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呪いの館  作者: 宮城まこと
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第一話

気長に書いていくつもりです。

ゆっくりしていってね。

 ため息をつくと、幸せが逃げて行く。どこの誰がそう言ったのか知らないが、もしこの言葉が正しいとするならば彼から一体どれだけの幸せが逃げ出しているのだろう。

「はぁ……」

 性懲りもなく、この彼――津田(つだ)稲穂(いなほ)はまたしても深くため息をついたのだった。

 日差しが温かなものから、暑さになる初夏の良く晴れた日。彼は大学の講義をすべて出席してから、町はずれの森の中を歩いている。

 山の中で遊んでいた幼少期とは違い、木の根が足に引っかかり転びそうになっていたりと、山道の歩き方をすっかり忘れていたせいで、移動するだけでも一苦労だ。

 どうして彼がこんな山道を歩いているかというと、彼が大学の登山サークルにも、酔狂な徒歩サークルに入っているからではない。

 稲穂は稲穂なりに目的があって、この山道を歩いているのだ。

 その目的地が、木々の間から見える不釣り合いな人工物。

 屋敷。いや彼らの間では館と、(のろ)いの館と呼ばれている。赤レンガの外観と壁にはツタが巻き付いており、押せば崩れてしまいそうで、それに加えて屋根に止まり稲穂を睨みつける烏と如何にもな風体だ。

 本当ならば、こんなところに来たくはなかった。

 ウワサによると、怪しげな老女がこれも怪しげな本を集めているという。なんだ、熱心な蒐集家じゃないかと、当時の稲穂は笑っていたが、この館を目の前にするとどうも妙に真実味を増してきた。

 どうして呪いの館と呼ばれているのか、実のところ稲穂もよく知らない。


 こういった類の話は得意ではなく、いつも後輩をつてに聞いているのだ。

 その後輩が言うには、その館に入った人間は呪われるらしい。

 一体いつの時代の都市伝説なのか。と稲穂は内心苦笑いをしていた。

 だが、いざ館の前に立つと色々と憶測してしまう。

 開けようとしたが、呼び鈴も鳴らさずにいきなり扉を開けるほど稲穂も不躾に育てられていない。

 呼び鈴を押そうとしたが、どこにも見当たらない。

「今時、呼び鈴もないのか……?」

 はぁ。とまた重いため息をつく。

 扉の横にはベルがあり、ひもが繋がっていた。

 おそらくこれが呼び鈴の代わりなのだろう。稲穂は深く息を吐き、ベルのひもを握る。汗ばむ手、ただひもを引くだけなのにどうしてこんなに緊張しているのか。

 稲穂自身も不思議でたまらなかった。

 意を決してひもを引き、カランカランと乾いたベルの音が森中に響き渡る。

 稲穂を睨みつけていた数羽の烏が音に驚き、鳴き声を上げながら飛び去る。

 しかし、何の反応もない。

 首を傾げてもう一度引く。

 しかし、二度目も反応は無い。

 扉が開いていなかったら日を改めて来ようと、取っ手に手をかけて扉を引く。


 鍵はされていなかった。

 稲穂に奥にどうぞとでも言っているかのようだった。

 生唾を飲み込み、館に足を踏み入れる。

 外観より綺麗だ。それに、カーペットも新しい。人のいる形跡だ。埃っぽくなく、よく掃除が行き届いている。

「すみません! お邪魔させていただきます!」

 音は壁に吸い込まれていき、再び静寂が訪れる。

 まずは住人を探すところから始めなければならない。

 天井を見上げるとシャンデリアが、壁には有名な画家が描いていたであろう絵画が飾られている。外見はなんとも怪しげな洋館だったが、中に入ってみると居心地の良さすら感じてしまう。

