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僕はオタクでない  作者: 三坂結城
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俺とオタクと水着少女

「熱い、熱い、熱い、熱い、熱い……………」

 七月二十日、俺は机に突っ伏せて苛立ちを復唱する。

「別に良いだろ。だって今日で学校最後だし」

「明日から夏休み。それに今日は終業式の約三時間で下校出来る」

 机に突っ伏せた俺の目の前に現れる悪友二人。街部と末代。

「うるさい………夏の暑さの八割はお前らだろうが。六割が街部で二割が末代」

「んなっ……和磨、お前暑さを俺のせいにする気か! しかも何で俺が六割!?」

「特にうるさいから………」

「理不尽!」

 街部はその後もなんたらこうたら口にしていた。睡魔と熱気に支配されている俺は更にこいつの騒音までストレスの原因となる。

「ああ………それにしてもこの熱さは異常だろ」

 地球温暖化により暑さが上昇している地球。冬にこの暑さの余分な分を持って行ったらいいのにと思う自分がそこにいた。更にストレスの原因は、学校にクーラーが設備されていないこと。

 団扇で俺を煽ぎ始める街部。

「確かに熱いよな………」

「僕もそう思う。こんな日はプールでも入りたいよね」

 末代の言葉を聞き街部は目を光らせる。

「それ良い! 今度三人で近くのプールに泳ぎに行こうぜ!」

「うん、良いね、真! 僕も賛成! 和も来るだろ?」

 プールか……それも良い、と一年前の俺なら首を何度も振ることだが今回は違う。

「悪い。俺バイトあるんだ」

「えぇぇ………マジかよ……どうする司?」

「う~ん……和が来ないとなるとな……」

 二人は思案顔になってどうするか相談をしていた。そんな二人に俺は心の中で謝る。悪い、バイトは嘘だ。実際は先約がいるんだと。その先約が終わるまではいつ何時プールに行くことは許されない。

「まあ良いや。暇が出来たら連絡くれよ。和磨」

「うん、遊べなくてもメールは送ってくれよ、和」

 そんな二人に俺はいつもの口調で言った。

「覚えていたらな」


 終業式が終わり俺は一人で下校中。

 ふっふふ~と鼻歌混じりに下校する。

 携帯のメール受信を開けるとそこには俺のパラダイスがあった。


『From 洞爺御月

 Subject プールに行きませんか?

 メールとか男子にしたことが無いから間違っていたらごめんね。(女子にもあまりしたことない(笑))

 実は私のバイト先でプールの無料券が余ったらしいんだけど良かったら一緒に行かない? 仔那珂さんも招待しているので良かったらメール下さ~い。

 もし良ければ日を追ってメールするね』


「ふっふふ………」

 勿論メールが来た二十秒後に『行きます』と敬語で送った俺。

「あはははは、はははは、はは」

 スキップしながら帰る俺。喜んでいる訳ではないぞ。これ、しかし。

 前二人とメールアドレスを交換してから俺は頻繁に彼女達とメールをしている。二人と秋葉原で出会ってそのままでは無いのだ………ちなみに姉にはムキショタでどうにか誤魔化せた。と言ってもムキショタ1しか渡していない。次に買って来いと言われた時に渡せる予備を置いて置く為に。

 このメールが来たのは四日前『行きます』と送ったメールの返信はその二日後。プールに行く日は八月一日と決まった。なら何故その日の前に街部、末代とプールに行かないかというと簡単な言葉でお答えできる。

 女子とプールに行った輝きが薄くなるからだ。

 もしも同じプールに行ってしまったら「ああ、ここ前と同じだ」とつまらなくなってしまう。だから最初は女子達と泳ぎたかったという訳だ。

 しかしあれだな。オタク女子が嫌いと言っておきながら、プールに誘われたら断れない自分がここにいる。

「ああ、早くプールに行きたい!」

 それどころか上機嫌な俺は、早く時が過ぎろと心の底から思った。

 男なんてそんな単純なものだ。

「ああ、八月一日よ、早く来い!」


 

 家に帰ると相変わらずの惨状だった。

 家に入った瞬間アイドルの曲が俺の耳に入る。これが朝から晩まで続くので本当に鬱陶しい。

 靴を脱いで直ぐの所で兄弟に声をかけられる。

「あ、兄ちゃんおかえり」

「お………おう」

 目の前にいるのは赤と黒のストライプのスカートを穿き、白いロングの鬘を被っている。そしてキャミソールを着ている女の子…………では無く男の子の蓮見光河。現在小学四年生である。

「兄ちゃん、この服似合っているかな?」

「あ………ああ」

 凄く似合っている。実際には似合ってはいけないんだがな。性別的に。

 光河は化粧無しで女の子のような顔をしている。だからまさに女の子の姿だった。声は高く華奢な体つきなので元々女装の素質がある訳だ。

 だがそれがどした? 男なのだ、彼女は……いや、彼は。

「兄ちゃん、次はどんな服を着て欲しい?」

 ゴスロリか………純白のワンピース……それかミニスカート……

「止めろ。忠告するがお前は弟。決して妹では無い」

 いかん、いかん、自分の理性が吹っ飛びそうだった。

「むう………兄ちゃん……」

 光河はアヒル口にする。可愛い………では無い! 何を考えているんだ、俺は! この場合はロリコンになるのか? 男だからショタコン? でも………女装趣味の男ならロショコン? 

「っていうか兄ちゃん最近浮かれてるよね? どうしたの?」

「何を言っている光河! 俺は一%、いや、百分の一%も浮かれてなどいない」

「ふうん………」

「ははは、光河、いい加減女装趣味を止めることを思慮するんだな」

 自分のキャラに合っていないことを口にし、その場を立ち去り自分の部屋に入ろうとすると光河に呼び止められる。

「ねえ兄ちゃん」

「どした光河?」

「夏休み暇だからどっか連れて行ってよぉ」

 おねだり口調で言ってくる妹………では無く弟。

「時間が出来たら……」

「むう……」

 弟はつまらなさそうに俺を見る。

 俺はそう言って弟に背を向けた。この時の俺は、まさかあんな事態になるとは少しも思わなかった。


 

 ジリジリジリジリジリジリジリジリジリリリリン――――

「ん………熱い~………眠い~……って今日はプールの日じゃねえか」

 今日は八月一日。御月と仔那珂と一緒にプールで泳ぎに行く日である。

 勢いよく起き上がり目覚まし時計を見る。時間は九時二十分。集合時間は十時なのでゆっくりする時間は無い。水着は昨日荷物に入れて準備している。財布の中身も少なくはない。

