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二人の結論と新たな門出

 

 その後に起きたことについては、虫食いのように記憶が欠落していた。

 辺りを震わす巨大な振動とともに、鼓膜が破れそうなほどの圧力を持った音が光一の耳をつんざいた。


 それから、炎をと共に天女のような衣装を身にまとったエリーゼが両手を広げて――。光一の記憶はその部分までしか保たれてはいなかった。意識を失った光一はどれくらいの間そうしていたのか、気付けばエリーゼの膝の上で彼女と目を合わせるという状況になっていた。


 エリーゼはびっくりしたように微動して口をパクパクさせていたが、やがて落ち着きを取り戻した。


「びっくりしたわ。いきなり目覚めないでよ」


「自分ではどうしようもないことじゃないか。それより僕はどうして君に膝枕をされているのだろう」


 彼女はたおやかに微笑むと、「ご褒美よ」と言った。

 光一が理解できないという顔をしていたので、エリーゼは付け加えた。


「終わったのよ。何もかもね」


「終わったって、あいつらはどうなったんだ! セザールは? それに機密文書とやらは?」


 光一はつい早口でまくしたててしまったが、彼女は怒らなかった。普段なら「うるさいわね。唾が飛んで汚いから静かにしてくださらない?」などと言いそうなものだが。


 エリーゼは慈しむように光一の頬を撫でた。光一は、優しげな指の感触が妙にくすぐったいような、気恥ずかしいような気分になった。


「みんな、灰に帰ったわ。当然じゃない。ダロガンスの奥義を見たのだから。あれが何かわかるかしら」


 光一は首を捻って彼女の指差す方向を見た。


 その一帯は異様だった。小高く盛り上がった真っ白な山が両手で数えるには足りないくらいに点在している。光一は最初、塩が盛ってあるのではないかと思った。実家のある部屋に神棚が設置されており、そこに塩が山のようにして積まれているのを目にしたことがあるからだ。


 しかし、光一はすぐにその考えを頭から振り払った。ここは異国だ。祖国の文化にこの場所で出会うはずがない。


 そして、ひとつの恐ろしい考えに思い至った。


 光一がエリーゼの顔に目を向けると、彼女は光一が理解したことを察したのか、淋しげに微笑んだ。


「そうよ。あれはかつて人であったモノ。今ではただの粉みたいになっちゃったけど。今から少し前にはヒトとして動いたり、話したりしていたのよ。不思議よね」


「君は――なんてことをしたんだ」


 光一は動揺していた。自分の目の前で彼女の手によって殺人が行われた。その単純な事実を、頭が理解することを拒もうとしている。


「あら、あなた泣いているの?」


 光一が自分の顔に手を伸ばすと、わずかに濡れていた。一度拭っても、新たな涙の筋が頬を伝う。


「男が泣くなんて、おかしいよな。変だよな。けど、どうしても止まらないみたいなんだ。涙が、止まらないんだ」


 光一の途切れ途切れのつぶやきを、エリーゼは一言も漏らすまいと聴き取った。


「多分、僕は君の手を汚したくなかったんだ。汚れ仕事は君の代わりに僕がやろうって、そんなふうに思っていたんだ」


 エリーゼはくすりと笑った。


「私たちが出会ってからまだ数週間しか経っていないのに? その正義感はいったいどこから湧いてきたのかしら」


「正義感なんかじゃないさ。これはきっと」


 光一は言葉を切って、少し戸惑ったような声音で言った。


「わからないんだ。自分の中に生まれた気持ちが何なのか。でも、一番近い感情でたとえるなら。そう、これは恋だよ」


 エリーゼは綺麗な目を大きく見開いて口を僅かに開けた。

 それから、ふっと息を吐いて、笑った。


「ロマンスね。あなたが口にする言葉としては、まったく予想外のものだったわ。恋愛なんてものには全然興味がないって人だと思っていたのに」


「僕だって不思議に思っているよ。でもさ、こういうのは理屈じゃないんだ。わかるかな、好きになってしまったらおしまいなんだ。自分の気持ちに嘘はつけないよ」


「あら、もしかしてあなた。私に愛の告白をしているのかしら」


「そうだ。さっそく返事を聞かせてもらおうか」


「がっつく男は嫌われるって、ママに教わらなかった?」


「そうか、じゃあもう少しだけ待つ。この後で屋敷に帰ったら聞かせてくれるね。君の気持ちを」


 エリーゼはおおげさに首を振って「今すぐに返事を迫るのとあまり変わらないじゃない」と言った。その表情には、嬉しそうな、満足そうな明るさが表れていた。

 しかしこんな茶番劇のような真剣なやりとりをしている間にも、決断のときが迫っているという事実は変わらなかった。彼らは、きわめて真面目にこの劇に取り組むことで、逃れられない現実から目を背け続けているにすぎない。