 部屋を手当たり次第探すわけにもいかず、一階のキッチンに広間を一通り探してみたが人ひとり見つからなかった。

 留守にしているにも、鍵をかけていかないのは不用心すぎる。

 何度目かのため息をつき、後頭部を掻く。

 勝手に上がるのは忍びなかったが、申し訳ないと心の中で断りを入れながら二階に上がり、捜索を再開した。

 館に誘われているようだった。

 知らぬ間に奥へ奥へ、まるで呪われているかのように自然と足が動く。


「ううう……」

 妖怪の声にも似たうめき声が聞こえたのは、二階の大量の本が蔵書されている一番奥の部屋からだった。

 その声を聞いた稲穂は部屋の中に入る。

 ずらりと並んだ本棚。そこに敷き詰められている本。鼻孔を満たす紙の匂い。すべてにおいて圧倒的な量だった。本好きな彼からすれば小一時間、いや一日ここで本を読み漁りたかったが結果としてそれはあとになる。

 本棚の間に本の山ができていた。

 ここの住人は本を山のように積む習慣でもあるのか。違う。

 山から人の足が見えている。本を布団代わりにしている訳でもない。埋まっているのだ。大量の本によって。

 頭の中にふと、老婆が埋まって動けなくなっているイメージが浮かんだ。

 笑い事では済まされない。急いで助けなければ。

 稲穂は駆け寄り、声をかける。

「大丈夫ですか!? 今助けますから!」

 本をどかして、山を切り崩していく。

 必死だった。だから、妙に出ている手足の肌につやがあったことに目が行かなかった。

 顔に覆いかぶさっていた本をどけると、そこに彼女はいた。

 長いまつげ。小さな紅い唇。眠っている白雪姫のような白い肌と相対的に長く艶やかな黒い髪。彼女が目を開けると、その神秘的な瞳に稲穂は思わず吸い込まれてしまいそうになった。


