■第16話:家無き二人の行方
衣服屋をでた死神は、借りた測定器でフェンリルの体長を計ってみることにした。毛のせいもあるが、約4メートルと60。5メートルには届いていなかったらしい。
これでもフェンリルとしては、人間に換算して15歳程度の子どもだろうか。
太陽を浴びて、ふんわりと温かな毛を撫でながら思案してみる。
食事はまぁいいのだけれど、問題は居場所だ。
街中にあるような平均的厩舎で飼えるようなサイズではないし、かといって郊外の厩舎で飼うとなればシエラもフェンリルもイヤだろう。
郊外に放し飼いをすれば、冒険者の噂になって討伐されかねない。
「まぁ並大抵の冒険者じゃ傷一つ付かないか」
「……ワゥ?」
「……二人きりだと吠えないのね」
不思議そうに覗き込んでくるフェンリルの頭を撫でながら、死神はやはり大きな家を買うしかないのかと考えていた。
中心地から離れた場所なら、手持ちの金貨でも買えるかもしれない。貯めていた硬貨があるだけに懐は潤っている。
二人と一匹。
彼女らが旅立つ日までの居場所は必要経費と考えればいい。
ガチャリ。
扉の開く音に死神は振り返った。
木製の扉から、微笑みを映した端正な顔だけをこちらに見せている。リナリアだ。
「お待たせしました、死神さん。ふふっ……とってもかわいくなりましたよ」
「ほう、それは楽しみだ」
死神は声が自然と弾んでいた。
リナリアの工房の中心には、もじもじと、そして忙しなく両手を結びあわす少女の姿がある。
一言で言えば、絵画に描かれるような天使だと死神は総評した。
リナリアのように肩を露出させた、純白のワンピース。
ゆるやかな曲線を描くスカートには、透明感溢れるベールのようなものが足下まで伸びている。緊張からかつり上がった眉に、薄らと紅潮した頬が可愛らしさをより際立てているようだ。
シンプルな服装でありながら、シエラの純白さに磨きかけている。
「お兄様、どっ……どうでしょうか……」
「……死神さん」
わかっていますよね、と言わんばかりにリナリアが耳元で囁く。無論、死神も理解しているつもりだ。
清廉潔白な少女、青天白日な衣装。
その二つが合わさり、もはや魔王なんて言葉が浮かび上がらないほどに美しく変貌を遂げていた。魔王にも衣装という言葉が出来上がるほどに。
「とっても可愛いよ、シエラ。今此の時、君をお嫁に出すことはないと誓ったほどにはね」
「……そ、そんな……でもお兄様に褒めていただけて……うれしいですっ」
死神に向けて、真っ赤な顔で微笑んだシエラ。
脳裏に過ぎった数年前の姿を思い出して、死神は涙がこぼれ落ちそうなのを我慢しているほどだ。
「お兄さんにもいい評価が貰えてよかったね。ほんとうは時間があれば衣装を作ってあげたかったのだけれど……」
「い、いえ……わたしはこれが大好きです……。ありがとうございます!」
「そう言ってもらえると嬉しいかな? ふふっ、でも本当にかわいい」
女二人、かしましい。
考えてみれば、シエラにとっては初めての同性との会話だ。死神が外にいる間、どのような微笑ましい会話があったのかと気になってしまっていた。
それを抑えて、死神が硬貨を取り出そうとした時。
シエラの口から飛び出した発言に、大きく吹きだしてしまうことになった。
「あ、あの……リナリアさん……」
「はぁい?」
「お兄様のお嫁さんということで、お義姉様とお呼びしていいのでしょうかっ……!」
「ぶぅっ!?」
「あらあら……」
何を言っているんだ我が妹よ、と死神は度肝を抜かれてしまった。
うやむやにしてしまった誤解のツケがここに回ってきたのだろう。
「シ、シエラ……私と彼女は結婚していないから……」
「……ほんとうですか?」
「義理の姉にはなれないけど、お姉ちゃんって呼んでも大丈夫だからね」
二人を見上げていたシエラはどこかホッとしたように胸をなで下ろした。
そんなに不安にさせてしまったのだろうか……。死神がその顔を覗き込んでみると、シエラはにへらっと愛嬌よく微笑んだ。
「よかったです……シエラはお邪魔になるかと思いましたぁ……」
死神は胸が打たれた気分だった。
そんな思いをさせてしまっていたことが兄として情けない。懺悔するように、死神は愛おしそうにシエラを撫でた。
「……そうか、そんな心配をさせてしまったんだね。万が一に結婚しようと、私とシエラは変わらないから」
「はいっ……!」
白銀色の髪を一本一本愛おしむように撫でられて、シエラはくすぐったそうにしながらも満面の笑みで返していた。
