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呪いの館  作者: 宮城まこと
二頁目
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第五話

 鉄治の病室は、三階に上がってすぐだった。

 千歳は病室の扉を開けて入る。

 目に見える死の形。窓際のベッドに鉄治が管に繋がれて言い方は悪いが生かされている。やせ細り、人工呼吸器のマスクをして眠っているようだった。

 稲穂は、鉄治の姿を祖母に重ねていた。

 頭が痛い。祖母が死んでしまったとき、彼は廊下で母に抱かれながら泣き叫んでいた。大事な家族を失った悲しさからか、稲穂には泣くことしか出来なかった。

 するりと人の掌から落ちていき、人は魂は神や仏の待つ世界に戻っていく。だから死というものはどうしようもなく抗えないものだ。

 素人の稲穂が見ても、鉄治の命がそう長くないないことは理解できた。

 ただ一つ、祖母と鉄治の違いを挙げるとするならば、周りの人の有無だろう。

 稲穂の良く知る祖母はいつも優しくて笑っていて、悪いことをすれば怒ってくれた。彼の一番の味方だった。

 人柄の良さもあってか、歳を取っていても友人や親せきが大勢見舞いに来てくれた。

 時間があればもちろん稲穂も見舞いに行った。彼が来れば祖母は笑い、あまり上手く力が入らなくなっている手で頭を撫でてくれた。

 そして、その手が何よりも安心できた。

 あれは祖母が五度目の入院をしたときだろうか。


 ついには体力もなくなり、話すことすらままならない状態だった。それでも稲穂の元気に駆け寄ってる姿を見るといつも笑ってくれた。

 稲穂にとってその別れは唐突だった。

 昨日までは元気に話していた、笑ってくれていた。褒めてくれた、頭を撫でてくれた。ご飯も残さず食べていた。

 それなのに、祖母はその翌日に死んでしまった。

 祖父は彼が生まれてくる前に死んでしまっていた、これが最初に体験した死だった。

 そう言えば、祖母と約束していた。来年の春には好きな桜を見に行こうと。あの約束は結局果たされなかった。

 祖母の死を聞きつけて大勢の人が来て、一緒に悲しんでくれた。

 死ぬことは悲しいことかもしれない。しかし、あの祖母のために泣いてくれた人たちを包んだものはたしかに、温かかった。

 それに比べて鉄治はどうだ。いや、見舞いに来る人の数がどうこうという話ではないが、あまりにも人がいない。

 悲しく、寂しく、冷たく。

 鉄治を包んでいるのは、この三つだろうか。

 静かにあたかも息を引き取るのを待っているかのようにも思える。死を待つだけの時間、それがどれだけ重く苦しいものなのか、想像するだけで息が詰まり、胸が重くなってしまう。


