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■エピローグ 『二人と一匹を繋いだ、司書のお話』

  ――……――……――……


 二人と一匹が出会う、240年も前。


 大森林エーデルウッドには、小さな村が点在していた。

 豊富な水源によって支えられていた村だが、アクアリウムが大都市として発展するにつれて過疎化が進んでいる。


 死神と司書子は、その村で教師と教え子の関係だった。

 過去も未来も変わらぬ死神と、8歳になったばかりの司書子。

 川のほとりに建てられた学舎が、二人の居場所だ。


「ししょう! わたしはししょになりたいです!」

「……師匠になりたいって、私のことかい? ははは、照れるけど嬉しいなぁ。そうだね……私のようになるには――」

「ちがいます! ししょ! しーしょ!」


 死神は猛烈な気恥ずかしさと落胆に襲われた。


「ああ、司書ね……はい。でも司書、か。……好奇心旺盛であわてんぼうの君には、ちょーっと退屈な仕事なんじゃないかな?」

「そんなことありませんですよ!」


 司書子さんはあわてんぼうで、好奇心旺盛な暴れん坊で、お世辞にも司書には似合わない子だった。

 本でも持とうものなら、数ページは破損させてしまいそうだ。


 けれども教え子の夢とあっては、死神はそれを全力で応援するだけである。


「ふふっ、仕方がないな。ちゃんと勉強についてくるんだよ」

「うん!」


 死神は、そんな彼女の頭を撫でて笑いかけた。

 司書子が勉強から逃げ出せば、どこまでも追って。

 ワガママを言えば、渋々ながらそれを聞き叶えて。

 分からないところがあれば、わかるまで教えようとして。

 もう勉強は嫌だと言えば、必死に説得して。

 先のことに悩んでいれば、背中を押して――


 12年を経て、その努力は実った。

 司書子は無事、その夢への一歩を踏み出したのだ。


 

 司書試験、始まって以来の最高得点。

 それも辺境の村の出身という、前代未聞の偉業。


 司書子は村からも祝福され、王都からも熱烈な歓迎を受けることになった。

 しかし、司書になるには王都に行かなければいけない。


 死神はどうするのか。

 そんな彼は司書子に着いていくと叫んでいた。


「私もついていく!」

「いいってば! 師匠は世界各地を歩き回っていたのは、私みたいな人を導いてあげるためなんでしょ!? それならその夢を追ってよ!」

「今の私の夢は、君の成長を見届けることだ!」


 イヤだイヤだと駄々をこねる死神に、司書子が珍しく困っていた。


 すっかり成長してしまった司書子は、もう20歳。

 いつまでも先生に頼る歳ではない。――が、司書子としても死神に付いてきてほしい気持ちが大きかった。


 だが、師匠の間近にいられたからこそ気づいた、膨大な知識と力。

 どこか生きる時間が違うと錯覚してしまう、彼の先を見る姿。


 このまま彼を縛り付けてはいけないし、何より――この先も甘え続けてしまうから、司書子は涙を堪えながらも拒んだ。


「……うぅぅぅ……わがっだ。……じゃあ、この手紙を」

「……? 師匠、なぁにこれ?」

「その手紙に書いて空に流せば、どこにいても私の元に届くから。ぐすっ……なにかあったら、絶対呼ぶんだよ」


 なに、その未知の技術。

 司書子は目を丸くしたが、まぁ死神のやることだ。

 苦笑しながらもそれを受け取って、大切そうに胸に抱えた。


「これがあるなら、なおさら悲しくないよ。……ありがとね、師匠」

「うん……立派になったね……。……行っておいで。これから広がる、君の未来に」

「はい!」


 そうして司書子は、死神の元から卒業する。

 彼のいないところで涙を流したが、気分は不思議と晴れていた。



――……――……――……

 ――……――……

 ――……



 二人の別れから、9年の月日が流れた頃。

 司書子は29歳にして、異例の司書長・補佐に選ばれた。

 これは歴代でも平均40歳を越える中で、異例中の異例である。


 部屋に帰った司書子は、慌てて魔法の手紙を取り出した。

 年に数回、欠かさず続けていた死神との手紙。

 

「師匠へ、益々ご壮健のこととお慶び申し上げます。……ふふ、こんなかしこまったら師匠はビックリするかしら。……この度、国立図書館の司書長・補佐に拝命されまして……………っぇ、ぁ」


