■第32話:お話の決着
ああ、間違いない。
艶やかな赤い髪を右横で結ぶのも、ツンと吊った目も、スラッとした体躯も、間違いなくセシリアのものだ。
そのセシリアが何やら怒っているのだろうか。
地団駄を踏むように歩く女騎士を、誰もが怪訝そうに見つめていた。
その怒りの矛先は、死神。
「えっ、え、セシリア……なにか忘れ物があったのかな……」
「わ、わかりません……」
顔を見合わして相談する二人に、ドスドスとセシリアが歩み寄った。
セシリアの上気した頬が、赤い髪にも負けない色をしている。
「………………」
「こん、ばんわ」
死神はとりあえず挨拶しといた。
一方でセシリアは何かを口にしようとして、ぎゅっと口を結んだうえに肩が震えている。
あの後腐れない別れの後、別段何かをした覚えはないはずだ。
ストレンシアに事情を話し、清掃ギルドに業務を委託し、家具を買い集め、ようやく食事に至る――そんなところだ。
「…………からな」
「え?」
俯いた彼女が顔を上げると、燃え上がりそうな顔色だった。
「違うから! あれは、そういう意味ではないからなっ!」
「いやなんの話!?」
「わたしは貴様に惚れてなんかいないっ! あくまでお前を惚れさせるだけだッ!」
――は?
不意を突かれた死神は思わず呆気にとられてしまった。
周囲の客達も「なんだ痴話喧嘩か」と話の波を広げている。
「お、お兄様どういうことですか!? いつの間にセシリアさんとそんな関係に……」
「……え、いや」
そもそも突然現れて何を言っているのか問い詰めたい。
呆けた死神もようやく気づいた。
【原点】のルーンの発動条件のことだろう。
つまり、この女騎士は今更になってそれに気づいて、まさか引き返してきたということだろうか?
「わかったな! お前は一方的にわたしに惚れればいいんだっ!」
「そんな無茶なっ……!」
「無茶ではない!」
もう彼女自身、暴走しているだけではないのだろうか。
「とりあえず落ち着こう。ほら、こっちに座っていいからとりあえず落ち着くんだ」
「ふー、ふー……!」
まるで猛獣を何とか手なずけようとする気分だ。
死神が隣のカウンター席に座らせると、セシリアはムッと睨んできた。
「……と、ところで……それを話すために戻ってきたの?」
「無論だ」
「うん……わかった。とりあえず理解した」
律儀というか、難儀というか。
「じゃあ、今度こそ後腐れなく酒を飲んで別れよう。……シエラもそんな警戒しないで」
「……ぅぅ」
シエラはシエラで不満げだ。
前に出会った、裁縫師のリナリアの時のように不安なのかもしれない。天地がひっくり返ってセシリアと懇意になっても、この関係は変わらないというのに。
そんな死神は、次のセシリアの言葉に大槌を叩き付けられる気分になった。
「いや、城には戻らん。ここに残ることにした」
「…………………………え?」
「わたしは敗北した身だ。無様なまま城には帰れん。そこで封書を黒竜の首に取り付けておいた」
――……――……――……
――……――……
――……
中央から南西に移動した先、かつてのシエラが住まっていた都市。
魔族達の最大拠点である、栄華を極めた都市。――ルインフォート。
今日も慌ただしい魔王城の一角では、これからさらに騒然とする予定だ。
【四魔将・会議室】
その一室に、ヒゲを蓄えた男――ジークが入ってきた。
長机の再奥には、氷のような男ルキウス。
そして隠れるように端の方にいる、黒フードに全身を隠した第四席の姿。
「…………セシリアから手紙が届いたんだわ」
「ほう、無事に見つけ出したか。さすがは【剣の頂きに立つ女騎士】だ」
満足そうに優雅な微笑を咲かせて、ルキウスは腕を組む。
しかし、半笑い、いや頬を引きつらせたジークは頭を抱えたい気分だった。
「あー……さっき黒竜だけが鳴きながら帰ってきよってなぁ」
「ふむ、セシリアとシエラは一緒じゃないのかい」
「そこにあったのがこの手紙っつーわけだ。まぁ抜粋して読んでやる」
「おい、封書の扱いが成っていないぞ。乱雑に破るな」
うるせえ、と呟いてジークは中身を取り出す。
「我、敗北せり。この雪辱を果たし、屈辱を晴らした後に帰還する
えーっと何々、敵の情報も書いてるな。死神という名に、【不老不死の身】。