「よしっ、いざプールへ!」

 速攻でパジャマから普段着を着て荷物を持つ。そしてドタドタと階段を下りて適当な菓子パンを口に入れて俺は家を飛び出した。

 家を出た後、俺は玄関近くに置いているマイ自転車に跨りペダルを漕ぐ。そして荷物が自転車の籠に入らないので俺は荷物を背中に掛ける。

「うおぉぉぉぉぉぉおぉぉぉ――――――――――――――――!」

 八月一日は真夏。太陽が燦燦と輝き俺の体力をじわじわと減らしていく。

 急がないと電車に間に合わない! ダッシュ、ダッシュ、ダッシュ、ダッシュ―――。

 神奈川の電車は東京よりも数が少ない。と言っても田舎にくらべたら随分数が多く首都とほぼ変わらない。しかし、その一分、二分の違いが遅刻を招く結果となるのだ。

 だから俺はペダルを思い切り回す。少しでも緩めてしまったら女子が俺を待つことになってしまうからな。それは恥ずかしすぎる。

『うっ、うっ、うっ……………』

「?」

 ペダルを回していると何やら荷物から声が漏れる。分からない。日本のバッグ業界はとっくに生きるバッグを作ったというのか? しかしまだ『うっ』としか言っていない。もしかしたらバッグの揺れた音かもしれない。

『うっ、うっ、うっ……………痛っ』

「?」

 次はバッグから『痛っ』とはっきり聞こえた。幻聴では無いはずだ。

 しかし、解せない。どうなっているんだ、俺のバッグは? 確認したいが確認できない。もしも止まって確認していたら百%遅れる。だからこの件は後回しだ。

 でも気になるな………。

 このバッグに何が入っているんだ?

 そしてようやく着いた駅で、自転車置き場にマイチャリを置く。俺はダッシュで切符を購入して電車へと乗り込んだ。

 電車の中は涼しく、ペダルを全速力で漕いだ汗ダラダラの俺を癒してくれた。

「よしっ、これでどうにか間に合いそうだ」

今日俺達が行くプールは、秋葉原で最近出来た『プールメイド秋葉』。あの電化街の建物を買収して作った施設である。アニメイト、とらのあな、などの有名な萌ショップを楽しみに秋葉に来る人も多いが最近はこのプールを目当てに来る人の方が多いように見える。

「…………………………………」

 そんな楽しみの前にまずはこの危険物をどうにかすることが先である。

 電車の席に座り、俺は荷物のチャックを恐る恐る開ける。

よくよく考えてみると俺はこんな大きな荷物を用意した記憶は無い。もう少し小さいサイズで自転車の籠に入る物だったはず。あの時の俺は遅刻しそうでそこまで気が回らなかったのだ。

バッグのチャックを開けると男子物の水着があった。それは当り前である。そしてその下に……………、

 ―――スクール水着が入っていた…………。

 スクール水着いぃぃぃぃいぃぃいぃいぃぃ―――――――――――――!?

 心の中で叫ぶ俺。もしもこの電車で叫んでしまったら、俺は大変気まずい時間を送らないといけないことになる。変態としての視線で見られることは間違いないのだ。下手すれば警察沙汰。

「な、何でこんな物が………」

 しかも高校生サイズで無く小学生サイズの大きさ……………。

 荷物の中身を警察に見られたら、即ポルノ法違反で縄に掛かる。訳を話して釈放されてもそれは気分の悪いものだろう。

 っていうかそもそもの段階で…………、

 何でスク水が入ってんの? 陰謀? 濡れ衣?

「訳分からん……」

 電車で荷物を人に見られてもいけないので、俺は乗員に背中を向けてバッグを開ける。

「スク水に………大量の鬘?」

 黒髪ポニーテール、ピンクのポニー、紫のロング、他にも色々な鬘が下の荷物を隠すように敷き詰められていた。

 そしてこの時俺は謎が解けた。下に何が入っているのか………。

「おい、光河出て来い」

『……………………………………………』

 バッグは喋らない。それは当たり前だ。しかし、バッグが人の体温ぐらい温められているのは不自然だ。

「光河、三秒以内に出てこないと女装写真を町内にばら撒くぞ」

 光河は学校の友達に内緒で女装している。つまり知られたくないのだ。コスプレ趣味のことを。実際のところ光河が姉のようにオタクを隠していないなら逆に俺は脅されてもおかしくはない。

「い~ち、に~………」

 二秒が経過した時、高い声がバッグから聞こえる。

「ちょっと兄ちゃん、三秒はあんまりでしょ。せめて十五秒は時間が欲しい」

 歪に歪んだバッグから出てくる顔と右手。

 その顔は俺が良く知っている顔であった。

「さっさと出て来い。話はそれからだ」

 俺は青筋を立てて本気で苛立っている。

「そんなに怒らないでよ~」

 半泣きで訴える弟。汗がびっしりとついている。よっぽどバッグの中が熱かったのだろう。しかし、同情する気は一切ない。

「さっさと出て来い!」

 半泣きだろうと関係なしに頭を叩く俺。

 バッグから体全体を出すことが出来た弟は、現在電車の座席で正座をしている。

「で、お前は何しに来たんだ?」

「えっと、兄ちゃんに付いてきた」

 弟はうっすら涙を浮かべて言った。

「何で?」

「ええと…………暇だったから……」

「暇だから? 友達と遊べばいいじゃないか。お前だってトモ君やマコト君と言った友達がいるんだろ。あれは架空友達か? あ?」

 俺はカツアゲする不良と同じように弟を容赦なく脅す。

 すると俺は光河に返しにくい発言をされる。

「うん。トモ君もマコト君も架空友達で実際は存在しないんだ。だから兄ちゃんに遊んでもらいたいなぁって………」

「え? 本当に? あの友達の名前嘘なの?」

 弟の友達架空発言に目を見開いて俺は裏声が出てしまった。

「うん………意地を張っていただけ」

 弟は涙をポロポロと流す。

 ヘビィ――――――――――――――――――――!

 重い、重い、重い、重い、重い、重い。

 こういう場合はどうしたら良いのだろうか? そんなの関係無しに怒り飛ばせばいいのだろうか? でもそれは余りに酷のような気もする。

「だから駄目かな? 僕家でいてもやることないし……」

 チワワのような眼で『捨てないで』と言わんばかりに見てくる光河。

 そんな弟に俺は強く言えず、ついには許してしまった。

「分かった。でも今日は友達と遊びに行くから大人しくしておけよ」

「やったー、いえぇい! 今度はトモ君とマコト君と優斗とも呼んでこよう!」

 同情して許すと光河は態度を一変して両手を挙げて喜んだ。

「お前な………さっきまで………ってあれ? お前まさか架空友達ってのは……嘘なのか? 本当はバリバリ友達いるじゃねえか!」

「あ……」

 光河はマズイと言った表情で口に手を当てる。

「光河あぁ………どういうことだ?」

「まあ良いでしょ。兄ちゃん」

 弟は目を細めて子ども特有の怒れない笑顔を作る。

 もし今から一人で帰れと言っても小学生一人は不安だし……女みたいな顔だから危なっかしいし………はあ……。

 溜息をついて俺は再び同じ注意を言った。

「大人しくしておけよ」



「和磨―――――――――――!」

「和磨君―――――――!」

 プールメイド秋葉につくと二人が手を振りながら俺を呼ぶ。

 遅れたと思い携帯を開いたが、九時五十七分で集合時間の三分前だった。

 既に行列が出来ており開店前から皆並んでいる。プールメイド秋葉の入口にはメイドさんが手でハートを作っている絵が描かれている。それ目当てか写真を首に掛けている人が多いようだ。

