追撃者の告白
両手を頭の後ろに上げた少女の顔には誠実さが表れていた。少なくとも、その表情から人を騙そうという意志を読み取ることはできなかった。
彼女はぴったりと身体に張り付くような服装に加えて万歳のポーズをしているため、自然と身体のラインが強調される。年齢の割にはかなりと発育の良い女の子だ。
「わかった、話を聞くよ。ただし君はそのままの体勢でいるんだ」
少女はうなずいて話を始めた。
「私の名前はクレアだよ。非魔法世界のとある諜報機関に所属している。機関の名前は……今は伏せさせてほしいかな。そこでは様々なエネルギー資源について、表立ってはできないような調査や研究を請け負っている。例えば――魔法とかね」
クレアはちらりと光一の顔に視線を向ける。しかし光一の目線は彼女の顔よりもいくらか下に向いていたため、二人の目が合うことはなかった。
クレアは話し続ける。
「私の任務は、この国に潜入して魔法に関するデータを取ること。それと、そのデータを機関のもとに持ち帰ることだ。その点ではあんたと似たような仕事内容だね」
非魔法世界から派遣されてきた人間は光一だけではない。世界中から失われた魔法の光がなぜこの国では未だに輝き続けているのか。これまで非魔法世界の人々は血眼になってその秘密を探ろうとしてきた。光一のように留学生という名目で正式に海を渡ってくる者はほとんどなく、大半は密入国という形でこの国に入り込む。光一は密入国者の存在自体は知っていたが、そのような人々がどのくらいの数に上るのかを把握していなかった。
「でも、君は昼間にいきなり襲いかかってきたじゃないか」
「あれは仕方のないことだったんだ。これから話そうと思っていたのに」
話の腰を折られた形になり、クレアは不機嫌な表情を浮かべた。
光一が無言で手のひらを上に向けて続きを促すと、彼女は少しだけ機嫌を直して再び話し出した。
「私に与えられた任務は調査が主なものなんだけど、いくつか例外があるんだ。そのうちのひとつが……ねえ、そろそろ腕が疲れてきたんだけど」
光一が「構わないよ」と言うと、クレアは腕を下ろして自分の懐に手を突っ込んだ。何やら中をまさぐっている様子だ。光一は思わず身を乗り出す。
「ええと、どこにやったかな。確かこの辺に――あった」
クレアが取り出したのは一枚の写真であった。遠くから望遠レンズを用いて盗撮したものらしいが、その割にははっきりと人物が写っていた。
その写真に写っていたのはエリーゼであった。どこかのパーティ会場で撮影されたものらしく、彼女はシルクの豪奢なドレスを着ていた。誰と話しているのだろうか、片手にはグラスを持って花の咲いたような笑みを浮かべている。
光一はまだ彼女のそんな表情を見たことがなかった。
「で、これを見てどう思う?」
「楽しそうな顔をしてる」
「そうだね、その通りだ。けれどこの写真が撮られた場所がどこかわかる?」
光一は黙って首を振った。
「王宮のレセプションルームだよ。しかも普段はあまり使われることのない東館の方なんだ」
光一がいまいち要点がわからないという表情をすると彼女は続けて言った。
「ダロガンス家はこの国では急進派に分類される有力貴族でね。魔法世界の存続のためには、非魔法世界に攻め込み支配することが必要だって意見を持っているんだ。これ、私たちからしてみればたまったもんじゃないよね」
クレアは光一の顔を下から覗き込むようにして見上げた。
「それで、この写真は秘密の会合の場面を捉えたものってわけ。この日、王宮の東館で行われた会合に参加した面々はね、皆そういった党派の奴らなんだ。ダロガンス家を筆頭にベルナール家やリオタール家、それにアッシュ家なんかね。奴らは私たちの住む非魔法世界を蔑視している。同じ人間だなんて思っていないんだ。これを見なよ」
彼女が差し出したのは分厚い書類の束だった。最初のページの一番上に”魔法世界の存続に関する重要な提言”と書かれている。
「この文書は奴らが長い時間をかけて作り上げてきた嘆願書さ。時期は不明だけど、近いうちにこれを王に認めさせるつもりなんだ。奴ら、そのために相当な金と時間をつぎ込んでいるんだ。この国のおかかえの研究者を抱き込んで怪しい実験施設とか作ってさ。異常だよ。あいつら私たちの世界を支配することしか頭にないんだ」
クレアがいっきにまくしたてるので光一は手を挙げて彼女を制止した。
「待ってくれないか。君の言いたいことはわかった。けど、どうして僕がそれを信じると思うの? 忘れているかもしれないけれど、僕は今日、君に殺されかけているんだよ」
クレアは黙り込んだが、少しして、ぼそっと「嘘つき」と言った。
「あなた、平気でうそをつくひとなんだね。ちょっと残念、かな。私としては仲良くしたかったんだけど」
「どういうことだ?」
光一は目つきを鋭くして訊く。場合によっては、目の前にいるこの少女の口を封じなければならないかもしれない。そのためには、彼女がどこまで知っているのか確かめる必要がある。
クレアは口元をゆがめて言った。
「持っているんでしょ? 霊玉」
少女の言葉は、光一の顔から表情を拭い去るには充分すぎるほどの威力を持っていた。
「ちょっと恐いって。やっぱり軍で訓練を受けていただけあるね。虫も殺せないような優しい顔をしているくせに、今は何人も殺してきたような顔だよ。図星をついちゃったかな。それともあなたの素の表情なの?」
