■第30話:死神のルーン
上れそうにない崖が続いた。
ようやく川の畔を見つけた死神は、もう一人を引き上げて、水を吸った上着を脱ぎ捨てていく。
そして辺りから燃やせそうな物を集めて、焚き火を作り出した。
「っはぁ……この時期はさすがに堪えるね」
寒い、寒い、と死神は笑いかける。
もう一人――セシリアは答えるわけもなく、一瞥してからそっぽ向いた。
「悪いね。腕の縄は外させないよ」
「…………」
セシリアは両手を後ろで結ばれている。
そんな彼女の縄を持った死神は、焚き火の傍に座らせて、酒場の時のように紳士的な笑みで語りかけた。
「失礼。よければ、またお話しようかとね」
「……何を今更」
彼女が嫌悪を抱くのは当然だ。
死神とて先ほどの行動を省みて仲良くしようなんてつもりはない。
あくまで敵である彼女に、こちらのことを伝えるのが目的だ。
「先ほど私が死ななかったこと、疑問ではないかな?」
「…………少し」
「……くっくっく……」
「何がおかしい」
キッと鋭い眼光に、死神は両手を挙げる。
やはり素直な彼女に対して、思わず笑ってしまっただけだった。余裕から生まれる哄笑か、嘲笑か。
「さっきもチラっと言ったけどね、私は不老不死なんだ」
「…………それがお前のルーンか」
「そうでもあるし、別のルーンでもある」
セシリアは怪訝そうに眉をひそめた。
ルーンとは人の構成する核に、"ただ一つ"宿る特殊能力だ。
別のルーン、つまり二つ目のルーンを持った存在はありえないはずである。
だが、死神はそれを否定した。
「私の原初のルーンは――【略奪】っていうんだ。殺した者の能力を奪うことができる」
「……つまり、それは」
「最初に殺したのは【死神】の少女だった。」
脳裏に過ぎる、数千も前の話。
出会ってきた人々の顔立ちはおろか、背格好すら忘れる中で、喰らった人物だけはハッキリと覚えている。
顔を見せられず、人々に疎まれていた人外の少女だ。
やがて大切な人を失った悲しみに暴走し、ルーンに呑み込まれてしまった悲しい少女。よく覚えている。
「【死神】は、対象の支えとなるものを殺すことなんだ。そしてデメリットは、この仮面の奥を見た物への死の宣告」
「……デメリットのほうがよっぽど強力に感じるな」
「まったくだ」
おかげで仮面を脱ぐことだってできない、と死神はけらけら笑った。
自責の念はないのかと言いたげなセシリアの視線を一蹴するように。
「なら不老不死は」
「二つ目のルーン、【原点】。どれだけ傷つこうと、どれだけ欠損しようと、決められた原点に体が戻ってしまう」
「……それが不老不死のカラクリか」
「そうだね。これはメリットであり、デメリットなんだ」
彼女のことも覚えている。
病床に伏せた彼女に目覚めた、原点のルーン。
不老不死になった彼女は、なにをしても末期の状態へと戻される終わりなき地獄を見ていた。
「……私とて騎士だ。倫理観を解くつもりはないが、後悔はないのか」
「微塵もない」
後悔はない。
死神はハッキリと肯定した。
呆れたセシリアに事情を話して、同情を得るつもりもない。
彼女に伝えたいのは、いかに自身が人外を超越しているのかということだ。
「他にも身体能力が異常になるルーンやら、異常に手先が器用になったりとか――」
「それより。……そのルーンでいつから生きているんだ?」
その質問に、死神は一瞬驚いた。
「もう千は超えたね」
「……辛くないのか?」
こちらを窺うように問うた女騎士。
その質問の意図を理解し、死神は毅然と告げた。
「辛くないよ。私とは違う他者の人生を見るのが楽しいからね。……まぁ、もう数千年も昔の人を忘れるのは辛いかな。どんな顔なのか、どんな性格なのか、男か女だったか、関わった人を忘れていくことは何よりも辛かった」
「……そうか」
「けれどそれ以上に出会いがある。だから、楽しいよ」
この思いには、嘘偽りない。
