■第6話:近づいた距離
テントで横になっていた私は、左手を伸ばして入り口を開けてみる。
清々しい朝だ。
そう言うには、太陽が「遅すぎる」と一蹴しているような日射しだった。恐らく、もう昼頃なのだろう。
扉を閉めてから、私は隣で眠っている少女を見た。スヤスヤと心地よい、天使のような寝息だ。
「シエラ、そろそろ起きる時間だよ」
私の右腕に抱きついて、丸まって眠るシエラ。
いつもは枕一つ離れて、手を伸ばしたところに眠っていたシエラがすぐ傍にいてくれている。
これも昨日の笑顔のお陰なのだろうか。
そして彼女のために用意した新しい寝間着。白銀色の髪に、純白の寝間着というセットは魔王というより天使を想像させてしまう。
「んっ……ぅ、おにい、さま……」
そんな私の天使が瞼をこすりながら、ゆっくりとこちらを見つめようとしていた。
そこでも小さな変化がある。いつもなら目を合わそうとせずに、そそくさと起き上がっていってしまったはずだ。
「おはよう、シエラ」
しかし、今日は違った。
「おはようございます、お兄様」
少し明るい声と柔和な笑顔で、私の挨拶に応えてくれていた。
なぜだろうか、目頭が熱くなるというか、ようやく打ち解けてくれたんだと感動に抱きしめてやりたい気持ちになってしまう。
いけない、いけない。過剰に反応しては嫌がってしまうかもしれない。
緩みそうになる頬を小さく叩いて、私はカバンから赤い石を取り出した。混じりけがなく、光沢のある水晶が手の中を滑っていく、
「シエラはこれ、知ってる?」
「魔石、ですか?」
「うん、あらかじめ火の魔力を込めた魔石。昨日の雨で、燃やせるものが湿気ってしまったからね」
昨日の焚き火と食事で、少しだけ残した小枝は使ってしまったからね。
もう一つ、私は緑色の四角い箱を取り出した。
シエラが不思議そうに見ている中、その上を開いてみせる。中心には魔石をはめる台座と、鉄鍋を置くような支えがあるだけだ。
「ここに魔石をはめると火が出てくるんだ。いわゆる家庭用を、卓上用にしたものだね。こういう野外の時に使われるものなんだけれど、知らない?」
「はい、シエラは初めて見ました」
まぁ確かに日常生活では見られないだろう。
火力は低く、大きすぎる鍋は置けないし、火の魔石は色がなくなるまでの回数制限付きとコストが掛かってしまう。焚き火ができるならそちらでいい。
「おにいさま」
「うん?」
「魔石を食べると、その魔法が使えるんでしょうか……」
「……」
暗にお腹が空いている、ということだろうか?
シエラの言葉に驚き、私は思わず笑ってしまった。
「くっくっく……そうだね、子どもの時によく考えてしまう質問だ。海はなぜ存在するんだろうみたいなね。……ふふ、ははは」
「ぅ……そんな笑うなんてひどいですよ、お兄様」
だが、私はまたも驚いて、再び笑ってしまった。
彼女の紅潮した頬は不満げに膨らんでいたが、バカにしたわけではない。
嬉しい、ただ嬉しいんだ。こうして冗談を返してくれたことが何よりも嬉しくて笑ってしまった。
「ふふ……まぁともかく答えは、いいえ、だね。魔石っていうのはあくまで元素が込められただけの石ころだ。それ自体に価値はないし、引き出すための道具がなければ何もないんだ」
「人間が道具の代わりになればできるのでしょうか……?」
面白い着眼点だったけれど、私は首を横に振った。
そして彼女の首筋に指で触れる。ぴくりと反応したが、不思議そうにシエラは小首を傾げていた。
「例えばシエラが魔石を食べて、お腹の中で魔石の内側にある元素を取り出せれば使えるかもしれない」
そのままお腹の方までなぞって説明すると、シエラはくすぐったそうに結んだ唇を震わせていた。……面白いからお腹を指でぐーるぐると撫でることにした。
「けれどシエラの体はそんな機能がないから不可能なんだ。もし出来るとすれば、【魔石を体内で行使するルーン】なんてのを持っている人だけかもね」
「ひゃんっ」
そして最後に彼女のへそを押してから離れた。
