■第12話:はじめての街
【水紋都市アクアリウム】
陸地から延びた大橋の先に、紺碧に浮かんだ南部最大の都市は構えている。
水紋が広がるような円形状の小島で、基本平坦な陸地だが、小山型にそびえ立ったような陸地もある都市だ。
数百の運河と、大小さまざまな大橋小橋で形成されている都市内は、人工的でありながら風光明媚な都市として有名である。
外側は中世的な街並みが広っているが、中へと進めば、背の高い近代的な都市群が広がっていく。
その中央にこそ、この巨大な都市を収める【ユニオン】という組織が構えている。
水上で商売をする船、橋の下に構える小洒落た酒場、大通に構える商店の数々。
精美な水上都市は昼夜を問わず、いつだって多くの人たちで賑わっている。
死神と魔王は、そんな水上都市アクアリウムを見下ろせる崖に立っていた。
さらにはそこを飛び越えて平原へと着地するなり、フェンリルは悠然と疾駆する。シエラは時折慌てながらも、目の前の壮観な景色を楽しみ始めていた。
「わぁー……、お兄様お兄様っ! 大きな街が海にありますよ!」
「いやはや紺碧の海に浮かぶ、カラフルな都市にはいつも惚れ惚れするね」
「シエラは海を初めて見てしまいました!」
疾走する強風に晒されながらも、シエラは爛々と輝く瞳を閉じようとはしない。目の前に広がる、絵画のような世界に夢中なのだろう。
「みてごらん、街がカラフルだろう」
「はい! 白、橙、赤茶、紺……丸を描いてるようですね!」
「そう、それが水紋都市の由来だ」
外側から円柱状に屋根色が変わっていく都市。上から見上げた時、彩色豊かな水紋が広がるようにと創られたらしい。
丘を超え、平原を超え、徐々にアクアリウムへ近づいていく。
最初に目に入るのは、長い長い大橋だ。
大橋の床は、そこに何もないかのように透明に創られている。
時間帯によっては空さえも映すことから、海上と天上を征く橋として【スカイリウム・デイ・ブリッジ】と人々は呼ぶ。
「あのスカイリウム・デイ・ブリッジっていう大橋を渡ると、すぐに都市だ。いっぱい人がいるけど大丈夫そう?」
「……はい! お兄様がいればシエラは大丈夫です!」
「うん、任せなさい」
風を切り、大橋へと近づいていく。
しかし、その道中で死神は道を逸れるように告げた。
「フェンリル、あの大橋から右のほうにある建物へ向かうんだ」
「……バゥ」
「聞きなさい」
こつん、と頭を小突くとフェンリルは渋々進路を変えた。
郊外にある、商店にしては不釣り合いなほどに大きい建物。近づいて行くにつれて、その建物には色々な種類の魔獣が繋がれていることから厩舎だとわかる。
厩舎から出迎えにきた老人は、猛然と近づく一行に目を剥いていた。
この道で熟練した老人でさえも狼狽えてしまうほど巨大な生物の到来だ。
「……水紋都市アクアリウム・魔獣管轄区にようこそですじゃ。おおっ、おお……随分と大きな……狼……? いや、うん、狼じゃ」
見上げた初老の男は、あんぐりと口を開いていた。
この生物がフェンリルとは知らない様子である。それは仕方の無いことで、伝承にのみ伝えられる生物の姿形は定かではないからだ。
むしろ死神が「これはフェンリルだ!」と云えば、多くの者達に怪訝な目をされてしまうことだろう。
「ええ、エーデルウッドで異様に大きく育ったウルフのようです。この子の魔獣登録をしようと思いまして」
「あれ……、お兄様。この子はフェン……んぐっ!?」
シーッ。
死神の大きな手が、シエラの口を塞いだ。
「ん、んん……お、おう…………できるのかのう。いや、ちょっと待っとれい」
老人は困ったように頭を掻きながら、厩舎へと姿を消した。
魔獣登録とはいえ、その生物によっては困難なものもある。馬や牛であれば先ほどの老人がぱぱっと済ませたのだろうが、ユニオンの人を呼びに行ったのだろう。
二人がフェンリルから降りて待機して、数分。
先ほどの老人と、ユニオンの腕章を光らせる人物が3人ほど現れた。
「……こ、これはまた」
「すごい魔獣だ……」
「突然変異種でしょうか。……すみません、しつけ具合を見させていただいていいですか?」
死神は頷いて返した。
しかし、実際に支持をするのはシエラだ。死神では反抗しかねない。それを伝えておいたシエラはいそいそと前にでて、フェンリルへと支持を送った。
「す、座ってください!」「ワンッ!」
「お腹を見せてください!」「ワンッ!」
「口を開いてください!」「ワンッ!」
「そのまま止まってください!」「アウ」
5メートルの大狼の口へと、少女が頭を入れる。
大牙に手を触れ、シエラが口内へと頭を入れた瞬間、小さな悲鳴がユニオンの者達から漏れていた。
「あ、ありがとうございます。それでは私達が……その、体長等を図るので……止まるように指示していただけますか……」
「はっ、はい! ごめんなさい……そのまま待っててくださいね」「ワウッ」
