◆2◆
「人探しってやっぱ探偵に頼むべきですかねぇ」
「……はい?」
誰にともなく口から発した言葉に、首をかしげて答えてくれたのは隣の席の吉野さんだった。
「実は名前しか解らない人なんですよね」
「そんなのネットで名前を検索すれば? はいこれシュレッダーしといて」
ランチタイムも終了間近――頬づえをついて物思いにふけるあたしの目の前に書類の束がばらばらと落とされた。
「ああっ吉野さん! シュレッダーするものはホッチキスとクリップ外してから渡してくださいっていつも言ってるじゃないですかっ!」
ひとつずつチェックするの面倒なのに!
「ははっ、お昼ご飯食べ終わったから? いつものちょうちょちゃんに戻ったね」
吉野さんはあたしの頭をポンポンと撫でる。
「もう、問題をすげ替えないでくださいってば!」
確かにあたしは朝から心ここにあらず状態で、突然机に突っ伏してうなだれたり、赤面して奇声を発したりを繰り返していたけれど……。
隣でそれを見ていた吉野さんはさぞや仕事に集中できなかったのだろう、今は嬉しさがにじみ出ているようにも見えた。
そう、あたしは半日かかってやっと今朝のショックから立ち直ったのだ――。
要は自己暗示。ベルには見られてないかもしれない、だってあたし全部脱いでないもの。見られたとしてもきっとお腹だけ。あれ、なんか大丈夫な気がしてきた――という具合でお昼ご飯を食べていたら、だんだんそう思えてきたんだ。
だからさっきメールも送ってみた。
――あさはごめんね、おかげでまにあいました、ありがとう――
あとは帰ったら笑って謝ってしまおう、とあたしは心に決めた。
ノープロブレム。イタリア語でいうなら Non ce problemaなのだよ!
でもそれはそれ、これはこれ。
「ちゃんとしてくれないと困ります、クリップひとつでも機械に詰まると大変なんですよ!」
吉野さん曰く「いつもの調子」を取り戻したあたしはぶうぶうと文句を言う。
「そうよ吉野君、あんまり深山さんをいじめないでくれる?」
「心外だな、いじめてなんかいないよ」
背後から声を掛けてきたのは、営業部の先輩で吉野さんと同期の平田希美先輩だった。
彼女は営業部内で部長の次に吉野さんと言い合える唯一の人なのだ。
「平田先輩――じゃなくって海老原先輩、お疲れ様です!」
どっちでもいいわよ、と幸せそうに微笑む平田先輩は、最近結婚して苗字が海老原になった。
そして今月末に寿退社。順風満帆の人生――すごくうらやましい!
総務課に行って来るわ、と去っていく平田先輩の後姿を見送って、あたしはため息を吐く。
仕事をテキパキとこなし、的確な指示をくれる平田先輩がいなくなると、営業部の事務的なフォローはあたしと舞子ちゃんだけになってしまうのだ。そして吉野さんからのダメ出し、もといイジメから庇ってくれる人がいなくなるというわけで……。
「平田先輩がいなくなったら営業部はもう終わりですよね……」
「だから終わらないようにって俺がちょうちょちゃんを厳しく教育してるんだよ」
シュレッダー追加ね、とあたしの目の前にある書類の山がまた増えた。
「もう、どうして吉野さんはいつもそうなんですか?」
「そうって?」
「あたしに対してはいじわるばかりです」
ふとベルが言った事を思い出した。
「吉野さんはあたしの事が好きなんですね?」
吉野さんはちょうど口に含んていたコーヒーでゲホゲホとむせた。
目を見開いてなんともいえない表情であたしを見る。何言ってんだコイツ、自意識過剰すぎじゃね? みたいな表情。
「す、すみません冗談です。今の忘れてください!」
うわぁ、あたし何てこと聞いちゃったんだろう!