必ず別れが訪れるとわかっていても、やはり繋がりを求めてしまう、寂しがり屋な性格だから。――言ってて、死神は苦笑してしまった。
「参ったな。そうじゃなくて、どうあがいても私には勝てないよって脅すつもりだったんだけれど」
「ふんっ……こっちからは殺せないのに、そちらは一方的に殺せるのは、既に知った」
微かに口端を吊り上げたセシリアに、死神も釣られて苦笑した。
非情に徹しきれない甘さを、改めて思い知ってしまう。
そう死神が頭を悩ませていると、突如、セシリアは声を荒げた。
「……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! もうッ!」
「うわ、びっくりした」
何かを振り払うようにセシリアはたたらを踏んだ。
驚く死神へと、グイッと迫ってくる。
「死神よ! 私は貴様を絶対に許さんッ! 我が誇りである剣を打ち砕いた恨み、絶対に忘れないからな!」
「あ、ああ……」
「だが、今はそれを置いといてやる!」
やたら語気を荒げるセシリアの意図がよくわからない。
そんな呆気に取られる死神へと、セシリアは大きく叫んだ。
「まずは語らう前にこれを外せ! 頭に血が上って、剣を向けたことだけは謝罪する。だから少し話を聞かせろ!」
要は話し合いの場を作れ、ということだろうか。
勝ち気につり上がった瞳と、死神の瞳が交錯し、不意に穏やかな空気が流れた。
彼女なりに和解しようということだろうか。
そういうことなら――死神は笑顔で返した。
「いや、君は捕虜だから外さないよ」
「なッ!?」
何度言おうとセシリアは敵だ。
意地悪が半分を占めているような気もするが、死神は気にしないことにした。
「さ、寒いから……防具だけでも外させてくれないか」
「なら外してあげよう」
「な、ななななにをっ!?」
「こら暴れない」
「やぁめぇろぉぉっっ!」
所詮は両手を封じられ、芋虫のように逃げるしかできないセシリアだ。
そんな女騎士の元へとじりじりと近寄り、死神は軽装の鎧へと手を掛けた。
「くっ……き、きさま! こんな辱めを捕虜にする気か!」
「大丈夫だよ。最近まで妹をお風呂に入れていたし慣れてるから」
「そ、それはシエラ様のことかっ!? おい! 答え……バカ、やめ、やめてっ!」
じりじりと足だけで逃げ惑うセシリアを追い詰めて、死神は脱がしていった。
とはいえシエラとは違って妙齢の女性だ。
辱め目的は半分として、鎧を脱がすだけで止めてやろう。
そう思って軽装を外すと、胸当て型の下着に、短いズボン、そして黒の全身タイツと思いの外に軽装すぎた。
「やめて、やめてぇっ! へんたい人さらいっ!」
「……」
いっそ黒タイツ一枚にしてやろうか。
そう考えつつ、死神は取り上げた軽装の鎧を火元の傍において、大きな岩へと腰を据えた。
「……どうも調子が狂うな」
「ふー! ふーっ! それはわたしのセリフだぁ……!」
セシリアは赤い逆毛を立てる猫のようだ。
「貴様とシエラ様はどういう関係なのだっ! 出会いから今まで一分一秒全てを説明しろ!」
「日が暮れてしまうよ……」
肩をすくめた死神に、それでも説明しろと言わんばかりに女騎士は睨む。
仕方ない。
頭の固そうな彼女のことだ。頑として動かなくなるなら、概要だけを摘まんで話そう、と死神は語り始めた。
ただし、多少は脚色する。
生死の境で彷徨っていた少女を拾ったこと。
心が痛むほど塞ぎ込み、笑おうとすらしなかったこと。
ようやく打ち解けて、今の笑顔があること。
そして兄妹としての誓いを結んだことを、己の言葉で掻い摘まんで話していく。
何より、死神自身、彼女をこんな風にした君たちを許さない。
どんな事情があろうと、助け船を出さなかったこと、そして探しに来たのが挙げ句セシリア一人だということ。
――死神の個人的感情をふんだんに入れ、かつ懇切丁寧にだ。