「ごめん、待たせてしまったかな?」

「別に待っていないわよ」

「うんうん、私もそんなに待ってないよ」

 二人は意外にも優しく迎え入れてくれた。

 そして俺達は行列の後ろへと並ぶ。本当は関係の無い光河も一緒に。

 くそっ、本当は無料で来られたはずなのに、こいつがいるせいで俺は自腹を切ることになってしまったじゃないか。

「それよりもその子は誰なの? 可愛いわね」

 御月は目を輝かして俺の弟を指差す。

「ああ、ごめん俺の兄弟だ。勝手に付いてきた妹では無く弟………いや、性格にはオカマかな?」

「に、兄ちゃん……」

 光河の頭にポンと手を置き紹介する。

 こいつは非常に完成度の高いオカマ。オタク用語では男の娘とも言うらしいが実際のところオカマに変わりない。

「オカマってことは男なの? もしかして女装趣味を持っているの?」

 御月の次に仔那珂が光河に興味を持つ。

「うん、まあそうなるかな」

「兄ちゃん、僕が女装オタクのことは秘密だって言ったのに」

 光河は裏切られた感マックスの顔で俺を見る。

「二人はお前と同じオタクだし別に言っても良いかなと思ってさ」

「うぅ………兄ちゃん、こいつらは何なの? 僕と同じ女装趣味の二人?」

「馬鹿っ! 二人とも女の子だよ!」

「嘘だぁ、だって兄ちゃん女の子と遊んだこと一度も無いじゃん」

「うるさい! 余計なことを言うな!」

 光河が初対面の二人に天然の悪口を発言する。ついでに兄貴の俺にも。

 俺は悪口を言われた二人の顔を窺って「ごめん、こいつ口が悪いから」と光河の頭を下げさせた。

 しかし二人は悪口など耳に入っていなかった。それどころか二人は大好物を目の前にした表情でごくりと生唾を飲む。

 そして、

 二人は光河に飛び込んだ。

「光河く~ん」「光河ちゅわ~ん」

 仔那珂と御月の二人は俺の妹っぽい弟を挟むように抱き抱えて頬をすりすりとしている。

そして「ああ可愛い」「持って帰りたい」などと変態発言を連発していた。ロリコンとショタコンがどちらも欲しがる男の娘のようだ。

「……………………………ツー(鼻血が出る音)」

 どうやら暑さのせいで俺の鼻はやられているらしい。

「光河く~ん」「光河ちゅわ~ん」

 二人は教室の時の威厳な姿がまるでなく光河に抱きついている。

「止めっ………兄ちゃん助けて……」

 光河は露骨に嫌な顔をする。そして二人の力に負けてしまう。光河は男と言ってもまだ小学四年生。高校生女子の二人の力には力は及ばない。

「光河あぁぁぁぁぁぁ―――――――――!」

 今の光河のポストは女子人気のテディベア、リ○ちゃん人形、東京ディ○ニーランドのミッ○ー、ポケ○ンの黄色いネズミのような立ち位置。

 滅茶苦茶羨ましい! 俺も光河のように揉みくちゃにされたい………いかんいかん、そんなことを考える俺では無い。最近オタク文化に淘汰される気分だ。

 だから今俺がする行動は羨まし………ではなく困っている光河をあの二人から分離することだ。

「はいはい、二人とも落ち着け。まだプールに入っていないだろ。だからその辺にしてくれ。光河も困っているから」

 しかし、俺は会話の単語の一つ一つに気にかけていなかった。

「「まだ?」」

 そして彼女達は素直に光河を離した。

「分かってくれたか……」

 どうやら理解してくれたらしく素直に弟を離してくれたらしい。

「プールに入ったら光河ちゃんとたっぷり遊ぼうっと♪」

「あたしが先よ。光河くんは一応男の子だからどちらかと言ったらショタ寄りでしょ」

「そんなのは関係ないよ。顔が女の子みたいなんだから」

「「むむむむむうぅぅぅぅぅ――――!」」

 二人は睨みあって光河の争奪戦を続行している。何で? 

「あの二人とも……何で光河の争奪戦をしてるの? プールでも光河は―――」

 光河は渡さないと口にしようとしていたが二人の眼を見てとても言えなかった。言ったら最後地面の底に次ぐ底に落とされそうなのでな………。

「さっき和磨言ったよね。まだプールに入っていないだろって」

「ああ、言ったかな……」

「確かにそうだと思った。プールに来たのにプール前に抱きついていたらがっつき過ぎだもんね。だからプールに入った後にね☆」

 彼女は学校の傲慢な性格からは思えない可愛い笑顔をする。

「ああ………『まだ』をそう取った訳」

 …………『まだ』の二文字の使い方を今後検討することにするよ。

 今回のプール……光河が来たことにより価値が半減してしまったな。男一人と女二人の組み合わせが………男一人、女二人、オカマ一人になってしまった。

『お帰りなさいませ、ご主人様。何名様でしょうか?』

 猫耳メイドさんからの甘い声が掛かる。

 そうこうしている内に俺達は列の一番前に来ていた。チケットを渡す前に俺は疑問点を店員メイドさんに聞く。

「こんなに暑い時に………何でメイド服さんがいるの?」

 プールの店員にメイドって………絶対に熱いよな、そのコス。このプール施設作った人の方針を疑うよ。

『ご主人様に会いたいからですよ』

 メイドさんは真夏にメイド服を着ているにも関わらずいつものように笑顔を振りまいていた。仕事魂凄いな。いや、マジで。

 メイドさんと俺で会話をしていると光河が目を光らして叫ぶ。

「凄いよ、兄ちゃん。こんなに暑いのにコスプレして頑張っている。僕も見習わないといけないよね。同じコスプレイヤーとして!」

「………見習わなくていいぞ」

 それにその目の輝きはもっと違うことに向けるんだな。小学四年生がコスプレイヤーの仕事に感銘を受けるって………それは果たして良いことなのだろうか? 

