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■第9話:街へ行こう

 死神は何かを言おうと口を開きかける。

 だが、それよりも早くシエラが言葉を続けた。


「お兄様、わたしは怖いんです」

「怖い?」

「ここより楽しい世界が、優しい世界が、ほんとうにあるんでしょうか……」


 淡々とした声でも、心の底から紡いだ言葉なのだとわかる。

 不安、不信、疑問、……。


「もう……傷つきたくないです。シエラはっ、シエラは……! ずっとずっと、お兄様とここで生きていきたいですっ!」


 徐々に大きくなる声が、最期には感情を爆発させたように荒らげる。そして下唇をきゅっと結び、焦点の定まらない目が死神を見つめようとしていた。

 

 魔王時代、彼女には色々なことがあったのだろう。それこそ少女の中では処理しきれない裏の出来事もあったに違いない。

 そんな彼女が、死に神の前ではようやく少女らしさを見せてくれている。接してみれば、性格は天真爛漫、明朗快活と髪の色のように純白の少女だ。


 だからこそ、だからこそ幸せになるべきだった。

 彼女の望んだ幸せはここかもしれない。しかし、それよりも更に、更に更に幸せになるべきだ。

 それを教えてあげるために死神は兄となったのだから。


「それは兄として嬉しい言葉だよ、シエラ……。でもね、ここにはいつだって戻ってくることはできるんだ。それなら――」

「お兄様、いえ、死神さん」


 スッ、と伸びたシエラの白い腕が言葉を途切れさせた。

 彼女にしてはめずらしく強い語調と呼び方だ。

 そのまま伸びた両手は死神の頬を捉え、振り向くことも、逃げることも許されない格好に変わる。


 黄昏を映した湖畔を背にして向き合う。

 シエラの微かに震えた薄紅色の唇からは告白でも紡がれそうな雰囲気だ。しかし、そこから紡がれたのは契約に似た何か。


「……シエラが死ぬまで、共に生きてください。もう……シエラには死神さんしかいないのです……」


 危うげな告白には、悲痛な叫びを孕んでいた。

 死神の脳裏にはハッキリとした不安が過ぎってしまう。このまま少女は自分しか知らぬまま、人の温もりを、世界の美しさを知らぬままに生きていいのだろうか。

 そんなことは兄として絶対に許容できない。


「シエラ、私達は魔王と死神ではなく……兄と妹になろうといったよね」

「……はい」


 互いの呼気が感じられる距離でシエラは頷いた。

 最初の時とは比べものにならないほど美しくなった彼女だが、まだまだ原石が磨かれたにすぎない。

 にやりと死神は笑った。


「妹はね、兄より幸せにならなくちゃいけないんだ」

「……ぇ?」


 この世界で誰よりも幸せに。

 彼女の後ろで結ばれた花を撫でて、死神は愛おしそうにそう囁く。

 

「……お兄様よりですか?」

「そう、妹というのは兄に迷惑を掛けて掛けて、時には喧嘩して、時には嫉妬させて、時には見惚れさせて、そうして離れていかなくちゃいけないんだ。これはね、逃れられない契約なのさ」


