■第19話:女騎士、襲来
私は二人をカウンターに残して、イスのない丸机へと移動した。
その間際でシエラが助けをすがるように手を伸ばしていたけれど、まぁ傍目に見る限り問題なさそうだ。
最初はストレンシアの会話に押されているようだったが、今ではシエラも打ち解けている――ようにも見える。
大まかな目的は二つだが、とりあえずはシエラに年の近い子と話してもらいたかったからだ。
そしてもう一つは――
「待たせたか」
「いいや、いつもの時間だよ」
襟付きのシャツ一枚とラフな格好で現れた、アイズ。
互いに待ち合わせはしていないが、いつもの時間、いつもの場所でよく飲んでいたものだ。
「嬢ちゃんは?」
「ん……シエラはほら。あっちに」
「そうか」
机に並べていたワインをグラスに注いで、アイズに手渡す。アイズもまたお気に入りのワインを持ってきていて、それを注ぎ、私の方へと置いた。
吹き抜けていくような爽やかな香りだ。
「俺の顔に驚かなかった奴は、あれが初めてだ」
「いつもぐいーっと眉を寄せてるからねえ。それに君は知らないかもしれないけど威圧感が凄いんだ」
「……ふんっ。俺も仮面を付けるべきか」
右の口端を吊り上げて、アイズは失笑しながら肩をすくめた。
目が笑っていないせいか、他人からは鼻で笑われたような気分になるだろう。
軽口を言い合って、互いにグラスを持ちあう。
「……何か困ったことがあればいえ」
チリン、とワインを軽く合わせる。
彼なりの門出を祝う祝福の鐘というやつだろう。
――では、私もその厚意を受け取ることにしよう。……すまない、アイズ。君のユニオンという情報網を勝手に使わせてもらいたい。
「それなら……早速で悪いんだけれど物件を紹介してくれないかい」
「……?」
「いやね……」
ここからは呆れるほどに無理無茶難題だ。
「ペットの巨狼をおけるような庭があるところ……。できれば厩舎が二棟はおける広さで、かつ私達が住まえるような住居つき。……あとは工房なんかの施設を入れられるようなところかな。できれば金貨は1000枚以内に抑えてほしい。それと」
「待て」
ですよね、と私は失笑してしまった。
今ある条件で金貨1000枚の物件がどこにあろうか。せいぜい郊外に良質な戸建てが買えるくらいだろう。
「なんだ、屋敷でも欲しているのか」
「いや……ギルドを作ろうと思うんだ」
「……ほう」
思考や逡巡を巡らせるようにアイズは目を閉じた。口に含んだワインを楽しむようにも見える。
けれど、その間が心苦しかった。
実は彼から紹介されたギルドを断ったり、ユニオンへの推薦を拒否していた過去があるからだ。
その時は根っからの根無し草だというのを理由に全て断った。
そしていざとなれば利用しようとする私を、アイズには非難する権利がある。
やっぱりしばらくは厩舎に預けつつ、お金を稼ぐしかないのかもしれない。
「あるぞ」
「だよね……って本当!?」
まさかの答えだった。そんな良物件が眠ってるわけない。
アイズでなければ間違いなく詐欺を疑ったであろう。
「街の中心部から離れた、西のほうだ。……金貨700枚といったところか」
「……ほ、本当に詐欺じゃないよね」
「保証しよう。むしろ困っていたのでな。死神が住み着くというのなら歓迎だ」
死神とは、私ではなく死を司る神という意味で話したのだろう。となると死霊が潜むいわく付きというやつか。
色々と含みのある語調だったが、そんな良物件が手に入るのならば歓迎だ。ああ、こんなにも簡単に見つかってしまうとは……。
「明日、下見に行ってくるといい。そして住まうなら勝手に住みこんでいい。契約書はいつでもいいぞ」
「………………さすがに君の発言でも怪しくなってきた」
「俺の管轄下だから自由にしろということだ」
「……でもまぁ、そのご厚意に甘えるよ。ありがとう、アイズ!」
ワイングラスを一方的に打ち合わせると、アイズはぶっきらぼうに笑った。
いや、しかし本当に嬉しいな。
もちろん期待していたから頼んだのだけれど、すぐに見つかるとは思わなかった。しかも700枚でいいとなれば、必要な家具を十分に揃える余裕すらでてくる。
「今日は奢るよ。我が親愛なる友、アイズ」
「……ふんっ、調子のいいやつめ」
アイズは鬱陶しそうに眉をひそめたが、照れを隠すように灰色の髪をねじっていた。なんと可愛らしい我が友か。……私もいささか調子よすぎるな。
しつこいようにグラスを打ち合わせて、私達はもう一度、小さな祝杯を挙げた。
――ゾッ。
突然に、前触れもなく空気が震え、悪寒が走る。
祝盃を台無しにする、嵐のような威圧感の奔流だ。
私とアイズ以外は反応していない。だが私達は同時に振り返っていた。
「……失礼する。ここが酒場、か」
その言葉は誰かに向けられたものではない。振り返る者も、彼女を歓迎した者がいたわけでもない。
燃えるような炎髪を左で結んだ女性だ。
