第十話
ここで、いくつか話しをしなければならない。十津川真嗣から見た十津川正典はどういう人物だったのか。そして真嗣がどうして呪いを受け継いだのか。
それを知っておく必要がある。
真嗣が物心ついた頃から、祖父の背中から世界を見て育ってきた。
父や母は多忙で、いつも真嗣は正典に手塩にかけられて、目一杯の愛情を受けてきた。正直な話、父や母よりも祖父のことが好きだったのかもしれない。
祖母は、真嗣が生まれる三年前に他界したから実際の顔は見たことはなかったが写真ではいつも、にこにことほほ笑んでいた。
彼が十歳の誕生日を迎えたときだった。
誕生日パーティを終えた真嗣を自室に招き、正典は十津川一族について静かに語り始めた。
自分たちが呪い師の一族であること。そして、ある呪い本を探しているということ。
真嗣は一言も話さず、黙って聞いていた。いや、聞き入っていたと表現したほうが正しい。
彼は今まで知る由もなかった祖父の姿に、無邪気に瞳を輝かせて心惹かれていった。
真嗣の父にも当然この事を話したが、呪い師を継ごうとはしなかった。ただの人として生きていくことを決めたのだ。
すべてを話し終え、正典が話し出す前に真嗣が声を出した。
『俺が、継ぐよ』
と一言だけ。
正典はあまりの嬉しさで涙を流して、ぎゅっと小さな体を抱き寄せた。
十津川には継手がいなかった。自分の代で歴史も潰えると思って心を決めていたが、よもや孫が継手になるとは夢にも思わなかった。
そこから、真嗣は学校に帰ってきたら遊びもせず、寄り道もせずに真っ直ぐに祖父のもとに走った。
呪い師としての歴史や、陣を覚える勉強。学校の宿題より捗った。
祖父が教えてくれる呪いは、どの教師よりも分かりやすかった。
真嗣が中学三年生になった頃だろうか、祖父に一人友人ができた。将棋で知り合ったらしい。正典の将棋の腕前は決して上手いというわけではなく、それでもずぶの素人よりは上手い。上級者というより、中級者と言った方が似合っている。
それでも、真嗣にはいつも負けていた。
正典は友人の山村鉄治とよく遊ぶようになった。子どもの頃に遊んでいなかった分がここに来て反動として表れているのだろうか。
そう、正典も彼の父からまた真嗣のように呪いを教わっていたのだ。
苦ではなかったと、正典は笑って話してくれた。
一年後。正典は他界した。天寿をまっとうしたのだ。最後まで苦しまずに、どこか微笑みながら逝ったのだ。
その数日後に、真嗣は彼の部屋から遺書を見つけた。真嗣に当てられた手紙だった。内容は十津川の呪い師としての誇りを託すというものだった。
こうして真嗣は、十津川の誇りを受け継いだのだった。
だからこそ、真嗣は祖父が最後に何をしたのか、友人にどういう呪いをかけたのか気になっていた。
当然、稲穂もその一人だった。
足は自然と、十津川家の前で止まっていた。
ジレンマを感じるのはおこがましいことなのかもしれない。
稲穂は悩まずにはいられなかった。それは彼が未熟故なのか、どうか判断しかねる。
人としての当たり前の葛藤なのか。
他人の想いを組み込んだ呪いは、その人のことを心の底から思ってかけるものだと、稲穂は認知している。
正典は鉄治のことを大切に思っているからこそ、蔵に呪いをかけた。
それを簡単に解いていいのだろうか。いや、本人が解いてほしいと願っているのなら解けばいい。
だが、当時に想った気持ちはどうなるのだろうか。自分からかけてくれと言っておいて、どうして解いてくれと言えるのだろうか。
あまりにも我が儘が過ぎるのではないか。
過去の自分を見ているようだ。辛い記憶から逃げようとして記憶を消し、その身に危険が迫っていると知るや否や、取り戻そうとした。
千歳は仕方がないことだと言ってくれた。
たしかに、状況が違ってくれば求める結果も変わってくる。
だが、それだとあまりにも、切ない。
その人ためにかけられたはずなのに。またその人の勝手で消えていく。
稲穂も含め、やはり人間は自分勝手な生き物だ。
すべて自分たちの都合で事を決めてしまう。あたかも、万物の長のように。
ため息を我慢した。
したことによって何か変わるわけでもない。ただ空虚なだけだ。
だが、真嗣から聞いた話だと生前正典は数々の呪いをかけてきて、解呪師の世話になったこともしばしばあったという。
きっと他人のことを想ってかけた優しい呪いに違いない。
それを解かれて、彼はどんな気分になっただろうか。悲しくなったのか、それとも何も思わなかったのか。この迷いを振り切るためにも、話を聞いておきたかったところだがそれはもう叶わない。
この迷いは自分で断ち切らなければならない。
それができるだろうか。これが、稲穂の越えなければならない壁なのだ。
ここでまた千歳や藤宮に答えを求めてはいけない。
いつかそれは甘えとなり、癖となり、いつか稲穂自身から答えを導き出す力を奪っていしまうだろう。
また千歳もそれが分かっているからこそ、あえて悩める稲穂に何も言わなかったのだ。
「着きました、ここが祖父の家です。今では俺が住んでいますが」
その言葉通り、外観は綺麗だった。それだけではない。家の中も小奇麗にされており、そのまま正典の部屋に通された。
「お邪魔します」
稲穂と千歳は声をそろえてそう言い、頭を下げて部屋に入る。
綺麗だった外装からも、想像できないぐらいに汚かった。あちらこちらに本が乱雑に置かれており、足の踏み場もない。まさに本の海だ。
