■第34話:二人と一匹から始まる
何か言うべきだろうか。
いや、こう言う時は静かに退出するべきだ。
シエラがぶかぶかの外套を着飾っている間に、退出しようと後ろ手に扉を開いた。
ギィ――
だが老朽化した扉は見計らったように悲鳴を漏らしてしまう。
「あっ」
「!? ……ぁ、え? お、おにいさま……?」
ピシッと人形のように固まるシエラ。
仮面の奥のくりくりした目は驚きに見開かれていくのがわかる。
死神としては、その姿に憧れを抱いてくれているのなら泣いて喜びたいくらいだ。
しかしシエラとて、本来なら思春期の少女。
乙女のささやかな秘密を見られてしまうのは恥ずかしいはずだ。せめて、と死神は笑顔で褒めてあげることにした。
「うん、似合ってるよ」
「~~~~~~~っ」
仮面に隠れていない雪のような肌にグググッと赤みが差していく。やがてそれを隠すようにシエラは俯いて口を押さえた。
「あわわわわわ……ちがうんれす、これは、おにいさまの服があったから……いえ、ごめんなさい勝手に……とりだしてぇ……」
「い、いやそれくらいは気にしてないから、ね」
おそらくリナリアが新調した服をクローゼットから取り出したのだろう。
見るに忍びないほど慌てたシエラをなだめて、死神は改めて応接室に足を踏み入れた。
赤を基調とした細やかな装飾の絨毯、対面に置かれた黒のソファー、そしてギルド長が腰を据える執務席。
全て死神が選んだもので、一国の主になったという実感は何歳になっても胸が躍るものだ。
「シエラにもその仮面をあげようか」
「うぇ……も、もらっていいんですか?」
「そんなに喜んでもらえるなら、どうぞ」
「……はぃ」
仮面を外すと、シエラはそれを抱え込むようにして抱きしめていた。
彼女の顔には合わないだろうが、予備があるし御守り代わりにでも持っていて貰おう。
「突然だけれどシエラ、やりたいことはできた?」
「…………いえ、実はまだ……」
「いや、そうだよね。まだ迷っていい時期だ」
この街に生まれた若者たちは、早い内から自分の夢を目指してギルドに入団する。それは幼い頃から仕事を見られる環境にいたのが大きいだろう。
しかしシエラは本で生きてきたような少女だ。
まだ早すぎたのかもしれない。
「でも、シエラには……やっぱり戦うのが一番かなって思いました」
「それは性急だよ。初めに教えたのがそれだったからさ」
「……それもあるかもしれません。でも……シエラもお兄様のように戦いたいのです」
「私のように?」
もしや悪影響を与えてしまったか、と死神は頬が引きつりそうだった。
「ストレンシアさんみたいに薬の調合も、リナリアさんのように服を作るのも、シエラにはできないことです」
「それは」
「でも、お兄様なら教えてくれると思います」
予想外にも先手を打たれて、死神は口をつぐんだ。
それだけじゃなく、いつもより流暢なシエラはどこか澄んだ表情をしているように見えたからだろうか。
迷いが見えない、意志の籠もった視線だ。
「でもでも、シエラはそんな人達を守ってあげたいんです。お兄様がシエラを守ってくれたように、私がみんなを守ってあげたいんです」
「……なるほど、ね」
――守る、か。
その答えが聞けただけでも死神は満足だ。
自分のことで精一杯だったであろう少女が、他人を気遣うようになってくれたことに死神としては感無量の思いである。
けれど、次の言葉にまたも驚かされてしまった。
「ゆくゆくは……お兄様も守ってみせます……」
「……私を?」
「ゆ、夢ですよ! まだまだ全っっっっ然ダメですけど!」
思わぬ一言に、死神は愉快そうに喉を鳴らして笑った。
「くっくっく……なるほど、なるほどね。けれどシエラ、武力で守れるものは少ないんだ」
「はい」
「人を守るには研鑽を積み重ねた知識だって必要になる。だから」
死神は提案する。過去の自身と同じ職業だ。
「私の知識を、すべて君に授ける。……つまり教師なんかどうかな」
このユニオンにも学術機関はあるが、そういった種の教師ではない。
