■第23話:薬師という大切なパートナー
朝食を済ませ、宿を出た3人は厩舎へと向かった。
フェンリルはあらかじめ匂いを感じ取っていたのか、3人が訪れた時には地面に顎を着けて「グルルッ」と唸っていた。
目の前の巨狼の怒りに、ストレンシアは終始怯えていた様子だ。
それは今、フェンリルの背に乗って平原を走っている間もである。
広大な平原を一陣の風が駆け抜けていく。
小さな起伏をものともせず、大きな起伏は軽い跳躍を持って、黄昏色の風は速度を緩めなかった。
「フェンリル、ここらへんでいいよ」
「バウッ」
小さく鳴いて、フェンリルはゆっくりと速度を落としていった。これもまた乗客への配慮なのだろうか、賢いものだ。
「わぁー……海がきれいです……」
「ここいらは急流と平原が連なったりしてるからね。……おーい、ストレンシア。ついたよ」
「ぁ"ー…………」
死神が呼びかけてみると、ひしゃげたような呻き声が返ってきた。
その表情からは生気が抜け落ちていて、ぷしゅ~と白い煙を口から昇らせているようだ。
「ほらほら。薬草の採取には君の知識が必要なんだよ」
「ぁぁい……」
死神が手を差し出すと、狼上に伏したストレンシアは意気消沈気味に体を預けた。
手を差し出して、まさか体ごと投げ出されるとは思わない。
死神は慌てて彼女を抱き留めると、ふわりと良い香りがした。少女の甘い香りに混じる、香水の芳醇な匂い。
死神は腕の中にいる少女に、オシャレな子という感想を抱いた。
後ろに流した左横髪は小さなリボンで三つ編みにし、上着もシンプルながら彼女に似合ったデザインだ。意識しなければわからない薄化粧も、彼女の整った顔立ちを際立たせている。
「なになに~? そんなに見ちゃって~」
死神はハッとした。
気づけばストレンシアがニヤニヤと笑っている。
「……いや、なんでもないんだよ」
「なんでもない、なんてことないよね~」
ニヤァと蠱惑的にほくそ笑んで、ストレンシアはスカートを摘まんだ。
そしてゆっくりと、ゆっくりと、短めのプリッツスカートから艶やかに白い太ももが露わになっていく。
「ちょ! 年頃の乙女がそんなこと……!」
「といいつつ見てるじゃーん」
いつも余裕綽々といった死神の顔にも羞恥心と焦りが浮かぶ。
ストレンシアはそれが面白いのか、どんどんとスカートの裾を吊り上げていき――そして露わにしてしまった。
「残念でした。ちゃんと履いてまーーーすっ」
露わになったのは、肢体にぴったりと張り付いた――真っ黒なタイツ。
勝ち誇ったように顎を持ち上げて、ストレンシアは微笑んだ。
「……まったく、最近の若い娘は……」
「ごめんね~。お・じ・さ・ん」
「おじさんではない!」
調子に乗ったストレンシアの額を小突いて、不本意な呼び方をされた死神は声を荒げていた。
「お兄様!」
「うんっ……?」
この雰囲気を払うであろう、妹の助け船。
だが、死神が振り返ってみると――シエラも長いスカートを摘み上げていた。少女らしい細めの太ももと、白いタイツが露わになってしまっている。
「シエラもちゃんと履いてきました!」
「……」
「……シエラちゃん。……シエラちゃんのそれは……」
ストレンシアのは、いわゆる下着が見えないスパッツだ。
しかし、シエラのは下着が見えてしまうほどデニムの薄い白タイツ。
死神は頭を抱えたい思いで、シエラの額に指を突きつけた。
「そういうことしてはいけませんッ!」
「ふにゃっ!? ……? ……!!?」
額に指弾を放たれて、シエラからは悲鳴が漏れた。しかし、なぜ怒られていたかはわかっていない様子だ。
「……ストレ、教育に悪い行動は慎むように……」
「あっはっは……はーい……」
「……しえらはどうしておこられたんですかぁ……」
やれやれ、と大きなため息が漏れてしまう。
再び気を取り直すべく、パンパンパンと両手を叩いた。
「よし、じゃあ今日のメニューだ。今日は討伐依頼ではなく、ストレの薬草採取がメインになる。シエラはいわば護衛役だ」
「はい」
「ストレは薬草を採取し、その場でポーションを調合してもらう」
「え、道具もってきてないよ?」
「それはこちらで用意した」
フェンリルの背中にくくりつけていた大袋から、様々な器具を取り出していく。
醸造器、空の瓶、大量の水、すり鉢、その他いろいろとフェンリルでなければ運べなかった荷物だ。
「え、全部あるの!? 意外と高かったんじゃない?」
「必要経費ってやつだね。これは言わばストレへの試験でもあるんだ。……もしも粗悪なポーションなら、ね」
「う」
先ほどの逆襲とばかりに妖しく笑うと、ストレは小さくたじろいだ。
「シエラには薬師、果てはバックパッカーっていう職業の大切さを知ってもらうんだ」
「この前も言ってましたね。ばっくぱっかぁ」
