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■第11話:ペットと学舎

「ぐすっ……、汚されてしまいました……」


 予備として用意された死神の黒衣を抱いて、シエラはさめざめと泣いていた。

 元は兄のものだが、シエラからすれば初めての衣服なだけに思い入れがあったようだ。


「アクアリウムで新しい服を買う理由になったじゃないか」

「うぅ」


 恨めしそうな涙目に、死神は悪戯っぽい笑みで返した。

そんなシエラを後ろに下げると、死神は手を離していたフェンリルへと向き合う。あれほど殺意を滲ませていた獣は何かを探るように二人を注視している。


「……さて、君がどうしてここを根城にしていたのかはわからない。少なくとも森の番人として、彼女の墓を守っていてくれたことには感謝してるよ」


 この森にオブシディアンウルフ以上の魔物が沸かないのは、間違いなくフェンリルがいた縄張りとしていからだ。

 死神は、そんな魔獣へと最期の選択を迫った。


「私達を見逃すか、それでも尚――邪魔をするのか」


 その瞬間、溢れんばかりの殺意の奔流がフェンリルへと向けられる。

 この世界において、フェンリルに対して抗える者はいない。空の猛者も、海の猛者も、地の猛者も、阻むものは何もかもを大牙で蹂躙する存在こそがフェンリルだ。


 しかし今、フェンリルの喉元に大牙を突き立てる存在が、悠然と歩を進めている。

 フェンリルに逡巡する暇はなかった。 

 

「クゥン……」


 あの巨狼がひれ伏す。

 【黄昏を駆け、終末を喰らう大牙】の姿はどこへいったのか、小動物のように鳴いてから裏返ってしまった。

 ――無防備な腹を見せるのは服従の証。それには死神も驚いていた。


「……えーっと……降参ってことかな?」

「クゥン、クゥン」


 さらには死神に近寄るなり、その頭を愛おしそうに押しつけ出す。死神としてはその豹変ぶりに裏があるのではないかと訝しげだ。

 しかし、愛くるしい姿を見て真っ先に心動かされたのは、シエラだった。


「か、かわいいですっ……!」


 慈愛に満ちた目で、シエラはそんな狼へと身を寄せた。警戒心を露わにしている際には硬質な黄昏色の体毛だが、今はふんわりとしているようだ。


 野生の獣は相当臭いし、色んなゴミが付着しているに違いない。だがフェンリルの尋常ならざる速度でゴミは吹き飛んでしまっているのだろうか。

 毛布の上に飛び込んだシエラは愛おしそうに頬を寄せて、死神から我が子を守るようにも見えた。


「ふわぁ……お、お兄様! この子を許してあげましょう!」

「……まぁ戦意がないなら、そのつもりだけれど」


 彼女にしては珍しい心からの懇願だった。

 やや狼狽えつつ肩をすくめた死神だったが、仮面の裏では密かに嫉妬していた。

 

