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■第5話:そしてふたりの兄妹


「お嬢さん。こんな森の中、兄も連れずにどこへいくのかな」


 低い押し潰すような声が響いた。

 体を抱いていた少女と、それを囲う狼の上空から紡がれた言葉だ。それは正に、首根っこを押さえ付けられるような威圧感を孕んでいた。


「……!」


 弾かれたように一人の少女が見上げ、びくりと狼達が踵を返す。

 視線を集めた上空には、星一つない黒い空が広がっている。


 しかし、全員が目を剥くような異質な光景を目にしていた。

 ――夜空から溶け出すように赤い影が落下している。


「ぇ……、おにいさま……?」


 シエラが見たのは、赤い流星だった。

 こちらへ降りてくるのは、間違いなく死神だ。彼が通る道には、黒と赤の影のようなものが尾を引いたように軌跡を描いている。

 発煙筒を流しているわけではないようだ。

 

 夜空によく映えた赤黒い軌跡。

 そして雨に混ざり、死神の流星はシエラの前へと降り立つ――


「しまった……! 荷物まで……!」


 しかし、樹木の葉を通過したところで彼はなぜか慌てていた。

 どうやら右手に抱えていた大きな荷物のことだとシエラでもわかるのは――彼が地面にぶつかる頃だ。

 手にした荷物を頭上に挙げた死神はバランスを崩してしまい、何とも不格好な形で着地してしまうことになった。


「あ痛っ!?」


 シエラが見たのは、背中から着地した死神の姿。

 しかし、痛いなんて悲鳴で済む問題ではないはずだ。全身の骨が砕けていてもおかしくはないはずである。

 驚きに目を丸くしていたシエラも、先ほどのことは忘れて駆け寄っていた。


「だ、大丈夫ですか……お、お兄様……」

「ああ、うん。……どうも格好付かないね」


 死神は至って平然としていた。まるで転んでしまったと言わんばかりに苦笑しているだけだ。

 そんないつも通りの死神が、シエラからすれば心の安定剤でもあった。息が詰まり、喉が燃え、胸が張り裂けそうな心臓も、今では何一つ感じない。

 オブシディアンウルフに囲まれている危機的状況においても、何一つ不安がないように感じてしまう。


「……ここはどこぞの森の王の縄張りなのか、あまり危険な魔獣なんかはいなかったんだけれどね。オブシディアンウルフはまだいたか」


 シエラは色々聞きたいことがあった。

 お兄様はなぜここがわかったのか。シエラは捨てられてしまったのではないのか。シエラはどうすれば許してもらえるのか。

 しかし、何よりも伝えたい言葉があった。

 

「ごめんなさい……お兄様」


 シエラの真摯な謝罪を受けて、死神は目を丸くしていた。突然の謝罪によくわかっていない様子だ。

 死神は小さく笑うと、そんなシエラの頭を軽く叩いた。


「積もる話は後にしよう。――さて、ここで知識をひとつ。

 オブシディアンウルフは集団で行動するウルフ種で、一体一体はそれほど強くない。でも厄介な集団行動をしてきてね……まずはリーダー格が飛び出してきて、そこから周りの獣たちが飛びかかってくるんだ」


 両手を広げて、死神は悠々と語る。

 武器を持つわけでもなく、さらにはウルフ達には背を向けて語りはじめたのだ。それはシエラから見ても格好の的にしか感じられない。


 オブシディアンウルフ達もその隙を逃さなかった。

 こちらを囲みはじめた数は、シエラの目測でも二十は超えている。さらに暗闇に潜む気配をいくつか感じ、シエラは息を呑んだ。


「逃げながら戦うにしても、足が速くてね。まぁ囲まれてしまったら終わりだ」

「……終わり、なんですか」

「戦う力がなければね」


 喉を鳴らして死神が笑った瞬間。

 ピリッと空気が震えると同時に、一回り大きなオブシディアンウルフが地を蹴っていた。


「――ガルァッ!!」

 

唸るように吠えて、リーダー格のオブシディアンウルフは跳躍する。その狙いは、死神の首筋。

 業物のナイフを思わせる歯牙が襲い掛かろうとした時、死神は一歩踏み出した。


 正確には、雄大なる大地を踏みつぶした(・・・・・・)


