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闇夜の追走

タグに学園ものとつけたことを最近になって思い出しました。そろそろ学校が出てきますよ。

 

 光一は誰かに肩をゆすられている感覚で目覚めた。目を開けると、ルネの慇懃な顔が正面にあった。


「東様。お休みのところ申し訳ございませんが、お嬢様がお呼びです。広間へ向かって頂けますか」


 ルネはそれ以上のことは告げずにただ光一が起き上がるのを待った。空いていた部屋のベッドに寝かされていた光一は、身体を起こそうとして喉に痛みがあることに気付いた。首に手を当てると、ズキリと刺すような痛みがする。毛むくじゃらで筋張った、大きな手を思い出す。その手に首を絞められていたのだ。


 屋敷内にはあちらこちらに先ほどの襲撃の跡が残っていた。柱はひび割れ、壁に掛けてあったタペストリーは粉々になっている。光一はそれらの傷跡を痛ましく思いながら屋敷内を歩き、エリーゼの待つ広間へと向かった。


「エリーゼ、来たよ。僕に何か用があるって聞いたけど?」


 彼女は簡易的に設置された丸テーブルに座り、優雅にティーカップに口づけをしていた。


「まずはその椅子に座りなさい」


 光一が促されるままエリーゼの対面に腰を下ろすと、彼女はじっと光一の方を見た。

 何かを探るような視線。光一の頭のてっぺんからつま先―-今は丸テーブルに隠れて見えないはずだが――まで検分しているようだった。

 

 エリーゼの目が光一の首筋に留まる。数時間前、セザール・クールセルと名乗る大男に首を絞められた跡が紫色の痣となり残っている。


「光一、あなた意識ははっきりしているかしら?」


「寝ぼけてはいないと思うよ。これでも寝起きはいい方だ」


「そう。じゃあ、首の傷はまだ痛む?」


 少し気遣うような口調になったエリーゼに、光一は苦笑いで応じる。


「正直、けっこう痛いよ。じっとしていれば問題ないんだけど、何かの拍子に首を捻ったりすると一瞬固まっちゃうくらいにね」


 じゃあ、とエリーゼは問う。


「わたしのお願いを聞いてくれるかしら?」


「僕にできることならね」


「さっきの襲撃でこのお屋敷から大切なものが盗まれたの。それを取り戻してちょうだい」


 光一の目が丸くなる。


「今から?」


「そう、今からよ。できれば今夜中にやり遂げてほしいところね」


 光一は彼女の身勝手には多少は慣れたつもりでいたが、こんな無理難題を押し付けられるとは想像もしていなかった。


「おねがい、できないかしら」

 

 光一がエリーゼの顔を見ると、彼女は憂いに満ちた瞳――あの、高貴なブルーの瞳で見つめ返してきた。

 よく見ると、下睫にはうるみ、涙を湛えていることがわかった。

 

 光一は自ら紳士であることを標榜しており、特に美しい女性の涙に弱かった。本国で過ごしていた時でも、母や妹に何かを懇願されて断れたためしは一度もなかった。


「いいよ、わかった、君の頼みを聞こう」


「本当? 嬉しいわ、光一!」


 パッと花が咲いたように大きな笑みを顔に浮かべて両手を胸の前で合わせる彼女の姿には、光一の自尊心を大いにくすぐるものがあった。

 そのため、エリーゼが(男って単純ね)という風に口の端を釣り上げて笑ったことにも、気づかないふりをしていた。


「ただ……」


「ただ? 何かしら、光一」


 エリーゼの顔にわずかな懸念が表れた。


「ただ、君も知ってのとおり、僕は手負いの身だ。一人で任務を遂行するにはいささかの困難が伴うということは承知しておいてほしい」


「なんだ、そんなこと。わかったわ。もちろん、こちらでできる限りの支援はさせてもらうわ。武器は倉庫にあるものをいくつ持って行ってもかまわないし。足りないものがあれば言ってちょうだい。今すぐに揃えられるものなら調達してくるよう手配するわ。あ、それとね」


 エリーゼがたった今、思い出したというように手を叩く。


「このミッションをあなたへの最終試練とするわ。このお屋敷に客としてとどまる資格の有無は、あなたが無事に大切な文書を取り戻してこれるかどうかにかかっているの。この試練に無事に潜り抜ければ、あなたは晴れて、私と対等のお客様ということになるわ」


 エリーゼが大きくうなずく。両手をしっかりと組んで、口元は満足そうな三日月を描いている。


「この任務、君にも一緒に来てほしい」


「もちろんよ。任せて……え?」


 今度はエリーゼが目を丸くする番であった。上品にも口に手を当てている。


「あなた、聞いていなかったの? これはあなたへの試練であって、わたしはその……」


「でも、君は言ったじゃないか。どんな助力も惜しまないって」


「言ったわ。けれど、それは物質的に足りないものがあればという意味であって、言葉通りの何でもというわけではないわ。私自身が一緒に行かなくてもいいじゃない。必要なら、屋敷の使用人をつけるわ」


