28.吐露
帰宅後、ヴィオラが寝支度を済ませたくらいのタイミングで医者がやって来た。オリヴァーが屋敷に呼びつけたのだ。
彼に言われ念の為診察を受けたが、ヴィオラは至って元気で体に異常はなく、医者は指の傷だけ手当して帰っていった。
「君は本当に心配性だね。これくらい何ともないのに」
ヴィオラは寝台に腰掛けながら、そばにいるオリヴァーを見上げる。彼はいつものようににこりと微笑んでいた。
「万が一どこか具合が悪いといけませんから」
そして彼は愛おしそうにヴィオラの頭を撫でると、優しい声で就寝の挨拶をしてくる。
「では、ゆっくり休んでください。おやすみなさい、ヴィオラ」
そう言って彼が身を翻し立ち去ろうとした時、ヴィオラはなぜか咄嗟に彼の服の裾を掴んでいた。後ろに引っ張られた彼は驚いた顔でこちらを振り向く。ヴィオラもヴィオラで自分の行動に大いに驚いて、すぐにパッと手を離した。
「すまない。何でもない」
「どうしましたか? やはり体調が優れないのでは」
オリヴァーはヴィオラの前にかがんで、心配そうに顔を覗き込んでくる。彼の視線は答えを求めていて、逃げられそうになかった。ヴィオラは潔く諦めて、苦笑を浮かべながら自分の気持ちを口にする。
「……一人になるのが少し怖かっただけだ。大丈夫、眠ってしまえば問題ない」
攫われて、危険な目にあって、ようやく落ち着いた今、自分の身に起きたことを思い返すと、流石に恐怖の感情が湧いてくる。しかし、彼に迷惑はかけたくなかった。彼だって疲れているだろうし、ここで引き止めるわけにはいかない。
そう思ったのだが、今の発言で完全に心配させてしまったようだ。
「問題なくはありません」
オリヴァーはこちらを見上げながら、悔いるように眉を下げている。
「すみません、気づけなくて。ヴィオラが眠るまで、ずっとここにいます」
「それだと君が寝られんだろう。今神経が高ぶっていて、すぐに眠れそうにないんだ」
ヴィオラがそう返すと、彼は優しく微笑んで、まるで幼子を諭すように言葉をかけてくる。
「でしたら、ヴィオラが落ち着くまでお話ししていましょう。実は僕ももう少し話してたいと思っていたところでした。それと、明日のお出かけの出発時間を少し遅らせればいい。それなら僕もゆっくり寝ていられる」
そこまで言われてしまっては無下に断ることもできなくて、ヴィオラはありがたく彼の提案を受けることにした。
「わかった。ありがとう」
その後、ヴィオラとオリヴァーは寝台に並んで座りながら、しばらく当たり障りのない会話をした。彼はあえて洋館でのことには触れず、こちらの恐怖を取り除くように気が紛れるような話をたくさんしてくれた。
「オリヴァー、ありがとう。そろそろ寝られそうな気がする。もう大丈夫だ」
ヴィオラが礼を言うと、彼は部屋を出ていこうかしばらく逡巡したあと、真っ直ぐにこちらを見つめて尋ねてきた。
「馬車の中での質問に、答えてもらうことはできませんか?」
それが何を指しているかわからないほど、ヴィオラも鈍くはなかった。「少しは惚れたか」という問い。寝支度をしている間にも考え込んでいたが、未だに自分の中で答えが出せないでいる。
ヴィオラは曖昧な返事しかできないことに申し訳無さを感じ、彼から目を逸らした。
「自分でも……整理ができてないんだ。今日、色々とあって、余計に」
そう答えると、彼はわずかに息を呑んだ。そして、真剣な声音で言葉を続けてくる。
「ということは、少しは僕に心を傾けてくれている、と考えていいんでしょうか」
彼の問いに、今度はヴィオラが息を呑む。
ヴィオラは元婚約者との一件以来、誰かとの幸福を諦めるようになった。
妹がいる限り、自分の幸せは壊されてしまう。ならば最初から幸せにならなければ、壊された時の絶望を味わわなくて済む。だから、誰かに想いを寄せることをやめた。それこそがヴィオラが妹からかけられた呪いだった。
しかし、その呪縛から開放された今、ヴィオラは彼の問いに否定することができなかった。
「そう……なんだろうな」
ヴィオラは彼の顔を見ることができないまま、自分の考えを吐露し始める。
「……私は、妹がいる限り、誰かと連れ添うことはできないと思っていた。絶対に邪魔をされて、みんな私から離れていくから。だから誰かと幸せになることを諦めて、君のことも突っぱねた」
自分が傷つきたくないから、オリヴァーを突き放そうとした。でも突き放しきれなかった。心が動いてしまった。もうとっくに、彼の毒が全身に回っている。完全に手遅れだった。
でも彼への気持ちを必死に見ないようにした。自分で自分を騙して、気づかないふりをしていた。そうしないと、また絶望の底に突き落とされるから。
「もう妹君があなたに関わることはありません」
「そう、そこなんだ」
ヴィオラは思わず両手で顔を覆った。
キャロルが失脚した今、彼への気持ちを隠す必要がなくなってしまった。ならば正直に想いを伝えればいいのではないか?
(だがしかし――)
馬車で尋ねられたときから、彼の問いの答えを考え続けていた。でも何度考えても、いつもここで思考が止まってしまう。ヴィオラは大きく息を吐いて黙り込んでしまった。
「ヴィオラ」
こちらの言葉を促すように、オリヴァーが優しく名前を呼んだ。彼はそれ以上は急かさず、根気強くヴィオラが話し始めるのを待っている。
これ以上は逃げられないと思ったヴィオラは、諦めたように溜息をついた。しかし、未だに彼の顔を見ることはできない。彼の表情を見るのが怖かった。
「君のことを……好いている自分がいる。君が自分の元から離れていくのが、恐ろしいとすら思っている。でも……でも、君の気持ちを散々無下にしておいて、今さら何と言えばいい? 最低じゃないか、私は。都合がいいにも程がある」
彼に想いを寄せていて、でも自分がやったことは最低で許せなくて、でも彼と離れたくなくて。
堂々巡りだった思考を吐き出すと、どこかスッキリとした。契約結婚は一年で終わらせると宣言しておきながら、なんともみっともない有り様だ。
オリヴァーの反応を恐れながら待っていると、彼はこちらの頬に優しく触れてきた。
「ヴィオラ。こっちを向いて」
オリヴァーの手に導かれ、ヴィオラは自然と彼の方へ顔を向ける。視線の先の彼は、なぜかつらそうに眉根を寄せていた。
「最低なのは僕の方です。契約結婚という名目で、僕は無理やりあなたを自分のものにした。あなたが僕を無下にするのは当然で、あなたの過去を思えば、なおさら仕方がなかったことです」
そして彼は、まるで泣きそうな笑顔になって続けた。




