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恋の悩みを知る君は  作者: 来栖ゆき
3章 恋は野の鳥
14/48

◆1◆

 ゆさゆさと身体を揺すられ、あたしは薄く眼を開けた。

「んー……」

 黒くて大きな生き物があたしの上で太陽の明かりを遮っている。

「もう、タロー。どうやってあたしの部屋に入ったの?」

 あたしはごろんと反対側へ寝返りを打った。それでもタローはあたしの背中をパシパシと肉球で叩いている。

 そういえばコイツ、ドアノブを押して開ける事を覚えたんだっけ……。

「わかった、起きる、起きるわ! 起きますよぉーこのモフモフタローめぇぇっ!」

 振り向きざま、タローをぎゅうっと抱き締めた。

「うわっ、ちょ……」

 黒のラブラドール・レトリーバーはあたしの腕の中でそう呟いた。

「もうっタローはそんなにアゲハが好きなのかなぁ?」

 暴れるタローに反してあたしは胸に押しつけるように腕に力を入れる。こうすると嫌がって離れようとする事は承知済みなのだ。

「アゲハ、待っ――!」

 離すものか、あたしの眠りを妨げた罰だぞ。

 あたしはタローを腕の中で黙らせてから、耳の後ろを掻くためにごそごそと頭の後ろを探した。

 ……あれ、耳はどこ?

 そして腕の中でふわりと薫った香りは、いつもの犬臭さではなく白檀のいい匂いだった。

「タロー?」

「僕はっ――ベルナルドだっ!」

「あ、そっか。タローは実家にいるんだ」

 しかもここのドアは引き戸だったっけ。

「アゲハ、離してくれないかな……あと遅刻しそうだと思うんだ」

 あたしは胸の上に抱き締めてまだ離していないベルに目を向けた。

「べ、ベル……!?」

 腕の力を緩めたらベルはさっと離れた。あたしが掻き混ぜたせいで髪がボサボサになっている。うん、朝からカッコイイ。

 じゃなくって!

 少しずつ覚醒したあたしは、今ハッキリと現状を理解した。

「な、な、な……何してるのよ、あ、あ、あたしの部屋でっ!」

 ここには入るなって言ったのに! 仮にもあたしは乙女よ!

 仮にも、じゃない。ほんとに乙女!

「ご、ごめん、でも携帯のアラームがずっと鳴っていて――アゲハがなかなか起きてこないから」

 あたしは枕元の携帯を見た。目覚ましアラームは既に止まっている。

「何度もノックもしたし、声もかけたんだけど、もうこんな時間になってしまったから……」

「やだ、うそっ!」

 いつも家出る5分前!?

「ヤバイ寝坊したっ!」

 昨夜は色々考えてなかなか寝付けなかったのだった。

 それもこれも全部――ってそんな事考えている暇はない!

 あたしはベッドから飛び起きるとスウェットの上着を引っ掴んで力まかせに脱ぎ捨て――。

Aspetta(アスペッタ)! 待って、だめだ!」

 急いでいたとはいえ、あたしはベルの目の前で――……。

「き、きゃあーー!」

 ベルは慌てて部屋から出ると、力任せに戸を閉めた。

「み、みみみ見た!?」

「僕は何も見ていない!」

 即答だった。

 嘘だ、絶対見た!

 あたしは締め付けられるのが嫌いだからとノーブラで寝る派で……しかも寝ぼけてぎゅうぎゅうとベルの顔を――。

「やだ、あたし……」

 あ、あたしはベルになんてことしたのっ!?

「ってそんな場合じゃない、急がなきゃ!」

 あたしは適当に掴んだものに着替えると顔を洗って簡単に化粧を終わらせる。

「いってきます!」

「待ってアゲハ、途中で食べられるかわからないけど」

 ベルはアルミホイルに包んだトーストを手渡してくれた。

「ごめん、ありがとう!」

 ベルと目が合う。

「き、気を付けてね」

 でもさっと逸らされた。

 ああもう、やっぱり見てるじゃないの!

 動揺しながらも、あたしは駅まで全力疾走していつもの電車の2本遅いものに無事滑り込んだ。

 それでもあたしの頭の中ではぐるぐると同じ単語が回っていたのだ。

 見られた、見られた、確実に見られた……!

 電車のつり革にもたれてあたしは一人うなだれる。

 実家の犬のタローと間違えて、しかもノーブラで抱き締めた。その後ベルの目の前で上着を半分脱ぎかけた。

 こ、これじゃあたし淫乱女じゃないのっ!



 動揺冷めやらぬまま会社に着き、ぜいぜいと肩で息をしながらエレベータの[上]ボタンを押した。

 あと5分で制服に着替えればどうにか朝礼に間に合いそうだった。

 自分の不注意ではあるもののセミヌードを見られて、それでも間に合わなかったらあたしって何?

 だからエレベーター早く来い!

「ちょうちょちゃん、オハヨ」

「吉野さん、おはようございます……寝坊ですか?」

「なんでそう思うの?」

 だって吉野さんがこの時間に出社なんて珍しかったから。

「あ、吉野君だ、おはよぉ!」

 でもそう答える前に総務部秘書課の女性陣が連れ立って来た。秘書課は営業部と違って始業時間が30分遅いからか余裕の足取りだ。これからたっぷり30分かけて化粧直しをするのだろう。

「朝からイケメンに会えるなんてあたし達ついてるわよねっ」

「みなさん、おはようございます。今日もお綺麗ですね」

 吉野さんは笑顔で迎えていた。

 さすがミスター二重人格。社内一のフェミニスト。結婚したい男ナンバー1!

 しかもエレベーターのドアを押さえてのレディファースト。あたしの事は[閉]ボタンで挟んだくせに、なんて調子のいい人。

 あたしは回数ボタンのパネル前でイライラしながら全員が乗り込むのを待った。

 あと4分。

「ところで、さっきからじっと見つめられている気がするけど、何?」

 吉野さんがそう言った途端、あたしの背中に鋭い視線が刺さった。

「別に何でも……シャツの襟、立ってますよ?」

 多分寝坊して急いで出てきたんじゃないかな、と推測。

「ちょうちょちゃん、どうして家出る時に言ってくれないの?」

「は――?」

 その瞬間、エレベーター内の気温が急激に下がった気がした。ううん、確実に下がった。

「な、何言ってるんですか! さっき会ったばかりなのに、エスパーじゃないんだからわかりませんってば!」

「ああ、そりゃそうか」

 本当に何言ってるのよ、この人は!

 5階で降りた後にちらっと背後を振り返ると秘書課のお姉さま方の鋭い視線と目があった。

「朝礼まであと3分だよ、ちょうちょちゃん」

 吉野さんはさっさと営業部のフロアに向かいながら、振り返りもせず言う。

 もう、人ごとだと思って!

 今日も一日嫌な事ばかりありそうな気がした。

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