光一は黙って彼女を見つめる。
彼女の方も、彼の視線を受け止める。
「なぜ、それを知っている?」
「私の所属している組織はけっこう大きなところでさ。情報収集の質にかけては非魔法世界でもけっこう上位の方じゃないかな。世界中のエネルギー資源に関係する情報はそのほとんどすべてがうちに集まってくる。魔法世界だけじゃなくて全世界からね。それでさ、この国に潜入する前の準備期に君の国についてもいくつか知らされていたんだけど、その中にこんなものがあったんだよね」
クレアは再び胸元から資料を取り出す。しかしこんどは光一の目線は彼女の目の動きを捉えたままだった。
「東洋の某国で開発中の対魔法デバイス、その名を霊玉。その試作品が完成したという報告が昨年末に入ってきた。詳細は不明。けれども、その国から魔法世界に派遣されることになっている学生に試作品のうちひとつが付与されることに決まったらしい。その学生は某国の旧家である東家の次男、光一でまず間違いないだろう――」
二人の間にわずかな間、沈黙が訪れた。光一は何もしゃべらずにクレアの方を見ている。その目には何の表情も浮かんではいない。
クレアが言う。
「あなたがその光一だよね。そして今、ダロガンス家に居候している。非魔法世界の支配を目論む、ダロガンス家にね――。あなたについての情報はそれ以上与えられていないけれど、私はこう推測した。東光一は、魔法世界の有力者かつ非魔法世界にとって脅威となりえるダロガンス家に潜り込んでその寝首をかきにきた。もしこの推測が正しければ、あなたと私は共通の敵を持つ仲間同士ということになる。敵の敵は味方っていうよね。私があなたにコンタクトを取ったのはこういうわけ」
クレアは書類を服の中にしまい込むと、光一に向かって手を差し出す。
「協力しない? ともに非魔法世界を守る仲間として、憎き魔法世界の輩を打ち倒そう」
「耳を貸しちゃだめよ、光一」
光一の背後から声がした。
直後に、熱風。光一が振り返ると戸口にところにエリーゼが立っていた。手には杖のようなものが握られている。
エリーゼはクレアに冷たい視線を送る。
「あらあなた、懲りずにやってきたのね。私の大切な友人に嘘八百を吹き込まないでくれるかしら」
クレアは肩を怒らせて訴える。
「おまえの家がやっていることはお見通しだよ。私たちの世界に攻め込んで乗っ取るつもりだろう。服従させるつもりだろう。でもそうはいかない。そんなこと
私がさせない。きっと彼も協力してくれるわ」
クレアは光一に熱い視線を送る。
「そうだよね、光一。一緒にこの女を倒そう」
光一が何かを言おうとする前に、エリーゼが口を開いた。
「何を馬鹿なことを言っているのかしら。どうして光一があなたに協力するなんて思い込んでいるのかしら。あなた昼間のことを忘れたの?」
蔑む目で見る彼女に反論するようにクレアは言った。
「あれはもともとおまえだけを狙っていたんだ。光一に危害を加えるつもりはなかった。それに、彼はもうお前の正体を知っているんだ。私が証拠を見せたからね」
彼女はそういって胸元から再びエリーゼが写った写真や書類の束を取り出して見せつける。
エリーゼは首をかしげて言った。
「覚えがないわね。捏造だわ」
「ふざけるな! これだけの証拠があるのにまだ言い逃れをしようとするなんて!」
光一は本国にいたときに見た刑事ドラマのようなやり取りだと思った。
「もういい。あなたの妄言に付き合っている暇はないの。私は疲れているのよ」
エリーゼは杖の先端をクレアに向けた。
「炎よ、我が宿敵を滅ぼし給へ」
彼女がぞんざいに杖を振ると、ソフトボールほどの大きさをした火球が杖から飛び出た。そしてその球は一直線に猛烈なスピードでクレアに向かっていった。
しかしクレアは軽快な身のこなしで火球を避けると、光一たちの方に向かって走り出した。手には短剣を構えている。
エリーゼはなおも杖を振るって火球を発射するが、クレアは実に器用な動きでもってそのすべてを回避して一気に間合いを詰めた。
光一は危険だと思った。
しかし、クレアは二人に何もせずにそのわきをすり抜けて倉庫の出口へ向かって走った。扉に手をかけて二人の方を振り返る。
「今日のところはここまでだ。見逃してやるよ。でも覚えておいてね、エリーゼ・ダロガンス。おまえの野望はきっと私が阻止してみせる。おまえたちを根絶やしにするのが私の使命だ。それと」
クレアは光一の方を見て複雑な表情を浮かべる。
「光一。私たちはきっとわかりあえるよ。だって、非魔法世界を守りたいって気持ちを共有しているんだもの。また来るからね。今日見た光景を、今日聞いた話についてよく考えておいて。私とその女、どっちが本当のことを言っているのかを」
光一が黙っていると、クレアは寂しげに手を振って「また会えるよ」と言った。
エリーゼが容赦なく飛ばした火球を避けて、クレアは扉の向こうへと走り去った。光一は今になって気づいたが、彼女は肩に猫を乗せていた。
あとには光一とエリーゼが残された。
「まったく、ダロガンス家の屋敷に侵入者だなんて。防犯体制に問題があるわね。うちも警備員を雇ったほうがいいのかしら」
エリーゼが腕を組んで不満げに言ったが、そのとき考え事に没頭していた光一の耳には入ってこなかった。