どうしてここだけ、ここまでな悲惨な状態になっているのだろうか。
稲穂は堪らず気になって真嗣に尋ねた。
「うわ、すごい本の量だ……。十津川くん、どうしてこんなことに?」
真嗣は申し訳なさそうな顔をして、稲穂に答えた。
「実は、祖父の部屋だけ片付けが進まなくてですね。なんというか、毎回転がっている本を読むだけで時間が進んでしまっていて」
なるほどそれで合点がいった。確かにこれだけの書物があれば時間を忘れて読書に没頭はよくあることだろう。現に稲穂も同じような経験をしたことがあった。
そうなると、まさかこの本の海の中から呪い本を探し出すしかないのか。
見ただけで百は超えている。下手とすると千や万は超えているかもしれない。
これは相当根気のいる作業になりそうだ。
稲穂は深呼吸をして、作業の取り掛かることにした。
「それじゃあ、早速始めましょうか」
千歳は床に散らばっている本の整理。真嗣はこの部屋以外での呪い本を管理されていないか探し、稲穂は本棚に仕舞われている本の中から探す。
同じ空間にいるにもかかわらず、稲穂と千歳の間には会話がなかった。
互いに探し物に集中しているのはその通りだが、しかし千歳は話してしまうと余計な事にまで口を出してしまうのは目に見えているので、彼の後姿だけそっと見守っている。
手を動かしながらも、千歳は十津川真嗣について気になっていた。
彼は祖父からは呪い師は何たるかを学んだと言っていたが、自分で呪いの行使はしていないのだろうか。
呪い師は漏れなく呪い師協会に登録される。その辺りの詳細は藤宮が良く知っているので、あとで確かめることにした。
彼女はある一冊で手が止まった。
家系図を簡易的にまとめた紙が挟まっていた。
十津川正典の名前とその配偶者、そして息子の名前と孫の真嗣の名前も見つけることができた。
ある一人の男の名前で目が止まる。十津川正之助の横の配偶者の欄だけ手直しが入っている。
一度消されて、上書きされている。
配偶者の欄には改めて濃く太字で南雲芳江と書かれていた。
南雲、どこかで聞いたことのある名前だ。千歳は顎に手を当てて思案する。
藤宮との数年前に話した内容を記憶の星屑として拾い上げる。
南雲家、呪い師の一族であったはずだ。藤宮家ほどの名家ではなかったが、江戸から続く歴史を持っている。
では一体、どうしてその南雲家の娘と十津川家の男が結婚しているのだろうか。
可能性を上げるとするならば、やはり十津川家の呪い師としての勢力の拡大だろうか。呪いを生業にしている者同士、一緒になった方が色々と都合が良い場合もあるのだが、呪い師の悲願は己が呪いを創り出すこと。
その目的のためにいわば政略結婚に出されたということか。
明治の事象に関しては透子の方が断然詳しい。
千歳は家系図を頭の中に入れて、紙を元のページに挟んで閉じる。
一方、稲穂もとある呪い本をに目を通していた。
正典は蒐集家らしく相当数呪い本があった。だが、気がかかりなのは、これらのほとんどは十津川家の物ではない。藤宮家、南雲家、吉朝寺家、それだけではない。おそらくながら、すべての呪い師の家系の本がここにある。
これもまた、呪いの研究のためだからだろうか。
そして、千歳のときと同じようにあるページに手紙が挟まっていた。
誰かにあてた手紙だろうか。申し訳ないと心の中で断りを入れながら内容を拝見する。
手紙の内容は、こうだった。
『おそらくこの手紙を読んでいるのは、孫の真嗣ではなく解呪師のどなたかだろう。わたしは、その誰かに向けて書くことにした。
呪いというものは人の欲望や我が儘によって生まれたものだ。人の勝手で生まれ、人の勝手で消えていく。それが呪いだ。呪いをかけられた、またはかけた本人が解いてほしいと願うのなら解いてやってほしい。
かけた、といことはいつか解かれることは覚悟している。だから、わたしのことは気にせず、本人の意思を尊重して、その行為が誰かの助けとなるのなら、呪いをかけるのも解くのも、他人の為を思っているのなら、そこに呪い師や解呪師の差はない。もし、悩める者がいるとするなら己の心に従って本当に正しいと思えることをしなさい』
と書かれていた。
ずっと答えが出ないままだった。いや答えはとっくに出ていたのだ。それを何度も迷って悩んで、必死にこれが本当に正しいのか精査していた。
他人の為に。そう稲穂は鉄治の為に呪いを解く。
呪いをかけて欲しいと願った鉄治の想いも本物で、解いてほしいと願う心もまた本物なのだ。
ようやく迷いが振り切れた。稲穂は千歳に声をかけた。
「千歳さん、もしかしてこの中に蔵にかけた呪いがあるかもしれません。見て頂けますか?」
千歳は立ち上がり、呪い本の中を確認する。
そして、とあるページで目が止まるのだった。
「何か分かったんですか?」
稲穂の問いに千歳は返事をする。
「はい。おそらくですが、この呪いではないかと目星をつけました。ですが……確信がありませんので、一度この呪い本を持って鉄治さんの蔵に行きましょう……。このまま、呪いが解けるといいのですが」
彼女は自信がないのか、声が徐々に小さくなっていた。
「千歳さん、大丈夫です、きっと」
千歳と目線を合わせて稲穂はゆっくりと頷く。
そして、目的を達成できた稲穂たちは真嗣に呪い本を借りて別れの挨拶を告げて、十津川家を後にしたのだった。




