21.誕生日の贈り物(1)
論文騒動の一件から数週間が経ったこの日、ヴィオラは一日中時計と睨めっこしていた。
今日はオリヴァーの誕生日なのだが、こんな日に限って次から次へと仕事が舞い込んできたのだ。おかげで日が沈んでからしばらく経つというのに、まだ帰れないでいる。
その後、取り急ぎ今日中に終わらせるべき仕事を片付けたヴィオラが時計を見ると、午後十時を回ったところだった。
「まずい……!」
誕生日の日は早く帰るから夕食でも一緒に食べようと言ったのはヴィオラだ。それを聞いたオリヴァーは、それはそれは嬉しそうにしていた。
しかし、いざ当日になると仕事が一向に終わりそうになく、日が暮れる前にその旨をオリヴァーに伝えた。彼は仕事なら仕方がないとヴィオラを労りつつ、その声音には少しがっかりとした感情が滲んでいた。その反応にヴィオラは内心、彼に対する罪悪感でいっぱいになっていたのだ。
「「おかえりなさいませ、ヴィオラ様」」
急いで帰宅すると、侍女のララとリリが出迎えてくれた。
「オリヴァーは?」
息を切らしながら焦ったように尋ねると、事情を知っている二人が気遣うような笑みを向けてくる。
「大丈夫です。まだ起きていらっしゃいますよ」
「部屋でお仕事をなさっています。ヴィオラ様、ご夕食はお済みですか?」
「ああ、大丈夫。ひとまず彼に会ってくるよ。これ以上遅くなるのも悪い」
ヴィオラがそう言って一旦荷物を置きに自室へ戻ろうとしたところ、二人に呼び止められた。
「ヴィオラ様、そう慌てずとも、まだ日付が変わったわけでもありません」
「先に湯浴みを済まされてからでもよろしいのではないでしょうか」
そう言われて、はたと気づく。急いで帰ってきたせいで全身汗だくだ。そして、いつもどおりの白衣姿で小綺麗さもない。流石にこの格好で誕生日のお祝いとして彼に会いに行くのは少し気が引けた。
「それもそうだね。そうするよ」
ヴィオラは素直に双子の提案を呑むことにした。が、今となっては恐らくそれが間違いだったのだと思う。適当な格好で、適当に祝って、適当に切り上げて自室に戻ればよかったのだ。
この日のララとリリは、なぜかいつもより少し念入りにヴィオラの寝支度をした。肌を磨き上げ、髪を艷やかに整え、柔らかな寝衣に袖を通させた。
その後、ヴィオラは小包を携えてオリヴァーの自室の扉を叩いた。
「オリヴァー、いま少しいいか?」
そう声をかけると、すぐに扉が開き笑顔のオリヴァーが姿を見せた。
「ヴィオラならいつでも大歓迎です。立ち話もなんですから、ひとまず中にどうぞ」
中に入ると、執務机の上には複数の書類が広げられていた。今の今まで仕事をしていたようだ。
ここ数週間、彼も彼で仕事に忙殺されている。もうすぐこの国で最大規模の学会が開かれるからだ。
その学会は王立研究所が主導で開催するもので、魔術分野だけでなくありとあらゆる分野の最新研究が発表される場である。彼は若くしてこの国の教育機関を取り仕切る立場にあり、彼自身も王立研究所に所属しているため、その準備に追われているという。
以前ヴィオラが準備を担当した学会とは比にならない規模なので、相当大変なのだろう。
そんな多忙を極める中で、あの論文騒動に関する事態を収めてくれたのは感謝しかない。
「すまない、仕事の邪魔をしてしまったか?」
「いえ、そろそろ休もうと思っていたので」
オリヴァーはそう言うと、ヴィオラをソファへと導いた。二人で並んで腰掛けてから、ヴィオラは抱えていた小包を彼に渡す。
「誕生日おめでとう、オリヴァー。ささやかだが、贈り物だ」
「ありがとうございます。開けてみても?」
「もちろん」
彼の大きな手がスルスルと包みを開けていく。中から出てきたのは、美しい意匠が施された懐中時計だった。
「もう持っていたかな?」
オリヴァーへの贈り物は相当悩んだ。何しろ彼は王族で、金で買えるものは大抵手に入る立場だ。そんな相手に何を贈るべきかなかなか思いつかなかったが、せっかくなら普段から使えるものがいいと思い、懐中時計を選んだ。最悪、既に持っていたとしても、デザインが異なれば気分で使い分けることもできるだろうと思ってのことだった。
すると彼は、贈り物を愛おしそうに眺めながら、喜びの声を上げた。
「いえ、実は持ってなかったんです。ちょうど欲しいと思っていて」
「よかった。君もなかなかに仕事人間だからね。あると便利かと思って」
悪くない反応に、ヴィオラはホッとした。誰かに贈り物をするなんて随分と久しぶりだったから、どういう反応になるか内心少し不安だったのだ。
「改めて、今日は遅くなってすまなかったね」
「いえ、仕事であれば仕方ありません。会えただけで嬉しい」
そう言いながら、オリヴァーはそこらの令嬢ならとろけてしまうような笑みを浮かべていた。
彼の表情から本当に喜んでいることが伝わってきて、ヴィオラは少し照れてしまう。こんなに贈り物を喜んでもらえたなら、急いで帰ってきた甲斐があったというものだ。
「食事の埋め合わせは今度するよ」
「学会が落ち着いたら、一緒に街に行きましょう」
「ああ、わかった」
渡すものを渡し目的を果たしたヴィオラは、自分の部屋に戻ろうと立ち上がった。
「じゃあ、私はこれで。夜分遅くにすまなかったね。おやすみ」
しかし、オリヴァーはヴィオラの言葉に返事をせず、珍しくこちらの手首を掴んできた。じっと上目遣いで見つめられ、一体どうしたんだろうと首を傾げていると、彼がようやく口を開いた。
「……誕生日なので、ひとつだけおねだりしてもいいですか?」
「内容による」
「……日付が変わるまで膝枕」
何とも可愛らしいおねだりが返ってきて、ヴィオラは思わず目を丸くした。いつも紳士然としている彼が、そんな甘えるような事を言ってくるのは珍しい。仕事に疲れて誰かに甘えたい気分なんだろうか。
時計を見ると、日付が変わるまであと十五分もない。それくらいならまあいいだろうと、ヴィオラはソファに座り直した。
「ここで寝るなよ?」
「はい。ありがとうございます、ヴィオラ」
オリヴァーは嬉しそうに笑って、ヴィオラの膝に頭をあずけて上向きに寝転がった。
その状態で、二人は言葉を交わす。最近の仕事についてや、ヴィオラが受け持つ生徒のこと、学会が終わったらどこの店に食事に行こうか、など他愛もない話だ。
話している間、ヴィオラは無意識のうちに右手で彼の柔らかな髪を撫でていた。彼の髪はとても触り心地がいいのだ。そして、彼は彼で、ヴィオラの左手を両手で握って弄んでいた。
「あなたに頭を撫でられるの、すごく好きです」
オリヴァーは不意にそう言うと、片手をヴィオラの顔の方へ伸ばしてきた。そのまま、彼の大きな手が頬に触れる。
そして彼は、恍惚とした表情でポツリと言葉をこぼした。




