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■第0話 死神さんと魔王の出会い

初投稿になります。

よろしければお付き合い頂けると幸いです。

 夏の夜空が広がっていた。

 澄んでいるようで、どこか湿っぽい南地方の空気。

 月明かりしか届かない森では、沼の底のような深い闇が広げている。そして樹木の隙間から差す月光は、森を彷徨っていた一人の亡霊を導くようにも見えた。


「――師匠へ、ますますご壮健のこと……あいかわらず堅苦しい。……国立図書館の司書長・補佐に拝命されまして……――おおっ」


 そう呟いたのは、森の暗さに溶け込む亡霊。

 彼は上から下まで黒い姿をしていた。

 額を隠す髪から、目鼻立ちを覆う仮面、そこから覗く黒曜石のような瞳、そして体を覆う衣服までもが黒一色だ。

 無骨な黒仮面を撫でながら、亡霊は楽しそうに笑っている。


「懐かしい……あわてんぼうの彼女が司書と聞いた時は驚いたな。……くっくっく」


 ししょー、ししょーなんて鼻水を垂らしながら追ってきた彼女を思い出して、死神は笑う。

 手に持った羊皮紙は端のほうがボロボロで、その筆跡は滲んでいるようだ。

 それを懐かしそうに見ていた死神だが、ふと何かを思い出したように眉をひそめた。


「そういえば……彼女が司書になった国は一年前に争いがあったのだったかな」

 

 そう、一年前。

 仮面の男は不精髭が生えているわけではないのだが、その顎をジョリジョリと撫でながら思い出していた。

 



 ――四大魔王の一角である『賢帝魔王』が、勇者に討たれた。


 この知らせが東地方の王国に喜びをもたらし、西大陸の魔族からは嘆きが響き渡ったという。

 彼らは長い歴史の中で幾度となく争っていた。

 過去に勇者が魔王を倒したのは20代続く中でわずか5回。最後に勝利したのは10代も前である。


 人類の代表である『勇者』は、あらゆる武を極め、特殊な技術(スキル)を極限まで高めた男。人々は彼を『英雄』とも呼び、『人類の極致』とも称した。


 対する四大魔王の一角は、御年200にもなる『賢帝魔王』。その老骨にあらゆる知識を内包し、卓越した知略と慧眼を有していたという。四大魔王最強と謳われた彼の敗北に、魔族達の動揺は大きかったのだろう。


 そんな勇者と魔王における代理戦争の狙いは、中央の豊富な資源を巡る争いだ。

 物的資源やら、魔の元素が豊富だとか、良質な環境だとか多くの理由がある。


 そして空席となった魔族の中では、魔王の跡継ぎが急がれた。

 やがて即位したのは、唯一、賢帝魔王の血を引いた齢10歳の少女。

 しかし、力も、知識も、何もかもがない幼き魔王には何も出来なかったのは必然か。

 数年後、他の魔王と協力しての中央奪還は、勇者とその仲間によって潰えたのである。



 ――それもこれも森を彷徨う亡霊には関係のない御話。


 黒衣を翻して、男は森の中へと歩を進めた。

 教え子の数少ない遺品である手紙を懐に入れて、240年前に彼女と出会った森の湖畔へと。

 この思い出の手紙を、240年間の内に何度読んだのだろうか。男も、もう覚えていない。

 


――……――……――……

 ――……――……

 ――……




 

 深い森の中をもう一人の亡霊が歩いていた。

 樹木を支えにふらふら、よろよろ、と片足を引きずりながら歩く影。月明かりも届かない、闇の中へと同化するように進んでいる。


 見るからにみすぼらしい少女は、一年前に【魔王】と呼ばれていた少女だった。


「――……、ぅ」


 その見た目は、目を瞑りたくなるほどに悲惨だ。


 油気を失った銀色の髪はバサバサで、頭から腰まで裂けた糸のように乱れきっていた。彼女を装飾していたであろう白いドレスもひどい様で、そこから覗いた切り傷やアザは幼い少女に相応しくない色をしている。

 荒れた地を開拓する両足には纏うものがなく、奇妙な腫れ方もしているようだ。


「っ…………」

 

