■第17話:酒場は出会いの場と言うけれど
「ふわぁ……」
宝石箱を散らしたような世界に、シエラは感嘆の声を漏らしていた。
「夜限定のロマンチックな光景。そして夜光と街灯の中、盛り上がる露店、消えぬ喧噪、……この街が人気なわけだ」
「はい、シエラもここに来れてよかったです」
子どもらしい無垢な感想が、死神にとって何よりの賛辞だ。
彼女が喜ぶためにここへ来たのだから。
二人が向かったのは水上船。
大勢が乗れるものから、家族で乗るようなものまであるが、二人は後者の水上船を選んだ。
煌びやかな装飾に彩られた水上船は、無粋なことを言えばただの小舟だ。
だが、船を飾る装飾や、船内で楽しめるドリンクや酒、それを盛り上げる陽気な音楽など、客を楽しませる努力が随所に現れている。
大勢のものであれば運河の上での食事を楽しめるところだが、恋人同士ばかりで辟易してしまうに違いない。
散りばめられた船着き場から小舟へと、シエラはびくびくと一歩を踏み出した。
「おっ……おおっ……い、いがいと安定してるんですね」
「この都市で最も栄えたお仕事だからね。最高の船、最高の技術、最高の操舵手があればこそ、さ」
そんな水上船の操舵手には女性が多い。
二人を運ぶのも、若い女性の操舵手だ。彼女はスカートの裾を摘まんでから小さく礼をして、「ありがとうございます」と微笑んだ。
「かっこいいです……!」
ゴンドラに揺られながら大運河を乗り行く先は、複数の馬車が行き交うような橋の下だ。
そのような橋の下には店が構えていて、小舟ならば乗ったまま入店できる。
蝋燭の灯された太い道を少し進むと、高架下の船着き場についた。
石造りの壁の中、奥にはカウンターとテーブルが立ち並んでいる小洒落た店だ。広い店内は既に多くの人たちで賑わっている。
きょろきょろと周囲を見渡すシエラの手を引いて、死神はそのカウンター席へと腰を下ろした。
「いらっしゃい」
用心棒も顔負けの筋骨隆々とした女将が無愛想に応える。
「いつものをお願いします。えーっとシエラには……ここ最近人気のメニューを4品ほど」
「あいよ」
女将はそれだけ言うと、背に立てかけられていた戸棚から手慣れた様子で酒を取りだした。
黒ラベルにアクアリウムの景色が描かれた果実酒。死神の好むワインを迷うことなく手渡した。ブドウを絞っただけのジュースも添えて。
「ここでは橋の下にもお店があるんですねー……」
「人で賑わう、この街だからこそのお店だね」
わーい、とブドウジュースに口を添えて、シエラは店内を物珍しげに観察していた。
少し経ってから、カウンターへと料理が並べられていく。
まずは薄くのばしたパスタのような生地に、生ハム、アボガド、カボチャ、チーズなんかを挟んで焼いたものだ。
他にも焼いたベーコンの細切れをかけたサラダや、ふっくらと香ばしいチーズパン、そして水の都名産のシチューが広がっていく。
「おまたせ」
無愛想な女将はそれだけ告げて、グラスを磨く作業に戻った。
死神からすれば、この我関せずとした態度が呑みやすくて好きなのだ。
「……ぉぉぉ……」
シエラは目の前の料理を穴が開くほどに凝視していた。
「食べていいんだよ。私はこれを呑んでいるから」
「はいっ……。あむあむっ……おいひ、おいひいですっ! とりょとりょのチーズが……」
「くっくっく……。誰も取らないから、落ち着いて食べていなさい」
そんなにがっつかずとも、この街に食事を狙う獣はいない。
満面の笑みで次々と料理を口に運んでいくシエラは、こちらまでも顔がほころんでしまいそうだった。死神も笑い、傾けたワインを口に含んだ。
ここは本来、酒場がメインだ。死神が好む理由もここの酒にある。
樽香と果実の華やかな香り、そしてじんわりと広がる甘さが舌で踊る。喉を駆けるその時まで、ほどよい重みの余韻が心地良い。
「じー……」
死神は羨望の眼差しを受けて、そんな余韻から醒めることとなった。
「…………シエラにはダメだよ?」
「はぃ……」
ションボリ。
ブドウジュースをちびちびと飲みながら、シエラは肩を落としていた。
「くっくっく……。大きくなったら飲み明かそうじゃないか」
死神は喉を鳴らしながら愉快そうに笑った。
さて、明日は住居を探しつつどう過ごそうか。この都市にある訓練所を利用するのもいいが、フェンリルが寂しがってしまうだろう。
――そうだな、誰でも受けられる公募用の討伐依頼なんかを受けつつ、シエラやフェンリルと外を歩こうか。
