■第27話:口火を切る
翌朝の宿、死神は早い時間から身支度を整えていた。
広いダブルベッド眠っていたシエラが寝ぼけた目をこすりながら起きたのは、それから少し経ってからだ。
「あ、れ……お兄様、荷物をまとめてどうしたのですか……」
「おはよう。今日でヘスペリデスの黄金亭に泊まるのも最後だからね」
あ、そうでした、と寝ぼけた声が返ってくる。
「その跳ねた髪をとかしにシャワーでも浴びておいで」
「はぁい」
パタパタと可愛らしい音を響かせて、シエラは浴室へと走って行く。
「……準備は念入りに、ね」
そう呟く死神の体は、いつもより一回り大きいように見える。
ジャケットの下には、要所を守るための防具を着込んでいて、黒外套の裏には小型のナイフから発煙筒やら多種多様に仕込まれているせいだろう。
ストレンシアがするまで、死神は腰に据えた刀を手入れしたりと忙しなく動いていた。
ストレンシアが来て間もなく、一行は先日のように平原へと向かうことになった。
フェンリルの背に乗っていると丘陵はあまり気にならないが、崖にでもいけば水面都市を見下ろせるくらいは昇っただろう。
その先にある平原への道中、死神はジッと空を見ていた。
「お兄様……? なんだかずっと空を見ていますね」
「なんだか違和感があってね。こめかみがチリチリする感覚っていえばいいのかな」
「直感ってやつー?」
ストレンシアの言うとおり、直感というやつなのだろう。
何の確証もないが不安になってしまう、という死神の直感だ。
「ワンッ」
フェンリルは小さく鳴くと、徐々に速度を落としていく。
目的地についたという合図だ。
「自動送迎付なんて……ほんとにお利口さんだなぁ……。どうして狼ってこんなに頭がいいんだろ」
「クゥン」
ストレンシアが全身を使って撫で回すと、気持ちよさそうに鳴くあたりは狼というより子犬だ。
死神としても、フェンリルの人懐こっさには驚きだった。強い者への服従はあれど、完全に人に慣れたような行動である。
「まぁこっちも相当助かってるよ。……さて、今日の目的は緊急時用のポーションの作成だ」
「緊急時用ですか?」
フェンリルの背から降りて、死神は頷いた。
「家庭に一つは用意しておく非常用……っていうとシエラには馴染みないか。例えば冒険者なんかはいつ重傷を負うかわからないから、懐にいくつかのポーションを忍ばせておくんだ」
そう言った死神も、外套の内側から頑丈そうな鉛色の容器を取り出した。
中身が見えないようになっていて、いつかの金属製の水筒を小型化したような形だ。
「普通のと違うのは、長期保存が可能なところだ。製法も違うから、まずは買うより作ってみて貰おうと思ってね」
「非常用のポーションかぁ……あれ苦いんだよね」
「に、苦いんですか……」
がっくりと項垂れたシエラに、ストレンシアはおえーと舌を出していた。
そう、とにかく苦い。
苦虫を噛み潰したような味のするポーションだ。
「そこの味加減は薬師様の出番さ」
「ええ……あんなエグいの治せるかなぁ……」
緊急時のため、薬草の濃度も濃くする必要があり、その味を打ち消すのは難しいだろう。
「まぁけど任せて! そういうオリジナルの薬には自信があるんだ!」
しかし、ストレンシアは自信満々に胸を叩いた。
死神の仮面から覗く瞳は、どこか半目がちで怪しむように細められている。
「……大丈夫?」
「なにその目! 昔っから色んな薬を作るのが好きだったんだってば! 惚れ薬とか、飲んだら汗がいい香りになるとか、そういう奇抜なのなら任せてよ!」
あまり冒険者には向かないポーションだが、日常生活では大活躍かもしれないポーション達だ。
彼女は冒険者に頼るより、そういうギルドの弟子入りを志願したほうが良かったのではないだろうか、と死神は肩をすくめた。
「……まぁ信じよう。よし、じゃあ昨日みたいに二人一組で行動するんだ」