全身の肌に張り付いた黒いインナーの上に、胴と胸だけの鎧を纏っている。ハーフパンツは室内の灯火を受けて光るレザー質のようだ。
スラッとした体躯は、女性らしさに満ちあふれた起伏が目立つ。
なんやかんや理由を付けたけど、一言で言おう。
目を見張るほどに絶世の美女だ。そのうえ一流の剣士だけに宿った洗練さが溢れ出ている。
「……アイズ、一人増えても問題ないよね」
「おい」
彼の制するような声を無視して、私はそんな彼女へと駆け寄った。
「ここは初めてですか? よろしければ、一緒にどうでしょう」
「…………」
女騎士の鋭い視線とぶつかる。
……さすがに軽い男と見られてしまっただろうか。
いかにも厳格そうな女騎士だ。恐らくゴミのような目で――
「ああっ……助かる! 実はこの街に来たばかりで困っていたのだ……」
「え、ああ、それはよかった……ははっ」
かと思えば、意外にも人懐っこかった。
むしろ両手を握りしめられて、すがるような海色の瞳が波打っているようにも見える。先ほどの威圧感とはなんだったのだろうか。
「遠路はるばる、人を探しにきたのだが……どこを探しても見つからなくて……ぐすっ…………」
「それは大変でしたね。どうでしょう、あちらで私の友人と飲み……あれ?」
私が振り向くと、アイズの姿はなかった。
ふと机の上を見れば、金貨が一枚置かれている。奢ると言ったのにこれでは過払いだ、我が友よ。
「うぅ……今もどこかで一人震えているのかと思うと不安で不安で……っ……!」
「な、なるほど、お辛いでしょうね……」
彼女を見るに、主君を探しに来た女騎士といったところだろうか。
私は新たなワインを注いで、手渡すなり彼女の肩を抱いた。
……今なら私も酔ったうえでの行動ということになるだろう。くっくっく。
「ありがとう……。日々、我が主を思えばご飯も喉を通らなくて……んぐっ……」
お酒は通るんだね。いや、無粋か。
「それはそれは……。えーっと……あなたは」
「んっ……ふぅ……セシリアという」
「私は死神です。名前についてはよく言われますが、気軽に呼んでください」
「うむ……? では死神と呼ぼう……」
そう彼女が頷いたとき、揺れた炎髪から一瞬だけ長い耳が見えた。あれはエルフの特徴だ。そうなればエルフの主君を探しに来たということだろうか。
人捜しであればユニオンに頼めばいいのだが、アイズはふらりとどこかへ消えてしまったし、それなら私が紹介しようかなんて思っていると――、
「うぅ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
「!?」
え、え、泣き出してしまった。
ボロボロと大粒の涙が、肩に回した私の手に落ちてくる。……いや、別にどこかを触ろうとしていたわけでは断じてないのだけれど。
「よ、よければ私が手伝いましょう! だ、だから落ち着いてください」
「ぅぅぅぅっ……ほ、ほんとう……か?」
「ええ、もちろん」
彼女の涙にあてられて、つい無責任にも言ってしまった。
けれど、仕方ないんだ。
ここで騒ぎになって注目を浴びれば、シエラとストレンシアになんと言われてしまうだろうか。女泣かせのお兄様なんて絶対にイヤである。
幸いにも彼女らは料理と会話に夢中だ。
「ぐすっ……あ、ありがとう……! 貴方は優しいんだなっ……!」
「あははっ……よければ探し人の名前とか教えてもらえます?」
「ああっ! まおっ……いやいや! すまない、我が主の名を気軽に告げられぬのだ……」
人に話してはいけない主君、か。
訳ありとなればあまり踏み込まない方が良さそうだ。
「それなら仕方ないですね。特徴だけでもいいですか?」
「それならっ。……まずホワイトクリームのような髪の毛をしていてな」
「ふむふむ」
つまりふんわりと真っ白な髪の毛ということだろう。
「顔はイチゴのようにかわいらしくて」
……イチゴのような顔?
そのぶつぶつとした表面を思い浮かべて、可愛らしいという言葉はとても似合いそうにないのだけれど、小顔ということでいいのだろうか。
「とても小さいケーキのような女の子なんだ」
「ケーキ」
「ああ!」
「……ケーキ」
彼女なりに主君をケーキと表すのは褒めているのだろうか。
ケーキのように丸く太った主君ということでいいのかな。
「ただ心配なのは……あまり喋らない性格なところだ。……おそらく人から隠れるように、震えながら、どこかにいるに違いない……くっ……」
「……なるほど、それは心配になりますね」
クリームのように真っ白な髪の毛。
イチゴのように小さな顔立ち。
ケーキのように太っているであろうお体。そして寡黙的な性格。そしてエルフ。
記憶の中には該当する人物もいないが、彼女の言いたいことは理解した。
「とりあえず……ショートケーキを頼みます?」
「むっ……酒場に見えたが置いているのか! ぜひっ……!」