死神はワイングラスを遊ばせながら、これからについて腰を据えて考えていた。
そして死神がワインを呷ろうとした時。
店内に激しい怒声が響き渡った。
「貴様のような新米薬師が調子に乗るなあッ!!」
大槌でも叩き付けたかのような大声。
周囲の人々もそれに打たれたように静まりかえって、店内の視線はあるテーブルへと降り注がれた。
4人の男と1人の女子。
4人は誰もが堅太りのたくましい体つきをしていて、それを生業とした仕事をしているのだと想像に難くない。
とりわけ叫んだ男は筋肉の層が積みあがったような大柄の男だ。
「なんだなんだ喧嘩か?」
「ほら、あいつら冒険者のやつらだよ。あんま見るなって」
「あの娘さんと何かあったのか」
「おい見てやるなよ。こっちに来るかもしれんだろう」
周囲が囁き合うのを傍目に、新米薬師と怒鳴られた少女のほうに注目した。
薬師といえば、生活から冒険における必需品ともいえるポーションを調合・販売する職業で、この都市では女性を中心に絶大な人気を誇っている。
というのも勉学次第で身につけることができて、永久に廃れない職業とまで言われているからだ。
そのポーションによる効果は体力回復、病気予防・治療、身体能力の強化、果てには食材の毒消しなど多岐に亘る。
だが、薬師の需要が高かったのも数年前の話。
大々的な広告のおかげで人気を保ちつつも、ギルドにおける薬師の平均的な仕事量はガクッと右肩下がりに落ちている現状だ。
「薬師にかけられる金はこれだけだ! 今回の遠征には金がかかっておるのだ!」
「待ってよ! これ……提示されたものの、ほぼ半値じゃん……!」
「貴様のような小娘のうっっっすいポーションに金をかけられるかッ! 正当な評価と金を得るには足りぬと言っておる。なにか文句はあるのかッッ!?」
「……っ、それでも契約は……」
「はっきり言わぬかぁッ!!」
「ひっ」と短い悲鳴が、怯えた少女から漏れる。
この少女も、薬師の仕事事情に巻き込まれた被害者といったところか。ギルドの適当な仕事案件に呑み込まれてしまったのだろう。
「それなら、私はこの仕事から降りっ……」
「でぇはぁ!! 違約金を!! 払ってもらおうか!?」
「っ……ぅ」
声の大きい男だ。それを目の前で聞かされる少女はたまったものじゃないだろう。
「薬師は大変だなぁ……」
少女は蒼穹を映したような青く透き通る髪をしていて、大きめで少しつり上がった目の右横髪は後ろに止めていた。その容姿からは、真相の令嬢を思わせる上品さと、少女らしい活発さが感じられる。
16歳くらいの少女だろうか。
死神はそれを確認してから、シエラに薬師という職業を語るべく振り返った。
「薬師っていうのはね、シエラ。迅速かつ正確な薬を造るための技術が必要だから、若い人には仕事がなくて大変なんだ。危険が多い冒険者には、専属の薬師がほぼ必須とも言えるんだけれど……」
「それよりお兄様……止めなくていいんでしょうか……」
怯えながらも、強い光の籠もった瞳が死神を捉える。今まで死神の言葉を遮ってまで意志を押し通したことはあっただろうか?
死神は嬉しく思いつつも、首を横に振った。
「……ああいうのはね、確証もなく突っ込んではいけないんだ。もしかすると本当に彼女が悪いかもしれないだろう?」
「で、でも……困ってそうですし……」
シエラの純粋さに当てられて、死神は自身の心が泥で塗りたくられたような気分になっていた。
だが、実際にあることなのだ。女性の色香を用いて、薄めた粗悪品のポーションのを売り払うのが常套手段な者もいる。
死神はもう一度、争点を探った。
明らかに会話を許そうともしない男のほうに難があるように見える。問題は机に置かれた青いポーションが正規のものか、だ。
その時、項垂れていた青髪の少女と目が合ってしまった。彼女の青い瞳がうるうると追いすがるように助けを求めている。
死神は顔に「しまった」という諦めの色を浮かべた。
「……お兄様ぁ」
それも前と後ろ、挟み撃ちだ。
「…………男として、何もしないわけにはいかないか」
匙を投げるようにグラスを置いて死神は立ち上がった。
「お話を聞きに行ってくるよ、シエラ」
「シエラもお供します!」
それを聞いて驚いた死神だったが、すぐに表情を正した。
シエラの純粋な気持ちを無下にしたくはない。いざとなれば大の大人が平謝りすれば、まぁ事も大きくならないだろう。
そんな一考を巡らせて、死神は争点へと向かった。




