7.彼の正体
「オリヴァー・ルークラフト……王弟の息子の名だ」
ヴィオラがポツリとそうつぶやくと、オリヴァーはにこりと笑いながら頷く。
「その通りです」
その返答にヴィオラは固まった。
オリヴァー・ルークラフト。夜会には滅多に姿を現さない、研究好きの変わり者。しかし彼は極めて優秀で、確か国の教育機関の管理を任されつつ、自身も王立研究所で日々研究活動を行っているという。頭脳明晰かつ容姿端麗な彼は、滅多にお目にかかれない憧れの存在として、令嬢たちから密かな人気を集めているとかいないとか。
(まずい……)
どうやら予想以上の大物に引っかかってしまったようだ。厄介事に巻き込まれて自分の研究生活に支障が出るのはゴメンだ。
ヴィオラが顔を引き攣らせていると、彼はこちらの考えを見抜いたようにこう言った。
「安心してください。王位継承権はとうの昔に放棄してますので、御家関係の面倒事に巻き込まれる心配はありません」
その言葉にホッとするが、ヴィオラはもっと恐ろしいことに気づいてしまった。
「とても今さらなんだが……私は不敬罪で裁かれたりしないんだろうか……? 今まで相当失礼な態度を取ってきた気がするんだが……」
表情を強張らせてそう尋ねたヴィオラに、オリヴァーはクスクスと笑う。
「求婚しておいてそんな事するはずないでしょう? 今まで通りに接してください」
「いや、流石に敬語は使ったほうが……。君も私なんかに敬語はやめてくれ……ください」
ヴィオラが冷や汗を流しながらそう言うと、彼は必死に笑いを堪えながら言葉を返してくる。
「フッ、ククッ。いいえ、今まで通りでお願いします。それくらい近い距離感でいてくれたほうが、僕としても嬉しいので」
王族相手にこの接し方を続けるのは流石に気が引けたが、彼の頼みを断ることも出来ず、ヴィオラは仕方なく普段通りに振る舞うことにした。
「わかった……では、そうしよう」
「ありがとうございます」
オリヴァーは満足気ににこりと笑った後、すぐに眉を下げて少し申し訳無さそうな表情を浮かべた。一体何を言われるんだと、ヴィオラは思わず身構える。
「今日の段取りなのですが……まずは国王陛下に謁見した後に僕の両親に会う、という流れで構いませんか? 王城に結婚相手を連れてきたからには、流石に伯父上に挨拶しないわけにもいかず」
ヴィオラは、ああ、何だそんなことかと安堵し、彼に微笑みながら言葉を返す。
「それは全く問題無い。普段はああだが、公の場に出る際の礼儀作法は身につけているから安心してくれ」
そこまで口にして、ヴィオラははたと気づく。きちんと身なりを整えてきたとはいえ、本当にこんな姿で大丈夫だろうか。自分に粗がないか、急に焦りと不安が湧いてくる。
「……私はこの格好で大丈夫か? 変なところはないか?!」
ドレスや装飾品を確認しながら焦ったように尋ねると、オリヴァーはなぜかとても愛おしげな視線をこちらに向けてきた。
「大丈夫です、先生。この上なくお美しいですよ」
「…………」
彼の言葉にヴィオラがしばらくの間固まっていると、とうとう二人を乗せた馬車が王城に着いてしまった。
その後ヴィオラは、あれよあれよと謁見の間に連れて行かれた。いざ国王の前に立つと流石に緊張してしまい、そのせいでそこからの記憶はかなり曖昧だ。だが、皆が大いに歓迎してくれたことは覚えている。
国王と王妃は、オリヴァーの結婚を心から喜んでいた。
『いやはや、ヴィオラ嬢のお噂はかねがね。とても優秀な研究者だと聞いているよ。オリヴァーと結婚してくれて本当にありがとう』
『いつ結婚するのかと心配していたのよ? オリヴァー。こんなに素敵な女性を見つけられて、あなたは本当に幸せ者だわ。大切にしなさい』
そして、国王との謁見の後、彼の両親に挨拶をしたら、なんと泣きながら感謝されてしまった。
『君は我が家……いや、我が国の救世主だ……! この愚息と結婚してくれたこと、本当に感謝している……!』
『ありがとう……本当にありがとう……!』
(これ、一年後に離婚なんてできるのか……?)
ヴィオラは王城にいる間、終始それだけが不安で仕方なかった。
その後、ついでに王城で結婚の手続きを済ませた二人は、馬車に乗って帰路についていた。
「先生、これで晴れて夫婦ですね」
にこりと上機嫌なオリヴァーとは反対に、ヴィオラは酷く疲れた顔をしていた。
「いろいろと聞きたいことがあるんだが……」
「何なりと」
ヴィオラはひとつ息を吐いてから、居住まいを正して問いかける。
「私は君の妻として、何をすればいい?」
国王や王弟と話し、自分が王族に嫁いだという実感が湧いた。流石に今までの生活のまま、という訳にはいかないだろう。
真剣な表情のヴィオラに、オリヴァーは優しく言葉を返してくる。
「何も。今まで通り、大学で研究を続けていただければ」
「……本当に?」
「ええ。先生ほど優秀な方が研究職を離れるなど、この国の損失です。それに、約束したでしょう? 先生の研究の邪魔は絶対にしないと」
彼の答えに、ヴィオラは面食らってしまった。自分への扱いもそうだが、騙し討ち同然で契約を結ばせた彼が律儀に約束を守ってくれることに驚く。
「他には?」
彼にそう問われ、ヴィオラは気を取り直して質問を続ける。
「君のご両親は、なぜあんなに泣いていたんだ? それに……みんな歓迎しすぎじゃないか?」
「ああ、実は……」
彼は苦笑を浮かべながら理由を明かした。
「昔から両親にはいくつもの縁談を持ってこられたのですが……どのご令嬢とも話が合わなくて、僕もある日嫌気がさしてしまって。自分より賢い女性じゃないと結婚しないと言ったら、父からは『そんな贅沢言うなら自分で見つけて来い』と鬼のように叱られ、母からは『お前の結婚はもう諦める』と泣かれまして……」
まさかの話にヴィオラは唖然とした。そして、彼の両親の気持ちを慮って、哀れみの表情を浮かべる。
「何と言うか……君のご両親には心から同情するよ……」
この国でも屈指の秀才と言われる彼より賢い女性など、そうそう見つかるものではないだろう。ヴィオラだって、彼より賢いかと言われれば自信がない。
そんな無理難題を突きつけた息子がようやく結婚相手を見つけてきたなら、彼の両親が泣いて喜んでいたのも納得だ。
「そもそも、契約結婚なら別に頭の良し悪しなんてどうでも良かったんじゃないのか?」
「話が合わない人と結婚したいと思います?」
「……まあ、どうせ結婚するなら合うに越したことはないが……」
(形だけの夫婦なら、別に会話をすることもないんじゃないのか……?)
ヴィオラは不思議に思いつつも、一番言っておきたかったことを彼に伝えた。