 コトン、と不思議そうに小首を傾げる。そんなシエラに言い聞かせるように、死神は続けた。


「兄にとって、そんな妹を見守り、育むことこそが幸せに繋がるんだよ。……つまりだ。シエラはもっとワガママになるべきなんだ!」

「ワガ、まま……?」


 キョトン、と目を丸める。


「シエラが困ったら、私はどんなことだって解決してあげるつもりなんだ。不安になったり、怖くなったり、逃げだしたくなったら、いつだって私の手を取れば良い」

「いつだって……」

「そう、いつだって兄を頼ればいい。私がいつでも助けてあげるから、……勇気を出してみないかい」


 そうシエラの手を取って、死神は膝を折った。同じ目線の高さから彼女の瞳に問いかけてみせる。

 困ったように眉をひそめて、忙しなく目が動いている。

その時、「ほら」と死神は笑いをこぼした。


「……ぇ?」

「今、困っているだろう? そういう時は……」


 パチクリと瞬きをしてから、シエラはハッとしたように差し出された手を見つめる。

 その意図を理解したらしい。彼女も強ばった表情を崩すと、観念したように柔和な笑みを浮かべた。


「……お兄様、どうか恐がりなシエラを支えてください」

「任せなさい、我が愛しの妹」


 あの時とは違う、両者が求め合った心からの誓い。

 顔を見合わせてから、照れを隠すように笑い合って、二人は両手を結んだ。


「家族の絆は、この世界で最も身近にありながら、ありふれた幸せを生み出し続けられる魔法のような存在なんだ」

「魔法……」

「私達も……そんな魔法の関係を築き上げよう。兄妹として」


 小さな手をキュッと握りしめて、死神は強く宣言した。

 それに応えるように小さな手で握り返し、シエラは微笑んだ。


「……はいっ! シエラを……ずっと見ていてくださいね。お兄様」



 


 ――……――……――……



 それから数日後、二人はエーデルウッドから旅立つことに決めた。

 去り際に、シエラはどこか寂しそうに湖面を覗いていた。


 エーデルウッドはやや南西に位置していて、死神達が目指すのは南東にある【水紋都市アクアリウム】だ。

 それには徒歩であれば、約7日を掛けての大移動となってしまう。


 それを聞いた時、シエラの脳裏に一つの疑問が過ぎった。

 深夜の内にエーデルウッドとアクアリウムを行き来していた、兄の存在。


 しかし、普通に考えれば近くの街か村で補給をしたに違いない。あのときはシエラをなだめてくれようと嘘を吐いたんだ。

 ――道中、シエラはそう自己解釈していた。


「シエラ、ちょっと寄りたいところがあるから遠回りしていいかな」

「はい」


 木々を掻き分け、死神は道を外れて進む。

 歩き続けてみると、微かな水音がするのをシエラは感じ取った。


 川だ。大きな橋でも架けないとわたれないほど大きな川。その流れに沿うように二人は南下していった。

 すると、その先に小さな一軒家のようなものが見えてきた。


(……あれっ、ここって……)


 シエラには見覚えがある。

 それも当然で、この川から流されたシエラが最初に行き着いた家なのだから。


「んっ、シエラは知ってたの?」

「は、はいっ……! ここの川に流されて、気づいたらあの家の前にいたんです!」


 へぇ、と死神は驚いたように口を丸めた。


「それなら、どうしてあの家に泊まっていなかったんだい?」

「……それが……すっごく大きくて怖い狼さんに……追い出されちゃいました」

「ああっ……それなら私も知っているな」


 同意する死神の言葉に、今度はシエラが驚いていた。

 そう、シエラは三日ほどあそこで体を休めていた。

 しかし、狼の住処……というよりは縄張りだったらしく追い出されてしまったのだ。今では命があるだけほっとしていた。


「はた迷惑なことに縄張りにされていてね。……毎年、ここには来ているんだけれどよく会うんだ」

「毎年、ですか?」

「うん。実はエーデルウッドに来たのも、ここの墓に用があったからなんだ」


 墓。その意味はシエラにも理解できる。

 急に黙ってしまったせいだろうか、慌てて死神は取り繕おうとしていた。


「ああ、そんな気にしないで。もう…………ゃく十年も前だから」


 ――……? 

 消え入りそうな声が、微かに210年も前と紡いだような気がした。シエラが小首を傾げながら、声を絞りだそうとする。


だがその時、死神は弾かれたように周囲を見回した。


 ……―――――ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!


 突如として、森の警鐘が鳴り響く。

 ざわめく木々から飛び出す小鳥と、周囲から駆け出す小動物達が、その警鐘を受けて逃げ出すように慌てている。


 尾を引くような長い遠吠えはオブシディアンウルフ似ているが、確実に違うのだという確信がある。

 慟哭、絶叫、咆哮。ありとあらゆる負を孕んだかのような叫び――


「シエラ、武器を構えて」

「は、はい、お兄様!」


 ――兄がここまで張り詰めた表情をしたことはあっただろうか?

 ウルフの大群を前にしても、ひょうひょうと笑っていたはずだ。


 それほど警戒に値する何かが向かっているに違いない。

 シエラは短剣を抜き放ち、ゴクリと息を呑んだ。



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