「いいや。さっきの襲撃で、この屋敷にいる使用人の中で戦うことのできたものは皆、負傷している。僕が欲しているのは戦力だ。それには君が来るのが理にかなっている」


 エリーゼはしばし考え込むと、言った。


「ルネをつけましょう。それで文句はないわね?」


「だめだ。ルネさんでは力不足だ。僕より格上のマリナさんですら敵わなかったような奴が敵の中にいるんだ。どうしても君の力が必要なんだ」


 人の頼みを断れないという点では、エリーゼも光一と同じであった。普段は人を使って自分は楽をしたりするが、肝心なところでは義を貫く。弱いものを見捨てず、自らを頼る者には手を差し伸べずにはいられない。まぎれもなく貴族の血を引く彼女は、正面切って頼み込まれると、どうしても首を縦に振らざるを得ないのであった。


「しかたないわね。いいわ、手伝ってあげる。あなたと一緒に夜の散歩と洒落込みましょう」



 エリーゼは支度をすると言って自分の部屋に戻った。光一の方は、現時点で身に着けているもののほかに必要なものも思いつかないので、玄関を入ってすぐのところにあるエントランスで待つことにした。


 数刻して、エリーゼが姿を見せる。先ほどのドレスから着替えたようで、ベージュ色のワンピースを身に着けていた。



 玄関を通り、庭に出る。夜の風は温かく、月は頭上高くから地上を照らしていた。

 随分と軽装だね、と光一が問うと、エリーゼは「このくらいでいいのよ。お外、暑いから」と答えた。


 屋敷の門を出たあたりで光一はエリーゼに訊いた。


「敵がどの方向に逃げたかわかっているの?」


「問題ないわ。前にも教えたと思うけれど、この辺り一帯はダロガンス家の持ち物ですから。許可を得ずに足を踏み入れれば、すぐにわかるわ」


「じゃあ、どうして今回の襲撃を察知できなかったの?」


「……」

 

 エリーゼは黙り込んでしまった。手を顎に当てて思考に没頭しているようである。眉を寄せて悩ましげな表情を浮かべる。


「わからないわ、まったく。どうしたものかしらね。あんな大勢でやってきて、張り巡らされた魔法の糸のすべてを避けるなんてことできるはずもないし……。感知魔法を持った魔法使いがあちら側にいた? いや、けどそれもありえない。だって、うちの魔法は高レベルに不可視化されているし、それを見破るなんて芸当はフォーク家の人間にしかできないはず。けれどあの家の現当主は魔法弱識者だったはず。というより、よくあんなのが家を継げたものだわ……」


 放っておくといつまでも考え込んでしまいそうな様子だったので、光一は適当なところで声をかけた。


「それはともかくとして、今現在、敵はどのあたりに居るんだい?」


 エリーゼは額に指を当てて目を閉じる。

 数秒後、再び目を開いて簡潔に答える。


「ここから南東に数キロ先にいるわ。人数は10人いるかどうかというところ」


「意外と近くにいるね。じゃあどうしようか、今から全力で走れば10分くらいで追いつけそうだけど」


「変ね」


 エリーゼが首をかしげる。腑に落ちないことがある、といった様子だ。


「何が変なの?」


 光一が問うと、彼女は額に手を当てて、目を閉じ、再び開いた。


「敵に動きが見られないの。つまり、止まっているってことだけど……」


 エリーゼが魔法の力を用いて見て取った敵は、先ほどから同じ位置に留まっていた。


「どうして奴らは逃げないのかしら。目的の文書を手に入れたのだから、できるだけ早く現場から遠ざかるのが普通なのに」


 光一は楽観的な考えを述べてみた。


「奴ら、もしかしたら仲間割れでもしているのかも。寄せ集めの傭兵集団なんかだとありそうな話だよ。目的のブツを手に入れて、そのあとで宝の取り分に文句をいう奴が出てくるんだ。俺の分け前が少ない、もっとよこせってね。そうするとほかの奴らは自分の取り分が減るのは嫌だから、最初に文句を言った奴に反発するんだ、当然ね。そうやってグループを挙げての大乱闘が始まるのさ」


 しかし、エリーゼは光一の楽観論には取り合わず、より危機的な考えを深めていった。


「もしかしたら、そこで私たちを待ち伏せしているのかも。まったくありえない話ではないわ。こちらから追手が放たれることはわかっていただろうし、ここでこちらの残存戦力を潰しておくというのは戦略的に見ても間違いだとは言い切れない。でもそれには、向こうに大きな戦力が控えていることが前提になってくる。セザール・クールセルという男のことも気になるわ」


 光一はエリーゼの口から出てきた言葉に反応した。


「セザール? 誰のことだい」


「ああ、あなたは寝ていたから聞いていなかったのね。あなたの首を絞めていた男の名前よ」


「あいつか……」


 光一の脳裏によぎったのは、あの大きな毛むくじゃらの手だった。あの手が、光一の喉を捉えて、万力のような力で押し潰そうとしたのだ。


 エリーゼは息を吐き出した。


「もう、悩んでいても仕方ないわね。さっさと行きましょう。危険を冒さないことには、何も為し得ない」


「虎穴に入らずんば虎児を得ず、だね。僕も同感だ。今、敵と遭遇しなくても、いずれは会いまみえて戦わないといけないんだから。それが早いか遅いかの違いでしかないね」


「虎……? 何でそんなところに入るのかしら。私はごめんだわ」


 ともあれ、二人はこの場で決着をつけることにした。小細工を弄すことはせずに、敵に奇襲を仕掛けるというきわめてシンプルな方法をとって、その後のことは運任せである。光一とエリーゼは、ともに考えるよりも先に身体が動いているという気質の持ち主であった。


 どちらがさきであったのか。二人は合図もなしに、数千メートル徒競走を始めたのであった。



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