 ふらふら。

      くらくら。

 ふらふら。


 今にも倒れそうな少女自身、どこを目指しているのかわかっていなかった。

 原動力となる肉はそぎ落としたようで、骨の浮き出た体躯からは満足に食事も摂れていないことがわかる。

 深紅の瞳を泥のように濁らせて、それでも前に進もうという意志だけが彼女を支えているようだ。


「――ぁ」


 小枝につまづいて、転ぶ。

 石ころや枝の上にふわっと土埃を上げて、羽のように少女が倒れ込んだ。


「――」


 少女はもう限界だった。

 命からがら生き延びて1年は経っただろうか。時を告げるような鐘も届かない場所で、時間の感覚すらわからなくなっていた。


 少女――魔王は無力すぎた。

 先王――父のような強大な力も、賢しい知略も、希有な特殊技術スキルもない。それも年端のいかぬ10歳で継いでしまったのだから。


【むりょくで、ごめんなさい……】


 渇いた喉からは、もう声が出ない。

 事切れたように横たわりながら少女は虚空を見ていた。暗闇のベールがかかる濃い緑も、その先にあるレモンのような色の月も、少女の目には映らない。

 色のなくなった白黒の世界が、今にも崩れ落ちそうだ。


【にいさまやおとうさまも、こんなふうに……】


 意識がハッキリしなくなってきているのに、思い出すのは愛に満ちた会話でもなく、別室で過ごしていた家族らのこと。

 晩餐や、日々の会話を家族で楽しむものだと知ったのは8歳の頃になる。本を片手に家族を求めた少女の問いに、先代魔王の答えは厳しいものだった。


 ――『魔王の名を継ぐ一族は、家族であり、家族ではない』


 最後までその言葉を理解できなかった。

 後に魔王となった少女だが、ただの傀儡だったとしかいえない。上にいるだけの傀儡となって、動かされ、騙され、あげくは勇者に倒されたまでが少女の人生だ。


【なんのために生きてきたんだろう……】


 そこに生があり、生きなければいけないと本能が叫んでいたからだろうか。

 そうして命からがら逃げ延びたものの、どうやって生きていけばいいのだろう。


 魔物はこわい。

 寝るところはない。

 水はお腹をいためる。

 草花もお腹をこわす。

 足はいたい。

 傷も治らない。

 力もはいらない。

 眠れない眠れない、お腹が空くお腹が空く、乾く乾く、痛い痛い、辛い……――


 そう考えていく内に、体は生きる力を失ってしまう。

 もう動けない。

 どうすればいい。

 もう、どうしようもない。生きていても苦しいだけだ。


【しに、たい】


 体力も、そして心も限界だった。

 もう涙一つ流せないほどに乾ききってしまっている。

 

 樹木から走る根の傍には、ぼやけた小動物が3匹見えた。毛繕いする母と二人の子が、少女の朱い瞳の中で楽しげに踊っているようだ。


 森の静寂と小動物の家族が、威圧するようにのし掛かる。

 温もりが、優しさが欲しかった。書物で見た家族のように、小さな明かりの下で食卓を囲み、他愛のない会話をしたかっただけ。

 しかし、それが叶うことはない。もう誰もいないのだから。

 

【もう、……】


 心が折れた瞬間だった。

 孤独と絶望から逃げ出すように、光彩を失った瞳が空を仰ぐ。


 暗くなっていく。少女の視界はゆっくりと暗くなっていく。


 世界はこんなに灰を被ったように仄暗かっただろうか。

 灰色と白色と黒色の世界で、少女はゆっくりと瞼を落とした。


 せめて優しく甘い死を。

 絶望が滲み出すように、少女の視界をやがて黒く染めた――……

 