 いつしか自分も経験することだと思うと余計にこの寂しさが胸を刺す。

 稲穂の祖母が家族に会うことで耐えていたとすれば、鉄治にとってこの時間を唯一忘れさせてくれるのは、一体何なのか。

 残念ながら、稲穂には見当たらない。それは当の本人でなければ到底見つからないものなのだろう。

 千歳と稲穂は眠る鉄治を見守る。

 そしてかな子ともう一人の女性が遅れて、病室に入ってくる。元から見舞いに来ていたようだ。

「あっ、津田さんと日比谷さんこんにちは」

 かな子が微笑みながら挨拶をしてくれている。

「山村さん、こんにちは」

 稲穂と千歳が揃って挨拶を返すと、もう一人の女性が頭を下げて挨拶をする。おそらくながら、彼女がかな子の母のみな子だろう。

「紹介しますね、私の母です」

 かな子がそう言うとみな子がもう一度頭を下げて自己紹介をしてくれた。

「山村かな子の母の山村みな子と申します。娘から話は聞きました、津田さん、日比谷さん、本日はよろしくお願いします」

 山村みな子。しわと白髪が目立つ。かな子より背が低くやつれた顔から見ても、苦労していることが手に取るように分かる。

 ほぼ毎日の見舞いとなると、疲労も相当なはずだ。


「今日はお話だけですから……みな子さん、それほど固くならずに楽してくださって結構ですよ」

 千歳は丁寧にみな子の緊張を解く。

 張り詰めているみな子の顔が僅かに緩む。気を遣って慣れない、しかも年下の自分の娘と変わらない者に接するのはそれだけでも一苦労だ。

 あわよくば鉄治から話を聞こうとしていたのだが、かな子から聞いていた通り直接話すのは難しいらしい。

 家族も知らない蔵にかけた(まじな)いを知っているのはもちろん鉄治しかいない。

 だが、本当に何も知らないのだろうか。どこかにヒントはあるはずだ。だからこそ今日はみな子と一度話しておく必要があった。

 孫のかな子の視点からではなく、娘の視点から。

「それで今日は私から父のことを聞きに来たんですよね? 何かお力になれればいいのですが。幾分、父とは仲が悪いですから」

 まずは彼女から鉄治はどう見えていたのか。彼女にとってどういう父親だったのか、かな子との相違点を探さなければならない。

 そこから見えてくる山村鉄治という男の物語を知らなければ、おそらく呪いは解けないだろう。

「では、まず……山村鉄治さんはどういうお人柄なのか、みな子さんから見た鉄治さんはどういう人だったのでしょうか。お聞かせ願いますか?」

 千歳が尋ねるとこくりとみな子は静かに首を縦に振った。

 そして、ゆっくりと過去の記憶を枷でもついているかのような重々しい言葉で綴る。


 鉄治は、かな子から聞いていた通り無口で無表情な男だったようで、娘のみな子ですら笑ったところを見たことがないそうだ。

 仕事一筋で生きて、一家を支えた大黒柱。

 仕事が忙しいせいもあってか、学校の行事はみな子の母しか来ず、鉄治の姿は無かった。

 だからこそ、一層周りの父親が羨ましく見えた。子どもと戯れ、笑い、喜び。

 みな子が百点をとったテストを褒めてもらいたい一心で見せてもにこりともしなかった。よくやったと褒めてもくれなかった。

 それからだという、父のことに無関心になり始めたのは。

 亀裂は水面下で密かに進んでいた。

 中学生になり、小学生のときにあった僅かな会話も、父とは一切しなくなった。母と二人暮らしでもしているようだった。

 高校生になり、みな子は夢を持った。なんてことのない女の子なら誰でも持つ普通の夢。

 彼女は演劇の道に行こうとしていた。

 高校で演劇部に入っており、そこでは彼女の演技は評判が良かったのだ。だからこそ、己に才能があるのではないかと、それを試してみたかった。

 母には前々から相談していた。父に話を通さないといけない、ここまで育ててきてくれた恩もある。

 数年ぶりに、みな子は鉄治に話をした。

 どこまでも現実を堅実に生きていた鉄治には、当然理解などしてもらえなかった。


 何を言っても「無理だ」「止めろ」「大学に進め」としか言わなかった。

 否定しかしない鉄治についに彼女は腹を立てて、人生で初めて親と喧嘩した。ドラマの一般オーディションがあったので、それに参加するつもりだと言うと鉄治は怒号を飛ばした。

