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6.挨拶回り


 後日、無事論文の執筆が完了したヴィオラは、オリヴァーを連れ自分の実家へと訪れていた。家に帰るのは約一年ぶりだ。


「お久しぶりです。お父様、お母様」


 応接室で両親と対面したヴィオラは、普段通り愛想のないスンとした顔で挨拶をした。

 いつもなら「キャロルのように愛嬌のある人間になりなさい」などと説教されるところだが、今日は隣に客人がいるで流石にそれはなかった。が、少しおかしな反応が返ってきた。


「あ、ああ。久しぶり、ヴィオラ」

「げ、元気にしていたかしら?」

 

 両親二人の返事が妙にぎこちない。それに、なぜか二人ともわずかに顔を引き攣らせている。


(……なんだ、この反応は? 焦り、困惑……いや、恐れ……?)


 行き遅れ娘がようやく結婚相手を見つけてきたというのに、二人には喜んでいる様子の欠片もない。ヴィオラが心の中で訝しんでいると、隣りにいたオリヴァーがにこやかな笑みを浮かべて挨拶をした。


「この度はリーヴス閣下と奥方様にお会いでき、真に光栄です。ランドル男爵家のオリヴァーと申します。本日は、ヴィオラさんとのご結婚をお許しいただきたく馳せ参じました」


 既に婚姻の書類は書き上げているので、まあ要は形だけの挨拶だ。やっとこの気難しい娘をもらってくれる相手が出てきたとあらば、両親がこの縁談を断るはずがない。


 すると、ヴィオラの父が恐る恐るといった様子で返事をする。


「それはありがたい限りのお話なのですが……本当に、うちの娘なんかでよろしいのでしょうか……?」

「はい。ヴィオラさんでないとだめなのです」


 人好きのする完璧な笑顔でそう言ってのけたオリヴァーに、ヴィオラは心の内で感心していた。よくもまあ、こうも涼しい顔で嘘をつけるものだ。


「左様でございますか……。どうぞ、ヴィオラをよろしくお願いいたします」


 そう言って両親はオリヴァーに向かって深々と頭を下げていた。


 その後もしばらく四人で雑談を交わしていたが、両親は何故か終始怯えた様子を見せていた。しかし、そこまで両親のことに興味がないヴィオラは、特に何も聞かなかった。




 そして、また後日。

 この日ヴィオラは、オリヴァーと共に彼の実家を尋ねることになっていた。


 住まいである大学寮を出ると、既にオリヴァーが馬車で迎えに来てくれていた。しかし彼は、ヴィオラの着飾った姿を目にした途端、その大きな瞳をさらに大きく見開いていた。

 その反応にヴィオラはうんざりする。寮を出るまでに、会う人会う人全員にギョッとした顔で見られたからだ。


(そんなに驚かなくてもいいだろう……)


 この日のヴィオラは、ご両親への挨拶ということで、身支度にいつもの十倍以上の時間をかけていた。きちんと髪を結い上げ、美しい深緑色のドレスを身にまとい、普段めったにしない化粧も施していた。こんなに着飾るのは貴族学校の卒業パーティー以来かもしれない。


 自分の両親への挨拶のときは質素な服を身にまとっていたので、オリヴァーがヴィオラの着飾った姿を見るのはこれが初めてだ。ヴィオラは普段、白衣にメガネ姿なので、その変わりように彼が驚くのも無理はない。だがあまりにも態度があからさま過ぎて、少し癇に障った。


「……言いたいことがあるならはっきり言い給え」


 ヴィオラはオリヴァーをじとりと見遣ってそう言った。すると彼は、ハッと我に返ったように「すみません」と言ってから、こう続けた。


「あまりにもお綺麗で……つい見惚れてしまいました」


 ヴィオラはそのあまりにもストレートな言葉に呆気にとられてしまい、すぐに言葉を返すことが出来なかった。こんなにも真っ直ぐに褒められたのは随分と久しい。


「先生?」


 オリヴァーの声で、今度はヴィオラがハッと我に返る。そして慌てて返事をした。


「あ、ああ、その……ありがとう。お世辞でも嬉しいよ」


 するとその言葉に、オリヴァーは不服そうにムッと眉根を寄せる。


「僕はお世辞なんて言いませんよ」


 彼の返答にまた面食らってしまって、ヴィオラは彼からサッと視線を逸らす。


「そ、そうか。それはすまない。さあ、行こうか」


 ヴィオラは早くこの話題を終わらせたくて、不自然なくらいの早足で馬車へと向かった。動揺したせいで心臓がやけにうるさい。


 すると馬車に乗り込む際、オリヴァーがスッと手を差し伸べてくる。


「どうぞ」

「あ、ありがとう」


(ああ……慣れないなあ、こういうの……)