「シュレッダーしてきますっ」
あたしは大量の書類を持って逃げるようにフロアを出た。
ベルの言った事を鵜呑みにして聞いてしまったけれど、やっぱりそんなはずないじゃないの。
しかもあんな反応をするとは露にも思わなかった。
いつもみたいに「ハイハイ」と適当にあしらうと思ってそう聞いたのに、本気で言ったと思われた!?
書類から一つずつクリップを外しながら、あたしは思い切り反省をした。
今朝のエレベーターでもそうだったけれど――あたしは思ったことをポロっと言ってしまうクセがあるから、気をつけたいところ……。
「いやあぁぁー!!」
ゴウンゴウンとシュレッダーの規則正しい機械音の合間から舞子ちゃんの絶叫が聞こえて、あたしはびくりと肩を震わせた。
何事かと、パーテーションで区切られたシュレッダー室から顔だけ出して営業部のフロアを眺める。どうやら吉野さんが舞子ちゃんに何かしたみたいだった。
しばらくすると舞子ちゃんがぷりぷり怒って来て――「聞いてください深山センパイ!」と、あたしを見つけて喚き立てる。
「うん、どうしたの?」
「顔が赤いから熱でもあるんですかって、アタシはただ心配しただけなのに経理部行きにされちゃいました! 吉野さんひどいです!」
「あららら……」
「アタシが経理部嫌いなの知ってるくせにっ! 絶対わざとです! イヤガラセですっ!」
吉野さんが舞子ちゃんに経理部行きを頼むなんて珍しい――というか初めてかもしれない。彼女がその任を嫌がるのはいつもの事で、だから吉野さんはあたしにばかり頼んでいたのだけれども。
「あそこに行くと化粧がハデとか爪がうるさいとか、イヤミばっかり言われるんですよ!」
確かに舞子ちゃんの爪には、仕事の邪魔になりそうなキラキラの飾りがいっぱい付いていた。
「そっか、タイミングが悪かったみたいだね」
それにしても珍しい。よっぽど虫の居所が悪かったのだろう――あれ、もしかしてあたしのせい?
「吉野め、月夜ばかりと思うなよ……」
「……え?」
舞子ちゃんはワントーン低い声でそう呟くと、足音を荒げて去っていった。
唖然とするあたしを残して。
「今の……舞子ちゃん、だよね?」
あたしはキツネにつままれたような錯覚を覚えながら席に戻った。舞子ちゃんはまだ経理部から戻っていない。
さっきのは夢――よね? あのかわいい舞子ちゃんが暴言なんか吐くわけないわよね?
あたしは落ち着こう、とパソコンに向かいネットを立ち上げると、とりあえず検索バーに「真田優花」と入力してみた。
吉野さんの適当な提案を試してみるためだった。
いくらIT技術が進化し続けているとはいえ、こんな簡単に探し人が見つかるとは思えないけれど。
エンターキーを押すと砂時計のマークが一瞬現れて消え、ページが切り替わる。
「え、うそでしょ……」
――話題の新人オペラ歌手 真田優花――
「これって、まさか、み、見つかった……?」
ううん、同姓同名かもしれない。
あたしは震える指先で該当のページをクリックし、画面が切り替わるのをじりじりと待った。
心なしか動悸が激しいのは気のせい?
しばらくして開いたのは、いつの日かのエンターテインメントニュース。
――東京芸術大学 音楽学部声楽科在学中にイタリアへ短期留学を経て、今秋オペラ「カルメン」で華々しくデビューを果たす。今後を期待される25歳の新鋭オペラ歌手の誕生――
この人だ――この人がベルのさがしている恋人、真田優花さんだ!
記事の右上には赤いドレス姿で薔薇の花を手に歌う姿と、私服姿でインタビューに答えている写真が載っていた。
栗色のふわふわの髪、ぱっちりな目元と、ぷっくりとした艶やかな唇。かわいらしい表情と同時に妖艶さを併せ持つ不思議な魅力を持った女性だった。
ネットってすごい……シンデレラが簡単に見つかってしまった。