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恋の悩みを知る君は  作者: 来栖ゆき
Another story ~Bernardo~
47/48

◆4◆

 日曜日の早朝、閑静な住宅街でも駅前でもタクシーの姿は1台も見なかった。携帯電話でロバートに連絡をして、タクシーを寄こしてもらおう、とジーンズのポケットに手を入れて、クレジットカードしか持っていないことを改めて思いだした。

「まあ、いいか……」

 仕方なく電車に乗ろうと駅の改札まで歩いたが、カードで切符が買えるはずもなく、途方に暮れていた所に開店準備の為に店に来た花屋のオーナーと鉢合わせした。

「あらあら、こんな早くにベルくんじゃないの!」

 風邪で寝込んでいた数日間会わなかっただけだが、彼女は嬉しそうに声をかけてくれた。

「次はいつ来れるのかしら? なんだったら今日でもいいわよ?」

 笑顔でそう言うオーナーに申し訳ないと思いつつ、アルバイトを辞める旨を説明したけれど、どうしても辞める理由を聞きたがったので、家の都合でイタリアに帰国すると話した。

 花屋で電話を借りてロバートに迎えを頼んだら、彼は仰々しくも白のロールスロイスで迎えに来た。

「ロバート! タクシーを呼んでくれればいいと言ったじゃないか!」

 運転席から降りて後部座席のドアを開けて待つロバートの目は据わっていた。どうやら相当機嫌が悪いらしい。

 仕方なく僕は、驚くオーナーに苦笑いで挨拶を済ませてからそそくさと車に乗り込んだ。


「なんなんだこれは!」

 そして、たった一晩だけ行方不明になっていただけだというのに、ホテルへ戻ったら警備が厳重になっていた。これでは軟禁だと言えば、ロバートは自業自得だと反論をするのだ。

「もう勘弁してくれ!」

「それはこちらの台詞です」

 即座にロバートが言い返した。

 確かに逃げたのは僕だ……だけど僕にだってやらなければならないことがあったのに、それをロバートはまったく理解してくれない。

 ソファに転がってクッションをぼすぼすと殴った。

「……いっそのこと、ここの窓から飛び降りてやろうか」

「ご自由にどうぞ。この部屋の窓はハメコミ式ですから開きませんが」

「くそっ……」

 いちいち腹の立つ男だっ!



 こうして僕は自由を失ったのだが、ホテルに着いて数分ほどで禁断症状が出始めた。

 そう、アゲハに会いたくて堪らなくなったのだ。アゲハに触れたい。声を聞きたい。けれど――彼女の元から2度も逃げたのは僕の方だ。

 僕はどうして逃げ出したのか……もう訳がわからない。

 アゲハのためだと言いつつ、結局は自分が小心者だったからだ。会う前は、会いたいと思っていたのに、いざ会えば僕は逃げるように彼女の前から姿を消した。

 アゲハに話せばきっとユーカとの事も話す必要がある。ユーカが僕に会いに来た理由を話すという事は――アゲハに僕の持っている地位や、親の会社や財産の話もしなければならないという事だ。ユーカはそれを知って目の色を変えた。

 アゲハはどうする? 今、僕と目を合わせて話してくれるアゲハは、真実を知っても僕の目を見てくれる?

 僕の望みはアゲハとのささやかな幸せだけだ。今まで通り、アゲハを送り出して、花屋でアルバイトをして、アゲハが帰ってくる前に夕食を作ってあげる生活だ。色々な話をして、お互いを知りあって――。

 でも僕は、アゲハに何も話していない。

「ベルナルド様!」

「……なんだ?」

 いつのまにかソファで寝ていたらしく、ロバートに揺すり起こされた。

「もう少し寝かせてくれ、昨夜は全然寝ていないんだ……」

「3時間ほどお眠りでしたが」

 無視して寝返りを打ち、もう一眠りしようとしたけれど、その場から動こうとしないロバートにじっと見下ろされていたら寝られるわけがない。

 僕は二度寝を諦めた。

「どこへ行かれるのです?」

「バスルームだよ」

 僕はあとを付いてくるロバートに向き直り、まだ何か用かと首をかしげた。

「ご一緒します」

「……僕が悪かった、もうどこへも逃げたりしないから、シャワーだけは一人で浴びさせてくれ」

 ロバートは眉間に皺を寄せて疑わしい表情を見せたが、僕の懇願をようやく聞き入れてくれた。



 それからは淡々とした日々が過ぎて行った。会社とホテルを往復しながら会議に出席し、夜には食事会と題した会合に参加する。分刻みのスケジュールに自由な時間など一切なかった。

 1年にも感じた怒涛のような一週間が過ぎた金曜の今夜もこれから食事会の予定だ。

「時間がありません、車を裏に回してありますから着替えたらさっさと降りてきてくださいね」

「わかってるよ!」

 兄の秘書であり、ロバートの姉でもあるリザがドア越し叫ぶ声に、曖昧に返しながら鏡の前で慣れないネクタイを結び直す。

「ああもう、やり直しだ……次からはループタイにしてもらおう」

 誰もいない社長室でひとり呟いた。

 

