夕
「朱が私を包んでいると思うと」
彼女がそう言って口を開いたとき、僕は自分の、彼女の周囲に広がる風景をぼんやりと眺めていた。
「とても…そう、とても辛くなるの」
時刻は6時50分あたり、夏の夕焼けが僕の、彼女の目を透き通って行く。
「こんなに綺麗なのに—少なくともぼくにと っては—、どうしてそう思うのさ」
「だって、このあとは黒が待っているでしょ う?私は黒を見ると胸が締め付けられるよ うで…」
彼女の発する言葉は随分と詩的に、何処か確実な現実味を帯びつつ僕の耳に、頭に浸透していく。
「黒ってのは夜のことかい?」
「ええ、そうよ。でも黒なの」
黒。繰り返された単語に何故か僕は単語以上の意味を感じ、—恐怖?そんなバカなことはないはずだけれども—彼女の真っ直ぐな視線を『黒』から離したくなった。
「そんなに夜が嫌なら朝焼けを見ればいい。
似たようなものじゃないか」
「それは別のものじゃない。朱が黒、黒が朱 、わかるでしょ?」
「大差あるようには思えないけれども」
わからない。—わかろうとしないくせに—
「閉まると開く。私が好きなのはスリリング を内蔵した美しさなの」
彼女は強く主張した。が、直後声にならない唇の振動を起こして、その場に座り込んでしまった。
「今、なんて?」
僕にはその言葉が聞こえなかった。空は少しずつ、『黒』を許容していく。
—嘘つき…聞こえてたでしょ—
「白夜よ」
「え?」
「白夜に私は身を置きたい、そう言ったの。
そうすればずっと長く、もしかしたら永遠 に、私は朱を美しいと思えるもの」
どうして僕は一瞬震えたのだろう。気づいた時には唇が動いていた。
「黒もない、そうだよね」
彼女は頷かなかった。ただ座っていた。