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呪いの館  作者: 宮城まこと
二頁目
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第九話

 十津川正典の孫と会うのは今日の午後。夕夏梨が入っているゼミの授業が終わったら、彼女が直接連れてきてくれるのだ。

 稲穂は午前の授業はまったくと言っていいほど集中できていなかった。もうすぐで千歳が正門前に到着する時間だ。迎えに行かなければ。

 席から立ち、正門前に歩を進める。

 こうして校内を歩いても声をかけてくれる友人はすっかり少なくなってしまった。やはり彼が忙しいから気を遣っているのか。

 こうも誰にも話しかけられないと大学で入学した当初を思い出す。

 あのときは地元の人間も少なく、話す機会がまるでなかった。

 そこで稲穂に初めて声をかけてくれたのは、東だった。あそこまで綺麗な人に話しかけられて胸が躍ったが、ただのサークルの勧誘だと知って落胆としたのは、まだ誰にも言っていない。

 最近は、東と会う機会は部活の部会程度しかない。そのたびに飲みに行こうと誘われているのだが、そういうときに限って館に行かなけれならないのだ。

 その代わりと言ってはなんだが、夕夏梨と一緒にいる時間がとても多くなっている。

 いや、もともと彼女と関わる時間は多かった。しかし現在ほどではない。今や話しかけてくれるのは彼女のみ。有難い話なのだが、自分とばかり遊んでいていいのだろうかと心配する稲穂だった。

 だが、彼女の交友関係は見た目以上に広く、一緒に校内を歩くと彼女に声をかける者が後を絶たないほどだ。


 夕夏梨の友人たちに自分と彼女がどう映っているのか気になるのだが、彼には確かめる術がない。

 おそらくただ仲の良い後輩と先輩として映っているだろう。

 夕夏梨がこの大学に入学してからというもの、彼女にも東にもあちこち連れまわされている。現に夏休み中に遊園地に行く約束をしてしまった。

 されたと言うべきなのか分からないが。

 稲穂は夕夏梨の存在には口に出しては決して言えないが、とても感謝している。いつも横にいて、いざとなったら頼りになる。

 夕夏梨がいなければ、今頃稲穂は灰色の大学生活を送っていただろう。

 今回の十津川の件もそうだ、彼女をすっかり頼りにしてしまっている。遊園地に行ったらお礼を兼ねて色々としなければ。

 稲穂は財布の中身を確認して出費がかさむことにため息をつく。

 ここで話は変わるのだが、実は稲穂はもう一つ気になっていることがあった。

 昨日の藤宮フラワーショップからの帰り際、藤宮に言われた一言。

 妙なものとは一体何なのか。ベッドの上で横になりながら一晩考えたが、答えが出なかった。稲穂の周りには妙なものが多すぎる。

 まずは、千歳の中にいる透子のこと。

 あれは妙なものと言ってしまえば妙なものだろう。透子は明治時代の実在した人間で、呪いによって現代によみがえったのだ。


 となると藤宮は透子の存在を認知していることになる。

 兄妹のような間柄な二人でましてや藤宮は一流な呪い師だ、千歳もまず相談をするはずだ。当然、入れ替わりも見せていることだろう。

 稲穂も透子のことを一人の今生きている人間として捉えている。その認知を藤宮は妙なものとして捉えているか。

 いや、だからこそということもある。

 もう一つは、もちろん呪いのことだ。

 あれこそ正真正銘、誰がどう見ても妙なものだ。千歳は言っていた、呪いは生きていると。この言葉と藤宮の言葉を足すと、稲穂は呪いに狙われていることになる。

 冗談ではない。

 つい先日、ようやく解放されたところなのだ。

 呪いに狙われていることだけは勘弁願いたい。しかし、この二つはあくまでも稲穂の憶測でしかない。この二つの中に真実(こたえ)があるのか、それとも別な何かか。稲穂がそれを知ることができるのはもう少し後になる。