「そう、冒険を手助けしてくれるんだ。傷を治してくれるポーション、荷物持ち、冒険者への精神的な手助け、……まぁ相棒って存在だね」
「あいぼうっ……!」
相棒という言葉が気に入ったのか、シエラは目を輝かせた。
そんなシエラの手を取って、ストレンシアはさながら王子の如く微笑んだ。
「そういうこと! さっそくお仕事と行こっか」
「はいっ! がんばります!」
草花に彩られた平原を駆けていく二人。
残された死神は、もう一匹残されたフェンリルに語りかけた。
「フェ……リルリルも平原を駆けてきていいんだよ」
「ウゥゥゥ――」
「イヤなのか……じゃあ私と一緒に、シエラとストレを見ていよう」
「ワンッ」
満足げに鳴いたフェンリルの手綱を握って、二人の後を追った。
二人は気にしていないだろうが、伝承の生物に見守られる安心感は凄まじいものだ。シエラには厳しい魔獣が出ようと、フェンリルならば瞬きする間に喰らい尽くすことだろう。
しかし、フェンリルも家族だ。
いざという時は死神が前線に立つつもりで、黒衣の中には様々な武具が備えられていた。――家族を守るためには全力を惜しまないつもりだ。
「……ちゃんと家を見つけるから、もう少し待っててね」
「ワン」
体を撫で回してやり、死神は前を見た。
薬の採取というのは地味な仕事だ。
薬師が素材を集める最中、護衛する冒険者は周囲を警戒しなければいけない。そのせいかお互い黙々と、そして淡々と仕事をこなしていくことが多い。
しかし、シエラは冒険者ではない。
死神が求めるのは、彼女との親しい関係、そしていざという時のポーションを調合する薬師の存在――というのは表の目的だ。
実際には、仕事を探している若い薬師を早い内に囲おうという魂胆である。幸いにもストレンシアは腕がいいと来た。これを逃す手はないとばかりに死神は囲ったのである。
そんな二人は周囲の花を摘み合ったり、ストレンシアがそれを王冠にしてあげたり、時折出てくる虫に一喜一憂したりと笑顔が絶えない。
仕事として受けたストレンシアの笑顔にも裏表は感じられず、罪悪感を覚えつつも死神は安心しながら見守っていた。
「……ま、あれなら粗悪なポーションでも許してしまいそうだ」
「ワウ」
心なしかフェンリルも同調したように優しげな眼差しだ。
その時、二人の慈愛の対象だったシエラがパタパタと駆け寄ってきた。背中になにやら隠しているのか、腕を後ろに回している。
「お兄様お兄様」
「どうしたんだい?」
「はいっ!」
陽光を背にして、包まれるような眩さの笑顔だった。
シエラの差し出した手のひらには、真っ赤な薬草。いや、薬草のように縦に長い花だった。
「おっ、これはサルビアセージだね。珍しいなぁ」
「シエラが見つけたんです。お兄様、どうぞ!」
微笑んだシエラから受け取って、死神は微かに甘い香りを楽しんだ。
【サルビアセージ】。
浄化作用があり、昔から免疫を助ける薬草として有名な花だ。目が痛いほど真っ赤で体に悪そうだが、その花を千切って吸うと甘い蜜が出てくる。
この当たりでは珍しい花。
ストレンシアもいくつか摘んだらしく満足そうだった。
「そうそう、シエラ。この花はね、こうして千切って……ここから甘い蜜が吸えるんだよ」
いつもの解説のつもりで、死神はブチッと花弁を千切ってみせるなり、その先を吸い出したのだが。
「あっ………………」
シエラの消え入るような声。
シエラは散らされた花のように笑顔をなくし、かわりに虚ろなる瞳が困惑を訴えかけていた。
その変貌振りに、死神は思わず目を丸くした。
「えっ……し、しえら?」
「…………お兄様なんて……きらいですぅぅぅうう!」
――!?!?!??!!???!!?!?!??!?!??!????!??!??!
――きら、きらい、らいキラ、ラキ、キライ????
死神にとって、奈落の底に突き落とされる一言だった。
絶望で目の前が真っ暗になるような、混迷と悲哀が脳を揺さぶるような、喪失感、孤独感、絶望感――……
世界が一瞬にして暗雲に閉ざされたような感覚。
走り去る妹に伸ばした手は――虚空を掴んだ。
「……そん、な……」
「……いやぁ、今のは死神さんが悪いよ……」
「うぇ……?」
呆れ笑いのストレンシアが肩をすくめた。
「お兄様はお花さんの言葉に詳しいんですぅ~って言って、そのセルビアの花言葉を聞いてきたんだよ?」
「…………あっ」
シエラの後ろ髪を結ぶ、スイートピーのシエラという花が思い出される。
「サルビアの花言葉は【尊敬】【知恵】、そして」
「……【家族愛】………………」
そして【家族愛】を喰らってしまった。
スーッと全身の血の気が失せて、冷や汗が滝のように湧き出す。
死神は脱兎の如く飛び出していた。
「シエラァァァァァァアアアアア! ごめん! ごめんなさぁいッッ!!」
「いってらっしゃ~い」
「……クゥン……」




