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退く理由ある探索者  作者: ソイラテ
12/13

第12話 値段がつくのは、生き残ったあとだ

息が、遅れて戻ってきた。



境目を越えた瞬間、ようやく体が理解した。

空気の質が、変わっていたのだと。

冷たさが抜ける、というより、胸にまとわりついていた重さだけが、すっと薄れる。



音が戻り、少し離れた場所から、人の声や足音が混じって聞こえてくる。

明るい。

ダンジョンの淡い明度とは違う、外の、ちゃんとした明るさだ。



――外に出た。



頭では理解しているのに、体の感覚だけが、まだ少し遅れている。

胸の奥に、緊張の名残のような硬さが、そのまま残った。


息をひとつ、意識して深く吸う。

それでも足は止めず、そのまま前へ進む。



ここで立ち止まると、さっきまでの感覚に引き戻されそうだった。


数歩、歩いたところで。



「すみません。少し、確認させてください」



背中から、落ち着いた声がかかる。



反射的に、肩に力が入った。

咎められる。

そう思ってしまうのは、たぶん癖だ。



「お一人でしたか? それとも、誰かと一緒に?」



「……一人です」



「そうですか。初心者、という認識で合っていますか?」



一瞬だけ迷ってから、小さく頷く。



「登録は、まだですね。名前や所属は、後で確認します」



紙に何かを書き込む音がして、すぐに次の言葉が続く。



「今回の行動ですが……正直に言います。かなり危険でした」



言い訳は、浮かばなかった。



「このタイミングで、単独で入るのは勧められていません。

 場所も、まだ整備が追いついていない。


 分かっていて入ったなら、無謀です」

 