死神が過去にしていた教師とは、膨大な知識を生かして、望む人に、望む技術を与える個人的な教師だ。
そう念を押そうとするが、シエラが先に口を挟んだ。
「やります! やってみせます! シエラにやらせてください!」
「……かなり大変っていう念を押そうと思ったのだけれど」
「お兄様のようになれるならがんばります!」
死神は驚きながらも、胸に熱い何かがこみ上げてきた。
240年も前、最期に導いた司書子の時もこんな気持ちだったはずだ。
「うん、じゃあシエラは今から私の教え子になってもらおう」
「はい! シエラは元よりそのつもりです!」
今はまだ二人でも、いずれはギルドに人が増えていくだろう。
その時にシエラが教える立場か、一緒に教わる立場かはわからないが、死神は将来が楽しみだった。
「よし、じゃあ今日は結成記念日だ。明日から覚悟するんだよ」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
目を合わせて、二人で笑い合う。
死神とシエラが応接室を出ていくと、エントランスの中央でフェンリルが座り込んでいた。
どこか虚空を見つめながら、尻尾を振っている。
「あれ? リルリルさんこんなところで何をしてるんですか?」
「し、新調した絨毯のうえに……! はやく小屋も作らないとね……」
「ワンッ」
小屋というより厩舎を作るべきか。
階段を降りて近づいてみると、やはりフェンリルはあさっての方を向いて尻尾を振っている。何かあるわけでもないのだが嬉しそうだ。
「なにを見ているんでしょう」
「うーん……?」
別に扉があるわけでもないし、絵が飾っているわけでもない。
本当にエントランスの一部を見て喜んでいるだけだ。
「ま、まさか幽霊さんを……」
「……」
――『いってらっしゃい』
死神はふと思い出す。
この屋敷に訪れた時、その声が聞こえたことを。
「まさか」
「い、いるわけないですよね。あはは……」
二人が失笑しながら顔を見合わせた時、その正体が突然に現れた。
――『……り……とう』
「ふぇっ!?」
「わんわんっ!」
シエラの驚く声と、フェンリルの歓声が響き渡る。
死神も確かに聞こえたのだが、驚かすというより、何かにお礼を言っていたように聞こえた。
「本当になにか居るんだ…………」
さすがに霊のことまでは死神も門外漢だ。
乾いた笑いを漏らしながらも、明確に敵意がないなら付き合っていくしかないのだと思うしかなかった。
「あわわ…………」
「大丈夫だよ、シエラ。敵意は感じないから」
「わん、わんわんっ!」
そしてフェンリルはなぜ元気なのか死神にも分からない。
それを置いておいて、死神は改めて宣言した。
「さて、ちょうど3人がいるから話しておこう。――ファミリア・ギルドは今日をもって正式に誕生だ。私達3人からね」
「はい!」
「わん」
「私たちは家族だ。健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、互いに手を取って、助け合って生きていこう。……副長シエラ、番犬フェンリル、これからもよろしく頼むよ」
「え、シエラは副長なんですか!?」
「グルルッ……」
役職は適当だったのだが、流してはくれなかったらしい。
死神は笑いながら肩を竦めて、天井を仰いだ。
「形式上だよ。3人で素晴らしいギルドを作り上げていこう」
「……はいっ。シエラも全力でお兄様を支えてみせます!」
「ワンッ!」
みんなが家族のように過ごせる、優しい世界を築く。
誰もが過去を抱えていようと、ここでは全てを受け入れよう。
「さぁ、結成記念日の準備だ。せっかく食堂を綺麗にしたんだから、みんなを呼んでパーティーと行こうじゃないか」
「……じゅるり」
「もちろんシエラにも作ってもらうからね。私の教え子なんだから」
「ええっ!? で、でも……やってみます」
「その意気だ」
二人と一匹から始まる、ファミリア・ギルド。
死神と魔王と巨狼と。
不思議な出会いから始まった家族は、こうして一歩を踏み出した。




