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退く理由ある探索者  作者: ソイラテ
16/17

第16話 そこまでで、よかった

部屋の鍵を回して、扉を閉める。

何も変わっていないことを、先に確認していた。



靴を脱ぎ、揃える。

床に置いたリュックの中身を、そのままにしておくのも、いつも通りだ。


外套を脱いで、壁際に掛ける。

肩のあたりに残っていた重さが、少し遅れて抜けた。



部屋は静かだった。

誰かがいなくなった、という感じではない。


もともと、こういう空間だ。



押し入れの前に座り込み、身体についたものを一つずつ外す。

布の擦れる音と、留め具の感触が、耳に残る。

動作の順番だけは、自然に決まっていた。


最後に、素材袋を床に置いた。

中身を確認する気にはならず、口を結び直す。



今日は、これでいい。



シャワーは浴びず、顔だけ洗った。

冷たい水が、思ったより指に残る。


鏡に映る顔を、少しだけ見て、視線を外す。

変わったところは、特にない。


布団に倒れ込むと、畳の冷たさが背中に伝わった。

目を閉じる。


考えないようにしよう、とは思わなかった。

ただ、考える必要がない気がした。



──それだけだった、はずだ。



朝、目が覚めたとき、部屋はまだ薄暗かった。

隣の部屋の生活音も、聞こえない。


起き上がって、窓を少し開ける。

冷えた空気が入り込んできて、目が覚める。


スマホを手に取るが、通知はない。

確認するまでもなく、分かっていた。


誰とも、連絡を取っていない。


それが特別だとも、思わなかった。


昨日の装備を、もう一度整える。

乾かしきれなかった布の匂いが、少しだけ残っている。


素材袋を持ち上げると、はっきりと重みが伝わってきた。

確かに、ここにある。



一人になった、とは思わなかった。

最初から、一人だった。


そういう感覚のまま、朝の支度を続ける。


まだ、何かを決める時間じゃない。

ただ、今日を始めるだけで、十分だと思った。





買取所のカウンターは、やはり低かった。

前に立つ探索者の背中が、視界の半分を塞いでいる。



床に置かれた素材袋を、足元で少し寄せる。

袋の口は、もう一度だけ確認した。


前の探索者が、まとめて袋を出す。

中身を広げる音が、乾いた空気に混じる。


 


「今回は数が揃ってますね。

 この系統がこれだけ出るのは、珍しい」

 


「運が良かっただけです。

 正面は、だいぶ削られましたけど」


 


担当者は、淡々と頷いた。

端末を操作しながら、数値を読み上げる。


 


「合計で、この金額になります。

 内訳は、こちらで確認できますが……」

 


「いえ、大丈夫です」


 


探索者はそれだけ言って、金を受け取った。

表情は動かない。


順番が回ってくる。


 


「お願いします」


 


袋を差し出すと、担当者は一瞬だけ中を見る。

すぐに、分かったように息を吐いた。


 


担当者は画面を見たまま、言った。

「……分配分? ですね。

 全体の、四割前後といったところでしょうか」



「はい。

 その取り分になります」



「了解しました。

 取引としては、この量が基準になります」


 


それは、責める言い方ではなかった。

事実を、そのまま置いているだけだ。



「今回は、この範囲になります」



端末に表示された金額を見る。

少ない。

けれど、想定より下でもない。


 


「分かりました。

 それでお願いします」


 


現金を受け取り、財布に入れる。

厚みは、ほとんど変わらない。


 


担当者は、こちらを見ずに言った。

「同じ個体でも、

 回収された状態や、

 分割の仕方で、評価は多少前後します」

 

 

「……ですよね」



「ええ。

 分配された分が、そのまま取引単位になります。

 今回は、その範囲での評価です」


 


そう言って、次の客に視線を移した。

それ以上、話は続かない。


隣のカウンターでは、別の探索者がやり取りをしている。

袋の数も、量も違う。


 


「今日は、かなり入ったみたいですね」



「ええ。

 久しぶりに、ちゃんと数字になりました」


 


声は落ち着いている。

喜びを誇示する感じではない。



比べる必要はない。

そう思いながら、目は一度だけ向いた。


すぐに、視線を戻す。



これは、俺が選んだ分だ。



外に出ると、空気が少し冷たかった。

ポケットの中で、財布を押さえる。


受付で告げられた数字を、もう一度だけ思い返す。

数日前なら、考えもしなかったやり取りだ。


数字は小さい。

だが、判断は形になった。


今日は、それで足りていた。





電車は、思っていたよりも混んでいた。

夕方に近い時間帯で、座席はほとんど埋まり、立っている人の肩が触れる距離だ。



俺も立ったまま吊り革を握る。

人の気配は多い。

会話の断片や、スマホを握り直すときの小さな音、誰かの笑い声が、断続的に耳に入ってくる。


それらはすべて、この場にあるだけの音だった。

こちらに向けられたものではないし、関わる必要もない。


一人でいる、という感覚はなかった。

ただ、他人と並んでいないだけだ。



窓に映る自分の顔を、ぼんやりと眺める。

疲れているのは分かるが、嫌な疲れ方ではなく、頭の中は静かだった。



今日のことを順番に思い返そうとはしなかった。

浮かんでくるのは、切り取られた場面だけだ。



楓の背中。

一定の速度で、迷いなく進んでいく動き。


俺の足音。

半拍遅れる判断と、呼吸を整えるために必要だった時間。


並べなかった、という事実だけが残っている。

理由を探すほどでもなく、否定する気にもならなかった。



強さの差、という言葉で片づけるのは簡単だ。

だが、それだと、少し違う。


同じ場所に立っていた。

同じ危険を理解し、退く判断も出来ていた。



ただ、続けられる時間が違った。

止まらずに進める距離が違った。


それだけのことだ。



一人で潜る、という選択は、勇気の話じゃない。

誰かに置いていかれないためでも、誰かを避けるためでもない。


速度を合わせない、というだけだ。



合わせられない、ではなく、合わせない。

その違いは小さいが、意味は違う。


並べないから一人になる、という順番じゃない。

自分の速度があって、それを守ると、結果として一人になる。



電車が揺れ、吊り革を握り直す。

周囲を見渡すと、誰もがそれぞれの速度で動いている。


急いでいる人。

疲れて座り込んでいる人。

スマホから目を離さない人。


同じ車両にいても、並んでいるわけじゃない。

それと、少し似ている気がした。



孤独、という言葉は少し大げさだ。

だが、否定するほどのものでもない。


一人でいる時間は、確かにある。

ただ、それが失敗だとは思わない。


誰かと一緒にいることが、常に最適なわけじゃない。

今日の俺は、誰かの速度に合わせる余裕がなかった。


それだけだ。



足元に伝わる感触を、無意識に確かめる。

重みは、さっきと変わらない。



選んだ立場。

選んだ距離。



それが、現実として残っている。



電車が次の駅に差し掛かり、降りる人たちがドアの前に移動した。

俺はその後に続く。



一人でいることに、特別な意味づけをする必要はない。

今は、これでいい。


そう思える程度には、気持ちは整っていた。



――あとのことは、降りてからだ。



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