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■第21話:兄妹の相談

 時刻は明日を告げようとしているのに、アクアリウムは火が灯ったように明るい。空は夜の凜とした静けさを映しているのに対し、地上は未だ夕暮れ時のようだ。


 そして街の空気もまた、喧噪がうねりとなって波立っていた。

 街の中央部にある広い宿には、馬車や牛車、魔獣なんかもそのまま繋いでおける厩舎がある。

 その一つにフェンリルを繋いで、死神は申し訳なさそうに頭を掻いていた。


「グルルッ……」

「…………今日だけ、今日だけね」


 ふざけるな。そう抗議しているようだ。


「リルリルさんごめんなさい……明日はいっぱい遊びましょう」

「クゥン……ゥウン……」


 しかし、この差はなんだろうか。

 理不尽な扱いの差だが、フェンリルには手狭であろう厩舎で我慢してもらうことを加味して死神はグッと堪えることにした。


 広い宿は、一階に多くの店を内包している。広い厩舎もその一角だ。

 街の中心部にあることから利便性に優れていて、入り口から小洒落た酒場まで多くの人たちが行き交う人気宿である。


 死神が借りていたのは4階の二人部屋だ。

 角部屋にある扉の鍵を開いて、室内に足を踏み入れた。

 短い玄関には洗い立てのように綺麗な絨毯が伸びていて、横の部屋を覗くと、上品で落ち着いた浴室が広がっている。


「わぁ……大きなベッドですっ……」


 玄関の奥、シエラからは感嘆を含んだ声が漏れていた。

 落ち着いた白塗りの部屋には、大人が3人は寝られるであろうベッドが一つ、窓際には丸机を挟んで座れる椅子が二つ、そして金庫や冷蔵庫と必要な調度品が揃えられている。


「私も初めて泊まったけれど、なるほど……高いわけだ」


 死神がここに滞在していた時は、木造の小さな宿屋とまでは言わないが、それほど質素な宿に泊まっていた。

 そう、これは見栄だ。

 広い厩舎も勿論だが、シエラがいるから良い宿に泊まろうという死神なりの小さな見栄。


 シエラはベッドに上半身を倒すなり、ホワンホワンと跳ねていた。


「ふわふわですぅ……シエラのいた部屋にこういうのはありませんでしたぁ」

「魔族は固いベッドを好むからね」

「ご存じなんですか?」


 死神は壁に据え付けられたクローゼットに黒衣をかけながら、困ったように微笑んだ。


「世界を回ってる時にね。……翌日背中が痛くて困ったもんだったよ」

「おぉ~……」


 全部が全部ではないけれど、大体の宿には枕と掛け布団しかなかった記憶だ。これも文化の違いだが、死神にはあまり合わなかった思い出がある。


 ――さて。

死神は己を鼓舞するように一息吐いた。

 脳裏に過ぎるのは、先ほどの女騎士。どこか抜けたところはあるが、洗練された立ち振る舞いから感じた彼女の実力は計り知れない。

 今まであえて話をしなかったが、今日ばかりはシエラにも聞かなければいけなかった。


「シエラ、ちょっと大事な話があるんだ」

「…………はい」


 神妙な顔つきに感化されたのだろうか。

 ベッドで飛び跳ねていたシエラもちょこんと腰を下ろす。そこまで真剣な話ではないのだけれどまぁいいか、と死神は表情を崩した。


「……今日ね、酒場である人に出会ったんだ」

「はい」

「髪が赤くて、横で結んだサイドテールの女の人だった。腰に剣を携えた女騎士で……名前はセシリア」


 セシリアという名前に触れた瞬間、シエラの紅い瞳が微かに揺らいだ。

 小さな目が開かれていく様を見るあたり、彼女のことを知っているのだろう。


「彼女は雪のような乙女を探していると言っていた。……多分だけれど、シエラのことだと思う」

「…………ぁ」


 シエラは俯くように背を丸め、ひしゃげたような声を絞り出していた。

 その時点で、死神は心苦しさから「まぁその話は今度にしよう」などといつものように逃げ出したい気分だった。

 しかし、彼女を見守る身として、死神には確かめねばならない。


「もしもシエラが戻りたいのなら、……私は止めない。いや、止めたいけれど止められないからね」

「…………」


 死神からシエラの表情は覗けないが、雪色の髪が微かに震えている。

 彼女の心境を考えれば、今の発言は突き放すように聞こえたかもしれない。だからこそ、そんな思案を考じる間を許さずに死神は続けた。


「だけど、シエラ。君がイヤだというなら、私はそれを断固として拒否するつもりだ」

「…………ぉ、にいさま……」


 力のない、すがるような声が絞り出される。

 兄を追い求めたシエラは、青ざめた顔の中で瞳だけが赤い。あの花が咲いたような笑顔から、何をすればここまで歪められるのだろうか。

 まるで悪魔にでも追われているようだ。


 だが、それを払拭するのが兄であり、死神の役目。立ちはだかる壁があるとすれば、全力を持って打ち砕くだけである。

 