 しかし、苦しい世界へと呼び戻す声が現れた。


「こんにちは、お嬢さん。こんな森の中、パパとママはどうしたんだい?」


「――……?」


 少女のゆっくりと動いた視線の先には、仮面を着けた全裸・・の男が微笑んでいる。大柄ではないが、堅く締まった筋肉的な肢体には艶があるようだ。


 見るからに怪しい男。

 レモン色の月を背にして、口角を吊り上げた全裸の男はさも心配そうに問いかけようとしている。


「迷子かい? それはいけない。どうだい、"死神"さんに相談してみないか」


 男は【死神】と名乗った。その怪しさを増幅させる名だ。

 けれど、死神はその名の意味とは裏腹に柔らかな声色で、諭すように少女へ問いかけていた。


 その問いへと答えは返ってこない。

 喋れないのもあるし、なによりも少女は疲れていた。

 森が静寂を佇むように、二人の間にも沈黙が訪れてから少ししてから、死神はどこか寂しそうに呟いた。


「……死にたそうな目だ」


 それは少女の心を読み取るかのような発言だった。

 少女の赤い双眸が微かに光を宿して、頷くように揺れた。


「そうか、私が死神と呼ばれているから……君に導かれたのかもしれないね」


 懇願を込めた深紅の瞳が、黒曜石を埋めたような死神の瞳と交錯する。確認するように数秒間見つめ合う。


 それでも殺してほしい。もうこの地獄の世界から解放してほしい。それが少女の願いだ。

 仮面の男――死神も答えるように頷いた。だが、同時に肩をすくめてみせる。


「……けれど死神も、食べ物の好き嫌いがあるように選り好みをしてしまうんだ。できることなら輝かしい魂を喰らいたいものでね。だから――」


 そう言うなり死神は、少女の肩を抱いて持ち上げた。

 突然の浮遊感。そして、死神のごつごつとした手と温もりが、少女の薄い皮と骨を通して広がっていく。

 驚きはしなかった。しかし、その温もりを最後に感じたのはいつだろうか。まるで生まれてから一度もなかったかのように思い出せない。

 

 でも暖かい。

 ただひたすら孤独に歩き続けた少女には、陽光よりも暖かい何かだった。


「まずはご飯にしようか。一番の薬は食事だからね」


 未だに呆然としている少女を抱きながら、死神の男は笑う。

 同時に、抱きかかえられた少女の乾いた唇に何かが触れる感触。


「ここらへんだとお腹に優しいものとかないから、とりあえずこれ飲めるかな」


 少女の口元に添えられたのは金属製の水筒だ。乳白色の中に黄色が混ざったような液体がなみなみと入っている。


 視界が灰色に染まる少女には、その色はわからない。

 しかし、そこから漂う香りからは鼻孔をくすぐる強い酸味を感じとった。強烈かつ鮮烈な柑橘系の香りだ。

 

 何十年ぶりとも感じられる食事の匂い。

 少女の注目を引くには十分だったらしい。朱い瞳がぱちりと目を見開くと、水筒の口を吸うように少女は息を切らした。


「っ……ぅ……!」

「落ち着いて、ゆっくり」


 微かに力の戻った少女の口元へと、死神が水筒を傾けてやる。

 中身は、柑橘の果実とヤギの乳、そして薬草を混ぜたジュースだ。

 柔らかな甘さとコクに、柑橘の甘さと爽やかさが加わっていて呑みやすくなっている一般的な飲み物の一つ。


「……しまった。いきなりヤギ乳はお腹を壊してしまうかな」


 しかし、少女にとっては一年ぶりになるまともな食事だ。

 草花や木の実を食べては調子を崩し、飲み水にすら神経を使っていた少女にとってようやく安心できる食事には違いない。

 少女は懇願するように、そして死神の静止を聞こうともせずに貪った。


「せめてゆっくり……って」


 舌の上で踊る甘味と酸味、そして喉を潤わす液体に少女はのめり込んでいる。

 しかし、久しぶりの食事に体は悲鳴を上げてしまうのは必然だ。


「うっ……え、ゲホッ……ゲホッ……んくっ、は……」

「っ!? 吐きながら飲まないで、落ち着いて!」


 柑橘系の酸味もあってか少女は半ば吐き出すように咳き込んだ。

 それでも飲み続けようと喉だけは揺らし、口の端からこぼしながらも必死に飲み込もうとしている。嗚咽混じりの声まで漏らしてまで。


「うぐっ……げっ、ぁ……」

「そんな一気に……!」


 それでも飲んでは咳き込むのを繰り返して、少女はそれを貪っていた。

 死神はジュースをぶっかけられながらも口元に笑みを浮かべている。怒るわけでもなく、元気を取り戻した彼女に安堵しているように見えた。


「――……っぅ、……しぃ」

「うん?」

「ぅ、ぇ……おいし、い……っ」

「そうか、それは良かった。死神をも唸らす特製の聖水だ。よーく体に効くよ」


 涙を流そうとして流せないのか、少女は男の腕を握りしめながら震えていた。

 触れれば壊れてしまいそうな、ガラス細工のような痩身。肌は青白く、土に薄汚れ、紫色に変色した切り傷に歪んだ足がこれまでの凄惨さを物語っている。


「君の名前は?」

「……しえら、……です」

「シエラ、いい名前だ。私は……死神とか仮面とか色々呼ばれてはいるんだけれど」


 その時、少女の視界に初めて色が浮かんだ。

 灰色の世界が割れたガラスのように崩れ落ちて、真っ黒な男が際立つ。月光を背負う死神は、肌をのぞけば上から下まで黒い男というのを、少女は今初めて知った。

 色彩ある世界で、死神は仮面を叩く。コンコンと音を鳴らしながら笑った。


「お兄さん、なんて呼んでくれると嬉しいな。こう見えて仮面の奥は若いんだ」



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