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退く理由ある探索者  作者: ソイラテ
14/17

第14話 勝ってしまった記憶

思ったよりも人がいた。


ダンジョンの入口は、多すぎるわけでも少なすぎるわけでもない。

管理下に入ってからの、あの中途半端な賑わいだ。



入る人と、出てくる人。

装備を整える人と、ただ立ち止まっている人。

誰もがここを「特別な場所」だと思っている。

それなのに、「日常の延長」みたいな顔もしている。



人の流れを目で追っていると、ふと、空気の向きが変わった気がした。



俺は、その少し外側に立っていた。


今日は潜るつもりだった。

深い理由はない。

時間があって、体調が悪くなくて、危険度表示も低〜中のままだったから。



それだけのはずだった。


昨日の半額弁当のことを、思い出そうとはしていない。

なのに、どこかで引っかかっている。



懐かしい、というほどでもない。

はっきりした記憶が蘇るわけでもない。

ただ、触れてはいけない糸の端に、うっかり指がかかっている感じがする。



入口の奥は、いつも通りだった。

光源のないはずの空間。

でも輪郭だけは、ちゃんと見える。



あの淡い明るさに、もう違和感はない。

考えすぎても意味がないことは、何度か潜って、嫌というほど分かった。


見えているうちは、動ける。

それでいい。



視線が、自然とそちらへ向く。

理由は分からない。

音がしたわけでもないし、誰かに呼ばれたわけでもない。



それでも、俺には、そこに“誰か”がいると分かる。


姿は、まだ見えない。

顔も、声も、思い出せない。



ただ、あの半額弁当の前で感じた、言葉にならなかった引っかかりだけが、今もほどけずに残っている。


今日は潜るつもりだった。

それを、疑う理由はなかったはずなのに。



それでも――

ここに立っている理由が、少しだけ、揺らいだままだ。





人の流れが、ほんの一瞬だけ途切れた。

その隙間に立っていたのは、昨日、半額弁当の前にいた彼女だった。



やっぱり、気のせいじゃなかったらしい。


目が合う。

正確には――合いかけて、すぐに外される。



彼女のほうが、先に気づいていた。


「……やっぱり、そうだと思った」



声は低くて、少しだけ硬い。

俺に向けているというより、確認のために口に出したみたいな言い方だった。


「……昨日ぶり、だね」



言われて、ようやく現実味が増す。


「うん。……昨日ぶり。

 ここに来るとは、思ってなかった」



「……うん」


それ以上、言葉が続かない。

昨日は、弁当という逃げ道があった。

今日は、ない。



一度だけ俺を見て、すぐに視線を入口の奥へ戻した。


「……この時間帯、あんまり人が来ないから。

 ちょっと意外だった」


「そう、なんだ」


「管理されてから、少し変わったでしょ。

 初心者が減って、 逆に、慣れてる人だけが残る感じになってて」

 


説明口調なのに、どこか距離を測っている話し方だ。


「……今日は、潜る予定?」


「そのつもり、だった」



隣に立つ彼女は、小さく息を吸って、少しだけ考える間を置いた。


「……そっか。

 じゃあ、昨日みたいに偶然ってわけでもないんだ」

 

否定も肯定もしていないのに、勝手に線を引かれた気がした。



「……あのさ」


彼女が、こちらを見ずに言う。


「名前、ちゃんと名乗ってなかったよね。

 昨日は、それどころじゃなかったし」

 


「あ……うん」


一ノ瀬、楓(いちのせ かえで)

 楓でいいから」

 


言い切りだった。

距離を縮めるためじゃなく、整理するための名乗り方。


「……悠真(ゆうま)