『後が支えているんで人数言って、早く入場券を渡して下さ~い』

 声のトーンが下がったメイドさんを見て、俺は急いでポケットの入場券を取り出す。

「は、はい……四人です」

 人数を言って、無料入場券三枚と自腹を切って買った千二百円の入場券をメイドさんに渡す。

 っていうか小学生で千二百円は高すぎるだろ。田舎のプールならタダ同然の金額で涼めるのに。まあ田舎に大掛かりなアトラクションはないだろうけど。

『は~い、ではプールメイド秋葉で良い思い出を』

「分かりました。メイド頑張ってくださいね……」

 汗だくの俺は同じく汗だくのメイドさんを応援する。御月に聞いた話だとメイド喫茶は時給が高いらしい。あの涼しい店内でも高いならここはもっと高いんだろうな。

 入口に入ると更衣室の案内と絵が描かれていた。左のメイドさんが女子の更衣室。右のタキシードを着たBL風の男の方は男子の更衣室。真中にトイレが設置されていた。

「本当にプール楽しみ」

「うん、楽しみだね」

「じゃあ後からプール広場更衣室出口で合流しよう」

「「うん、分かった」」

 二人は頷いて手を振り、左の更衣室へと入って行った。

 しかし、問題はここに残っていた。

「兄ちゃん、僕はどっちで着替えたらいいの?」

 女物の服を着た妹(仮)は自分に指を差して聞く。

「…………はて」

 こいつが持ってきた水着はスク水。だが……男だ。だからと言って男子更衣室で女子が着替えていたら俺が変態扱いされる。逆に女子の更衣室で着替えさせるのは羨ましい……では無く弟に変態のレッテルが貼られる。

 となると…………、

「お前は男子トイレで着替えて来い」

「えぇ!」

 顔に縦線を引いている我が弟、蓮見光河。

「そして着替えたらダッシュで男子更衣室を抜けてプールの広場まで来い。大丈夫だ。出口で待っといてやる」

「でも……僕結果的に男だし男子更衣室で着替えても………」

「ダメだ。他の着替えている人に舐め回すように見られるのは目に見えている」

「だったら女子更衣室は?」

 右が駄目なら左という思考。

「常識の範囲内で考えろ、光河!」

 男とバレたら世間からの風当たりは悪くなる。オタクと知られたことよりも。

 俺は目を閉じて腕を組み、深く悩む。

 仕方ない。この馬鹿弟に世の中の仕組みというものを教えてやるか。

「良いか光河、男女差別をしてはいけないと世界は呼びかけているがこれは違うんだ。これは差別というより区別。男の人が見られたら恥ずかしい部位があるように女子もそういうのがあるんだ。だから俺はお前が節操のない人間になって欲しくないんだよ。分かったか、光河?」

 ……………………………。

 ん? 返事が無いぞ? もしかして小説や漫画の主人公のように、長い話に耐えられずに眠ってましたみたいな王道なことを?

 腕組を解き俺は目を開ける。するとそこには誰もいなかった。そして入口の周りで俺を白眼視するプール客の視線。

『……………………………………』

「ははは………(光河あぁぁぁ!)」

 そして俺は気まずさのあまりトイレへと駆け込んだ。



「二人とも遅いよ!」

「あたしを待たせるとはいい度胸ね。和磨!」

 出口付近で二人は俺達を呼び掛ける。もう既にプール特有の塩素の匂いが鼻をつく。そして水泳場に設置されている屋台の美味しそうな匂いも鼻に入ってきていた。

 しかし、そんな匂いの魅力をも超えてしまう魅力を二人は出していた。仔那珂は純白白色の水着。御月はピンクと白の水着。更に二人とも凄いボリュームがあった。何のボリューム? と質問されたら敢えてこう言おう。自分で考えろと。

「悪い、悪い。ちょっと時間を食ってしまった」

「遅いのよ! ………それより何であんた目を逸らしているのよ?」

「ああ、いや、何でもない……」

 俺は顔を赤くして眼を逸らす。直視出来ないのだ。彼女達の水着は。見たい気持ちは大いにあるがずっと見ていたら俺のある部分が………いかん、いかん、自重、自重。

「うぐっ、うぐっ、兄ちゃんが………」

 目を逸らした先には泣きながら立っている光河(スク水着用=変態)

「あれ?」

 何でこいつ泣いているんだ? 確かに更衣室トイレで説教はしたけど暴力行為は一切していないぞ。

「ちょっと! 和磨、あんた弟君に何したのよ!」

「え? いや何も………」

 うん、本当に何もしていない。ただいつもより強く説教しただけ。

「和磨君! 私見損ないました!」

「えええぇぇぇぇぇ――――――――!」

 理不尽な二人の対応に俺は暑さでは無い汗をかく。

 横目で光河に目をやると、笑いを隠していたつもりだったのか知らないが、笑窪が出来ていた。完全にほくそ笑んでいた訳だ。

「光河………(後で覚えてろよ)」

 こいついつの間にこんなに狡賢く成長したんだ?

「えへへ―――、お姉ちゃん達ありがとう」

「ふふふ、光河くんの為ならお姉ちゃん何度でも和磨を叱ってあげるわよ」

「私も同意です」

 二人は俺の妹(仮)を溺愛している模様。

「はあ………」

 それよりも弟(仮)がスク水の件は誰も突っ込まないんだな…………。

 溜息をついて俺達は更衣室から離れ、プール広場へと出る。 

プール広場の真中に、竜の冠を被ったメイドさんが描かれているウォータースライダーがあった。その規模はでかく、更に傾斜も他の水泳場より大きい。あれがプールメイド秋葉のメインなのはすぐ分かる。他にも波プール、回るプール、流れるプールなどたくさんの種類の泳ぎ場があった。

 そして俺以外の三人は魅入ってしまった。萌プールの芸術に。俺は、規模が大きいな、程度の感想しか生まれない。それよりも屋台の料理に興味がある。

「で、最初何のプールに入る?」

 女子二人に聞いてみる。すると二人はどちらも同じような答えを返す。

「光河くんが行きたい所」

「光河ちゃんの行きたい所」

 …………複雑な気分だが仕方ない。ここは光河に聞くか。

「光河、お前どのプールに入りたい?」

 個人的には流れるプールが良い。喧噪を離れ流されたい気分。だが光河の口から出るはずが無い。こいつは顔に似合わず怖いもの好きなんだ。

「ウォータースライダー!」

「(やっぱりか…………)」

 こいつならそう言うと思っていた。前家族で行った遊園地でもジェットコースターに乗りたいと最初に口にした。でもあの時は身長制限の都合上乗ることは出来なかった。しかし、ウォータースライダーは身長制限が無いのだろうか? 他の水泳場と違い角度も大きいんだが…………。

