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外出許可

週一更新を目標にしています。がんばるぞ。


 翌日の朝になると、昨日の陽気が嘘のように大雨が降り出した。今の時期に雨が降るのはこの地方では珍しいことだという。


 光一は朝食をとるために屋敷の食堂に向かって歩いていた。時刻は4時を少し回ったところであり、屋敷内ではようやく使用人が起き出すような時間帯である。

 実のところ、光一は昨晩の襲撃によって神経が高ぶってうまく寝つけるか不安であった。しかし昼間に大立ち回りを演じたこともあり、治療を受けたとはいえ傷ついた身体が睡眠を欲していたようで、光一はベッドに入るのとほぼ同時に寝入ってしまった。

 


 昨夜のことが思い起こされる。あの少女、クレアは去り際に光一のズボンのポケットにあるものを入れた。それは後で確認したところ、小さな封筒であった。中に入っているのはこれまた小さな便箋であり、短く『明日の夕暮れに学園の見える丘にて待つ』とだけ書かれていた。

 

光一は寝起きの頭を覚醒させるため眠気覚ましのコーヒーでも飲もうと思い、食堂に入ったが中は薄暗く、照明のスイッチを探して歩くうちに部屋の中央まで来た。ようやくスイッチを探り当て部屋に明かりを灯したところで彼は人影に気付いた。


「こんな時間に何をしているの、エリーゼ」


 幅広の食卓にコーヒーカップを置いてその前の席についていたのはこの屋敷の女主人たるエリーゼ・ダロガンスその人であった。


 彼女はゆっくりと光一の方を見る。彼女の顔は相変わらず西洋の人形のように美しく整っていたが、その表情には覇気がなく、目の下には隈ができていた。


「あら光一。もう起きたの? ずいぶん早いじゃない。まだ夜中よ」


「いや、もう朝だよ。雨が降っているから太陽は雲に隠れているけど。それより、君はもしかして昨日から一睡もしていないのかい?」


 エリーゼが光一の方に視線を向ける。半分ほど閉じかけた瞳や、への字になった口で何か文句でもあるのかと問いたそうな表情を作っている。  


「寝られるわけないでしょう。昨晩あの女の襲撃があったばかりだというのに、屋敷の人間がみんな寝てしまうわけにはいかないわ」


「それでも、君だけが起きている必要はないんじゃないか? ルネさんやマリナさんだっているじゃないか」


「うるさいわね。私にはこの屋敷の主人としていろいろと考えなくちゃならないことがあるのよ」


 エリーゼはとげのある言い方をした。この件については居候である自分が口を出す問題ではないと言っているのだろうかと光一は思った。

 しかたがないのでこの話題は切り上げ、光一は本日の予定を話すことにした。


「今日は外に出ようと思う。僕一人でね。気になることがあって、どうしても早いうちに済ませておきたいんだ」


 軽い調子で言ったが実のところ、光一は何としても外出するつもりであった。クレアにはまだいろいろと訊きたいことがあった。


「無理よ。あなた、昨日大けがをしたばかりじゃない。数日間は安静にしていなさい」


 エリーゼはそう言うと光一の肩に触れる。小さな手で首の方から肩を通って腕のあたりまで撫でるようにする。


「あなたが受けた傷には呪いの魔法がかかっていたわ。その方面に詳しい者に調べさせたんだけどね。見た目だけなら傷は完治しているようだわ。けれども、それは治癒の魔法で外傷だけふさいでいる状態なの。普通に生活する分には問題ないわ。でも昨日みたいな戦闘行為はしばらく無理ね。その傷はちょっとした衝撃で再び開いてしまう類のものだから。昨日の段階では激しい運動をさせなければ大丈夫かなと思ったけれど、あの女がまた襲撃してきたことで考えを改めたわ。少なくとも学校が始まるまでの間は絶対安静ね。あなたの肩が内側まで治りきるにはまだ数日から一週間ほどの時間を要するはずよ」


