■第24話:呪いの屋敷
「シ、シエラ……気が利かない男でごめんよ……」
「シエラは気にしてません」
そう言いつつも頬を膨らませて、ぷいっとそっぽ向いている。そんなシエラに対して必死に頭を下げる死神。
ストレンシアは空のガラス瓶を二人に掲げながら、微笑ましそうに見守っていた。
「ワンッ」
「うわっ!? びっくりした……。見た目は怖いのに、お前は人懐っこいねぇ」
「クゥゥン……」
フェンリルは甘えたように体を丸めて、ストレンシアの背もたれになっている。人懐っこいとはいえ、巨狼の威圧感は凄まじいものだが、これはフェンリルに引っ張られた、いわゆる望まれた形なのである。
ストレンシアはその体を撫で回してやってから、醸造器を睨んだ。
石座には棒の柱があり、抽出するための上部と、受け止める下部には空き瓶が固定されている。そこに注がれる赤い液体を見つめて、後は待っているだけだ。
しかし、これは雇用という運命を分けるポーション。
万が一にも不純物が混ざらないようにと、食い入るように注視していた。
「よーしよし……これを後は飲みやすいようにして……」
ストレンシアはそれにハーブを漬けこむなり、もう一つ蜂蜜の入れたガラス瓶を傾けて、とろりとした黄土色の液体を垂らしていった。
それを軽く揺すってから、一口。
まだ足りないかなと首を捻りながら色々と足したりして、ようやく出来上がったと同時に立ち上がった。
「できたぁ! ほらほら、ふたりともーポーションできたよー!」
ふて腐れる少女、平謝りの男にポーションを手渡す。
赤いポーションは少しだけ透き通っていて、ハーブが漬け込まれているせいか紅茶のようだ。薬というよりは上品な香りが漂う嗜好品である。
「……うん、見た目も香りいいね。それじゃあ失礼して」
「わぁ……このまま飲んで良いんですか?」
「グイッとどうぞ! グイッと!」
ストレンシアは自信満々だ。
あまり豊かではない胸を突き出して、ニヒヒと笑った。
ゴクリと飲んだシエラ。一口含んで、舌の上で転がすように確かめる死神。
最初に声を発したのは、シエラだった。
「おいしいですっ……! お薬ってこんなに甘いんですね!」
「んっふっふー。ハーブで雑味を消して、蜂蜜で甘くして、さらに果実感を加えてみたんだー」
「これならいっぱい飲めそうです!」
「い、一応お薬だから飲み過ぎはダメだよー」
喉を鳴らして飲み続けるシエラに忠告だけはして、ストレンシアは問題の人物へと振り返った。
逡巡を重ねるように瞳を閉じ、味を確かめる死神。そして一泊を置いて、彼は口端を吊りあげた。
「……うん、飲みやすくて良質のポーションだ。ご馳走様」
「じゃ、じゃあ!」
「改めて、こちらからお願いします。ストレンシア・ラナンキュラスさん」
――名前、覚えていてくれたんだ。
畏まった上にフルネームで呼ばれて、ストレンシアは嬉しさと気恥ずかしさが混じり合っていた。頬に熱を持っているのがわかる。
「なっなに急に畏まっちゃって……私こそよろしくだよ。……もう、変なのっ」
「これから雇う立場としては、ね。――でも契約内容も聞かず頷くのは関心できないなぁ」
「うぐっ」
痛いところを突かれた気分だった。
愉快そうに笑う死神はいかにも怪しい男だが、言葉の節々には優しさのようなものが感じられる。ストレンシアはそのせいだと自己解釈することにした。
「仕事内容だけど、しばらくはこんな感じかな。シエラとはよく特訓をするだろうからそれに使うポーションの提供。後は……住居を見つけたら、そこでポーションなんかを作ってもらおうかな」
「…………それだけ?」
「うん。賃金はまぁ月ごとに払おう。最初は金貨13枚からで」
「い、いや! それで13枚なんてもらえないから!」
新米薬師に払う金額ではない。
平均的な若い薬師は月7.5枚に出来高制だ。その2倍もあるとなれば、何か怪しい薬のほう助をさせられるのではと勘ぐってしまう。
しかし、死神は肩をすくめて否定した。
「この賃金の高さは、君に理想の仕事を求めるための額だ。そして君が健康的な生活を送り、心身共に充実してもらわなければならないからね」
「い、いや嬉しいんだよ……? でもさぁ……」
「――重要な仕事の賃金が高いのは、心が病まないよう、余裕を持たせる意味もあるんだ。……これは内緒だけれど、ユニオンの賃金が高いのは数重なる批判中傷に耐えるためでもあるんだ。……多分」
お金に余裕さえあれば、多少きつい仕事でも耐えられるということだろうか。
「……ま、それくらい重要な仕事ってことだよ。やらないなら仕方ないけれど」
「や! やりますやります! よろしくお願いしますぅぅ!」