 シエラがここまで年相応にはしゃぐ姿を見たことはあっただろうか。「やはりこの獣は切り捨てておくべきか」等と、本気と冗談が交錯していた。

しかし、死神は大人だ。ここは冷静に対応してあげなければいけない。


「ハッ……ハッ……ワンワン!」

「きゃっ……くすぐったいですよ、ふふふっ……」


 何がワンワンだ切り捨てるぞ犬コロ。

 兄のヨダレにまみれた抱擁を拒否したシエラも、フェンリルが舐めるなりキャッキャとはしゃいでいる。

 死神の嫉妬が炎となって噴火しそうだったが、それでも心を落ち着かせて、学舎へと進むことを選んだ。


「ふぅ、まぁちょっと学舎裏の墓を見てくるよ」

「あっ……待ってください。ごめんなさい狼さん、シエラも後を追います」


 この状況で、後を追いますという言い回しは実に不吉だ。

 しかし、後ろを着いてくる少女の姿に死神が小さく安堵しているのも事実であった。


 てくてくてく。

 もう一つの影がシエラの隣を歩くように着いてきている。


 よしよしよし。

 その体を愛おしげに撫で回していた。


「……もしかして、懐いた?」

「お兄様、この子は大人しくてかわいいですっ……! ほら、もふもふしてますよ! もふもふぅ~……」

「クゥンッ……」


 小動物のように甘えた鳴き声。

 シエラとフェンリルは互いに頬をすり寄せて、完全に懐いてしまっていた。


 しかし、驚くべきことではない。本来は懐くはずのない魔獣を飼い慣らすための職業があるからだ。

 その名は【魔獣使い(サモナー)】。己以上の力を手に入れ、自身は後方にて支援に徹することができる職業だ。


 それには文字どおり血の滲みかねない努力や、体系化されていない魔獣についてを知る必要がある。魔獣と会話できて初めて名乗れると言われるほどだ。

 サモナーとは、夢の溢れる職業にしては人口が少なく、その道は険しい。


 そしてフェンリルほど知能を持ち、かつデータの少ない魔獣を使役することはできるのだろうか。


「フェンリルさんはかわいいですね~」

「ワンッ」


 ――使役できそうだ。

 二人の様子を見ていて、死神は思わず苦笑してしまった。

 死神は踵を返すと、試しにフェンリルに向けて手を差し出してみる。


「フェンリル、ちょっと止まって」

「バウバウッ!」

「な、なんで私にだけはそんな怒るんだ! 私にお腹を見せたんじゃっ……!」

「バウバウバウバウッ!」

「……もういい、そこに座りなさい」


 うーうー唸りながらも、フェンリルは渋々腰を下ろした。


「シエラ、その子の背中に乗ってごらん」

「えっ!? い、いいんですか……?」

「うん、それで言うことを聞くようなら連れてってもいいかな……ってね」

「……!! は、はい!」


 花が咲いたような笑顔で、「本当に乗ってもいいのでしょうか?」とフェンリルへ困惑気味に問いかけては、いそいそと背中に手を掛けている。

フェンリルはフェンリルで名馬のように落ち着いた様子だ。

 そしてシエラが抱きついたのを見計らってから、死神が両手を叩いた。


「フェンリル、よし」

「バウッ!!」

「ふわぁぁぁぁぁぁぁ……」


 可愛らしい悲鳴が段々と昇っていく。どうやら成功らしい。

 四足で立ち上がったフェンリルの背では、シエラが感動に震えていた。この笑顔を見れただけでも、先ほどの態度は許してあげようと思えるほどに。


「荷車を引く魔獣としては、上等すぎるね」


 小さく鼻を鳴らしてから、フェンリルがその後を追ってくる、

 二人と一匹が向かったのは、およそ民家二軒を繋げたくらいの学舎だ。

 川のほとりから陸に上がってすぐにある学舎は、濁流にでも晒されたのか外装の木々はいくつか割れていて、今にも崩れ落ちてしまいそうである。堤防の残骸らしきものもあった。


 そして学舎の奥にも堤防が築かれていた。

 少し高い所にある、色とりどりの花に囲まれた小さな墓だ。それが一年に一度、死神の訪れる理由。

 死神はその墓石に寄り添うと、穏やかな語調で語りかけた。


「……今日は珍しい客を連れてきたんだ。妹――なんて言ったらバカにしたように笑っただろうね。……でもまぁ、君なら妹弟子だーって喜んだか」


 死神はその向こうにいるであろう彼女に手を伸ばすが、墓石に阻まれてしまう。

 いつもニコニコと笑うくせに、本のこととなれば真面目な彼女が今もなお笑っているようだ。


――ししょーはさー、難しい顔しすぎなんだよ!

――いやいや、司書っていうのは難しいんだ。それ相応の知識を学ぶ必要が……

――そういう難しいのはいいからししょーが教えてよ!


 死神は在りし日の思い出を浮かべて感傷に浸った。

 司書を目指す、なんて言って本当に叶えてしまった聡明かつ賑やかな子だ。当時は村人から司書という前例もなく、世間を賑わわせていた思い出がある。


 そんな彼女とシエラが出会えれば、きっと姉妹のように仲良くなれただろう。

 互いの姉妹が手を取って笑い合い、色々なことを経験していく世界。

 永遠に満たされない憧憬を抱いて、死神は立ち上がった。


「よし、行こうか」

「えっ……もういいんですか?」

「うん、いいんだ。……毎年毎年来てるせいか、彼女には『もうくるな』と怒られたところだよ」


 死神が困ったように笑うと、つられるようにシエラも微笑んだ。

 時間にすれば、数十秒。

 未練の糸を切り離した死神は「またね」と小さく告げて、踵を返した。


「お兄様、シエラも触れていいですか?」

「んっ……ああ、ぜひ」


 シエラが申し出たことに、死神は一瞬だけ驚いたような顔をした。

 墓石に建って、両膝を追ったシエラは祈るように両手を握った。面識がなくても、故人を追悼する優しさがその背からは伝わってくる。


「シエラは……この学舎に命を救われたんです」

「……そういえば言っていたね。ここに流れ着いたって」

「はい。……お姉さんのおかげでシエラは生きて、そしてお兄様にも会えました。だから、ありがとうございます」


 感謝の意を示す言葉に、死神の中にある憧憬が鮮明に浮かんだ。シエラを導いてくれた彼女の姿が夢うつつとなって。

 

「……くっくっく」

「えっ、え? も、もしかしてお兄さんでしたか?」

「いいや、お姉さんで合っているよ。くっくっく……」


 私からもありがとう。消え入るような声を風に流して、死神はフェンリルへと向き直った。

 ジッと探るような鋭い瞳が墓を注視している。


「さて、そろそろ行こうか。……この子の上に乗ってね」

「はい」


 墓に意識を取られていたお陰か、フェンリルは二人が背中に乗り込んでから気づいたらしい。

 シエラはともかくとして、死神には降りろと言わんばかりに首を捻っていたが、次第に諦めたようだ。


「目指すは水上都市アクアリウムだ。この子の足なら一日で済むかもね」

「お願いします、フェンリルさん」

「ワンッ――」


 馬なら3日、荷車つきで5日といった距離だが、フェンリルならば数時間でたどり着く足を持っているはずだ。

 何なら背に乗るご主人様を振り下ろせば、一瞬である。


 だが、フェンリルはそれをしなかった。

 控えめの速度で木々は避け、荒れ地をゆっくりと飛び越えていく姿を見ていれば、フェンリルがよっぽど賢いのだとわかる。


 しばしの心地よい旅を、二人は楽しむのであった。



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