ムリムリご挨拶
ある部屋の前で、だいきが足をとめた。
ドアの横にお手伝いさんのような方がいて、取り次いでもらうようだ。
僕の心臓がバクバクと強く存在を主張し始めた。
だいきのこわいおふくろさんにこれから会うんだ。
すぐに部屋に通された。だいきの後に続く。
そこは洋式の応接間のようで、赤を基調とした部屋に触らなくても分かるくらいふかふかのソファーと、ガラスのテーブルが1セット置いてあった。奥のソファーには女性が座っている。
「あら、来たのね。久しぶりじゃない」
僕はあわててお辞儀をした。
「顔をあげて座ってちょうだい」
ソファーは見た目以上の弾力で、たぶん僕は少し跳ねたのだと思う。上手く座れなくて恥ずかしい。
「こんにちは。この子が噂のかわい子ちゃんかしら」
「ああ」
正面から向き合ってみると、だいきのおふくろさんはお母さん、というよりは女社長という感じだった。セミロングの金髪に、黒い耳。今更だいきの金髪は地毛だったんだなと思う。
全身レザーが制服だというだいきの言葉は本当だったようで、おふくろさんも全身真っ黒でテカテカしていた。
そして大きい。とても大きい。あれ、だいきより大きいかもしれない。
特別ごついというより、とにかく大きいって感じだ。
おかまを疑うデカさだ。胸はふくらんでいる。
なんとなく、視線を下げてしまい後悔した。あれ?ふくらんでる……⁉
やっぱりちゃんと話を聞くべきだった。
「ハイエナ族が珍しいのかしら。ハイエナは女性の方が大きいのよ。だいきったら、無口でごめんなさいね。何にも話してくれないでしょう」
じろじろ見てしまっていたことが、申し訳なくなった。自己紹介もまだだった。
「はじめまして。しゅんと申します。だいきくんとお付き合いさせていただいております。よろしくお願いいたします」
一気にまくし立てた。お付き合い、のところで隣のだいきがピクリと反応したのがわかった。
僕から言うつもりはなかったのに、だいきが黙ってるのが悪いんだぞ、と心の中で悪態をつく。
部屋の空気はピリピリしていて、一度口を閉じたらもう二度と開けないんじゃないかというように思えた。とにかく一秒でも早く帰りたかった。
「恋人も出来たし、大学でも上手くやっている。もういいだろ。俺のことは放っておいてくれ」
だいきの声は落ち着いていたが、言っていることは思春期の若者のようだ。
僕も心の中で一緒に、もう帰らせてください、とお願いをする。
おふくろさんは、ふふっと、笑って言った。
「そうね。ちゃんとゴアイサツしたら、考えてあげる」
チッ
だいきが隣で舌打ちをした。
ご挨拶ってなんだ。制服みたいに、特別なきまりでもあるのだろうか。
「ほら、どうするの?」
舌打ちをしてから、なかなか動き出さないだいきにしびれを切らしたのか、おふくろさんが尋ねた。
おふくろさんは足を組み、ひざの上に肘を置き、口元に手を持っていった。
当然こちらに身を乗り出すような格好になる。心なしか目はギラギラと輝き、隠された口元は舌なめずりをしているように見えた。座っているからよく分からないが、たぶん2m近い身長の美人だ。
犬は雑食だが、僕はすっかり捕食される前の草食動物の気持ちになっていた。
ハイエナは犬も食べるんだろうな……死ぬ。
がくがくと震えそうになる体を必死になだめていると、視界の端で何か動いているのが見えた。
ちらりと横を見ると、だいきの脚がダンダンと動いていた。貧乏ゆすりだ。
「あ~、もうしょうがねえなっ」
だいきが片手で頭をゴシゴシかきながら、何か言った。
そして体ごとこちらを向く。
なに?そんなにしぶって何するの?
だいきをガン見してしまった。僕は間抜けな顔をしていただろうと思う。
いつもピンと立って犬と間違えられただいきの耳が、なんと垂れ下がっている。
お、僕とおそろいじゃないか。言い忘れていたが、僕の耳は三角のたれ耳だ。
いや違うか、だいきのどちらかというとひこうき耳で、後ろに下がっているもんな。
僕がちょっと耳を後ろにひっぱればおそろいになるかな。
部屋の緊張感がすごすぎて、意味のわからん方向に頭がびゅんびゅん回る。
だいきと目が合ったのは、実際にはほんの一瞬だった。
すぐに抱きしめるように覆いかぶさってきて、僕は思わず避けようとした。
しかし、だいきの上半身はたくましく、腕はとても長いので、逃げる前に捕まり、僕のおでこがだいきの胸元に押し当てられた。
これから何が起こるのか分からなくて、離れようとしたが、
「お願いだ、すぐ終わるから」
耳元でささやかれて、僕は動きを止めた。まだ一生のお願い終わってなかった。
なんかもらえるんだっけ。いや、土下座されただけだ。あとで何かお願い……。
僕の動きが止まったのを見て、了承したと思ったらしい。
ソファーに座ったまま、上半身だけだいきの方を向いていたのだが、だいきに両手で腰を掴まれて、ちょっと浮いた。思わず、うわっと声が出る。いや、成人男性よ。僕は中肉中背なんだよ~。
そのままいつの間にソファーの上であぐらをかいた、だいきの上に座らされた。
急に視線が高くなる。あぐらの上に座るのはバランスがとりづらい。グラグラする。
向き合っているので、顔が近い。足に力を入れたら、だいきの腰にかかとが当たった。ごめんなさい。落ち着かなくてキョロキョロしたら、おふくろさんと目が合った。こわい。
どういうことなんだと、だいきに顔で表現してみようと試みたが、果たして伝わっただろうか。
だいきの耳は相変わらずひこうき耳で、怒るに怒れない。
小さな「ごめん」という声が聞こえたかと思うと、後頭部が抑えられ、何も見えなくなった。
近すぎて見えない。はじめての感触に全身の毛が逆立つ。本当になんでこんなことになった。
僕はかわいい彼女が欲しかったんだよ~。頭を引こうとしたが、無駄だった。
腕をつっぱって距離を取ろうとするも、失敗に終わる。
しかし、それで終わりではなかった。
せめてもの反抗として、何が何でも口は開かないぞと頑張っていると、あらぬところを触られ、ビクリと体が跳ねる。
もう何が何だかわからなかった。
僕の頑張りもむなしく、最後は口もこじあげられてしまった。
すごい熱いものが触れて、だいきも興奮しているんだなと思ったこと。
永遠にも思えた行為がやっと終わり、離されると同時に倒れ込んだこと。
目を閉じる直前に見えたおふくろさんのご立派なもの。
僕が覚えているのはそのくらいだ。
「いいわ、勝手にしなさい」
おふくろさんのその言葉に、僕は安心して意識を手放した。