ストレンシアは滑り込むような勢いで頭を下げていた。
この好待遇を前にして、これ以上否定ができようか。たとえ目の前の男に笑われようとも、そのためなら頭なんていくらでも下げよう。
――あっ、なるほど、これがお金の力なのかもしれない。
「というわけでシエラとストレンシア……とフェンリル、これから仲良くね」
「はいっ! えへへ……よろしくお願いします」
「――ワンッ」
二人の笑顔と一匹の降るう尾。ストレンシアは躊躇う気持ちもなかった。――人は見た目じゃないことを、ストレンシアもこの短い期間で理解できた気がする。
「……うん! ポーションなら任せてね。シエラちゃんっ、死神さんっ、狼さんっ!」
――この輪の中に、自分が入れることを嬉しかった。
全身真っ黒の変な人、雪みたいに白くて太陽のように眩しい人、見た目は怖いのに優しいワンちゃん。3人の輪に駆け寄って、ストレンシアもまた笑顔を見せた。
「……さて、ここまで言っといてなんだけど問題があってね」
「どうしたんですか?」「えっ」
薬草の採取を終えて、死神の頬は引きつっていた。
「アイズに借りられそうな物件があるから、少し調べてみたんだ」
「私達のお家になるって言っていたところですか?」
「まさか曰く付きの物件だったとかー?」
ストレンシアは悪戯っぽく笑ったが、あながち間違いではない。
しかし、調べた「曰く」の規模がおかしいこと除けばだ。
「……まぁ人が亡くなった物件だった」
「ひ、人がですか……!」
「よくあるよねー。死霊がでるから、ちょーっとだけ安くなるんだっけ」
死神は頷いたが、そこは大した問題ではなかった。
頭を抱えたくなるような問題はそこからだ。
「元々取り壊そうとしたらしいんだけれど、……取り壊そうとしたギルドが解散、また次のギルドマスターは急死、さらに別の解体を引き受けたギルドでも急病が流行ったりと……一度も壊せなかったらしい」
「――――――」
「…………え」
完全に言葉を失ったシエラと、どん引きなストレンシア。
しかし、死神の言葉はさらに続いた。
「そこでユニオンで確かめようとしたところ……屋敷内の家具が暴れ出す、水が噴き出す、草が突然伸びて絡まったりと……不可解な出来事が続いたらしい」
「――――――」
「いやいやいや! それ曰くというか呪いじゃん! ダメだよそれ!」
ごもっとも。
しかし、その敷地の広さは目を見張るものがあった。厩舎を作る余裕はあるし、屋敷自体に何十人と暮らすことはできる広さだ。
ギルドの建物としてはこれ以上にないと断言できる。
「そこで、これから私達で訪れようと思うんだ」
その瞬間、シエラとストレンシアは脱兎の如く駆け出していた。
シエラはともかくとしてストレンシアも中々に足が速い。
艶やかな長い足のお陰に違いないね、うんうん――などと呟いて、死神は叫んだ。
「リルリル! 二人を咥えてでも捕まえるんだッ!」
「ワウワウッ!」
ボールを追いかける子犬のように、巨狼は飛んだ。
そして瞼を開いた後には、見事に二人を咥えて帰ってきていた。
――うんうん、良い子良い子。
少女達の悲鳴をミュージックにして、死神はフェンリルを撫でてやりながら水紋都市への帰路に就いた。
アイズに紹介された物件は、街の西部だ。
中央からは大きく離れて、閑散とした住宅街をも抜けて、街の倉庫や工房群が集まったあたりにある。
舗装された道だが、大通りのように光を反射するほどではない。
「どうしてここに屋敷を建てたんだろうねぇ」
「お兄様! シエラは怖いのはイヤです!」
「ねえねえ! 私ってあくまで雇われただけで見に行く必要はなくなーいー!?」
「怖いのになれておきましょう。これから雇う場所はしっかり視察しましょう」
少女達の悲鳴には端的に答えて、死神はその一際大きな道を進んだ。
そして、その向こうにこそ大きな屋敷は構えていた。
ツタが絡み、コケが生えた石塀の向こうに、3階建ての屋敷が凄然と佇んでいる。
屋敷の前にある庭は、雑草がシエラの背丈を越えかねない勢いだ。
一言でいえば、今にも崩れそうな館だった。
「……おーおー、アイズも手を焼いているのが伝わってくるねぇ」
――この館の掃除に何日かかるのだろうか。
「フェンリル、この草を全部食べていいよ」
「バウバウッ!」
「……この草も食べられるんでしょうか?」
隣で不満を露呈するフェンリルとは対照的に、シエラは食欲旺盛なことだ。おそらくお腹を壊すだろう。
死神は臆することなく門を開き、石床と庭があったであろう地に踏み入れた。雑草を掻き分けて、フェンリルも通れそうな扉に手を掛ける――