 光河の提案に仔那珂は笑顔。

「ははは、良いね。ウォータースライダー。流石光河くん!」

 そして俺と御月はもれなく背筋が凍っていた。

「……………………ははは、光河ちゃん、良い案だね。でもそれはクライマックスにやっても良いんじゃないかな?」

「光河、最初からハードだな。小学生だしもうちょっとレベルが低いのにした方が良いんじゃないか?」

 恥ずかしながらジェットコースターの類が苦手な俺。勿論ウォータースライダーも例外では無い。

「嫌。僕ウォータースライダーに乗りたい!」

 光河の意見は変わらない。これは何を言っても聞かないな。仕方ないな。

「分かった。だったら光河と仔那珂二人で行ってきたらいい」

「え? 何で?」

 仔那珂が不思議そうに聞く。

 俺は平生を保っているような顔を作る。

「いや、もう少しで飯時だから何か皆の分を買ってこようかと………なあ、御月?」

「うん、うん」

 御月も行きたくないのか首を縦に振る。それに仔那珂は光河が大好きだから二人になれて喜ぶだろ。光河は逆に仔那珂が鬱陶しいだろうがそんなのは知らん。

 しかし、歓喜すると予想した仔那珂はしかめっ面をする。

「あたしと光河くんが二人になったら、あんた達も二人きりになるでしょ」

「……まあそうだけど。それがどうしたんだ?」

「いや、流石に御月を危険に晒したくないのよ。あんた直ぐに襲いそうだし」

「んなことはせん! 御月も遠ざかるな!」

 必死に否定する我。そして御月は仔那珂の後ろへと回る。

「本当に襲わない?」

 御月は仔那珂の背中から少し顔を出して聞く。

 その質問自体に苛立ちを感じたが今は誤解を解く時。

「ああ、襲わないし襲ったことも無い。だから引かないでく―――」

「うん、確かに兄ちゃんは五人しか襲ったことないよね」

「五人も!?」

 ついには背中から顔を出すことも無くなった御月。

「光河あぁぁぁぁ――――!」

「えっへへ~」

 兄から逃げてベロを出して馬鹿にする愚弟。

 光河が悪ふざけをしたことにより俺と御月との溝が深くなる。仔那珂も同じく俺をゴミ虫のような眼で見ていた。

「光河捕まえたぞ」

 ようやく光河を捕まえた俺は、二人の擁護が届かぬ距離へと弟を連れて行く。

「兄ちゃん、止めろよ~」

「おい………光河、お前今日の約束覚えているか?」

「え? う~ん、忘れた☆」

 弟は人差し指をそれぞれ頬に付け、可愛さをアピールする。

「もう一度聞く。約束覚えているか?」

 恍ける弟に青筋を立てる俺。すると光河は小さな声で口にする。

「……大人しくする」

「そうだ。それが約束だ。と言っても別にアトラクションで喜ぶのは構わん。けどな、兄を変態にする発言だけは止めろよ」

「………はい」

「だったら誤解を解け」

「………はい」

 愚弟はしゅんとなりようやく大人しくなる。そして俺は一安心する。少し怖く怒りすぎたのかもしれないな。

「あたし達から遠ざかって何か言えない話でもしていたの?」

 仔那珂が怪訝そうに聞く。

「(光河、打ち合わせ通り僕の冗談でした♪ と言え)」

「(分かった)」

 耳打ちを弟にする。しかし、こいつは反省などしていなかった。むしろ兄に対する悪戯欲望のグラフが鰻登りした。

「ごめん、兄ちゃんが襲った五人は冗談で―――」

「うんうん」

 やっと誤解が解けたか………。

 安心して目を細める俺。

「――――本当は十五人でその中の三人は黒人男性」

 光河はにっこり笑い右手の指を三本立てる。

「うおぃ!」

「ええぇ……和磨……十五人も……あたしBL好きだけどリアルは……生々しい」

「しかも三人は黒人男性って……和磨君」

 誤解が解けたと思った俺の笑顔は一瞬で崩れる。そして二人の俺への軽蔑視は更に強くなった。

「お二人とも……違いますよ~、あれはあいつの嘘です」

「和磨、もうちょっと離れて……」

「和磨君………見損ないました」

 光河を泣かそうと思ったが二人がいる前では出来ない。だから俺は今出来る最大の笑顔を光河に向ける。

「光河、家に帰ったら一緒にゲームしような」

「…………………………………」

 光河にそう言うと、犬が尻尾を振らなくなると同様に怯え、それ以上冗談を言わなくなった。

「兄ちゃん……………怒ってる?」

 光河は声の音量を下げて聞く。

 そんな弟に俺は笑顔で返した。

「全然」

 家に帰ったら覚えていろよ、と言わんばかりの視線で俺は光河に笑顔を送った。兄弟喧嘩はどこの家庭も同じです。はい。

 そしてスク水姿の変態弟は、尻尾を完全に振るのを止めた。

 その後、数分の俺の必死の発言により、どうにか和磨変態説は冗談で終わった。というか冗談で終わらないと世間では生きていけない。

「時間食ったけどさ、そろそろ泳ごうよ。光河くん、ウォータースライダーが良いんだよね?」

「う、うん」

 光河は頷く。俺の止めてくれの視線は届かない。

「じゃあ俺と御月は食い物買ってくるよ」

「うん、私は和磨君と買いに行ってくる」

 俺と御月は逃げのポーズを取るが仔那珂に肩を掴まれる。

「せっかくだし……皆で行ってみようよ」

 仔那珂は純粋な笑顔を俺と御月に向ける。そんな顔をされたら俺達の返事は分かっている。こう答えるしかないのだ。

「はい……」「うん……」

「よしっ! 出発進行!」

「おう!」

「「…………おー」」

 いつもは傲慢な仔那珂は、光河の手を掴みウォータースライダーへと向かう。その背中を追って俺達も歩く。そして見えないところで溜息をついた。

「はあ………怖い……」

「仔那珂さん元気ですね………」

 気の乗らない二人は顔を合わせてもう一度溜息をついた。

「初っ端からウォータースライダーはきついだろ………」


 …………………………………………夢であってほしい。

「「…………………………………………」」

 ウォータースライダーの列に並び、自分の番がもう少しとなった時、俺と御月は恐ろしさの余り固まっていた。

 このウォータースライダー何が怖いかと言われたら三言で終わる。

 高い。

 角度がある。

 流れが速い。

 これだけで精神の殺傷能力は十分に引き出せるのだ。

 メイドプール秋葉の名物。萌萌ビッグジェットスライダーはその名の通り角度が大きく、高さが長い為、恐ろしい速さを出して下へと流れる。いや、落下すると言った方が現実味は出るかもしれない。

「…………………………………………これ角度殆ど九十度じゃねえか……」

「……だよね………」

 固まっている二人は暑さと違う汗を大量にかく。そして二人とも喉が渇いていた。

 実際角度は九十度では無いのだが、恐ろしさの余り過大表現せずにはいられない。

「ああ、楽しみぃ~」

「僕も!」

 そして、固まっている二人を余所に光河と仔那珂ははしゃいでいた。

 何で喜んでいるの、お前ら?