 彼女は頑なにそう主張して譲らない。このままでは問答無用でベッドに逆戻りさせられそうだと考えた光一は、一つの提案をすることにした。


「じゃあさ、僕がもう存分に動けるってことを証明できればいいんだよね。いいよ。本当に僕が全快しているってことを君の目に見せてあげるよ」


 光一は中庭を指差す。


「ルネさんを呼んでくれ。彼ともう一度手合わせしたい」


 エリーゼは呆れた顔をして光一から目をそらした。


「馬鹿につける薬はないのかしら」



 雨が降っているため庭ではなく室内で模擬戦が行われることになった。地下の多目的スペースがその場所に選ばれた。

 光一の目の前にいるのはルネではなくマリナであった。

 マリナは軽く礼をすると言った。


「ルネは本日は別の用事を言いつけられているため、私が東様のお相手を務めさせていただきます」


「それでも構いません。僕がすでに完治していることを示せればよいのですから」


 エリーゼは腕を組んで壁にもたれかかっている。その眼はどことなく胡乱な色を帯びていた。


「じゃあ、これよりあなたの言い分が真実かどうか確かめるための模擬戦闘訓練を行ってもらうわ。ルールは簡単、相手を行動不能にするか降参させるか……と言いたいところだけれど、ここは少し変更して、先に相手に一本入れたほうが勝ち、ということにしましょうか」


 エリーゼは光一の方を見やると言った。


「あなたは重傷を負っているのだから、そんなに激しい動きはとれないでしょう。まあ、十中八九マリナの魔法に対処することができずに敗北することになるでしょうね。それに彼女は戦技一級持ちだから。あなたが万全の状態でやったとしても敵う相手ではないでしょうね」


 エリーゼは自慢げに言った。

 光一には初耳であった。彼女は光一の持つ戦技準一級の上位資格取得者だったのだ。もしエリーゼが本当のことを言っているのであれば、光一は自分より一段格上の相手に挑んでいることになる。


 おまけにマリナは魔法が使えるのだ。


 マリナ・ジュベールはダロガンス家の使用人であるとともに、有事の際には部下を引き連れて屋敷の防衛にあたる騎士の叙階を受ける者であった。かつて名のある大戦に弱冠十四ながら参戦し、武勲を挙げたというその実力はダロガンス家のなかでも随一と称される程であった。


「どうするのかしら、光一? 今のうちに降参するのが賢明というものよ。さっさとベッドにお戻りなさいな。そうしたら特別にこの私が様子を見に行ってあげるわ。一日に一回くらいね」


「それはできない相談だよ。だって僕にはベッドで寝ているわけにはいかない事情ができたから。そのために多少は君を驚かすことになったとしても言い分を聞いてもらうよ」


「勝手にするといいわ。マリナに一本入れることができたらね」


 エリーゼに応えるようにマリナは主にお辞儀する。


「お嬢様のご期待に沿えるよう最善を尽くします」


 光一とマリナは視線を交差させた。どちらも相手に譲る気持ちはさらさらないといった面持ちである。


 エリーゼは片手を頭上まで持ってくると、緩慢な動作で振り下ろした。


「始めてちょうだい」


 その言葉を合図に、光一は駆けだす。低い姿勢で地面を踏み一気にマリナの懐まで飛び込むと、強烈な回し蹴りを放つ。

 マリナはこれを完全に見切り、上体を僅かに後ろに逸らすことで難なく避けた。

 上体を逸らした勢いで彼女は素早い蹴りを繰り出し、光一の顔面を狙う。


「ふっ」


 これを避けることが不可能だと判断した光一は両手を重ねて蹴りを受け止めようとした。


 しかし――。


 低くて鈍い音と共に光一の身体が浮き上がる。蹴りのダメージを殺しきれなかった彼はそのまま天井近くまで吹き飛ばされ、床に落下した。

 とっさに受け身をとれただけマシであっただろう。

 続くマリナの踵落としを後方に飛びずさることで何とかかわして光一は体勢を立て直す。


 光一は自分の両手を確認する。骨に問題はないが蹴りの衝撃が凄まじかったため、ひどく痺れていて今しばらくは使えそうになかった。


 マリナは片手を軽く上げると、そのまま横に振り下ろした。唇が微かに動いて言葉を紡いだ。光一には聞き取れなかったが、どこか聞き覚えのある響きだった。

 光一の周囲の床から水がにじみ出る。その水はみるみるうちにその量を増やし、あっという間に周囲を水浸しにしていった。しかし不思議なことに、どれだけの水が湧いてもそのすべてが光一の周囲にとどまり、決して一定以上は広がらなかった。