どこか恨めしそうに「うぅ」と呻いたシエラは何とも微笑ましいことか。
「まぁ昔は本当に石ころだったんだ。それを使える道具がでたことで、新たなエネルギーとして魔石は登場したんだね」
「なるほど……。…………だから、みんなダンジョンをほしがっていたんですね」
……そう繋がったか。
シエラは伏し目がちに、そして寂しそうに呟いていた。
ダンジョン。冒険者達が己の夢を叶えるべく飛び込むであろう場所。
しかし、中央での争いはダンジョンが発端ではない。
現に数百年前の魔石革命から、さらに数千年前に始まっていたと言われるからだ。
「いや、中央には別の資源があるからだね。四季がハッキリとし、何度踏み荒らしても蘇る恵まれた土質。さらには世界最大の古代都市型ダンジョン――【神と精霊に愛された地】なんて言われてるからね」
その地に、どれほどの血が染みこんでいるのだろうか。
【死神と悪魔に愛された地】――とは、死神も言わなかった。
コホン。
話を変えるようにして私は咳き込んだ。それを弾みにして伏せていたシエラの顔が上げられる。
「……まぁダンジョンっていうのは洞窟だったり、塔だったり、都市だったり、色々とあるんだ」
洞窟は、そういう種族が開拓していく内に広がったと言われている。
塔は、元々戦いの拠点であったところで廃墟になって魔物が住み込んだりと様々な説がある。
「その基準は、純度が高い魔石、豊富な産出量といったところだね。魔物はその魔石に惹かれるようで、どうもいびつな生態系を作り上げてしまうらしい」
そしてもう一つ、ダンジョンとは世界を支える柱だ。
その中央最下層からは、全ての元素が一本の帯状となって吹き荒れている。それは外装大地を支えると同時に、世界に巡り、私達のところへと運ばれていく――と言われてる。
「ダンジョンは世界におおよそ10個が確認されていてね。実はこの近くにも一つあるんだ」
――教科書にもない説は割愛することにした。
シエラには関係のない話になるだろう。ダンジョンなんて潜る必要がないのだから。
それでも今日は気分が良かったせいだろうか、饒舌に語ってしまっていた。
「年に一度、ダンジョン攻略なんてものが開かれてね。夢見る人たちが挑戦し、それでも半分ほどしか攻略できないんだ――……」
シエラに話をさせる暇もなかったと思う。
それでもジッと話を聞いてくれていたらしい。ちょこんと座って、こちらに向き直っていた。
「っと、一人で喋りすぎたね……。ご飯の用意をしていたんだっけ」
シエラもお腹を空かせているだろうに、私は料理の一つも創っていない。
慌てて用意しようとする私の前で、シエラは首をぶんぶんぶんと振った。
「シエラは、もっとお兄様の話が聞きたいです!」
「……え?」
つまらないだろうと思っていた矢先のはしゃいだような声、そしてらんらんと輝いたルビー色の瞳。
すると彼女はペコリと頭を下げた。
「……いつもお話してくれるお兄様が……シエラは大好きです。今までだって、不安な時も、眠る時も、ずっとずっとお話してくれてありがとうございました」
「えっ、あ、いや……どう、いたしまして?」
突然のことに私も思わず頭を下げてしまった。
そしてお互い顔を上げてから見合わせると、シエラはにへらと微笑んだ。
……なんだろう、この気持ちは。父性愛というのか。
猛烈に頭を撫で回してやりたいけれど、そんな彼女が一番喜ぶことをしてやろう。
「……焦ることはない。これからもゆっくりと話そうか。それよりも今はお腹が空いたよね」
「い、いえっ……!」
グゥ――――……。
タイミングを見計らっていたかのように、シエラのお腹は悪戯っぽく鳴いていた。
ボンッと、シエラは頬を紅潮させてしまうが、私からすればそんな彼女を見られたことが嬉しい。
今日は街から持ってきた食材で色々作ってやることにしよう。
そう、焦ることはない。
これから一緒なんだから、話す時間はたくさんある。
兄妹として、ようやく始まったのだから。