 そして、そのときは唐突にやってきた。口火を切ったのはエリーゼの方だった。

 

「じゃあ、本題に入るけど。あなた、私に殺される覚悟はできているのかしら」


光一は耳を疑った。急に彼女がおかしくなったのかと心配したが、そのままでは話が進まないので平静を装って会話を続けた。

 

「できている、とは言い難いかな。まだ心の準備が足りない。いや、納得していないというのが正しいかな。何だって僕は、君に殺されなくちゃならないんだ」


「それは決まっているわ。ダロガンス家の秘儀を、部外者であるあなたが見てしまったからよ」


 エリーゼが言葉巧みに語ったところによると、ダロガンス家の秘儀は門外不出である。ダロガンス家の者以外がこの魔法を見てしまうと、それは家にとっての大きな損失となってしまう。それを避けるため、これまでにダロガンス家の魔法を目撃した者には追手が放たれ、例外なく殺されたという。


「どうにか僕が殺されずに済む方法はないのかな」


 痛む肩の傷に気を散らさないようにしながら、光一は彼女に問う。


「そうね」


 彼女は唇に手を当てて考える。


「今までの例を参考にすると、あなたが死ぬっていうのが一番スタンダードな解決法だわ」


 にべもなく言い放つ彼女の顔は、言葉とは裏腹にどこかいたずらっぽい色を帯びていた。


 その表情を見て、光一は一筋の光明を見出した。


「もしかして、僕が死なずに済む方法があるのかな」


「ええ、簡単なこと。あなたが私と結婚するのよ」


 光一の口があんぐりと開く。それと一緒にエリーゼの口元が横ににんまりと広がった。光一には、それが彼女らしくない表情に思えた。


 光一は冷静に分析した。ダロガンス家の秘法を見てしまった自分が取りうる選択肢は二つ。ひとつはエ

リーゼに殺されることで、もうひとつは彼女と結婚することだ。この二つの選択肢はまったく別種類のものに見え、並列されているのが不思議なくらいだ。


「君の意見を聞かせてくれないか」


 光一はエリーゼに質問をする。即断できずに日和見をしてしまう自分に失望したが、ここは話を詳しく聞いたほうが良いと彼は考えた。


「そうね。私としてはあなたを殺したくはないわ。だって、命の恩人ですもの。あなたが家に来てから何度も命を救われた。だからあなたさえよければ結婚してもいいわ。けど――」


 彼女はちらりと光一の方を見た。どことなく恥ずかしげな表情である。


「私みたいな粗暴な女はあなたの好みじゃないでしょう?」


 光一はなるほどと思った。この国に来てから彼女と出会い、彼女の言動をじっくりと観察してきた。その中で掴んだ彼女の性格と今の状況を照らし合わせれば、彼女の言いたいことが理解できる。


「君は、僕が君と結婚することよりも死を選ぶかもしれないと思っているんだね?」


「違うの?」


 逆に問い返されて、光一は言葉に窮した。エリーゼと自分の間にある意識の差異に驚かされていた。いや、プライドの差というべきか。


 光一の分析によれば、エリーゼという少女はとてつもなく誇り高い性格をしている。貴族の娘として正しく生きねばならないという意識が心の根底に染みついていることが、彼女の言葉や行動の端々に表れていた。


 しかし一方で、本来の彼女の性格は貴族の理想とするところと大きく異なっている。活発で自由奔放。束縛を嫌い、自然を愛する。思い込みが激しいところが偶にきずである。


 彼女自身は理想の自分と現実の自分の乖離に苦悩し、恥じている。そんな性格の彼女が、憎からず想っている相手のことを殺すか、あるいは結婚するかという二択を迫られたとしよう。彼女がどういう行動に出るか、想像に難くはなかった。


 彼女は、光一が自分と結婚したがるとは決して思えなかったのだ。もちろん、救命のためだけに光一が彼女と結婚しようとすることも彼女のプライドが許さないだろう。だから選択肢はひとつに絞られたと、そう思い込んでいる。それならば伝えるべきことはひとつだ。 


「僕は死にたくない。絶対にだ」


「じゃあ、あなたは私と結婚するっていうの? この私と」


 光一はすぐには返答できなかった。頭の片隅に、故郷に残してきた黒髪の少女の和服姿が浮かぶ。彼のイメージの中で、そのおかっぱ頭の少女はふくれっつらをしてそっぽを向いていた。