苗字は言わなかった。

楓も、そこは突っ込まない。


「……悠真くん、ね」


一度、口の中で確かめるみたいに繰り返してから、それ以上は踏み込んでこなかった。



入口の雑音が、会話の隙間を埋める。


「……昨日のことなんだけど」



楓が、少しだけ声を落とす。


「別に、気にしてないならいいんだけど。

 ああいう場面、 気まずくなる人も多いから」


「……俺は、大丈夫」


即答だった。

考える必要もなかった。



「……そっか」


その一言で、楓は話を切った。



楓は、わずかに距離を取る。

近づかないし、完全に離れもしない。


並ばない位置。


「じゃあ……私は、そろそろ」


そう言いながらも、すぐには動かない。



奥を見る。

入口を見る。

最後に、もう一度だけ俺を見る。


「……また、どこかで会うかもね。

 このダンジョン、 狭いようで、変に巡り合わせがあるから」


「……そう、だな」


それで、会話は終わった。


楓は先に歩き出す。

振り返らない。



昨日感じた懐かしさが、今ははっきりと、形を持って残っていた。


理由は、まだ分からない。

でも――

偶然じゃなかったことだけは、確かだ。





楓が歩き出して、数歩分。

俺は、その背中を追わなかった。


追いかける理由も、引き止める言葉も、今は持っていない。



入口の前で、装備を確認する。

いつも通りだ。

紐の締め具合、靴底の感触、持ち物の位置。


それでも、視線だけは自然と、さっき楓が見ていた方向へ向いてしまう。



同じ層。

同じ時間帯。

単独で行くには、少しだけ判断が面倒な難度。


……偶然、ではある。


でも、無関係とも言い切れない。



「……悠真くん」


呼ばれて、顔を上げる。

楓は、入口から少しだけ離れた場所で立ち止まっていた。



近づいてはこない。

距離は、そのまま。


「この先、ギルドの区分で言う三層目あたりまで、行くつもり?」


ギルドが便宜的に付けている呼び方で、

奥行きそのものが、急に変わるわけじゃない。



「……たぶん」


即答しなかった。

正確には、決めきれていなかった。


楓は、小さく頷く。


「私も。

 今日は、様子を見るだけでいいかなって。

 時間帯と、人の入りを考えると、今なら、ちょうどいい」

 