 人通りの多い大通りは道路も混雑していた。どこかに停車しているはずの白のロールスロイスが見当たらず、僕はロバートに電話を掛けた。

「裏だとリザがお伝えしませんでしたか?」

「……聞いた気がする」

 裏口へ向かうためにビルへ戻ろうとしたが、表の自動ドアは既に外側から開かなくなったいた。夜7時を過ぎるとセキュリティの関係でカードキーがないと入れないのだ。

 仕方なく、僕はビル街をぐるりと回って裏通りに行く事にした。時間にして3、4分のロスに、リザは鬼神の如く怒り狂うのだろう。ロバートとの業務の引き継ぎが必要とはいえ、この姉弟に囲まれて生活するのは色々と大変だ。

 そんな事を考えながらビル街を歩いていた時だった。

「ベル!」

 遠くからアゲハの声が聞こえて気がした。思わず足を止めて周りを見渡すがアゲハの姿は見えなかった。こんな所で会えるわけがない、恐らく空耳だろうと歩み始めた瞬間、また名前を呼ばれた。

 振り返るとそこにはアゲハがいた。

「ア、アゲハ……」

 息を切らしているという事は、もしかして僕の事を走って追いかけてきてくれたのだろうか。

 どうしてここに、いやそれよりも――。

「アゲハ、風邪は治ったみたいだね、体調はもう大丈夫?」」

「あ、大丈夫。あたし元気なだけが取り柄だし……」

 取りとめのないない話を繰り返しながら必死になって考えた。今がチャンスなのではないか、と……。

 アゲハは僕を見かけて追いかけてきてくれた、怒っている風には見えない。

「そんな事よりアゲハ――」

 切り出そうとして彼女の背後にヨシノが現れた。アゲハ以上に苦しそうに息をしている。何故この男と一緒にいるのかとイラついたが、その様子からアゲハはヨシノを置いて僕を追いかけて来てくれたのだと思い直す。

「アゲハ。話が――」

 ピリリリリ、ピリリリリ――。

 今度は誰が邪魔をするんだ!

 僕は胸ポケットからうるさく鳴り響く携帯電話を取り出した。会社から支給された仕事用の携帯は液晶パネルに「リザ」と表示されている。

 僕はアゲハに詫びてから電話に出た。

「もしも――」

「ベルナルド! 早く来てって言ったでしょう!」

 怒りに任せて敬語を忘れて叫ぶリザだった。

「間違えて表側に出てしまったんだ。今裏に回っているところなんだけど……」

「ええ、そうみたいね。ここから見えるもの。だから立ち話している暇があるのならここまで走って来てください!」

「わかってる、すぐ行くから……」

 でも、リザには悪いけれど、このチャンスは逃せないんだ。

「アゲハ、少し話がしたい。今からいいかな?」

「何を言ってるの、ベルナルド!」

 電話口のリザの声が高くなるけれど聞こえないふりをした。

「……待ってる人がいるんでしょう?」

 アゲハは僕の持つ電話を見ながら遠慮がちに言った。リザの事を気にしているらしい。

「大丈夫、少し待ってもらうから。もしもし――」

「馬鹿な事を言ってないで早く来てちょうだい! レストランの予約は待ってくれないのよ!」

「でも少しくらい遅れたって……」

「とにかく今はダメよ! 話をするなら食事の後でもできるでしょう。成田空港に行く前に時間があるわ。だからすぐに車へ来なさい! ロバート、車を降りてベルナルドを連れてきて!」

 リザはロバートを放ったらしい。

「わかったわかった、君の言うとおりにするから――」

 ここはリザの言うとおりにするしかない。せっかく食事の後に会っていいと許可を得たのだから、これ以上リザの機嫌を損ねるのは得策ではないだろう。

 諦めてアゲハに向き直る。けれどアゲハはロジンを割ってしまった事を詫びながら一気に捲し立てると、僕の言葉も待たずに走って行ってしまった。

「ま、待ってアゲハ!」

 泣きそうな顔をしていたのは気のせいだろうか?

 追いかけようとしたところでヨシノが目の前に立ちふさがった。

「もう彼女には構わないでくれ」

「なぜ君にそんな事を言われなければならないんだ?」

「俺たちは付き合ってる。わかるだろう? 恋人同士ってこと」

 その言葉を理解するのに数秒の時間を必要とした。

「なっ……」

「ベルナルド様!」

 その瞬間、ロバートに腕を掴まれ、抵抗虚しく車まで連行された。僕がアゲハを追いかけられないことがわかったのか、ヨシノは勝ち誇ったような顔をしてこちらを眺めていた後で、背を向けて走り去った。



「まさか……そんなこと……」

 ヨシノの言った事がどうしても信じられなかった。

「あとでさっきの女性に直接聞けばわかる事でしょう?」

 ロバートが運転するロールスロイスの助手席側に座るリザはフレームレスのメガネを掛け直してこちらに目を向けた。

「あと10分でレストランに付きます。そんな顔をしていないできちんとご挨拶してくださいね。今夜のお相手は来月行う予定のイベント会社の社長です。お名前は覚えていらっしゃいますよね?」

「……覚えてろよリザ」

「ええ、もちろん」

 彼女はにっこりと微笑んだ。

 静かな車中にロバートのため息だけが響いた。

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