「例えどんな者だろうと、君を悲しませる人は振り払ってあげるつもりだ。……魔族の王をさらった以上、それくらいは覚悟している」

「…………でもお兄様に迷惑を……」

「それともシエラは私から離れたいかい?」


 その瞬間、まるで体が仰け反ったかのような勢いでシエラは飛び上がった。

 血の気の戻った表情は絶望に歪みつつも、確かな拒絶を示している。


「シエラはっ……! お兄様から離れたくありません!!」


 薄い壁ならば突き抜けていきそうなほどの叫び。

 今にも泣き出しそうで、それを我慢しようと唇を噛んで、それでも赤い瞳は涙に解けて漂うように揺れていた。

 

 痛いほどに彼女の思いが伝わる。

 そして死神は、彼女に向けて悪戯っぽく笑った。


「シエラ、そういう時はどうすればいいんだっけ?」

「ぇ……」


 死神に魂を奪われたみたいにシエラは目を丸くしたが、すぐにハッとしたような表情を見せた。

 そう、似たような事が一度だけあったはずだ。

 この街に訪れるよりも前、湖畔にて兄妹の絆を誓った時のこと。


 ――『今、困っているだろう? そういう時は……』


「……ぁ……お兄様、どうか……」


 ――『……お兄様、どうか恐がりなシエラを支えてください』


「シエラを、……守ってください」

「任せなさい、我が愛しの妹」


 その言葉を待っていた。

 満足な言葉を得られて、死神は子どものように笑っていた。

 そんな兄につられたのか、やがてシエラも泣き出しそうな笑顔で答えるのだった。




 壁の機械式時計は0時を指そうとしていた。

 大きなベッドに並んで眠る、死神と魔王。天井をボーッと眺めていた死神が眉をひそめた時だった。


 ユニオンの最上部から荘厳なる鐘が鳴り響く。

 新しい日を告げる合図だ。

 眠りに就いた人が多数だというのに騒音をも気にせず鳴らすのは、未だに外にいる人々への警鐘なのかもしれない。


「毎日毎日、これが苦手でね……」

「いえ、……チリンチリンって心地よい音です」

「なるほど、そういう風に聞こえるのか」


 ゴーンゴーンという重い響きに、小さな鐘の音が重なっているのは事実だ。真っ先に重い音が入ってきた死神には不快な音も、シエラには心地よい鐘の音に聞こえているのかもしれない。

 

「……お兄様お兄様」

「うん?」

「……シエラもちょっとだけお聞きしてもいいですか?」


 死神が首を傾けてみると、シエラは口元に笑みを作りながら、まるで秘密の話をしようとばかりにそわそわとしていた。

 先ほどの話とは全く無関係のようだ。


「何か気になった?」

「はい……。ど、どうしてお兄様は寝るときも仮面をつけているのですか?」


 どこか興奮したようなシエラの上には疑問符が待っていた。

 前から気になっていたということだろうか。死神自身、最期に仮面を外した日を覚えてないくらいだ。……無論、替えの仮面をローテーションした際には外す。


「そうだねぇ」


 しかし、その理由をただで教えるわけにはいかないなぁ、と怪しく笑う。

 ニタァと死神は口端を裂いて、言葉を続けた。


「あるところに、キャンプを巡回中の兵士がいました」

「……?」

「みんなも寝静まった夜、その兵士さんはキャンプの中を一つ一つ確認していたところです。20個あるキャンプ。しかし、今日だけは21個目のキャンプがありました」


 目をぱちくりとするシエラ。だが、淡々とした言葉は続いた。


「そのキャンプを覗くと、仮面を被った一人の兵士がいたのです。……こんな兵士さんはいたでしょうか。巡回中の兵士さんは正体を確認するため、仮面を外してみたのです」

「おにいさま……?」

「……しかしそこに……あるべきものがなかったのです」


 オロオロと慌てる少女が息を呑んだ。

 何がですか、と消え入るような声が漏れた。


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