そして大切なもんを問答無用で殺す【死神】の能力ぅ? なんじゃこいつ。
そんな化け物が、シエラ様と……兄妹ぉ? の関係らしいぞ」
手紙の内容を話していくジーク。
ルキウスはそれを無言で聞きながら、首を傾げた。
「…………は? 負、け?」
「要約すると、こいつを倒すまで帰れんらしいな。……なになに、弱点は――わたしに惚れさせること。任せてくださ……い?」
「…………惚れ、させる?」
「ってかこいつの手紙、どんだけびっちり書いてんだ」
ジークは面倒くさそうに頭を掻きながら、続けた。
「シエラ様は……ほう、明るい性格で笑顔が目立つ。彼の手元にいても何ら問題はないっつうことらしいな」
顎髭を撫でる男は自然と口角を上げた。
ジークの知るシエラは、いつもムスーーーッとしてた記憶だ。それが家庭内環境だと分かっていたし、別に口を出すつもりもなかった。
「死神の性格も比較的温厚。……ってなげえな、どれだけ細かく書いてるんだ。まぁつまり性格には問題なさそうらしいな。しばらく観察の余地ありってことだ」
「…………」
というわけで、とジークは肩をすくめた。
文面を読む限りでは、このまま放置していいと思っている。
ここ数日、魔王を代役するルキウスにも箔が付いてきた。
今下手に騒ぐよりも、しばらくは様子見でいいんじゃなかろうか、と。
「私は認められないな。要は我々の邪魔をしてきたということだろう」
「けどセシリアと切り結び、あげく倒したってことは相当な化け物だぞ。それこそ勇者クラスだぞ、こいつ。そうなればお前が出向くしかないだろう?」
しかし、ルキウスは魔王代役だ。
日々の職務に忙殺されている現状では不可能である。
「……」
「まあいいんじゃねえの。むしろ俺が会ってみたいくらいだね」
「そういう問題ではない。……だが、今は」
――今は見逃してやる。
そうして四魔将の会議は、二人の議論によって締めくくられた。
――……――……――……
――……――……
――……
「……おい、あの時はエルダーのジュースを入れてくれたのに今日はないのか」
「君がとっくに帰ってくれたと思ったからね」
ピキッ、とセシリアの額に青筋が走る。
「まるで帰れと言っているみたいだな」
「……よろしければ魔王城までお送りしようか、お嬢さん」
「その紳士的態度は仮面だったというわけか。ひどい男だ」
ぐぬぬと睨むセシリアを一蹴して、死神はグラスを傾ける。
そう、さっさとお帰り願いたいのだから仕方ない。
彼女がこの街に止まるのは、死神にとって面倒事が起きる予感しかしないからだ。
「……」
「……ぐぐぐっ……」
「あわわ……お兄様、セシリアさん……仲良くしてくださいぃ」
シエラの慌てふためく声に、セシリアはすぐに背を正した。
彼女には頭が上がらないのだろう。
「仕方ない。シエラ、明日のご飯なんかを買いに帰ろうか」
「は、はい」
話はこれで終わり。
――そう立ち上がる死神の服を、ピンッと引っ張る白い指。
「まってくれ……その……今夜は、……一緒にいれないか」
ドキッとするような仕草だった。
視線は背け、細い指が引き留める姿は媚びているように見えるが、これほどの美女にやられれば立ち止まりはするだろう。
しかし死神は、セシリアの顔が蒼白なことに気づいた。
震えた唇に、浅い呼吸は体調不良を訴えているようだ。
「セシリアさん、顔が青いです……大丈夫ですか?」
シエラもそう言う。
「……どうしたんだい」
死神も少し不安になって問いかけてみると、セシリアは人差し指をつなぎ合わせて――呟いた。
「そ、の……黒竜に荷物を置いてきて……無一文なんだ……。よかったら、泊めてもらえないだろうか……」
死神はひそめた眉が戻らない気分だった。
何とも言えぬ顔の女騎士に、シエラまでもがぽかーんと口を開く。
ああ、ポンコツだ。
「なるほど、それなら仕方ないね」
「た、助かる! やはり死神は紳士的なニンゲンなのだな!」
そうして握手でもしようとセシリアは手を差し出したのだろうか。
死神は満面の笑みで、その手を握り――
「この金貨でどっかに泊まって、明日にでも帰れ」
金貨10枚、移動費と宿泊代を渡して、にこやかに彼女を払いのけた。