 正門の近くに一際身を縮めている女性の影が見えてくる。

 周りにガラの悪い男が彼女を囲んでいる。どうやら声をかけられているようだ。

 真面目な彼女のことだ、おそらくながら口の軽いやつらの対応に困っているはずだ。一刻も早く助けに向かわねば。


「千歳さん、お待たせしました!」

 彼女は稲穂の姿を見て、表情を明るくして律儀にも周りの輩に頭を下げて彼に駆け寄った。

 輩は稲穂が来たことによって既に退散していた。よかった何もトラブルがなくて。

「大丈夫でしたか?」

 彼女の小さな体は震えていた。千歳は外出をあまりしないのは散々説明した通りなのだが、だからなのか大勢の人間が往来する場所や、ああいった輩の対応が大の苦手なのだ。

 きっと怖かったに違いない。

 ここで、そっと抱き寄せてやれれば稲穂も男としてなかなか出来る器になれるのだが、彼にそんな大それたことをやれる勇気はない。

 せいぜい、してあげられるのは震える肩に手を置くことぐらいだ。

「少し休んでから食堂に行きましょうか」

 何も言わず千歳は頷く。

 大学の敷地内にある手ごろなベンチに腰掛け、彼女が落ち着くのを待った。

 ここまで来るにも大変だったのだろう、彼女は汗をかいていた。授業中心配でもあった、駅前に迎えに行こうかと考えたが、授業があったのでそれは出来なかった。

 僅かばかり、その選択を後悔している。自分が迎えに行ってさえいれば千歳は怖いおもいをせずに済んだ。

 こうして、人は幾度も道を間違える。彼もまた例外ではない。


 程なくして千歳はいつもの落ち着きを取り戻した。

 そして、夕夏梨が十津川の孫が待つ食堂に向かう。

 昼休みはまだ始まったばかりなのにもかかわらず、大勢の学生で賑わっていた。いつものことだが座れる席はあるのだろうか。

 辺りを見渡していると、夕夏梨と目が合う。あちらもどうやら稲穂たちを探していたようだ。

 夕夏梨はそのまま彼のもとに駆け寄り、話しかける。

「待ってたんですからね。席は取っておきましたから、行きま――!」

 彼女は彼の隣に千歳がいることにようやく気がつく。目が点になっている。稲穂は、夕夏梨には千歳が来ることを知らしていなかったのだ。

 千歳も夕夏梨と目が合い、頭を下げて挨拶をする。

「どっ、どうして日比谷さんがここに?」

 もっともな疑問だ。

「実は、十津川くんに用があるのは僕と千歳さんなんだ。ごめん、言い忘れてた」

 稲穂は謝罪を混ぜながら説明をした。彼女はしぶしぶ理解してくれたが、どことなく怒っているように見えてしまう稲穂であった。

 夕夏梨が取っておいてくれた席に、十津川正典の孫が座っていた。

「十津川くん紹介するね、この人が私の先輩で会いたがってた津田稲穂さんで、もう一人が先輩の友達、日比谷千歳さんだよ」

 夕夏梨が手際よく紹介すると、彼は立ち上がり自己紹介を始めた。


「俺は、十津川(とつかわ)真嗣(しんじ)です。聞きたい用件って一体なんですか?」

 取り敢えずは全員席に座る。

 どうやら、夕夏梨は同席をするつもりらしい。居て困るわけでもないが、呪いのことを聞かれてしまうのはバツが悪い気がした。

 だが、ここで席を外してもらうのも彼女に失礼というものだろう。

「不躾で申し訳ありませんが……十津川正典という名前に聞き覚えはありませんか?」

 千歳が話を切り出した。

 真嗣は一度驚いた顔をして、真っ直ぐな瞳で稲穂と千歳を見つめる。

「はい、十津川正典は俺の祖父です。ですが、どうしてお二人が祖父の名前を?」

 千歳はバッグから名刺を取り出し、真嗣に差し出す。

「改めまして……私は、解呪師の日比谷千歳と申します。そして横の彼が、助手兼解呪師見習いの津田稲穂さんです」

 彼は納得のいったような顔で深く息を吐いた。