「――グォォォッ!?」

「ふぇっ……?」


 凄まじい轟音が破裂した。

 世界を揺らした、一歩。

 それに続く、地割れと倒壊による轟音。


 数瞬の後、シエラは下から押し上げらるようにして宙を舞っていた。

 その眼下に見えたのは、死神を中心にひしゃげた大地。めくり返り、隆起した大地はオブシディアンウルフ達へと襲い掛かっていた。


 さらには亀裂した大地の余波で、支えを無くした木々が次々と倒壊していく。

 連鎖する轟音と、襲い掛かる木々。草葉の陰に隠れていたウルフたちの悲鳴が連なっていった。


「……これは土、魔法……?」


 土魔法といえば、隆起させた土を操るのが基本だ。

 シエラの知る限り、大地を割る魔法というのは存在しない。ましてや大地を揺るがすというのは規格外としかいえない。

 魔法ではなく純粋な力だとすれば、それはもう人外の領域だ。


 そして浮遊感も忘れて思案するシエラを受け止めたのは、悩みの原因である。


「はい、おかえり。……このようにオブシディアンウルフは【音】に敏感だから、冒険者の必需品である笛を使うといい。とはいえ、意表を突くだけで撃退しなければ意味はない」


 音というには、いささか規模が違いすぎる。

 シエラを優しく下ろすと、死神は拳を構えた。

 腰溜めに右腕を添え、左腕は筋肉の盾を掲げるように突き出す。死神がまとう黒と赤の影は、その一挙手一投足を追尾するように揺らいでいた。


「シエラにも、兄の威厳というのを見せなくてはいけないし……さて、と」


 オブシディアンウルフへと向き合い、死神は大きく息を吐いた。

 ここより発現せしは、兄ではない、人外の領域へと踏み入れた無形の姿。

 理を蝕み、終ぞ消えぬ存在は、己が異能を呪詛のごとく紡いだ。


「永劫の腐肉に宿る、私のルーンを見せてあげよう。――さぁ、世界を殺そうか」



 ――……――。流れる、静寂。

 そこにはもうオブシディアンウルフの姿はなかった。

 シエラは見ていた。死神が喋っている間に撤退していったオブシディアンウルフ。を。


 やがて死神は頭を抱え込んだ。仮面では隠せない耳まで真っ赤にして。




 ――……――……――……

 ――……――……

 ――……



 気づけば雨は止んでいた。

 雲も晴れたようで、月と星空は森を歩く二人を照らしている。キラキラと氷の欠片を散りばめたような、美しい星々だ。


 二人は湖畔へと戻る最中で、濡れた体を乾かすために焚き火を囲んでいた。

 しかし、澄んだ夜空とは対照的に雰囲気は晴れていない。死神の胸の中ですすり泣く少女の姿があった。


「ぅぇ……ひっぐ、おにいさま……シエ、ラ……いいこにしますから……ぐすっ……捨てないでください」

「いや、……違うんだシエラ。私が悪かったんだ」


 死神は大きな荷物を傍に置いて、シエラをなだめようとしている。その大きな荷物の中にこそ消えた理由が詰まっていた。


「実はね、シエラが街中に行きたくなるように色々なものを買ってきたんだ。さっと戻ってくるつもりだったけれど、……不安にさせてしまってごめんね」

「ぅ……いぇ……しえらが行きたくないっていったから……」

「それは気にしなくていいから、……ね」


 涙で顔をくしゃくしゃにして、シエラは何度も謝ってしまう。

 彼女の心中を考えれば、居場所がないことにトラウマを抱えていても仕方がないはずだ。それを考慮して、気づかないようにと夜中に出たことが彼女をより不安にさせてしまったのだろう。


