喧嘩をしたまま彼女の中では止まっていたのだ。
父をもっと信頼して上げられていたなら、父をもっと受けた愛情の分まで恩返しをしてあげられたなら、どれだけ良かっただろう。
大切なもの、大切にしなければならいもの、それはいつもそう気がつくのは遅すぎる。
人は失ってからこそ、その価値を知る。到底金では買えない愛の対価。
みな子の持つ写真に涙がぽつりぼつりと雫が零れる。孝太とかな子が寄り添い、そっと抱き寄せる。
千歳も稲穂もこれ以上何も言わなかった。
当然、何も言うつもりなど毛頭なかった。ただ見つめていた。彼女の中で鉄治の姿が冷徹な父から、温かな愛情を持った大きな背中を持つ父へと変わっていくことだろう。
正しいことを成した自覚などない。ただ他人の為にすべきこと、やるべきことをしたまでだ。
透子の言っていたことが分かった。人を助けることだけに奔走してしまっては、本来すべきことを見失ってしまうのだ。
すべきことをせずに過程を飛ばして結果だけ追い求めるな。透子はそう言っていたのだ。
今回の依頼でそれがよく分かった。これで自分も解呪師に一歩だけ近づけたと思いたい稲穂の頬を先ほどと同じような暖かな風が頬を撫でていくのだった。