 完全に言葉を失い、ただただ見惚れていた。

 彼女は彼が見てきたすべての者より、美しく可憐だった。

 老婆だと勘違いしていた稲穂は、想像を裏切る姿に驚き鼻の先にまで寄せていた顔を離す。

 胸の高鳴りが収まらない。おまけに変な汗まで噴き出してしまった。

「あの、大丈夫ですか?」

 稲穂は山を崩しながら尋ねる。

 すると彼女は、困ったようにおずおずとこう答えた。

「腰を……強く打ってしまいまして。あの……よろしければ、お手をお借りできますか?」

 彼女の柔らかい手を握り、起こす。

 身長はそれほど高くはないが、一七五センチの稲穂の肩まではある。

 それでいて手と足は長く見える。

 まだ涼しいが、初夏だというのに彼女は厚そうな長袖だった。

「あの……ありがとうございます。おかげで助かりました」

 小さな頭を深々と下げる。

「いえ、いいんですよ。たまたま通りかかっただけですから。でも良かったです、無事で」

 一通り足から頭の先まで見てみたが、目立った外傷はない。

 とりあえずは無事だ。強く打ってしまった腰が心配だが、こうやって立てているのだ。おそらく大丈夫だろう。


 稲穂が安堵していると、彼女がじっとこちらを見つめてきた。

「……お名前を聞かせてもらっても、よろしいでしょうか? 後日改めて、しっかりとしたお礼をしたいので……」

「お礼を貰いたくてしたわけじゃありませんよ。それに困ったときはお互い様ですよ。あっ、僕の名前は津田稲穂って言います」

 彼女はきょろきょろとして、近くの机にあった手帳に彼の名前をひらがなで書いた。

 お礼はいらないと言ったのだが、どうやらそれだと彼女の気が収まらないらしい。稲穂も二度も断ることは失礼になるので、あれ以上に何も言わなかった。

 彼女ははっとして、顔を赤くした。

 なにやら失敗をしてしまったのだろうか。

 手帳で顔を隠しながら稲穂に申し訳なさそうにこう言った。

「こういう場合は、まずこちらから名乗るべきでした……。すいません……人とあまり話さないものですから」

 なんだそういうことか。と稲穂は気の抜けた笑みを浮かべる。

 名乗りの順番が前後してもなんとも思わない。しかし、彼女は親にそう言われていたのか礼儀には厳しいらしい。

 良くも悪くも難い人だと、稲穂はそう感じた。

「改めまして……私は、日比谷(ひびや)千歳(ちとせ)と申します。津田さん、先ほどは本当にありがとうございました」


 千歳はもう一度深く、頭を下げた。

「それで、どうして本なんかの下敷きに?」

 稲穂は重苦しくなりそうな雰囲気を察して、話題を下敷きなった理由に変える。

 未だに釈然としない。見るからに稲穂と同い年、二十歳程度だろう。まだ何も無いようなところで転ぶような歳ではないと思うのだが。

 ここで一流の探偵なら、一目で状況を理解して埋まっていた理由を探し当てているところだが、稲穂はただの大学生だ。

 そんな芸当は出来ない。

 会話のきっかけになればと、彼女に質問したのだ。

「お恥ずかしい話なのですが……」

 彼女は余程人と話し慣れていないのか、必ずどこかで言い淀んだり、会話に間が生じてしまう。

 稲穂自身、友人からは話しやすいともっぱらだったが、彼女には通じないのかと自分でも気づかない間に肩を落としていた。

 それに加えて、千歳は一度も稲穂の目を見ようとしなかった。

 礼儀に厳しい彼女が、こんな初歩の礼儀を欠くはずがない。きっと彼女にとっては重大な理由があるのだろう。

 勝手な憶測ばかり浮かんでしまう。

 馬鹿なことばかり思い浮かぶ自分の頭に、呆れたかのように小さく息を吐いた。


 彼女は頬をまた赤めて、理由を答えた。

「本を取ろうと、あの椅子に立っていたところで……ベルの音が鳴り、それに驚いて落ちてしまいました。その振動で、本棚の本が私の上に降ってきてしまいまして」

 なるほど、これで合点がいった。

 見るからにここは人が多く出入りするところではない。この森も館の中も静かだ。普段は鳴らないベルの大きな音に驚くのは、至極当然なのだ。

「でも、大事に至らなくてよかったです。当たり所が悪ければ大変ですからね。落ちた本を元に戻すの僕も手伝いますよ」

 稲穂はにっこりと笑って、彼女にそう言った。

 彼女はまた頭を下げて、お礼をする。このやり取りももう三度目だ。さすがに彼も慣れてきた。

 本を拾い上げ、元あった場所に戻す。

 本の種類は様々だった。

 図鑑に小説に絵本、参考書まである。それだけじゃない。漫画やライトノベルに至るまで本と呼べるものすべてを網羅していた。

 ここすべてがそうなのか。稲穂は好奇心に駆られた。

 ここならば、一日だけではなく一生過ごしても不足はないだろう。

 不思議と本を取る手は止まり、本たちに見惚れていた。

「津田さんも、本がお好きなんですか?」


 初めて彼女からの質問に、少し戸惑いながらも稲穂は答えた。

「え? ああ、はい好きです。でもどうしてそんなことを?」

「いえ、本に見惚れていたようですから。……叔父さんが言っていました。本が好きな人に悪い人はいないって。どうやら本当だったみたいですね」

 彼女は稲穂の横顔を見ながら、微笑んでいた。

 正直なところ、稲穂は彼女のその笑顔にも目を奪われていた。それを勘付かれないように慌てて作業を再開させる。

 そして、古びて黄ばんでしまっている一冊を手に取ったところで稲穂の動きが止まる。

 これと似たような本をこの間、市立の図書館で手に取ったことがあるのだ。

 (まじな)(ぼん)とだけ、本の表紙に書かれている。危うく、ここに来た目的を忘れるところでいた。

 彼が、ここに来たのは紛れもなくこの呪い本が関係しているのだ。

「あの、日比谷さん。僕……ここなら(のろ)いのことを詳しく聞けるって言われてここに来たんです」

 神妙な顔でそう言うと、彼女は何も言わず頷く。

「はい。最初から分かっていました。ここに来る人は決まってそうですから。……津田さん、貴方も誰かに何かに呪われている。ですよね?」

 そう、この館に入る者は呪われるのではない。呪われた者が入るのだ。

 最後の助けを求めて。

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