27.決別
「よお。邪魔するぞ」
オリヴァーは低く険しい声で、部屋の中の人物にそう言った。ヴィオラは彼の背に守られるように後ろにいるので、彼の表情は伺えない。
ひっ、という短い悲鳴が聞こえ、ヴィオラが彼の背中越しに声の主を確認すると、そこには怯え切ったキャロルの姿があった。
「忠告はしたつもりだったんだがな。まさかここまで愚かだったとは、目も当てられない」
彼の声は冷たく、侮蔑の感情が込められていた。そしてヴィオラの手を離すと、彼は再び剣を握りスタスタとキャロルに近づいていく。キャロルは恐怖に打ち震え、近づいてくるオリヴァーをただただ怯えた瞳で見つめていた。
そして、彼がキャロルに剣を向ける。その切先は、真っ直ぐに彼女の首筋に向けられていた。
「お前は二度とヴィオラに関わらないと誓ったはずだ。違うか?」
「……お……お許しを……」
絞り出したキャロルの言葉に、オリヴァーはハッと鼻で笑う。
「許し? 一度見逃してやったというのに、お前はその機会を自分で投げ捨てたんだ。どうして俺がお前を許す必要がある?」
「こ、これは……わたくしの本意では……」
その時、キャロルと目が合った。その瞬間、彼女の瞳が憎悪に燃える。
「……んぶ……お姉様が……」
そしてワナワナと怒りに震え出したと思ったら、すぐに激昂し始めた。
「全部お姉様が悪いのよ! わたくしに無いものを生まれた時から全部持ってる! そんなのずるいわ! わたくしがどんな気持ちで生きてきたかわかる?! お姉様にはわたくしの気持ちなんて絶対にわからないわ! 持たざる者の気持ちなんて!!」
妹の本音を初めて聞いた気がした。
幼少期、親から愛されなかった哀れな少女は、姉への嫉妬で心を歪めてしまった。人生を自らの手で狂わせてしまった。
もしかしたら彼女を救うために自分にも何かできたかもしれない。でも、ここまで拗れてしまった関係を、今更どうすることもできなかった。
「聞くに耐えんな。お前にヴィオラの何がわかる? さっさとあの世へ行って、精々己の愚かな行いを悔いろ」
そう冷たく言い放ったオリヴァーが、剣先をさらにキャロルに近づける。彼女はハッと息を呑んで、自らの死を覚悟したようにぎゅっと目を閉じた。
「オリヴァー、待ってくれ」
気づけばそう口にしていた。
ヴィオラの言葉に、彼の動きがピタリと止まる。そして彼はゆっくりとこちらを振り返ると、眉根を寄せて「なぜ?」と言外に問うてきた。
「命を奪うまではしなくて良い」
ヴィオラがそう言った途端、キャロルは信じられないというように目を見開いた。
「どうして……? どうしてよ……殺したいほど憎いでしょ? いなくなって欲しいでしょ? こんな時にまで聖人ヅラしないでよ……! う……う……うわあぁぁぁん!!」
キャロルは堰を切ったように大声で泣き出した。その場に座り込み、顔を涙でぐしゃぐしゃに濡らしながら、まるで幼子のようにワンワン泣いている。
泣き崩れる彼女を見て、憑き物が落ちたような気がした。もう二度と、妹に自分の人生を邪魔されることはない。そう思った途端、彼女の呪縛から解放された気分になった。そして、オリヴァーが最後までキャロルになびかず自分から離れていかなかったことに、心から安堵している自分がいた。
すると、眉根を寄せたオリヴァーが窘めてくる。
「ヴィオラは優しすぎます」
「優しさなんかじゃない。自分のせいで誰かが死んだと思いたくないだけだ。ただ卑怯なだけだよ」
苦笑しながらそう言うと、彼は困ったように眉を下げていた。そしてヴィオラは妹の前まで歩いていき、彼女に最後の言葉をかける。