「はい!」
「はーい」
死神が両手を叩くと、ストレンシアがシエラの手を引いた。
そして今日もまたフェンリルがとことこと着いていこうとした所、死神が尾を引いた。
「ゥ――?」
「ここらへんの魔物ならシエラ1人で余裕綽々だ。今日はちょっとこっちにおいで」
「バウッ!」
「どうせお前なら、悲鳴でも聞けば一瞬で追いつけるさ」
そもそも死神と居ることがイヤそうなフェンリルだ。
不満げに唸ったが、逆らえないと悟ったのだろう。渋々と、死神の後を追っていく。
「……ちょっと昨日の夜に気になることがあってね。もしかすると、お前の助力が欲しくなるかもしれないんだ」
「――?」
来た道を徒歩で引き返しながら、死神は空を見上げる。
「もし間違いじゃなければ、"彼女"の性格上……まずはこっちに来ると思うんだ」
そう、死神の描く彼女であれば、無言で任務を遂行するはずがない。
あの日みた光景に関しての質問を、真正面からぶつけてくるような性格のはずだ。
そして草原を少し歩いてから、何かの音は響いた。
『ォォォオオ――』
空から落ちてくる、微かな嘶き。
鳥にしては低い声。
同時にフェンリルも空を見上げ、ある一転を注視した。
空に一つだけ浮かぶ、黒点。
蒼穹の中に不釣り合いな黒い点は、徐々に、そしてある一点を超えると加速的に大きくなっていく。
「……黒竜」
死神は影を落としていく、その黒点の正体を呟いた。
ワイバーンの一種で、西大陸に住まう珍しい魔物だ。
光を反射して、黒く輝く鱗。
両刃剣のように鋭い銀の双角。
そして黒竜は白いタテガミをなびかせて、空中から急速下降してきた。
「フェンリル、まだ何もしなくていい」
瞬間、黄昏色の体毛を逆立たせていたフェンリルを制する。
黒竜は攻撃するわけでもなく、地面へと近づいたところで大きな翼を広げた。そして突風を巻き起こしながら、ゆっくりと地上に足を着ける。
おそらく、その上にいる主君への配慮なのだろう。
長い赤髪が炎のように揺らぎ、黒竜にも負けぬ鋭い眼が死神を捉える。
酒場にて親睦を深めた、女騎士セシリアだ。
「……派手な登場だね。来るとわかっていたのなら、エルダーのジュースやケーキなんかを用意して――」
「死神よ」
軽口を零そうとした死神を、女騎士はぴしゃりと止める。
その声には感情こそ篭もっていないが、睨む瞳には怒りの色を宿していた。
「シエラ様を知っているな」
「君の探している主君だったね」
「……再び問おう、彼女の所在を知っているか」
「昨日の通りだ、知らないよ」
微笑を絶やさぬ死神。
それに対しセシリアは抑揚を欠いた語調で続ける。
「私はお前を信じていたから、主の名を話したんだ。この大陸では忌み嫌われる可能性もあったのだからな」
「確かに、魔王と似た名前だ。――実は私の妹も」
「――死神よ、最後の問いだ」
女騎士はもう、軽口に付き合うのも飽きたのだろう。
「……なぜ貴様が兄を名乗る。全て話さないとあらば、斬る」
そして流麗な所作で剣を抜いた。
美しい細工の柄に、汚れ一つまとわぬ白銀の剣は、死神の仮面へと突きつけられる。
その問いに対し――死神ははっきりと宣言した。
「悪いけれど、妹との約束があるんだ。君たちに渡すつもりはない」
騎士に対し、死神もまた腰に据えた刀を抜き放つ。
全てが漆のような黒塗りの刀剣。陽光を嫌うように寄せ付けず、一つだけ景色に浮いた黒さをしていた。
誰しもが禍々しい装いに、一瞬、目を疑うはずだ。
「……そうか、……残念だ。……私はこれでも、お前のことは信頼していたんだ」
黒竜から飛び立った女騎士だけは、悠然とその前に立ち塞がる。
そして剣の切っ先を向け、一瞬だけ悲哀の表情を見せた。
「……痛めつけてでも、聞き出す。死神よ」
「悪いがそうもいかない」
言葉の終わり――それは攻撃の口火を切る。
同時に土が翻り、2人の姿は消失した。