 初めて聞く父親の大きな声。とても怖かったそうで、逃げるようにオーディション会場に向かったそうだ。

 結果は言うまでもなく、惨敗。プライドや自信がなくなるまで演技の荒さ、覚悟の無さを分からさられた。

 恥ずかしかった。父の言っていることは正しくて現実だけを見て生きていけば、届かない夢を追いかけて羽根が焦げ付き落ちる痛みを知らずにいれた。

 それでも、自分にはどこまでも高く飛べる羽根があると信じていた。きっと他人にはない才能があると。

 完全な驕りで、若気の至りで、井の中の蛙大海を知らずとはまさにこのことだった。

 父に謝ろうにもどう切り出して良いのか分からないまま、みな子は大学に進学し、演技に未練があったので演劇部に入った。

 そこで後の夫となる坂下孝太(さかしたこうた)と出会い、二年後に交際を始める。

 順風満帆に漕ぎ出したと思えたみな子の人生で、ついに鉄治とみな子、二人の間に決定的な亀裂が入る出来事が起こる。

 最愛の母の死。病死だったそうだ。みな子は来る日も来る日も、そして夜が幾度明けても、泣いていた。鉄治――父は涙を流さず、いつも通りに日々を過ごしていた。

 この人は家族を大切に思っていない。みな子は痛感したという。


 稲穂と千歳は黙って聞くしかなかった。

 かな子から見た鉄治とみな子が見てきている鉄治は天と地ほどの差があった。 

 ここまで食い違うと、鉄治が蔵にかけた呪いとは一体何なのか予想が余計につかなくなってしまう。稲穂は頭を抱える。

 まったく見当たらない。彼が蔵にかけてまで何をしたかったのか。

 本人の口から直接訊ければ良いのだが、それは現状叶わない。

「おじいちゃん……?」

 かな子が言うと三人が視線をやる。

 鉄治は目を覚ましていた。

 人工呼吸器のマスクを取ろうとする鉄治に向かって、みな子が制止する。

「駄目よ父さん! 無理しないで、病人なんだから!」

 咳き込みながらも鉄治は彼女の制止を振り払って、マスクを取る。

「病人……扱い、するな。それにな、お前のしけた面……見てると、治るものも治らねぇよ……」

 咳き込みが一層激しくなった。これ以上鉄治の身体に負担をかけてはいけない。はずなのだ。

「ふざけないで! 誰のために毎日見舞いに来て世話してると思っているの!?」

 みな子が怒号を飛ばした。

「誰が……頼んだ?」

 鉄治の一言が火に油を注いだ。


 勢いよく怒りの炎は天高く昇る。

「誰が頼んだって……。最後の親の世話は子がするものでしょ!? 私だってね申し訳ないと思っているから毎日来てあげているの! 別にあなたが親じゃなかったらわざわざ来てないわよ! 今のでよく分かった、あなたは別に家族のことを大切に思ってないってね。母さんが死んだときもそうだった、母さんだって父さんの顔を死ぬ前に見たかったに決まっているじゃない! なのに一度も見舞いに来ないで、仕事仕事って。そんなんだから誰も見舞いに来ないのよ! 私に世話されるのが嫌なら一人で死ねばいい!」

「やめてよ……! おじいちゃん、お母さん!」

 かな子が目に涙を溜まらせながら必死に二人の喧嘩を止めようとする。

 しかし、喧嘩の仲裁に入ったのは千歳でもかな子でもなく、稲穂だった。

「やめてください! ここでお二人が喧嘩しても仕方が無いはずです! それにみな子さん、どうして子どもが親に死ねだなんて言わなきゃいけないんですか!? あなたそれでも人の親ですよね? かな子さんを見てくださいよ、泣いてるんですよ? 家族なんだからもっとお互いを大切にしないといけないはずです!」