 その時、司書子は視界が歪むことに気づいた。

 考えてみると、ここ数十年、無我夢中で突っ走っていた気がする。


 今更になって疲労がでてきたのだろうか。

 活字から目を離した記憶もなかったくらいだ。

 メガネをかけ直しても、秘書子の視界はぐるぐると歪んだままだ。


「っ……頭も痛い。……ごめんね、師匠。明日、書こ……ぅ」


 そのまま秘書子さんは机に伏すように倒れた。



 後日分かったのは、それが病気だということ。

 問題は――先天性か、後天性か。

 後天性であればポーションで治る可能性もある。

しかし、先天性の病気は治療法があまり確立されていない。


 そして司書子の病気もまた、治療法も確立していない先天性だった。

 それも寿命を蝕む、最悪の病気。


 良き家族、良き師匠、良き同僚、良き先輩。

 その道に困難はあれど、ようやく慣れた司書という夢。

 縦風満帆な生活を迎えていた司書子にとって、それは絶望の底に突き落とされた気分だった。


 筆を投げ、酒を呷り、なぜ自分がと泣き続ける日々。

 けれど病状は悪化するばかりの中、彼女はぼんやりと将来の事を考えはじめた。


 死神には、あれから話していない。

 けれど手紙は欠かさず送り、嘘までも吐いてしまった。


 今度は最年少の司書長を目指し、老後は師匠のような先生として活動する。

 忙しくなるから次の手紙ははいつになるかわからない、と。


 魔法の手紙を空に届けた後、彼女は辞表と金銭を持って自室を出た。


 せめて最期は、生まれ育ったエーデルウッドの森へと帰ろう。


――……――……――……

 ――……――……

 ――……


 エーデルウッドにあった村は閑散としていた。

 近年、水紋都市が大きな発展を遂げたことで移住してしまったからだろう。


 放置された家々、田畑、道。

 死神と学んだ思い出の場所も、全部全部全部、荒れ果ててしまった。

 たった数年でこれほど荒れてしまうのかと、司書子からは乾いた笑みが漏れてしまう。


 まさに今の私自身だと、司書子は村までも跡にした。


 司書子は村の外れ、川の麓にある一つの家に行き着いた。

 死神と過ごした学舎だ。


 彼女は立て付けの悪い扉を引いて、中を確認してみた。

 埃まみれになりつつも、必要な調度品は揃っている。


 司書子は元気な内に掃除をすることにした。

 何気ないノートの切れ端、折れた筆の先、古ぼけた本、死神から隠した食べ物の箱までもがある。


 それらを触れて、見て、抱きしめて、司書子は学舎の中で涙を流した。

この思い出が懐かしい。

 師匠と紡いだ思い出のひとつひとつが、どんな本よりも楽しい。


 この優しい思い出が、仄暗い学舎にいる司書子のよりどころだった。


――……――……――……

 ――……――……

 ――……


2ヶ月が経った頃。

 その日は扉の前に、珍しい客がいた。


「これ……師匠の書物で見た、フェ、フェンリィル……いや、まさか……え、でも黄昏色の毛は……」


 司書子の目はゆっくりと視力を失っていたが、その黄昏色はやはりフェンリルの物だ。

 それほど大きくない伝説上の獣が、まさか家の前に倒れているとは。


 親は見当たらず、この子どものフェンリルは川から這い出てきたのかビショビショに濡れている。

 体を振って水を払う力もないようだ。


 人の匂いが付くのは不味いかと思いつつも、母親の姿が見えなかったため、司書子はその子を介抱することにした。


 そうは行っても、フェンリルのために肉を取ってきてやれる力もない。

 村から調達した牛乳や痩せた野菜に木の実を食べさせながら、司書子は回復を願うことしかできなかった。



――……――……――……

 ――……――……

 ――……


 フェンリルを介抱して三日目の朝。

 朝を迎えると、ベッドで眠る司書子の横に、ちょこんと座るフェンリルの姿があった。


「ワンッ! ワン!」

「……っ、ぷ、ふふっ、……ずいぶん可愛らしい泣き方してるね」

「クゥン」


 まるで子犬みたいだ。

 すっかり回復したフェンリルの頭を撫でてやりながら、司書子は笑ってしまった。


「ほら、元気になったならどこへでも走っていいのよ」

「ワンッ」

「私の元にいたって満足にご飯も食べられないでしょ。しっしっ」


 司書子は追い払うように手を振るうが、それはフェンリルのためでもあった。

 もう、時間がないことを本人も分かっているからだ。

 

 「クゥン」と悲しそうに泣いて、フェンリルは尾を項垂れながら出て行った。

 その姿を見ると、さすがの司書子も胸が締め付けられるような気分だったが仕方ない。


 そう、仕方ない。仕方ないから。


 しかし、次の日。

 目覚めた彼女の横に、また尾を振るフェンリルの姿があった。


「ワンッ!」

「お、おまえね……ん?」


 扉の前に並べられた、木の実、小動物、魚。

 それらを長い鼻先で示して、フェンリルは再び鳴いた。


「ワンッ!」

「ははっ……なぁに、ここに居座る気で、あれは土産ってわけ?」


 頭を押しつけてくるフェンリルを、どこか楽しそうに司書子は撫でてやる。


「しょうがないなぁ……。でも私はもう長くないから、その時はここから旅立つんだよ?」

「ハッハッ……」

「ほんとうに分かってるのかしら」

「――ワンッ!」


 意志が疎通できているような、明朗快活とした返事だ。


「……もうっ。そうね、フェンリルだから……リルリルでいっか。よろしく」 

「ワンッ、ワンッ」


 その日から、司書子とフェンリルの暮らしは始った。

 一人と一匹、ゆっくり時間の流れる日々。


 フェンリルはとても利口で、とても強い子だった。

 司書子の言うことはしっかりと聞くし、害敵に対しては身を挺して守り、食料までもを調達してくれる頼れる相棒だ。


 眠る時間が増えた司書子にとって、フェンリルがいなければどうなっていたかもわからない。今頃はのたれ死んでいるかも、と笑っていた。。


 そんなフェンリルにしてあげられるのは、本を読んであげること。

 フェンリルが理解しているのか、望んでいるのかはわからない。きっと理解はしていないだろう。


 しかし、司書子が本を取り出せば、尻尾を振って駆け寄ってくる。

 閑散とした世界だが、司書子の日々には笑顔が絶えなかった。



 ――半年後、フェンリルが狩りから戻る日までは。


――……――……――……

 ――……――……

 ――……



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