やがて動きを止めたフェンリルにびくびくと近づいていくユニオンの者達。
彼の写生、体長体重の測定、生物への反応。
フェンリルという巨大な生物故に様々なデータを取る必要があったのだろう。
道行く人々が足を止め、こちらを指さしながら噂し始めている姿もあった。
死神はシエラがさぞ萎縮しているだろうと思ったが、見てみるとそれ程ではない様子だ。
「シエラ、意外と平気そうだね」
「い、いえ緊張しています……でも、シエラだって皆さんが嫌いなわけではないので」
そう小さく笑っていた。
出会った時の彼女の警戒心や怯えた様子、そして街への恐怖心は、てっきり人間不信な状態にあるのだろうと死神は考えていた。
現に告白してくれた際もその心情を吐露していたはずだ。
となると、それだけの出来事が死神と出会う前にあったということ。
――裏切りか。いや、これも推察の域を出ないな。
死神は思案したが、今話すことではないとして押し黙ることにした。
「お待たせしました……こちらネームプレートです。……えー、街中を歩く際には……必ず着用してくださいね?」
「はい、ありがとうございます」
困ったようなユニオンの職員からネームプレートを受け取って、死神も笑った。
これで厩舎での用は終わり、ようやく街へと入る準備ができたことになる。
「しかし、名前かぁ」
ネームプレートをフェンリルの太い首に回してやりながら、死神は眉を潜める。
「そうだな……グレンツェンとかどうかな。輝くという意味で」「バウバウッ!」
どうやらダメらしい。
「……ケルベロス」「バウバウッ!」
「……セレーネ」「バウバウバウバウッ!」
「…………シュヴァる……」「バウバウバウッ!!」
いっそネームレスにでもしてやろうか、と死神は頬を引きつらせた。
怒り狂ったように拒否するフェンリルは、恐らく何をつけても拒否するのだろう。
「じゃあフェンリルさんなので、リルリルさんで」
「ワンッ!」
しかし、シエラの付けた名前には尾を振って喜んでいた。
これには死神も不満げだ。
実は、死神は夜な夜な名前を考えていたのである。アポカリプス、フォルクロリスティカ、トゥヴォレーニオ、グルザヴォーイ……かっこいい名前をと用意していた彼の計画はあえなく頓挫してしまった。
「…………わかったよ。行こうか、シエラ、リルリル」
「はい!」
「……グルルッ……」
死神は無言でフェンリルの首根っこを押さえ付けた。
「キャインッ! ……クゥーン……」
「お、お兄様!? リルリルさんがかわいそうですよ!」
「ぐぐぐぐ…………」
シエラに怒られては、死神も離してやるしかなかった。
フェンリルは子犬と猛犬の鳴き声で、スキとキライを使い分けてるようだ。死神への態度はダイキライに分類しているに違いない。
そのことからネームプレートから伸びた紐はシエラが持つことになった。
―― ―― ――
遙か上空、雲の上を駆け抜ける大翼の姿があった。
――黒い翼竜。
夜よりも暗い鱗は陽を反射し、鋭い目は迷わず目的地へと降り注いでいた。
そんな黒竜にも、いくつかの彩色が見える。
一つは、両刃剣のように鋭い銀の双角。
一つは、黒竜にとっては、文字どおり毛色の違う、白のたてがみ。
そして黒竜の背に乗った、炎髪の騎士。
「今行きます、魔王様……」
蒼穹を駆け抜ける、炎。
サイドテールの赤い髪が尾を引きながら、物凄い速度で移動していた。
「ああっ……魔王様……このような地で、ひとり艱難辛苦の日々を送っていられるのでしょうか……」
四魔将・第三席 ―― 【剣の頂に立つ女騎士・セシリア】
セシリアの腰には、豪奢な装飾の柄と、それを収める煌びやかな鞘が差してある。己を映す剣は、彼女の真摯さを宿していた。
「そんな魔王様を救い出す、ひとりの騎士……。主君のために命を捧げ……湖畔では永久に守り抜くと誓い……未来永劫、御側に…………ああっ……!」
真摯な騎士道の憧憬を抱いて、女騎士は己を抱く。恍惚と体を震わせて。
黒竜の背でも彼女は美しく、気高く、真っ直ぐと主君を思い――落ちた。
「ぴゃああああああああああああああ!?」
騎士の剣が折れてしまったように、落下する。
両手を話してしまえば、風に押し出されてしまうのは至極当然だ。
しかし、すぐに黒竜は急旋回する。
風を巻きながら、突風を引き起こすほどの無茶な旋回だったが、なんとかセシリアの落下先に先回りできたらしい。
『――ゥゥゥ』
背中に震えたセシリアを乗せてから、心配するように鳴いた黒竜。
そんな黒竜の背中を、呆けていた女騎士は我に帰るなりたたき出した。
「もう……! もう! スピードを出すと危ないじゃない! 落ちたかと思ったじゃない! うぅぅ……!」
『ゥ――……』
夜空を疾駆する、竜と女騎士。
絵画の1枚に収まりかねない構図でありながら、どこか締まらない二人だ。
駄々をこねた女騎士に、黒竜は困ったように鳴きつつ速度を落とすのであった。
魔王がいる水門都市アクアリウムへと――……




