幕間1ー1.オリヴァーの作戦(1)
オリヴァーがヴィオラを初めて見かけたのは、一年ほど前、とある学会でのことだった。
「それでは、質疑応答に移りたいと思います。どなたか質問のある方はいらっしゃいますか?」
司会が呼びかけるも、会場は死んだように静まり返っている。彼らの反応に、オリヴァーは小さく溜息をついた。
今の発表には致命的なミスがあった。気づいている者もチラホラいるが、皆一様に押し黙っている。なぜ指摘しないかというと、発表者がマクガヴァン教授だからだ。
彼は権威ある研究者だが、気に入らない者に対してはネチネチネチネチ重箱の隅をつつくような指摘をしてくることで有名だった。皆、自分が彼の標的になるのが怖いのだ。
(仕方ない。俺が指摘するか)
オリヴァーが手を挙げようとしたその時、むさ苦しい男ばかりの会場に似つかわしくない、美しい女の声が響いた。
「質問、よろしいでしょうか」
「リーヴス先生、どうぞ」
救世主が現れたとばかりに司会が勢いよく彼女を指名する。彼女は立ち上がると、堂々とした居住まいで口を開いた。
「素人質問で恐縮なのですが、そちらの術式のこの部分は、レヤードの式を用いるのが正しいと思うのですが、マクガヴァン先生がニコルズの式を使われている理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」
(((言ったー!!!!!)))
その場にいた全員が彼女の度胸に感嘆した。そして、皆が心の中で彼女に感謝しつつ、マクガヴァン教授の反応を固唾を飲んで見守った。
それから、彼女とマクガヴァン教授の熱い議論が始まった。教授は始めこそ顔を赤くして怒ったように反論していたが、次第に劣勢になり、遂には顔を青くして自分のミスを認めた。何と、まだ二十歳やそこらのうら若き女性が、往年の教授を完膚なきまでに論破してしまったのだ。
そのときオリヴァーは、言いようもなく気分が高揚した。
白衣姿の彼女は、プラチナブロンドの艷やかな髪を無造作に後ろでまとめており、その顔には化粧っけの欠片もない。しかし、誰が相手でも一歩も怯まないその堂々とした姿は、凛としてあまりにも眩しく、美しく見えた。いつも金と権力に群がってくる着飾った令嬢たちとは、一線を画している。
「彼女は?」
オリヴァーは思わず隣に座っていた側近のエドワードに小声で尋ねていた。
「ヴィオラ・リーヴス。リーヴス伯爵家の長女です」
「ああ、彼女が」
名門グリッジ大学を前代未聞の一年で卒業し、その後たった二年で准教授にまで上り詰めた、新進気鋭の若手研究者。二十歳を越えても未だ独身の行き遅れ令嬢。この場にいる者で彼女の名を知らない者はいないだろう。実物を見るのは初めてだったが、こうも凛々しく美しい女性だったとは。
オリヴァーが食い入るように彼女を見つめていると、エドワードは何を思ったのか眉間に皺を寄せながら険しい声で耳打ちしてくる。
「彼女にはあまりいい噂がありません。性格にかなり難ありだとか。彼女の研究室の学生は、彼女の横暴っぷりに皆逃げていったらしいです」
「ふうん」
オリヴァーはその噂を信じなかった。才ある者や若くして成功した者は、大抵周囲が嫉妬し根も葉もない噂を言いふらすものだ。
その後も登壇者が代わる代わる発表を行っていったが、彼女から放たれる「素人質問で恐縮ですが」は、何人もの熟年研究者を震え上がらせていた。その様子があまりにも痛快で、オリヴァーは内心笑いが止まらなかった。
強く、気高く、美しく、そして才ある女性。オリヴァーにとって、ヴィオラは理想そのものだった。
学会終了後の帰り道、オリヴァーは馬車に乗りながら満足げに外を眺めていた。そして、ニヤリと笑う。
「決めたぞ、エドワード。俺は彼女を妻にする」
「はい!?」
***
その後オリヴァーは、彼女を攻略する糸口を探るために「ヴィオラ・リーヴス」を徹底的に調べ上げた。
彼女の過去は、控えめに言ってあまり面白いものではなかった。幼少期は両親から愛されていたものの、ある時期を境に邪険に扱われるようになっている。妹のキャロルが散々嘘をついて周囲を騙し、姉であるヴィオラを陥れたからだ。
そして、貴族学校の卒業を間近に控えた時期に、婚約者だったジョセフ・オードニーから婚約破棄を言い渡されている。あろうことか、ジョセフは妹のキャロルと結婚しているではないか。
(周りの人間がクソすぎる。彼女の価値がなぜわからない。この国始まって以来の鬼才だぞ?)
オリヴァーは調査資料の束を机の上に放り投げ、大きく溜息を吐いた。
ヴィオラはジョセフの気持ちが離れた頃から、勉学や研究にのめり込むようになっていった。そして、貴族学校卒業後は、脇目も振らず、何かに取り憑かれたように研究に打ち込んでいる。
そして、どうやらヴィオラは色恋を避けるきらいがあるらしい。ジョセフとの婚約が破棄されたのはこちらとしては喜ばしいことなのだが、余計なトラウマを植え付けたジョセフに怒りも込み上げてくる。
(真正面から行っても、絶対にフラれるな)
金と権力を目当てに群がってくる令嬢たちであれば、眉目秀麗なオリヴァーがにこりと笑えば簡単に落ちる。だが、「ヴィオラ・リーヴス」はそうはいかない。
「諦めますか?」
側近のエドワードにそう聞かれ、オリヴァーは「まさか」と言ってニヤリと口角を上げた。
「俄然、燃えてきた」
***
オリヴァーはまず、ランドル男爵令息としてグリッジ大学に潜入した。そして、ヴィオラの授業を受け、質問をするという名目で彼女の研究室へ足繁く通った。
最初から王族として近づけば、彼女は遠慮して素を出せないだろう。それでは縮まる距離も縮まらない。
それに、王族から結婚を申し込まれれば彼女は断れる立場にない。嫌々結婚を強いるような真似はしたくなかった。あくまで、彼女が結婚に同意した形にしたい。
秘書のグレイス夫人はもともと王立研究所に勤めていたので、前々からの顔なじみだった。そのため、彼女には事前に自分の正体は秘密にしておいてくれと頼んでおいた。その一言で全て察したのか、世話焼きの彼女は「応援しております」と笑顔を返してくれた。
毎日のように研究室を訪れるオリヴァーに対して、ヴィオラはうんざりした表情は見せても追い返したりはしなかった。もう少し研究一辺倒なのかと思っていたが、存外面倒見が良いようだ。
「今日は随分と機嫌がよろしいですね。何か進展でも?」
「聞いてくれ、エドワード。今日も彼女のところへ質問しに行ったんだ。特にわからないところがなかったから、自分が理解している箇所を無理やり質問した」
「何ともご迷惑なことを……」
エドワードはやれやれといった表情で溜息をついていたが、オリヴァーは気にせず続きを話す。
「そしたら彼女にそれがバレたみたいで、ゴミを見るような視線を向けられた。いやあ、あの目は最高にそそられたなあ」
「…………」
恍惚とした表情を浮かべる主人に、エドワードは再び大きな溜息をついていた。