「一秒でも早く順番が来てほしいね。光河くん」

「うん。早くして欲しい」

 何で君達はこの地獄のウォータースライダーに興奮しているんだ?

 今の順番は前から十九番目が仔那珂、その後ろが光河。そして光河の四番目後ろが俺でその後ろに御月と並んでいる。まだまだと思うかもしれないが順番はあっという間に来るものだ。

 何故なら降り立つウォータースライダーの滑り台は四つある。一人一人の滑る時間も長くはない。だから実質待つ時間は僅か。

 四人が一斉に流れて行く。そして直ぐにまた後ろの人、次いで次の人。

 そうこうしている内に仔那珂と光河の番が来てしまった。もうすぐ順番が来る俺と御月は『大丈夫だ』『大丈夫だ』と念を込め始めたところだった。

 とにかく心の準備をしておく! 自分に言い聞かせ瞑想を始めて間もなく、俺に問題が起こった。

『お嬢ちゃん、まだ小学生じゃないか! 保護者さんは? このウォータースライダーは他と違って危ない。だから小さい子は保護者と一緒に滑ることとなっているんだよ』

 列を整備している萌キャップを被ったマッチョの係員が光河を呼び止める。

係員さん………そいつはお嬢ちゃんでなくお坊ちゃんですよ。

「え? 駄目なの?」

 光河は目を潤まして係員に聞く。その姿はまさに小動物だった。

すると係員の人は小動物を苛めた罪悪感に駆られ声を落とす。

『………お嬢ちゃん、小学生は軽いからね。もしもの時があってはいけないんだよ。滑りたいなら保護者と一緒に滑ることだね』

「保護者………いますよ」

『え? 誰だい』

 光河は顎に手を置き顔が明るくなる。

 何か嫌な予感がするのだが…………。

「兄ちゃん!」

 俺を指差す光河。

 …………………………………………………………………………何言ってんの、こいつ?

『この人で良いのかい?』

 係員も俺を指差す。

「え?」

 何言ってんの、光河? 俺心の準備一切していないよ。

「このお兄ちゃんが僕の保護者」

 抱きついてくる光河。

 ええい、気持ち悪い。離れろ!

『ああ、そうなの。分かったよ。お嬢ちゃん』

 光河の髪(白い髪の鬘)を撫でる係員。

「ええ? いや、係員さん、ちょっと待って下さい。俺はまだ順番がまだですよね。ですから、他の人に迷惑にならないように後から滑ります」

 心の準備が全く出来ていない俺は時間稼ぎをする。今滑ったら間違いなく俺は命まで流れる。時間稼ぎをせねば!

『ああ、大丈夫ですよ。順番はお嬢ちゃんとお兄さん合わして一人と数えられますので。順番は抜いていることになりません。良かったですね。順番が早まって』

「だってさ、兄ちゃん」

「ああ、そうなんですか…………(ハハハハハハ)」

 光河あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――――――!!(泣)

『ではお兄さん、お嬢ちゃんと一緒に滑って下さい』

「わーい、お兄ちゃん。行こう行こう」

 弟(仮)に引っ張られて俺は強大な滑り台の前に行く。

「はははははははははは」

 足が竦む俺。

「大丈夫お兄ちゃん? 」

 光河はわくわくした瞳で俺を見る。苛立つ兄弟であってもこの瞳を汚すわけにはいかない。ここは覚悟を決めて……………、

 無理いぃぃぃぃぃぃ――――――――――――――! だってこの滑り台九十度近く角度があるんだぞ。もう助けてくれ。ぶっちゃけると俺ジェットコースターとかそういうアトラクションを全て敬遠してきたんだぞ!

 だから言わしてくれ。

 もう止めないこれ? フィクションの類で終わらして流れるプールで身を委ねるとかどうかな? うん、それが良い!

『はい、お兄さん滑り台に乗るように一度座ってください』

「行こう行こう兄ちゃん」

「は…………は……い」

 本当に滑るのか? 俺は心の準備を全くと言っていいほどしていないぞ。

 俺はウォータースライダーへと座る。まだ下をしっかりと見ていない為、精神はまだギリギリ保っている。

 だから………、

 今なら逃れるかもしれない。

『ではお兄さんの膝の上にお嬢ちゃんが乗ってね』

 「はーい」と笑顔で口にして俺の膝の上に乗る光河。

「兄ちゃん、楽しみだね」

 純真無垢な笑顔で振り向く光河。

 ああ………もう引き返せない。

「和磨、準備は良い?」

「……………あ、ああ」

 横にいる仔那珂は俺達を待ってくれていた模様。そしてもうすぐ俺達は地獄のウォータースライダーを滑り逝く。勿論俺は心の準備などしていない。

「じゃあ滑るよ。光河くん、和磨」

「うん!」

「…………イエッサー………」

 背中側の御月に親指を立てる。そして俺達は強大な滑り台を滑る。

 あのさ、最後に衝撃の事実を言っても良いか?


 俺さ………高所恐怖症――――……


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――――――――――――――――――――――――――――――!」


 速過ぎる! 速過ぎる! 速過ぎる! 急降下あぁぁぁ―――!

