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8.二人の勝負


「一応言っておくが、私はこの契約を一年で終わらせるからな」


 ヴィオラの言葉に、オリヴァーの形の良い眉がピクリと動く。

 

「それは……そうならないよう、頑張らないとですね」


 そう言う彼は笑顔を浮かべていたが、目が一切笑っていなかった。そんな彼にそこはかとない恐怖を感じ、背筋にゾクリと悪寒が走る。まるで狼に狙われた羊の気分だ。


「……そもそも君は、いつまで婚姻関係を続けるつもりでこの契約を持ちかけたんだ?」

「永遠に」

「は?」


 意味がわからなくて思わず問い返すと、オリヴァーはまさかの言葉を口にする。


「愛する人とずっと一緒にいたいと思うのは、自然な感情だと思いますけど」

「…………」

「僕は一度たりとも、あなたのことを愛していないとは言ってませんよ?」


 彼はそう言って、いたずらっぽく笑った。一方のヴィオラは、驚きのあまり声も出ない。


(愛してる……愛しているだと? こんな粗雑で化粧っけもなく男勝りな女を? あり得ないだろう、そんな事!)


 彼の言葉を理解した途端、急に心臓がうるさく鳴り始める。ヴィオラは何かをごまかすように咄嗟に声を上げた。


「じょ、冗談はやめてくれ! 今は真剣な話をしてるんだ!」

「真剣ですよ」


 低く無駄に良い声が、ヴィオラの耳に響く。

 彼の金色に輝く瞳が、ヴィオラを射抜く。

 嫌味なほど美しい彼の面立ちは、今はただヴィオラを愛おしむためだけにその表情を形作っている。


(〜〜〜〜〜っ!)


 一気に顔に熱が上るのを感じ、ヴィオラは咄嗟に片手で口元を覆って俯いた。


(こいつは獲物を狙う狼なんかじゃない……毒だ。いつの間にか全身を蝕む、悪い毒だ)


 その毒が全身に回れば、誰しもが彼に陥落するだろう。彼にはそう思わせる程の何かがあった。


(もう色恋沙汰はゴメンだ……)


 ヴィオラはそう思い、雑念を追い払うように軽く頭を振った。そして、高鳴る心臓を落ち着かせようと静かに深呼吸をする。


 動揺が少し落ち着いてきた時、オリヴァーが不意にこんなことを言ってきた。


「先生、勝負をしましょう。一年以内に先生の心を射止められれば僕の勝ち。そうならなければ、一年後の契約更新の際に、離婚を受け入れます」


 その言葉にヴィオラは顔を上げる。すると、彼は実に挑発的な笑みを浮かべていた。何とも生意気なその表情に苛立ちを覚えたヴィオラは、顔を引き攣らせながら無理やりニヤリとした笑みを作る。


「……いいだろう、望むところだ」


(こっちは男に嫌われる三箇条を知ってるんだ……!)


 元婚約者ジョセフから聞いた、自分の「嫌な点」。これが役に立つときがとうとうやって来た。

 ヴィオラは内心勝利を確信し、ニヤリとほくそ笑みながらその三箇条を思い出す。


(見た目に気を使わないこと、男勝りに振る舞うこと、常に相手より賢くあること――)

 

 そこまで思い返して、ヴィオラは大変まずいことに気がついた。オリヴァーには既に自分の「嫌な点」を晒し続けていたではないか! それなのに惚れられたということは、今の振る舞いを続けても余計に好かれるだけである。


 こうして、「オリヴァーに嫌われよう作戦」は呆気なく棄却された。


(そんな女に惚れるなんて、彼はどれだけ物好きなんだ……)


 ヴィオラが大きく溜息をついて項垂(うなだ)れていると、オリヴァーが満面の笑みを浮かべてこう言った。


「ようやくあなたを手にすることが出来たんです。簡単に逃がすつもりはありませんよ? 先生」


 彼の言葉と笑みに、ヴィオラの背中にはゾワリとしたものが走った。そして、安易に契約を結んだ自分に脳内で激しく叱責をしたのだった。


 その後、馬車が目的地に到着すると、彼は「着きました」と言ってヴィオラを馬車から降ろしてくれた。

 

「……ここは?」


 そこに見慣れた大学寮はなく、ヴィオラの目の前には見事な豪邸が建っている。


「僕たちの新居です、先生」

「…………」

 

 オリヴァーの答えに一瞬思考が固まる。そして状況を理解し、彼に詰め寄った。


「一緒に住むなんて聞いてないぞ!」

「いま初めて言いましたからね」

 

 彼は何の悪びれもなくそう言うと、この家に住む利点をペラペラと話し始める。


「大学から近いですし、悪くない立地だと思います。それに、栄養満点な食事をお出しできるので、大学寮よりもよほど健康的な生活を送れるはずです。先生、いつもいい加減な食事ばかりですよね? 寝台も最高級の物を用意しましたので、質の良い睡眠が取れて研究もますます捗りますよ」


 オリヴァーはにこりと笑っている。有無を言わせずここに住まわせるつもりだ。それでもヴィオラは抗ってみる。


「条件になかった」

「はい。なのでこれは僕からのお願いです。僕と一緒に住んでくれませんか? あなたを振り向かせるためのチャンスをください」

「…………」

 

 自分の為にわざわざ用意してくれた家だと言われれば、そこに住まないのは流石に良心が痛む。そう思ってしまうほどに見事な家だった。


 それに、大学寮は生活に必要最低限なものしか揃っておらず、お世辞にも質の高い生活が送れているとは言えなかった。ヴィオラは現状で十分満足していたが、彼の言う通りこの屋敷に住んだ方が余程健康的で研究もより一層捗りそうなのは事実だった。


 ヴィオラは諦めたように溜息をついてから返事をする。


「……わかった、ありがたく住まわせてもらうよ。だが、これからはこういうことは事前に言ってくれ。心臓に悪いから」

「わかりました。ありがとうございます」


 彼は満足そうに満面の笑みを浮かべている。そんな彼に苦笑しつつ改めて立派な豪邸を眺めると、ふと違和感を覚えた。この家は明らかに完成したばかりの新築に見える。新築?


「待て。この家はいつから建て始めた?」


 ヴィオラのその問いに、オリヴァーはにこりと笑う。


「半年くらい前、ですかね」

「…………」


 ヴィオラは絶句した。

 オリヴァーが結婚話を持ち出してきたのはつい数週間前だ。だが、その時点でこの新居は完成していた。つまり、オリヴァーは新居を着工する半年前の時点で、既にヴィオラに契約を結ばせる計画を立てていたということだ。


 綿密な計画の前に、ヴィオラは成すすべもなく騙された。騙されるべくして、騙されたのだ。


「この詐欺師!!!」 


 こうして、ヴィオラの前途多難な新婚生活が幕を開けたのだった。


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