「さよなら、キャロル。もう二度と会うことはないだろう。罪を償った後は私に囚われず、自由に生きなさい」
彼女を狂わせたのは、姉への嫉妬と執着だ。彼女のためにも互いに距離を取って、二度と会わない方がいいだろう。
こちらの言葉が妹に届いたのかはわからないが、キャロルはその間もずっと泣き続けていた。そしてヴィオラは、ただ哀れみの心で泣きじゃくる彼女を見つめていた。
すると程なくして、一人の男が部屋に入ってきた。
「殿下。ゴロツキどもはあらかた片付けましたが……こちらももう終わりましたかね?」
聞き慣れた声に振り返ると、やはりエドワードだった。彼も彼で返り血ひとつ付いておらず、ケロリとしている。
「ああ。俺はヴィオラを連れて先に屋敷に戻る。後始末は任せるぞ」
「御意。妹君の処分は如何様に?」
「それは追って通達する。ひとまず牢に捕らえておけ」
「は」
オリヴァーはエドワードと一連のやり取りを終えると、ヴィオラの手を引いて部屋を後にし、そのまま屋敷を出た。そして彼が用意していた馬車に二人で乗り込み、屋敷への帰路へとついたのだった。
馬車の中、ヴィオラはまだどこか夢見心地だった。現実味のない光景が脳裏に思い出されるたび、あれは全て幻だったんじゃないかと思ってしまう。
「本当の一人称は『俺』なんだな」
気づけばどうでもいいことをポツリとつぶやいていた。オリヴァーは少し驚いた顔をした後、すぐに苦笑する。
「相手によって使い分けてるだけですよ」
そう言ってから、彼はわずかに表情を曇らせる。その顔には、少しの後悔が滲んでいた。
「やっぱり幻滅しましたか? 僕はあなたが思ってるほど、品行方正な人間ではありません」
「まさか。どちらの君もかっこよかったよ。すごく」
ヴィオラは素直な言葉を口にした。
こちらの身を案じて助けに来てくれた彼も、自分の為に妹に本気で憤ってくれた彼も、どちらも彼であることに間違いはなく、そしてどちらの彼も、とてもかっこよかった。
褒められたオリヴァーは、珍しく視線を逸らせて口元に手を当てていた。よく見ると耳が赤くなっている。
「不意打ちはずるいですよ……」
「君も照れることがあるんだな」
「好きな人にかっこいいって言われたら、そりゃ照れます。というか、めちゃくちゃ嬉しい」
彼はそう言うと、微笑みながらヴィオラの手を取った。そして、こちらの表情を伺うように顔を覗き込んでくる。
「どうですか? 少しは惚れましたか?」
「…………」
ヴィオラは答えなかった。
まだ頭の中がぐるぐるしていて、その結論を出すのは尚早な気がする。もう少し、自分の中で整理する時間が必要だった。
オリヴァーに申し訳ないと思いつつ、ヴィオラは彼を見つめたまま話題を変えた。
「本当に殺すつもりだったのか? キャロルのこと」
彼は思った返事がもらえなかったことに少し残念そうな顔をしつつ、こちらの質問に淡々と答えた。
「いいえ。ヴィオラの前でそんなことしませんよ。ただ、ヴィオラに詫びを入れさせようと思って脅しただけです」
自分がいなかったら殺していたのかという問いは、なんとなく怖いのでやめておいた。すると、今度は彼の方から質問が飛んでくる。
「妹君の処遇は、ヴィオラの意向でどうとでもできますが、何か希望はありますか?」
「この国の法に則った処罰を」
「フフッ。ヴィオラらしい」
必要以上の罰は不要な憎しみを生む。ヴィオラは妹の処遇についてこれ以上望むことはなかった。どうか罪を償って、少しでも彼女らしく生きられることを祈っている。
そうこうしているうちに馬車が止まり、二人は屋敷へと戻っていった。