 やはり、彼は何かを知っている。山村家の蔵にかけた呪いの陣が見つかるかもしれない。稲穂は逸る気持ちを抑えながら、稲穂の正面に座っている夕夏梨に視線を向ける。

 何がどうなっているのかまるで理解していなかった。一人だけ、取り残されている。

 あとでしっかりとした説明をしてやらなければ。

「その解呪師の方がどうして俺なんかに? もしかして生前の祖父が何かしたんですか!?」

 真嗣が声を荒げながら千歳に尋ねると、彼女は目を丸くしながらもかぶりを振る。


「そうでしたか。俺はてっきりまた何かしたのかと」

 また。と彼はたしかにそう言った。それは前があったということだ。この言葉について訊かなければならない。

「またってことは前にも似たようなことが?」

 稲穂が訊くと、十津川はゆっくりと頷く。

「俺が子どもの頃ですけど、祖父が勝手に呪いを新しく作ったとかで、解呪師にも呪い師の皆さんにご迷惑をおかけしたことがあって。それで、聞きたいのは祖父のことですよね?」

 稲穂は千歳と顔を合わせて頷き、十津川正典が鉄治の蔵に呪いをかけたことを彼に事細かに話した。

 すべてを話すと真嗣は安堵しきったような、気の抜けた笑みを浮かべた。

 笑みの理由を尋ねると、祖父がやりそうなことで安心したと言っていた。

 彼のことは悪い人間だとは思えない。それはきっと祖父の心優しさを受け継いでいるのからだろう。そして鉄治と正典の出会いを真嗣から聞いた。

 二人は将棋という共通の趣味で知り合ったのだ。二人は似ていたのだと言う。同じ銘柄の煙草が好きで、同じ物を好み、不器用だが優しいところが特に。

 正典は鉄治のために、蔵に呪いをかけた。人助けだと思って、友人を心から思って。彼は鉄治の気持ちを汲んだのだ。

 しかし、それを稲穂たちは解かなければならない。稲穂には気が重い。

 藤宮の言葉を思い出した。


 解呪師はどうであれ、呪いに組みこまれた人の想いもなかったことにする。こういうことなのだ。正典が友人のために呪いをかけ、おそらくながら鉄治も感謝していたことだろう。

 その呪いを解呪師は指先一つで無にする。

 この依頼に関わってから稲穂はずっと悩んでいた。かけた側の人の気持ちはどうなるのだろうか。人は求めて呪いをかけ、人は己が求めて望んだ呪いを解く。

 解けた場合、その呪いに組みこまれた人の想いはどこに消えてしまうのだろうか。想いの持ち主の元に帰っていくのだろうか。

 稲穂は答えが出ないままでいた。

 仕事だと割り切れない。それが出来れば苦労はしない。自分の未熟さが腹立たしい。

 こうしている間も千歳と真嗣の話は進んでおり、十津川邸にて正典の遺品から呪い本を探すことになった。話がまとまり千歳と真嗣が早速移動を始めると、稲穂は夕夏梨に手を握られた。

「私、三人の会話についていけなかったんですけど。……解呪師とか、呪い師とかちゃんと説明してくれますよね?」

 彼女は話の内容は分からないが、せめて邪魔にならないように静かに聞いていたのだ。

もちろん、説明はするつもりだ。

 だが今は時間が取れない。申し訳ないが、手を離してもらうしかない。稲穂は心で謝りながらも夕夏梨に言った。

「ちゃんと説明するから。安心して」

 精一杯の笑顔だった。

 夕夏梨は手を緩めるのではなく、ぎゅっとさらに力を入れた。


「怪しいことに先輩を行かせたくありません。……でも、どうしても行かなきゃいけないんですよね?」

 自分は、人は我が儘な生き物だとつくづく痛感した。

「……ごめん、あとでお詫びをするから」

 彼女の手から稲穂の手はするりと風のように抜けていき、千歳のもとに駆け寄って行ったのだった。夕夏梨はそれをただ呆然と彼の安全を願いながら見送ることしか出来なかった。

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