「では、東様。ご容赦ください」


 マリナが目礼すると同時に、急に水かさが増す。そして今まで光一の周囲に溜まって小さな池のようになっていた水が奔流となって光一に襲い掛かってきた。


 完全な不意打ちで、光一は一瞬だけ反応が遅れた。しかしそのわずかな時間が彼にとって命とりであった。

 足元から発射された水流はまるで意志を持ったかのように紛うことなく光一の急所のひとつ――股間を狙っていた。


「うわあああ!」


 部屋中に光一の沈痛な叫び声が響く。突然急所を殴打されたような衝撃を股間に受けた彼は、男性としての尊厳を踏みにじられて無様にも床に崩れ落ちた。

 エリーゼは僅かに憐れむような視線を光一に向けながらも宣言した。


「勝負あったわね。この模擬戦の勝者はマリナ。まあ、最初から分かっていたことだけどね」


「お待ちください、お嬢様」


「え?」


 エリーゼが見ると、マリナはまだ臨戦態勢のままであった。彼女は股間を抑えて床にうずくまる光一から視線を外さない。


「彼はまだやる気のようですよ」


 マリナの声に応じるかのように光一は立ち上がった。片手で股間を庇うようにして、もう片方の手でファイティングポーズをとっている。その姿はどこか勇壮さをたたえていた。


「僕はまだ負けちゃいない。勝負はこれからさ」


 マリナは気の毒そうな表情をしていたが、それでも「いいでしょう」と言って再び片手をあげた。

 その手を振りおろすと、次の瞬間にはその手に剣が握られていた。その剣は透明で、光一の目から見て剣の向こう側が歪んで見えたため、それが水でできたものであり光を屈折させているのだとわかった。

 どのような原理であるのかは不明だが、水は液体の状態を保ったまま定型を取っていた。


「魔法って、そんな使い方もできるんですね」


 光一は一時的に股間の痛みも忘れてその剣に目を奪われた。彼の眼には水でできたその剣がとても美しく映った。

 マリナは軽くステップを踏み、光一のもとまで間合いを詰めると剣を大きく振りかざした。


「これで終わりにしましょう」


 そしてそのまま振り下ろした。

 


 しかしここで大多数の人間にとって意外なことが起こった。いや、この場に居るのは光一とマリナ、それにエリーゼの三人だけであるので、光一以外の二人にとって意外なこと言った方が正しいのかもしれない。


 マリナは剣がこういちに届く寸前で切っ先を止めるつもりであったのだが、それよりも前に切っ先は止まっていた。それは彼女の意志ではなく、むしろ光一の意志によって、であった。


 光一が前に突き出した手から数インチのところで剣は停止していた。まるで見えない力によって阻まれているように、剣はその位置から光一の方向にはまったく動かなかった。

 光一は一度深呼吸をしてから声を出す。


「せーのっ」


 そして、マリナは剣もろとも吹き飛ばされた。勢いよく後方に投げ出された彼女は、空中で体勢を持ち直すと、ふわりと床に着地した。しかしその顔には驚愕の表情が張り付いていた。美しい流線型をした眼が大きく見開かれている。


 それはエリーゼも同じだった。壁際でぽかんと口を開けており、貴族にあるまじき表情になっていた。


「どうして……今のは……」


 エリーゼが光一に何事か問いかけようとすると、光一は親指を立てて応えたものの、そのまま仰向けに倒れた。


「危ない!」


 マリナがとっさに動き、その敏捷性でもって光一の後頭部が床に激突することを回避した。彼女は光一を抱きかかえながら、まじまじと彼の顔を見つめた。


 東洋の異国出身の留学生。魔法の光に見放された民。単にそう考えていた自分は間違っていたのだろうかと、マリナはしばし頭を悩ませることになった。



 



 



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