「約束はできない」


 光一は苦し紛れに答える。何よりも今は自分が生き延びることが先決だ。


「でも、君との結婚について前向きに考えたいとは思っている。そのためにも時間が必要なんだ」


 首をかしげるエリーゼに光一は説明を試みる。ここが正念場である。


「つまり、僕らの将来は前途多難だと思うんだ。国際結婚だと法律なんかも国によって違うし、親にもどうやって説明しようか考えないといけないしさ。あと、結婚式は洋式と和式のどちらにするか、なんていうのも悩みどころだよね」


 かなりしどろもどろな話し方になってしまったが、幸いにも彼女は疑問を抱くことはなかった。


「じゃあ、結婚してくれるのね――良かった」


 エリーゼは安心したように微笑み、目尻から涙を流した。光一は罪悪感に苛まれながらも、その心をひた隠しにして話し続けた。


「そこで提案があるんだ。僕たち、お屋敷を出て遠くに行くっていうのはどうだろう。近くの学校じゃなくて、別の学校に通うんだ」


 光一の提案が突然のことだったため、エリーゼは困惑気味に答えた。


「そんな、いきなりすぎるわ。お父様が許してくださるか――。それにあなたの転入手続だってもう済んでいるのよ」


「君のお父さんなら僕が説得するよ。結婚について二人でじっくり考えるための環境が欲しいって云えば認めてくれるんじゃないかな。それに、僕の転入に関しては後で本国に問い合わせてみるから」


 未だ悩むそぶりを見せるエリーゼに向かって、光一はダメ押しの一言を放った。


「君のことを愛しているんだ。この気持ちに嘘や偽りはないよ」




     ◆




 数週間後、長旅の途中で光一は手紙を受け取った。馬車の中はかなり揺れるため、文字を判別するのに大分苦労したが、その筆跡はまぎれもなく彼女のものだった。



拝啓


 秋風の心地よい季節となりました。そちらはお変わりありませんか。あなたが異国への留学に発ってからどれほどになるでしょうか。私はこれといった大きな病気もせずに毎日を過ごしています。


 先週、あなたから連絡があったと東のおじ様から聞きました。どうしてお手紙ひとつ寄越してくださらないのかと不満を募らせていた私ですが、その連絡の内容を聞いて驚きました。怒りもどこかへ飛んでいきました。


 ダロガンス家の庇護を離れて別の地方へ赴き、転入学されるそうですね。しかも、ダロガンス家のご息女と二人きりで。


 いったいどういう心変わりでしょうか。異国の地で、後ろ盾の力の及ばない場所に出かけてゆく道理が一体どこにあるのでしょうか。しかもあなたが居るのは、魔法が未だ失われずに在る危険な国なのですよ。無事に帰ると私に約束したではないですか。


 転入学の件、今すぐ考え直してくださいね。連絡をお待ちしております。                                      


                                         敬具                     



 手紙を読み終えると、光一は静かに紙を折りたたんだ。彼女になんと云って弁明すればいいか、まったく思いつかなかった。記憶の中に居る彼女は短めに切りそろえた黒髪を揺らして、彼を非難するようなまなざしを向けてくる。光一は自分のしていることが正しいのかどうかも分からなかった。


「光一。手紙にはなんて書いてあったの?」


 向かいの席に座っているエリーゼが身を乗り出して訊いてくる。二人の顔が接近する。


 光一は意識したように視線を逸らし、取り繕うように云った。


「本国からさ。君は心配しなくていいよ」


 エリーゼは不満げな様子だったが、やがて表情を緩めると、清々しい顔をして窓の外を眺めた。


「そうかもね。私たちは今、目の前のことを考えましょう」


 本当にその通りだと光一は思った。本国に居る彼女のことは気になるが、今は自分の目の前にいる少女のことを大切にしよう。


 そしてもうひとつ。当初の想定からは大きく外れてしまったが、彼の基本的な構えは変わっていない。この国の魔法を観察し、理解する。その目的のためには手段を選ばない。それこそ、彼がこの国、ハレジド皇国にやってきた一番の理由なのだ。



 久々の更新です。前回の更新からえらく間が空いてしまい、申し訳ございません。今後の展開について悩んでいたのですが、ひとまず決着をつけようと思い、この話を投稿させていただきます。

 今回の話でようやく序章が完結ということになります。世界観の説明やキャラの掘り下げなどが全然進んでいないのですが、そこについては只今構想中の次章以降で触れて行ければと思っております。

 大変な遅筆なため次話の投稿がいつになるか分かりませんが、もし機会があって、続きを読んでいただけるのであれば幸いです。

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