幕間3ー2.オリヴァーの喜び
翌日から、オリヴァーとエドワードは本格的な調査に乗り出した。
連日手分けして若手研究員に探りを入れ、そして三日後の夕方頃、エドワードの方に当たりが引っかかったのだ。
「犯人が特定できました。アリバイも考慮すると、こいつで間違いありません。嘘のタレコミを流したのもこいつかと」
名前はヴィクター・アルジャー、二十九歳。ヴィオラの論文の査読を担当しているマクガヴァン教授の元にいる研究員だ。彼ならば教授が見ていない隙にヴィオラの資料を盗み出すことも可能だろう。
「よくやった。資料は?」
「まだ見つかっていません。殿下はアルジャーと話をつけがてら、奴を研究室から引き離していただけますか? その間に、私はマクガヴァン教授の協力を取り付けて奴の机や実験室を調べてみます」
「わかった」
そう言って二手に分かれ、オリヴァーはまずハリーに連絡を入れ事情を説明した。そして、アルジャーを事務局の応接室に呼びつけたのだ。
部屋に入ってきたアルジャーは、自分が王立研究所に引き抜かれると思っているのか、期待に目を輝かせていた。
「まさか殿下にお会いできるなんて、夢みたいです! これからよろしくお願いします!」
まるで勘違いしているアルジャーに、オリヴァーは苛立ちを隠せなかった。
「お前は研究者として取り返しのつかないことをしたな」
鋭く睨みつけながら低い声でそう言うと、アルジャーから次第に顔の色が失われていく。彼はまだ状況が掴めていないようだが、自分がスカウトで呼ばれたのではないということには気づいたらしい。
「え……?」
「リーヴス准教授の論文の資料を盗んだ件だ。それに加え、彼女が論文のデータを改ざんしたという嘘の噂を流したな?」
オリヴァーの言葉にアルジャーはあからさまに狼狽し始めた。青白かった顔が真っ赤に変わっていき、焦ったように早口でまくし立ててくる。
「そんな……そんなこと僕がするわけないじゃありませんか! し、証拠は!? 僕がやったという証拠はないでしょう?!」
白を切り通そうとするアルジャーを見て、オリヴァーの怒りが限界に達した。感情に任せて胸ぐらを掴み、奴を見下ろす。
「お前、自分の立場わかってんのか? あ?」
ドスの効いた低い声でそう言うと、アルジャーの真っ赤な顔がまた真っ白になっていく。恐怖で声も出ないようで、ふるふると震えていた。
ちょうどそのとき、エドワードが慌てて部屋に入ってきた。
「殿下、お待たせしました! アルジャー研究員の机の奥底に隠されていました!」
エドワードが持ってきたのは、まさしく盗まれたヴィオラの資料だった。彼女の美しい字を見て少し冷静さを取り戻す。まだ資料が処分されていなかったのは不幸中の幸いだった。
「だそうだ。律儀に証拠を残しておいてくれて感謝するよ」
そう言ってオリヴァーが胸ぐらから手を離すと、アルジャーはその場にヘナヘナと座り込んだ。しかしオリヴァーは、容赦なく今回の処分内容を言い渡す。
「お前は大学から永久追放だ。二度と研究者を名乗るな」
「そ、そんな……! どうか……どうか今回だけはお見逃しを……!」
本当に見逃してもらえると思っているなら、浅はか過ぎて笑ってしまう。
オリヴァーは足元にすがってくるアルジャーを見下ろし、冷たく突き放した。
「研究者というのはな、信用が全てだ。彼女の信用を貶めようとした罪は果てしなく重い。そしてお前は今回の件で、研究者としての自身の信用をすべて失ったんだよ」
取り付く島もない様子に、アルジャーの表情には絶望が浮かんでいた。そして頭を抱え、気が狂ったようにぶつぶつと言葉を溢し始める。
「そんな……全部……全部彼女が悪いんだ……本当は僕があの地位に就くはずだったのに……彼女が悪い……彼女が……!」
「彼女があの地位に上り詰めるまでにどれほど努力したのか知りもしないで、よくそんな事が言える。自分の能力不足を他人のせいにするな!」
怒りのままにそう吐き捨て、オリヴァーはヴィオラの元へ向かった。
***
「君……どうしてここに?」
オリヴァーの突然の訪問に、ヴィオラは驚いた表情を浮かべていた。
彼女とまともに話すのは三日ぶりなので、思わず顔がほころぶ。彼女に会っただけで、さっきまでの怒りが嘘のように鎮まっていった。
取り戻した資料をヴィオラに渡すと、彼女は安堵と驚愕が入り混じった反応をしていた。その顔を見て彼女の役に立てたのだと実感し、途端にすべて報われた気分になる。
しかしその帰り道、やはり彼女から「そんなに尽くしてくれなくていい」と言われてしまった。
ヴィオラは尽くされると何か返さなければならないと思う節がある。しかし愛するつもりもないのに何かを返して気を持たせるような真似をするわけにもいかない。それが彼女の葛藤となっていることを、オリヴァーは理解していた。
こちらとしてはヴィオラの為に好きでやっていることなので見返りなど一切不要なのだが、彼女はそれを良しとしないのだ。オリヴァーは彼女に負い目を感じさせたくなくて、言葉を紡いだ。
「僕はヴィオラから十分見返りをいただいてますよ。契約結婚だとか、屋敷に住むこととか、僕の無茶な要求をたくさん飲んでくれてる。だから、そんなこと言わないで。愛する人のために、何かせずにはいられないんです」
しかし、ヴィオラから返ってきたのは思ってもみない言葉だった。
「君の言い分はわかったが、あまり無茶はしないでくれ。心配だから」
思わず目を丸くした。まさか彼女から心配などという言葉が出てくるとは思わなかったのだ。
彼女はまだこちらを恋愛対象として見ておらず、多少心の距離は近づいたもののまだまだ道半ばだと思っていた。でも、実際はもう少し進展しているのかもしれない。楽観的思考かもしれないが、そう思うとこれ以上にないほど嬉しかった。そして、愛する人から心配されるというのは、これほどまでに幸せな気持ちになるのだと知った。
「助けてくれてありがとう、オリヴァー。今度また、何か君のわがままをひとつ聞こう」
ヴィオラから最上級の労いをもらい、その日は満たされた気持ちで一日を終えたのだった。
さて、彼女へのわがままは何にしようか。