その横から、白く細長い指が伸びてきた。
リナリアだ。「私も撫でていいですか」と羨ましそうに手を伸ばしている。死神が頷いて答えると、二人で少女の小さな頭を全力で愛でることになった。
さながら親子のように、愛しむように。
「……シエラちゃんのために結婚しちゃいます?」
そしてリナリアから飛び出した言葉に、死神はまたも度肝を抜かれてしまった。
悪戯っぽく微笑みながらも、薄らと頬を赤くしている姿がなんとも卑怯だ。
男なら、そのような顔をされれば一発で落とされてしまいそうになる。
「…………え、あっ……迎えいれたいけれど、妹さんに泣かれてしまいそうだね」
「そうですね……ふふ」
リナリアの妹を引き合いに出すことで死神は難を逃れてしまった。
リナリアには16ほどになる妹がいる。両親と早く生き別れ、兄とも死別した二人だけの家族だ。
しかし、今はある試験のために水紋都市から離れてしまっている。そんな妹を使ってしまったことに、死神は小さく後悔した。
「あわわわわ……あたまがまわりますぅ……」
「あっ」
「ご、ごめんなさい」
二人に撫でられすぎて、シエラはぐわんぐわん目を回していた。
……有り難い存在だ。シエラの肩を支えてやって、死神は哄笑した。
「ステラさん、これはお代と、体調に問題がないなら……」
「最近は大丈夫ですよ。二人が来てくれて元気が出ましたから」
「それじゃあ私の服と、シエラの服を何着か分。できれば動きやすい物、就寝用、普段着と多めにしてもらえるかな?」
うんうん、とリナリアは柔和に微笑んだ。
こう見えて生まれた時から針に触れていた職人なのだから意外である。
本来なら有名であってもおかしくはないが、生まれつき病弱なことから個人向けのお店しか開けないらしい。
それでも個人相手に食べていけるのだから、彼女は優秀である。死神は硬貨を手渡しながら、彼女の職人たる手を観察していた。
「はい、承りました。完成したら、また手紙を送りますね」
「うん。また何度か来るから、絶対に」
「お待ちしてますね」
「その時は出来た分だけもらいにくるよ。では今日はこれで……」
死神はどこか陰りのある笑みを浮かべて、リナリアは日向のように笑う。そして少しだけ見つめ合う姿を、アイズは夫婦のようだと称していた。
死神の嫁。それは死神の衣服を仕立てているのが全て彼女で、頻繁に足を運んでいるからというのもある。
だが、病弱な彼女に付きまとう"死神"とは、なんて不吉な言葉なのだろうか。
「……いけないいけない」
変な雰囲気を晒すな、と死神は額を小突いた。
あとは新しい住居だ。リナリアが手紙を送ってくる前に新居を見つけ、ユニオンに提出しないといけない。
「よろしくお願いします、お姉さん」
「はい、お姉さんに任せてください」
踵を返した死神の背に、二人の可愛らしい会話が聞こえてきた。
一方で、工房を退出した死神を迎えるのは、不満げなフェンリル。頭を地べたにこすりつけて唸っているようだ。
「……あー」
死神は明るい夕空を仰いだ。
燃えるような夕日が海に沈む最中、死神はフェンリルに対して謝罪した。
「フェンリル……明日、君でも入れる住居を探すから……。今日は厩舎付の宿で大人しくしててもらえるかい」
「バウバウバウッ!!」
閑散とした街中に抗議の咆哮があがった。
そして予想通り、住居探しは難航していた。
その理由は至って明快。
フェンリルを飼える程の庭がないのだ。
住宅街の近くではご近所様に敬遠されるだろうし、かといって騒がしい大通りの近くには大きな土地がない。
さらにはフェンリルの成長までを考えなくてはいけないのだ。最終的にどれほど大きくなってしまうのか、死神にすら想像できない。
夜の街を歩いていた死神は小さく息を漏らした。
まぁ、悩んでいても仕方がないと。
「今日は宿屋に泊まるとして、ご飯を食べにいこう!」
「シエラ、待ってました!」
栄えある水の都は、食も絶品ばかりだと有名だ。
フェンリルを厩舎に預けてから、二人は華やかな大通へと戻っていった。
そこに広がるのは、街灯によって橙色にライトアップされた世界。
宝石を散りばめたように煌めく光が、大運河を行き交う水上船を照らし、歩く人々を導いていく。
小さな子から大きな子まで、種族の違いすらそこにはなく、人々は喧噪を生み出している。果てまでも賑やかな街だ。
水紋都市アクアリウムは、今日も黄金色に照らされている。