「ほら、シエラ。服とか、本とか、……おいしい食べ物を買ってきたんだ」


 ピクリと胸中で震える。

 大きな荷物に入っていたのは、衣類、食料、調味料、本、短剣、人形、アクセサリーと様々だ。


 死神が取り出したのは、大きな葉に包まれた燻製肉の塊。

 泣き女に潤んだシエラも、その塊を視界に捉えるなり、フワアアと目を輝かせていく。そう、それほど分厚い肉の塊とは甘美な存在なのだ。


「これをナイフで切ってぇ……そのまま、はい、口をあけて」

「……っ、……あー」


 分厚めの肉を、そのままシエラの口へと放り込む。

 どこか申し訳なさそうにしつつも、あぐあぐと咀嚼をはじめたシエラの表情は複雑そうだ。


「今日は特別に色んなものを食べようか。ほんとうは夜中に食べてはダメだけれど、内緒だよ」


 シエラはこくこくと頷く。

 その目は少しだけ潤んでいながらも、恋い焦がれるような濡れた瞳にも見えた。


「友人が焼いてくれたサクサクパンのシチューと、マッシュチーズのオイル煮だ。これは軽く温めたら、すぐに食べられるよ」

「……じゅるり」


 よだれを抑えることで精一杯なシエラこそ、死神の望む姿だ。

 死神は取り出した飯盒に料理を入れると、焚き火のうえに吊して蒸すようにした。


「30から60くらい数えたら、食べてていいからね」

「は、はい……いただきます」

「うん、私は少し作るものがあるから」


 死神は焚き火の光を利用して、紐状のゴムを広げていた。 

 それを傍目に、料理と向き合っていたシエラはおよそ20を数える間もなく手を着け始めている。

 飯盒から取り出していたのは、シチューの上にサクサクのパン生地を乗せた料理。シエラは何度も刺してみたり、その穴から広がる香りを楽しんでいる様子だ。


「……あむっ、…………っんぅ……! とてもおいしいです、お兄様」

「くくっ、それはよかった」


 死神は作ってくれた友人にも聞かせてあげたい、と愉快そうに笑った。そして紐状のゴムに花びらを付け終えるなり、彼は満足げに立ち上がった。


「よし、できた。シエラ、食事中悪いんだけど後ろを向いてもらえるかな」

「……んぐっ、はい」


 何でしょう、とシエラは不思議そう背を向けた。

 死神が腰まで伸びる白銀色の髪を取ると、結うように一本へと集めていく。


「女の子はおしゃれが大事って言うからね。即席だけど、髪留めを作ったんだ」


 後ろ髪を小さくまとめて、死神はその髪にゴムを通した。すると雪原のように輝く髪に、艶やかな桃色の花びらが飾り付けられた。


「この近くの都市では髪をまとめるのが流行っていてね。シエラは動きやすいようにポニーテールにしてみたんだ」

「……」


 完成したポニーテールだったが、残念なことにシエラから見ることはできない。手鏡も買ってくればよかったか、と死神は後悔した。

 しかし、それよりも死神が気になってしまったのはこの沈黙だ。


 シーン、と。

 ただでさえ焚き火以外の音のない世界で静寂というのは、時間を長く感じさせる魔法のようなものだ。


 間を置いて、死神が一呼吸。

 死神は珍しく不安げにシエラを覗き込んでいた。


「邪魔だったら外していいからね?」

「……あっ、いえ……違うんです。贈り物は初めてだったので」


 シエラは花飾りのゴムを撫でながら確かめていた。

 喜んでいるのか、喜んでいないのか。無関心ではなさそうでも、感情の隠れた無機質な表情は変わっていなかった。


「スイートピーという花の、シエラっていう品種なんだ。シエラの名前と同じだからつい買ってしまってね。……花言葉って知ってる?」

「……いえ」

「花には一つ一つ意味があると言われていてね、シエラは……【優しい思い出】【喜び】」


 死神が手を差し出すと、その手のひらにはシエラと呼ばれた花が乗せられている。

 濃い桃色の花は、空を舞う蝶を思わせるような形だ。


「そして【門出】。これから歩み出す君の道には、多くの喜びが待ち受けていることを……私が保証する」


 艶やかなシエラの花を握らせて、死神は小さく微笑んだ。

 シエラはそれをどこか訝しげに見つめつつも、やがては祈りを込めるようにして胸の前で両手を握りあった。


「そして君を安心させるような存在になろう。愛しているよ、私の大切な妹(シエラ)


 死神はゆっくりと、そしてハッキリと告げた。不安にさせた少女への謝罪と覚悟、そして親愛の情を伝えるために。

 彼女からすれば突然だったのもあり、最初は口を開いて驚嘆している様子だった。しかし、その頬が微かにゆるんだのを死神は見逃さなかった。


「お兄様」

「うん」


 そして、彼女は花が咲いたような笑顔を見せた。

 

「シエラも……お兄様が大好きです。ずっとずっと、大切にします」




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