 ヴィオラはここ何年も男性から容姿を褒められたりエスコートをされたりすることなんてなかったので、この数分で随分と気疲れしてしまった。


「到着まで、書類仕事をなさっていて構いませんよ」

「ありがとう、そうするよ」


 もともとオリヴァーからそう言われていたので、ヴィオラは少しばかり書類の束を持ってきていた。

 このタイミングでの彼の申し出は非常に助かる。このまま目の前の美青年と会話を続けていたら、ご両親に会う前に気疲れで倒れてしまいそうだった。


 しばらく書類仕事に集中していたおかげで、ヴィオラはまた平静を取り戻すことが出来た。しかし、そのせいで()()()()に気づくことが出来なかった。


「先生。もうすぐ到着します」


 オリヴァーにそう声をかけられ窓の外を見たが、何やら様子がおかしい。嫌な予感が脳裏によぎり、ヴィオラは慌てて彼に尋ねる。


「おい、待て。君の家はどこなんだ? この道は王城に向かう道だぞ?」


 そう質問している間にも、馬車は着実に王城へと近づいている。そして当のオリヴァーは、何も返事をせずただニコニコと人好きのする笑顔を浮かべるだけだった。

 

 その瞬間、ヴィオラの予感が確信へと変わる。彼は男爵家の令息などではない。王族だ。


「君……謀ったな!?」


 オリヴァーに詰め寄ると、彼はようやく口を開いた。にこりと満面の笑みを浮かべながら。


「迂闊でしたね、先生。気づくチャンスは十分にありましたよ? 例えば、婚姻の書類とかね」


 その言葉に、ヴィオラは書類にサインした時のことを思い出す。あの時は論文執筆が大詰めで時間に迫られていて、よく確認もせずに署名してしまった。彼の名前が先に書かれていたはずなのだ。


 自分がとんでもないことをしでかしてしまったことに気づき、ヴィオラは両手で頭を抱えた。いくら忙しかったからといって、これはあまりにも酷い失態だ。


「あの時の私をぶん殴りたい……!!」

「先生のせいではありません。睡眠不足かつ忙しさがピークという、少しでも判断力が落ちているところを狙いましたので」


 にこやかに微笑みながらそう言ったオリヴァーに、ヴィオラは唖然とした。最初から全て彼の計画の内だったのだ。あのタイミングで美味しい話を持ちかければ、この女は乗ってくるだろう、と。ヴィオラはまんまと彼の罠に()まったというわけだ。


「この卑怯者!!」


 ヴィオラが罵倒しても、オリヴァーは全く気にする様子もなく、変わらず笑顔を浮かべている。


「なんと仰っていただいても構いませんよ。いま僕はすこぶる機嫌が良いので、どんな罵倒でも受け止められる自信があります」


 彼のそんな調子に、ヴィオラは何も言い返す気力がなくなってしまい、両手で顔を覆ってうなだれた。


「最悪だ……好きでもない相手と結婚して……それがよりにもよって王族だなんて」

「……それは流石に傷つきます」

「いや、それは傷つくのか」


 すかさずツッコミを入れてオリヴァーを見遣ると、彼はシュンとした顔をしていた。彼の意外な反応に少し戸惑いつつ、ヴィオラは抗議を続ける。


「とにかく、こんな契約は無効だ!」


 すると、オリヴァーは調子を取り戻したように、またにこりと笑って言葉を返してきた。


「それは難しいですね。こちらには正式な契約書がありますので。最低でも一年は離婚できません」


 彼の手には今回の結婚に当たっての契約書が握られていた。そこには紛れもなくヴィオラの署名が入っている。確かにこの書面がある限り、ヴィオラがこの契約を反故(ほご)にすることはできなさそうだ。


「それに、僕と結婚すれば利点がいっぱいですよ、先生」

「利点?」


(不利益がいっぱいの間違いじゃないのか?)


 ヴィオラが訝しんでいると、オリヴァーは得意げにこう言った。


「僕なら、魔力量の少ない先生のために、いつでも実験助手ができます」


 その言葉に、ヴィオラの心がぐらりと揺らぐ。彼ほどの魔力の持ち主ならば、今後実験のたびにバイトを雇わずとも彼一人で十分賄える。それだけで研究費がいくら浮くだろうか。


 目の前の吊られた餌にまんまと引っかかりそうになったヴィオラは、ハッと正気を取り戻しひとつ咳払いをする。


「べ、別にそれくらい……今までもバイトを雇って何とかしてきたから問題ない……!」


 必死で興味のないフリをするヴィオラに、彼はニヤリといたずらっぽい笑みを浮かべて追い打ちをかけてくる。


「それから、王立研究所はもちろん、王室の貴重な資料や蔵書も見放題」

「王立研究所と王室の資料や蔵書……?!」


 今度は完全に餌に釣られた。ヴィオラが目を輝かせてオリヴァーを見ると、彼はクスクスと笑っている。


「グッ……! この卑怯者!!」

「何とでも仰ってください」


 そう言う彼は、勝ったとでも言わんばかりに得意げな顔をしていた。そんな彼に、ヴィオラは諦めたように深い溜め息をつく。


 そもそもこれは完全に自分の落ち度だ。ちゃんと書類を確認しなかった自分が悪い。


(これはもう、腹を括るしかないな……一年だけ耐えれば済む話だ)


「わかった。もう抵抗はしないよ」


 そう言って、ヴィオラは改めて契約書に目を通す。そこには、結婚の条件として「最低でも一年間は婚姻関係を継続する」、「一年ごとに契約の延長を協議する」と書いてあった。その内容に関しては、こちらの認識と違えておらずホッとする。


 そして、ヴィオラの名前の隣には、美しい字で「オリヴァー・ルークラフト」と書かれていた。その名には聞き覚えがある。


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