運が悪ければ。

そう考えると、それだけで終わっていた。



「……たまたまです」



「ええ。結果論です」



即座に、否定も肯定もせず、言葉だけが返ってくる。


一拍、間があった。



「ですが」



一拍。

声の調子が、ほんの少しだけ上がる。



「それでも、生きて帰ってきた。そこは、ちゃんと受け取っていい」



言い聞かせるでも、持ち上げるでもない。

ただ、事実として置かれた言葉だった。



「無事に戻れなかった人も、少なくありません。だから……帰ってきたこと自体は、悪くない」



胸の奥に残っていた硬さが、わずかに形を変える。


生きて、戻ってきた。

その事実だけが、残った。




「このあと、少し時間はありますか」



断る理由は、思いつかなかった。



「大丈夫ですよ。 罰とか、そういう話ではありません。登録と、簡単な説明だけです」



言われなくても、連れていかれる流れなのは分かる。

それでも、言葉としてそう補われると、少しだけ身構えが解けた。



「……分かりました」



声は、自分でも驚くほど小さい。



「歩きながらで構いません。ここに長く立ち止まるのも、あまり良くないので」



そう言って、管理側の人は先に歩き出す。

俺は半歩遅れて、その後ろについていった。



ダンジョンの出口から離れるにつれて、周囲の音が、少しずつはっきりしてくる。



車の走る音。

誰かの笑い声。

スマホ越しの会話。



さっきまでの場所が、もう遠い。



「乗ってください。登録施設までは、少し距離があります」



言われるまま、後部座席に乗り込む。


走り出すと、窓の外の景色が、ゆっくりと流れ始めた。

街の音が、ガラス一枚分だけ遠ざかる。



ダンジョン探索は、思っているよりも疲労が蓄積していたのかもしれない。

安心できる空間のせいか、ギルドの敷地に入るまで、

すっかり眠ってしまっていた。



「次からは、無理をしないほうがいい」



前を向いたまま、声だけが飛んでくる。



「特に、一人なら。判断を誤ったとき、誰も止めてくれませんから」



「……はい」



それ以上、言葉は出なかった。



「単独で潜る人を、否定するつもりはありません。ただ、準備と登録は、最低限です」



歩調は一定で、急かす感じもない。

説教というより、確認に近い。



「登録しておけば、緊急時の連絡や、立ち入りの可否も分かりやすくなります」



「……迷惑、かけました」



一拍。


「結果的に、生きて戻っています。そこは、今はそれでいい」



それ以上は、続かなかった。


ギルドの建物が見えてくる。

外からでも分かるほど、人の出入りが多い。



中に入ると、空気が一段、柔らかくなる。

ダンジョンとは違う、安全な場所の匂いがした。



「ここからは、事務の担当が対応します」



そう言われて、軽く頷く。


足は、自然と止まっていた。

ただ、まだ今日は終わっていないらしい。





中に入ると、空気がはっきり変わった。


明るい。

照らされている、という感覚がある。


ダンジョンとは違う。

影は影として存在していて、輪郭もはっきりしていた。



人の気配が多い。

話し声、紙の擦れる音、足音。


どれも、危険とは無関係な音だ。



「こちらです」



案内されて、受付の前に立つ。


椅子を勧められて、座る。

背もたれに体重を預けた瞬間、さっきまで意識していた力が、少し抜けた。



「名前と、生年月日だけお願いします」



端末の画面を見ながら、淡々とした声。



「……悠真です」



苗字を続けようとして、やめた。

それ以上を求められなかったので、そのまま黙る。



「学生さん?」



「……はい。今は、休学中で」



「分かりました」



それ以上、踏み込んでこない。



「本日の侵入は、単独ですね」



「……はい」



「武器の持ち込みは?」



「……なしです」



画面を操作する音が続く。

質問は必要最低限で、感情は乗らない。


特別扱いされていない。

それが、少しだけ楽だった。



「初心者登録になります。注意事項は、後ほどまとめて渡します」



紙が一枚、差し出される。



「危険区域への立ち入り制限。単独行動時の推奨ルート。緊急時の連絡先」



淡々と読み上げられる内容を、黙って聞く。


どれも、正しい。

今さら反論する気にもならなかった。



「今回の件について、追加の処分はありません」



その言葉で、ようやく息を吐いた。



「運が良かっただけ、とは思わないでください」



顔を上げる。



「ただし、次も同じとは限りません。それだけ、覚えておいてもらえれば」


「……はい」


「ではこれを。正式なものは、またあとで」



それで、ひとまず話は終わった。


登録証の仮カードを渡される。

薄いプラスチックの感触が、指に残った。



安全な場所にいる。

そう、体が理解し始めている。


今日は、それで十分だ。





手続きが終わると、空気が少しだけ緩んだ。

職員さんの手元から端末が消え、書類の山も、ひとまず脇に寄せられる。



「今日は、もう帰って大丈夫です」



その一言で、空気がさらに緩む。



「そういえば無事だったということは、

モンスターには遭遇しなかったんですね。

本当に、運が良かったです」



一瞬、言葉に詰まる。


否定する必要は、ない。

そう思えば、そのまま頷いて終わりでもよかった。



「……実は」


声が、自分でも分かるくらい小さい。



「遭遇、しました。戦闘に……なって」


職員さんの手が、止まる。



「倒した、というほどじゃないです。逃げて……そのあと、少し当たって」



説明になっていないのは、分かっている。



「それで、これを」



ポケットから、小さな欠片を取り出す。


黒っぽい外装の一部。

欠けていて、形も揃っていない。



机の上に置いた瞬間、職員さんの視線が、そこで止まった。


一拍。



「……少し、見せてもらっていいですか」



手袋をして、欠片を持ち上げる。


角度を変え、光にかざし、もう一度、静かに眺める。



「状態は……悪くないですね」



その言葉に、理由は続かなかった。



「欠け方が、少し珍しいです」



それだけ。


詳しい説明はない。

講義のような口調でもない。



「今は、この手の素材、流通が少なくて」



短い言葉が、淡々と積み重なる。



「大した量ではありませんが……。買い取りは、できます」



「……いくら、ですか」



数字を聞いても、実感はなかった。


思っていたより、高い。

そう感じたことだけは、分かる。


驚きはしたが、誇らしいという感覚は、なかった。



「運が良かっただけです」



反射的に、そう言っていた。



「そういうものです」



否定も肯定もせず、言葉だけが返ってくる。



「生きて戻ってきた人にしか、ここまでは回ってきませんから」



封筒が、静かに差し出される。

中身の重さより、それが現実になったという感触のほうが、少しだけ重かった。


値段がついたのは、ここまで生きて戻ったからだ。


これで、少しは余裕ができる。

それ以上の意味は、まだ、考えない。




ギルドを出ると、外の空気は思っていたより冷たかった。

建物の中にいた時間はそれほど長くなかったはずなのに、

体はすっかり楽なほうに慣れてしまっていたらしい。



一歩、外に出ただけで、現実の温度に引き戻される。


登録証と、封筒を確認する。

どちらも、薄い。



重さだけなら、さっきまでポケットに入れていた素材の欠片と、大して変わらない。



それでも、ポケットに入れると、ちゃんと「持っている」という実感があった。

形がある、というだけのことなのに。



歩きながら、頭の中を整理する。



結果だけ見れば、運が良かっただけだ。

逃げる方向を、たまたま間違えなかった。

距離の取り方も、偶然うまくいっただけ。



当たりどころが悪ければ、欠片なんて残らなかったはずだ。


次も同じとは限らない。

同じ状況なんて、二度と来ないかもしれない。


浮かれるには、まだ早い。

胸を張るほどのことでもない。



「次も同じだ」と思い込むほうが、ずっと危ない。



生きて、戻ってきた。

その事実だけが、あとに残る。


職員さんの言葉が、少し遅れて、頭の奥で反響した。



――受け取っていい。



ああいう言い方をされると、否定するのも、少しだけ面倒になる。


封筒の中身を、もう一度思い浮かべる。

金額としては、大きなものじゃない。


何かが劇的に変わるほどでもないし、これで安心して暮らせるわけでもない。



それでも。



食費を削りすぎなくて済む。

半額になる時間を、毎回、神経質に気にしなくてもいい。



おにぎりの具を、昆布から、たまに鮭に変えても、罪悪感を覚えずに済む。


それだけで、少しだけ、呼吸が楽になる。



強くなったわけじゃない。

分かったことが、増えたわけでもない。


判断が正しかった、なんて言うつもりもない。



ただ、生き延びた。


それだけの結果が、今は、ここにある。



今日は、それでいい。

明日のことは、また明日、考えればいい。


今は、ちゃんと帰って、何か温かいものを食べて、眠ろう。



空腹だけが、はっきりと残っていた。



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