 頭では分かっていた。ここで自分が怒りをあらわにしても何も変わらないことも。だが、言わずにはいられなかった。

 これは解呪師としてではなく、一人の親から生まれた子として。一人の人間として。

「なによ、他人が家族の個人的な問題に首を突っ込まないでちょうだい!」

 みな子も頭に血が上って何が正しくて何が間違いなのか判断がついていない。感情的になっている。一度ひるんだが、稲穂も負けじと喧嘩を止めようと口を開く。


「それでも――」

「稲穂さん……!」

 彼の言葉を遮ったのは、否止めてくれたのは、後ろにいた千歳だった。稲穂の腕をぎゅっと掴み怒りで忘れかけていた冷静さを繋ぎ止めてくれた。

 首を横に振る千歳を見て、正気を取り戻した稲穂は何を言うわけもなく俯く。

「みな子さん、鉄治さん、かな子さん。本日はここで帰らせていただきます。また後日改めてお伺いします。では失礼します」

 彼女はこの場の誰よりも冷静だった。千歳の一言で周りの人間も落ち着き、冷静さを取り戻していく。

 稲穂と千歳は頭を下げて、病室を後にした。



 そして、病院の中庭のベンチで稲穂は風に吹かれていた。自分があそこまで感情的になるなんて思いもよらなかった。

 そのせいで千歳にもかな子たちにも迷惑をかけてしまった。

 反省しなければならない。

「稲穂さん、大丈夫ですか? これ……お水です」

 名前を呼ばれて顔を上げると、売店で飲み物を買ってきてくれた千歳がいた。自分に落ち着かせる時間をくれたのだ、彼女には感謝しなければ。

「ありがとうございます」

 飲み物を受け取り、稲穂はまた俯く。

 どう話を切り出してよいのやら。困っている彼の横に千歳は座る。

「私……驚いてしまいました。稲穂さんが、あそこまで大きな声を出すなんて滅多にないですから」

「すいません、千歳さん。僕もかな子さんの顔を見て、つい」

 思うように会話が続かなかった。

「たしかに……稲穂さんの言う通り、自分の親にあのような事を言ってしまうのを聞くと、どうしても……悲しくなってしまいますよね」

 千歳につられるかのように、稲穂は言葉を紡ぐ。

「……僕の祖母は、みんなに囲まれて死んでいきました。ずっと家族に名前を呼ばれて。それでも祖母は笑っていました。自慢じゃないですけど、僕の家族は仲がとても良いんです。いっつも笑って、楽しそうで、温かかったです。でも……鉄治さんの周りは見てきたものとは違って、とても寂しそうでした」


 彼が見てきた家族の在り方。それを否定されてしまったような気がしたのだ。

 温かく、尊い。それが家族だと、それが当たり前だと思っていた。しかし、彼の当たり前が通じない家族もあるのだ。

 現に、山村家のように。

 ある意味、稲穂は許せなかったのかもしれない。だからこそ、彼は言ってしまったのだ。

「きっと透子さんに怒られちゃいますね。解呪師の見習いだとしても、解呪と関係の無いことに首を突っ込んでしまったんですから」

 稲穂は自嘲気味に笑う。

「解呪師としては稲穂さんは、半人前です。ですが……人として間違ったことは言っていないと思います。もちろん、私も半人前ですから稲穂さんの味方ですよ。……透子さんに怒られるときは一緒に怒られましょう」

 落ち込む彼の顔を覗きこむようにして千歳は励ます。

「きっとああ言ってしまったのは、稲穂さんが優しいからです。怒った理由も……みな子さんの言葉のせいだけではないでしょう。かな子さんが泣いていたから、ですよね?」

 こくりを彼は無言のまま頷く。

 本当に優しい人だ。千歳は素直にそう感じた。彼は他人のために怒り、他人のために泣ける人だ。だからこそ必要の無いところまで手を貸してしまう。

 優しさの止め時が分からないのだ。

 似たような経験を千歳もしたことがある。故に彼の気持ちが痛いほど分かる。


「あっ、津田さんと千歳さん!」

 稲穂たちに声をかけてくれたのは、かな子だった。

「どうかしましたか?」

 千歳が尋ねるとかな子は迷わず頭を深々と下げる。

「私のおじいちゃんとお母さんが迷惑かけてごめんなさい! 本当はお母さんが謝るべきなんですけど、代わりに謝りに来ました。本当にごめんなさい!」

 頭を下げ続ける彼女に二人そろって慌てながら頭を上げてくださいとお願いした。

 かな子の頭をなんとかして上がらせたあと、ベンチを詰めて座らせる。目には涙の痕があったが触れずにそっと話を聞くことにした。

「それで、なにか分かりましたか?」

 かな子がおそるおそる訊くと、稲穂が首を左右に振る。せめてかな子と同じ印象だったら上手くいく可能性もあったが、ここまで違うと困り果ててしまう。

「そうなんですか。出来れば勘違いしないでほしいんですけど、おじいちゃんもきっと家族のことが好きなんだと思います。おじいちゃんは、ああ見えて恥ずかしがり屋だから。私も家族の写真とか、一度しか見せてもらえなかったんです」

 そう。どんな家族であれ、家族を大切に思っていない者はよっぽどではない限りいないのだ。

 きっと鉄治もその多数に違いない。かな子の言葉を信じて、もう一度初めから探してみようと決意する稲穂であった。

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