 轟音で叫ぶ俺。「キャー」、「うわあぁー」のようなアトラクションを楽しむ声ではなく、おぞましい声が出る。

 顔に飛び散ってくるウォータースライダーの水。それはまるで弾丸のように当たる。本来はそれが気持よく感じるのだろうが、今の俺には恐怖を増長するものでしかない。

「キャ――――――――――――――――――――――」

「うわははははは、あははは、兄ちゃん、これ面白いぃぃ」

 顔が引きつっている俺と違い、爽快感と清涼さに満ちている二人。

 知っているか? 人間の時間の間隔は気持ちによって変化するんだ。楽しければ直ぐに時間は過ぎ、つまらなければ時間は長く感じる。

 つまり、俺は今ウォータースライダーの一瞬を永遠の時間に感じるわけだ。

 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い――――………

 ………………………………………………

「兄ちゃん!」「和磨!」

 ……………………………………幻聴か……二人の声が聞こえる。

「兄ちゃん!」「和磨!」

「う、うん……」

 眼を擦り開けてみると、二人が俺を覗き込むように見ていた。俺はどうやら日陰で寝かされている。右を見ると御月も寝かされていた。

そうか、御月もウォータースライダーに挑戦したのか……。

 ああ、俺は気を失っていたのか…………でもこれで俺達はもうウォータースライダーを滑らなくても済む。

 っていうか気を失うウォータースライダーを設計するなよ………製造規約に引っ掛かるだろ。絶対。

「仔那珂…………光河」

 掠れた声で俺は二人の名を口に出す。

「やっと起きたわね。和磨」

「兄ちゃん、貧血だったの? ビックリしたよ、本当に」

 二人は安堵の溜息をつく。

 ああ、二人とも俺を心配してくれたのか………。

「じゃあ兄ちゃん、もう一回滑ろう! 兄ちゃんいないと滑れないんだよ」

「光河くんの言うこと聞いてあげなさいよ。和磨」

「え?」

 弟(仮)は手を掴み、地獄のウォータースライダーへと引っ張る。

「ちょ…………光河?」

「行こう、行こう!」

 おいおいおいおいおい、待て待て待て待て、ウェイウェイウェイウェイ、次滑ったら間違いなく死ぬって。いや、マジで。


「ぎゃああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――」

 二度目の地獄。

「兄ちゃん、次ぃ!」

「ぎゃああああぁぁぁ――――――――」

 三度目の地獄。

「兄ちゃん次ぃ!」

「ぎゃあ……………………」

 四度目の地獄。

「兄ちゃん次ぃ!」

「…………」

 五度目の地獄。

 口元を押さえてフラフラな俺。

 …………もういっそのこと死なせてくれ。

「兄ちゃん次ぃ!」

 もう既に立っていられない俺は引きづかれるように連れて行かれる。そんな六度目を迎える時、仔那珂が光河に提案する。

「光河くん、またウォータースライダーを滑るのもいいけどさ、先に昼御飯を食べない。和磨もね」

「う~ん、そうだね。僕もお腹すいてきたよ」

「じゃあ決定ね。いいよね、和磨?」

「……………………」

 その問いに俺は倒れたまま親指を立てた。


 現在午後二時二十五分。プール内にあるメイドの時計がその時間を知らせていた。

「光河くん~」

「いや―――! 兄ちゃん」

 波のプールで遊んでいる光河と仔那珂。光河は波よりも仔那珂に恐怖しているよう。

「…………はあ」「…………ふう」

 言葉を漏らす残り二人。俺と御月。

 余った組の二人は、休憩所で座りかき氷を口に入れる。そして俺達は遠目で遊んでいる二人を眺める。

「あいつら本当に元気だな……」

「そうだね……」

 呆れと感心が混ざった声が出る。

 あの忌まわしきウォータースライダーが終わり、俺達は昼食を取った。

 光河と仔那珂は昼食をどっさりと買って食べた。そして意識を取り戻した御月と元気のない俺は、焼きそばなどの重い食べ物が食べられずあっさりとしたかき氷をずっと口に入れていた。これで何杯目だろう? 

「ん? どうした御月?」

 かき氷のハワイアンドブルーを食べていると、隣の御月は何か言いたげな表情で俺を見る。

「でもさ………いよ」

「ん? 何て?」

 手をもじもじさせて恥ずかしそうに見る御月。さっきの言葉は小さくて聞こえなかった。

「でもさ、楽しいよね」

「え?」

 御月は顔を赤くして顔を背ける。そして俺に顔を合わせずに話を続ける。

「私、こんな経験したこと今まで一度もないんだ。大人しいというポジションが最初から決まっていて、クラスメートに遊びに誘われても断るしかなかった」

「…………………………」

 無言無表情で俺は青いかき氷を口に入れる。

「本当はプール、映画、バーベキュー、他にもたくさん友達としたかった。あの時の私は何一つ出来なかった。でも――」

 重い昔話をしているはずなのに、彼女の声は明るかった。

「――今日初めて友達とそれが達成出来た」

 奇麗な彼女は奇麗な笑顔をする。その笑顔に俺は思わず魅了されてしまった。オタクの女の子に魅了されたのを否定したかった自分がそこにいた。

「まだウォータースライダー一回しか遊んでいないだろ」

 御月は一度のウォータースライダーで気絶したので、プールでは一度のウォータースライダーで遊んだこととかき氷を食べたことしかしていない。

「うん、確かにあれしか遊んでいないね。でも満足だよ。私はもうこれ以上望んでは駄目な気がするんだ」

 御月はどこか嬉しそうでどこか寂しそうだった。

「そんなことねえよ」

「そうなのかな?」

「当たり前だ。俺はこれからも御月や仔那珂と一緒に遊びたいと思っている。さっき言っていた映画、バーベキュー以外にももっともっと」

 前を向いて強く俺は言った。今日はまだウォータースライダーしかしていない。でも、皆と来られるだけで面白かった。だからこういう機会を今日で終わらせるのは勿体ない。こんな機会はこのプールで終わらしたらいけないんだ。

「ははは、和磨は非オタクじゃ無かったの? だってこのプール何から何まで萌が取り入れられているよ。建物から料理まで。このかき氷もメイドさんが描かれたカップが使用されているし」

 そして御月は、メイドさんが描かれているかき氷のカップを目の前に突き出す。

「確かに俺も自分自身が分からない。オタクはまだ受け入れられないけどさ、昔よりは良いものと考えているよ。オタクの人って全員が電波なことを口にするだけの人種と思っていたんだ。でも違う。夢を持っているんだよ」

 かき氷を床に置き俺はしみじみと話す。

「夢?」

「砕けた言い方かもしれない。でもオタクの人って熱意があると思うんだ。ファミスちゃんは俺の嫁とか声優ラブとかそれに対する熱意が強い。だから俺はそこが凄いと思う。俺は熱意すら無いんだから」

「少し認めた?」

 御月は穏やかな性格に珍しいちょっかいを出す。

「ほんの少しだけだよ」

「あはは、本当?」

「本当、本当……ってどうした?」

 媚笑を浮かべ肩を寄せる御月。

「和磨君、知っている? オタクや大人しい子ってさ……少しでも優しくしてもらうと他の人以上にその人のことが気になるんだよ」

「あはは、御月もそうなのか?」

 俺は朗らかな気持ちになり笑う。

「うん……って何も分かっていないでしょ。客観的ね」

「え? いや、オタクと大人しい人は普通の人以上に恋に落ちやすいんだろ」

「むう………やっぱり何も分かっていない……(この鈍感)」

「あははは、はは(何かマズイこと言ったかな?)」

 間を持つ為にとにかく笑い続ける俺。

 そんな俺達を見て仔那珂は浮き輪を投げてくる。

「何ヘラヘラしてんのよ、和磨! さっさと泳ぐわよ。御月も」

「呼ばれているよ、和磨君」

「お前もな」

 二人顔を合わせ更に笑う。

「兄ちゃん急いで! 波がもう直ぐ来るよ!」

「御月も急いで」

 俺は床に濡れて落ちている浮き輪を手に取り、ザブンと波のプールへ入る。その後に御月が続くように入る。

 そして俺は景気の良い声で三人に言った。


「さあ、もうひと泳ぎしますか!」




「楽しかったか、光河?」

「うん、兄ちゃん」 

あれから俺達は波のプールを楽しんだ。その後に流れるプールで身を任せ、最後にプール売場で売っていた水着ショップで時間を使った。二人の水着の試着は似合っていた。そして弟も試着したわけで…………それは凄く似合っていた。女物の水着が。