説明は簡潔で、感情がない。

誘いというより、条件確認に近い。


「……一人でも、行けなくはないけど」



そう前置きしてから、楓は言葉を続けた。


「入口から、あの分岐までなら、動線が被る。

 別に、チーム組むって話じゃないし」


“別に”という言い方が、先に線を引いてくる。



俺は、すぐには答えなかった。


頭の中で、利点と、面倒と、危険を並べる。



一緒に動けば、視界は増える。

判断も、少しだけ楽になる。


でも――

並ぶことは、選ばなかった。


「……そこまで、なら」



そう答えると、楓はそれ以上、何も言わなかった。


「じゃあ。

 無理そうだったら、 途中で離れてもいいから」


「……うん」


助かる、とは言わない。

楓も、安心だとは言わない。


ただ、条件が一致しただけだ。



入口をくぐる直前、楓は一度だけ、こちらを見る。


「前、行くね」


「……了解」


並ばない。

前後の位置も、少しずらす。


それでいい。


ダンジョンの中へ、それぞれの判断を持ったまま、同じ方向へ歩き出した。





ダンジョンに入ってから、空気の手触りが、少しずつ変わっていく。


音が、はっきりしなくなる。

近いのか遠いのか、反響が一拍遅れて戻ってくる。



このあたりの感覚は、覚えがあった。


前に一人で潜ったときも、引き返すかどうか迷ったのが、ちょうどこの辺りだったはずだ。



初めての場所、という感じはしない。

ただ――

今日は、一歩だけ奥に進んでいる。



楓は、少し前を歩いている。

並ばない距離。

視界には入るが、隣にはいない位置。



足取りは一定だった。

通路の分岐に差しかかるたび、一瞬だけ足を止めて、進行方向を選んでいく。



俺は、その半拍後ろで止まる。


急がなくていい。

決めなくていい。



音。

壁。

退路。


全部、見てからでいい。



視界の端に、採取できそうな場所があった。


楓が前を見ている今なら、

手を伸ばす余裕は、たしかにある。


一人では無理でも、

二人なら、出来なくはない。


けれど――

今日は、様子を見るだけでいい。




問題は、その次の分岐だった。


視界は悪くない。

危険度も、低くはないが高すぎもしない。

失敗しても即死、というほどじゃない。



ただ――

判断が、必要な場所だ。



楓が、踏み出しかける。


一歩。

半歩。


……止まった。



ほんの一瞬。

体感で言えば、0.5拍。


それだけのことなのに、違和感として、はっきり残った。



迷った、というより。

躊躇とは、少し違う。


安全側に、振り切ろうとした感じ。


「……行けますか」


確認する声は、短い。

必要最低限。


「……うん。大丈夫」


答えも、短い。

説明はない。



楓は、少しだけ進路をずらして、より安全そうな通路を選んだ。


間違いじゃない。

むしろ、正しい。



それなのに――

さっきまでと、少しだけ違う。


判断の精度が落ちたわけじゃない。

ただ、一瞬だけ、何かが引っかかった。



理由を聞くことは、しなかった。

名前をつけるほどの違和感じゃない。



俺は、足を止める。

楓も、同じタイミングで止まる。


通路は、静かなままだった。

成功でも、失敗でもない。



ただ、一拍あった、という事実だけが残る。


俺にとっては、それで十分だった。





分岐を抜けた先に、少しだけ天井が高くなる場所があった。


行き止まりではない。

でも、視界が開けていて、音も反響しにくい。


自然と、足が止まる。



「……ここ、少し休めるね」


楓が、周囲を一度だけ確認して言った。

提案というより、確認に近い。



「……うん」


腰を下ろすほどじゃない。

でも、立ち止まる理由にはなる。



楓は、壁から半歩分だけ距離を取って立つ。

寄りかからない。

楽をしすぎない。


沈黙が落ちる。



さっきの分岐のことを、口にするつもりはなかった。

名前を付けるには、まだ早い。


楓のほうも、何も言わない。

しばらくして、楓が小さく息を吐いた。


「……さっきの、分岐」



それだけで、何の話かは分かった。


「別に……間違ってたわけじゃないから」



言い訳の形をしているけど、誰に向けたものかは分からない。


「ただ……」



言葉が、続かない。

楓は一度視線を落としてから、ゆっくりと続けた。


「……昔、勝っちゃったことがあって」



一拍。


その言葉が、この場所の空気を、少しだけ変える。


「勝てば、全部うまくいくと思ってた」



淡々としている。

感情は、抑えられている。



「でも……そうじゃなかった」


それ以上、先には進まない。


俺は、すぐには何も言えなかった。



「……そうなんですね」


それだけ、返す。



楓は、こちらを見ない。

見ないまま、続ける。



「勝ったのに、取り返しがつかないことって、あるんだなって」


言い切らない。

結論も、付けない。



「……今は、そういうの、避けたいだけ」


それで、話は終わりだった。


楓は、言葉を切る。

これ以上は、出さないという合図。


俺も、踏み込まない。



勝つことと、生き残ることは、俺の中では、同じじゃないのかもしれない。


でも、その考えに名前を付けるのは、まだ早い。



沈黙が戻る。


さっきよりも、少しだけ重い空気を残したまま。





出口が近づくにつれて、ダンジョンの空気は、重さを手放すみたいに少しずつ軽くなっていった。


音が戻る。

人の気配が、壁越しではなく、はっきりとした距離感で伝わってくる。



ここから先で迷うことはない。

そう分かっているから、振り返る必要もなかった。


入口付近の淡い明るさが見えて、それまで止まらなかった足が、自然と減速する。



楓が、先に出口へ向かう。

俺は、その背中から半歩分だけ遅れて歩いた。



横に並ばない。

視線の高さも、歩く速度も、あえて合わせない。

それが、今日ここで選ばれた位置だった。



地上へ戻る直前、楓が、何かを思い出したみたいに立ち止まる。


「……今日は、ここまでにしておこう。時間も、ちょうどいいし」



相談という形をしているけれど、その言葉は、もう結論として落ちていた。


「……うん」



理由を聞く気も、引き留めるつもりもない。


「また、一緒に潜るかは……」



楓は、言葉の途中で少しだけ間を作ってから、ゆっくりと首を横に振った。


「今は、決めなくていいと思う。また一緒に潜るかどうかも」



「……そうだな」


次の約束も、今度は、という言葉も、どちらからも出てこない。

それでいい。



出口を抜けると、

ダンジョン特有の、あの輪郭だけの明るさが背中側に置き去りになる。

代わりに、人の声と足音が戻ってきて、世界が現実へと接続されていく。



楓は、少しだけ距離を取ったまま、最後に一度だけ、俺のほうを見た。


「……じゃあ。気をつけて」



それ以上を、何も含ませない別れの言葉。


「……また、どこかで」



約束にならない、偶然に委ねた言い方。

楓は、それに答えず、小さく一度だけ頷いた。



そして、先に歩き出す。

振り返ることはない。


俺も、追いかけなかった。



今日、一緒に潜った。

でも、隣に並んだわけじゃない。


その距離感だけが、言葉にされないまま、静かに残っていた。





ダンジョンから離れても、さっきの沈黙は、すぐには薄れなかった。



思い返そうとしなくても、勝手に引っかかる。


楓の言葉は、少なかった。

説明も、理由も、ほとんどなかった。



それでも、楓が話してくれた「勝った」という事実だけは、

妙に重く残っている。



勝てば、うまくいく。

前に進めて、取り返せる。


そういう考え方が、どこかで当たり前になっている。



でも――

勝ったのに、終わることもある。



取り返せないまま、先に進んでしまうこともある。


だから楓は、ああいう距離を取るのかもしれない。



踏み込まない。

決めきらずに、距離を残す。

それでも、生き延びるための選び方だった。


それは、弱さじゃない。

少なくとも、無意味な臆病さではない。



それでも、勝つことと、生き残ることは、同じじゃない。

そう感じ始めている。


まだ、理解したとは言えない。

言葉にも、できない。



ただ――

勝てばいい、という考え方だけでは、辿り着けない場所がある。


そんな気がした。



正しかったかどうかは、まだ、分からない。

もし、あのまま進んでいたら――


その続きを、考えるのはやめた。



今日は、一緒に潜った。

でも、同じ位置には立たなかった。


その選択が、間違いだとも、正解だとも、今は決められない。



決めなくていい。


そう思えるようになったこと自体が、前とは少し違う場所に立っている証拠だった。



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