そして楽しいプールも終わり、現在俺と光河は帰宅中である。今は明るくもないが暗くもない。何かに例えることが出来ない微妙な明るさだ。

 弟(鬘を被って女装モード)は純真の笑顔を俺にする。

「そうか。そいつは良かったな」

「うん!! 次も連れて行ってね」

「はは、そうだな……って連れて行くわけない。今回はお前が勝手に尾行してきたからプールに入れてやったんだ。しかも俺の自腹だしな」

「ケチ――、じゃあ次もこっそりついていったらいいのかな」

「ははは、って止めろよ」

 微笑を浮かべる俺。子供の考えていることは意外と盲点をつくので面白い。またもう一度ついていったら仲間に入れてもらえるという発想。光河が考えそうなことだ。

 でも今日は本当に楽しかったな。コスプレ好き(女装)の弟、BL好きの仔那珂、幼女とコス好きの御月、三人と一緒に行ったプールは楽しかった。前の夏に末代や街部と普通のプールに一緒に行った。その時も面白かったけど今日は今日でいつもと違って新鮮だった。やっぱりプールは良いな。

「ふっ……」


「どうしたの、兄ちゃん、気持ち悪いよ、いきなり笑ったりしたら」

「馬鹿言え。光河」

 勘違いしていたのかもしれない。オタク文化は最悪なものだから無くして欲しいと。でも実際はオタクと遊んでも素直に笑えたし本当に楽しかった。

 …………本当どうかしている。オタクを嫌いと思う自分が消えているなんて。

「はは、あはは」

「兄ちゃん……笑茸でも食べた?」

 弟(仮)は俺のことを白眼視する。

 しかし、俺の自分の中の大事な整理は続く。

 もしかしたら俺はもう非オタクでなくなっているのかもしれない。オタクを嫌いという気持ちが今は浮かばない。ということは………………、

 自分が分らなくなって混沌していると、聞き覚えのある声が掛かる。

「あれ、和?」

「和磨じゃねえ?」

「ん? ああ、街部と末代か………奇遇だな(良かった)」

 ラフな服装のクラスメートに偶然遭遇する。

内心ほっと安心する俺。もしも御月と仔那珂がいたら大変なことになる。次の日に顎にパンチをお見舞いされるかもしれない。

しかし、安心をするのはまだ早かった。

「和、やけに可愛いお嬢さん連れているな」

「………君は和磨とどういう関係なの?」

 二人は興味津津に俺の弟を見る。二人の眼には女の子しか映っていない。それもそのはず俺の弟は童顔の女顔、白髪の鬘にスカートを穿いている。これで女に映らない人間は中々の眼力があるといえよう。

 しかし、どう言い訳しよう? こいつは俺の妹だ! と言いたかったんだがこいつらは俺の兄弟構成を知っている。勿論オタクの事実は教えていない。教えたら絶交は無いだろうが今のように柔和な会話は出来ないだろう。

 従ってここは親戚辺りの言い訳が妥当だろう。

 質問が俺でなく、光河に対してなので俺が口を出すのはよくないだろう。

「(光河分かっているよな?)」

 親戚と言え! オタクとはバレたくないだろ!

 こくこくと頷く弟。

耳打ちをすると怪訝な目で見られて怪しまれるので、俺は眼で訴えかける。大丈夫だ。兄弟は意思疎通が以心伝心レベルで出来るのだよ。ふふふ。

「で、結局和の何なの?」

「もしかして和磨の親――」

 二人は眼をキラキラ輝かせて聞く。

「(さあ言え光河! 日常は我々のものだ!)」


「私は恋人です♪」


「「え?」」

 最初は街部と末代の一文字だった。

 そして俺が遅れて同じ一文字を口にする。

「え?」

 何を言っているんだ、光河? 悪ふざけが過ぎているぞ。そんなことを言ったらこの馬鹿達は…………。

 恐る恐る彼らの表情を伺うと、彼らは怒りのオーラに包まれていた。赤と黒が波になっているようなオーラ。

「あの…………」

「和磨あぁぁぁぁぁぁぁ――――――――――!」「和うぅぅぅ―――――!」

 弁解する前に怒鳴られる俺。二人は目を黒くして拳を固める。

 そして近づいてくる街部と末代。

 少しずつ、少しずつ、

 その拳を俺に振りおろそうと近づいてくる。

「え……ちょっ………おい、嘘だ。これには理由が……」

 顔から汗がだらだらと出てくる。そして両手を前に出して説得しようとする自分。

 しかし、近づいてくるその拳。

「和磨あぁ……」「和うぅ……」

 ぐっ……仕方ない。ここは真実を告げるのみ。

「そいつはオタクで女装趣味の男だ! だから俺はそんな奴を恋人にする気はさらさら無いしそれに………俺は女が好きだ!」

 女好き発言は問題のような気もするが今はその後のことなど考えん。今大事なのは今を切り抜けること。ただそれだけ。

 そして俺の真実を聞いた二人は光河を指差す。

「和磨………俺はがっかりだ。こう見えて俺はお前を買っていたんだ。学校でも学校外でもお前を買っていたのに…………とうとう嘘をつくとは。こんな子が男な訳ないだろ。常識の範囲内で嘘つけや」

 街部が俺に対し失望の念を見せる。そして彼の拳はぷるぷると震えていた。

あれは力入れているな…………。

「違ぅ」

「和……僕も呆れたよ。オタクはふくよかな体型。眼鏡でアニメの絵が描かれたリュックやトートバッグ持つ人でしょ。……それにこの子が男な訳がない。だってスカート穿いて髪も白髪ロングだ。誰が見ても女の子決定」

「違ぅ」

 確かに俺も昔は末代のようなオタクへの偏見を持っていた。でも実際は違う。御月や仔那珂のようにすらっとしていてマドンナ的存在の人もいるんだ。それとな、お前らがどう言おうとそこにいる光河は男だ。

 そして更に続く俺への呆れ声。

「ロリコンは無いわ。このクソオタク」「しかも恋人……引くわぁ」

 二人は俺へ更に接近し、拳を振りおろすと俺の顔面へと当たる距離になった。

「あの……お二人とも………これには訳が」

 つい敬語を使ってしまう俺。

 そして俺は最後の悪あがきで弁明をしようとした。

 二人はにっこりと笑う。

「え?」

 そしてその刹那、俺へと悲劇が舞い降りた―――


「「問答無用!!」」


 ―――痛みという確かな衝撃と変えて。

 これも全て女装趣味の光河のアドリブのせい。ラノベ的アドリブしやがって………。

「オタクなんて嫌いだああああぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!」

 そして、非オタクの叫びは、帰り道を駆けて行った。



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