18.興味深い人
身支度を終えたヴィオラは、オリヴァーと共に街へと出かけた。
散々看病してもらったお礼として、今日は彼が食べたい物を奢らせてくれと申し出ている。そうしてヴィオラは、彼が行ってみたいと言った最近出来たばかりの小洒落た飲食店を訪れていた。
出てきた料理を味わいながら、オリヴァーが何気なく尋ねてくる。
「今はどんな研究を?」
彼はここ最近激務だったらしく、しばらく大学に顔を出していない。そのため、こういう機会でもないとヴィオラの大学での生活を聞くことができないのだ。
「魔力消費量を抑える術式の研究をしてる。私のように魔力量が少ない人間でも使える魔術が増えればいいと思ってね。もうすぐ論文を一報出せそうなんだ」
話を聞いたオリヴァーは始めこそ感嘆の表情を浮かべていたが、すぐに少し拗ねたような顔になった。どうしたのかと首を傾げていると、彼がぽつりとこぼす。
「……僕の出番が減りますね」
今の言葉で、彼は実験の手伝いが減ることに不満だったのだと理解した。
ヴィオラ自身は持ちうる魔力量が少ないので、これまでは大規模な実験を行うたびにバイトを雇っていた。しかし、結婚してからは彼に実験を手伝ってもらっているのだ。彼の魔力量はかなりのもので、大体の実験は彼一人いれば十分だった。
出番が減って不満に思っている彼がなんだか可愛らしく思えてきて、ヴィオラは柔らかく微笑む。
「次は大規模な実験をやろうと思ってるから、その時はよろしく頼むよ」
「……はい!」
こちらが頼ると、彼は嬉しそうに笑っていた。
食事が一段落したところで、ヴィオラは出かける前のララとリリとのやり取りを思い出し、オリヴァーに尋ねてみる。
「そういえば君、やっぱり何かしただろう」
「何のことですか?」
やはり彼の返答は変わらず、いつものようににこりと笑っている。どうしてそんなに頑なに話さないのか理解できないが、口を割る気がなさそうなので仕方がない。
ヴィオラはひとつ息を吐いてから言葉を返した。
「言う気がないならまあいいが、ありがとう、とだけ言っておく」
妹の評判が下がったどうこうは正直どうでもいいのだが、今後キャロルがこちらに下手に手出しをしてこなくなるだろうと思うと、ヴィオラは礼を言わずにはいられなかった。
「どうせなら、自分の功績をアピールすればいいものを」
やれやれというようにそう言うと、彼は苦笑を漏らした。
「そんな事であなたの気を引きたいとは思いません」
「なぜ?」
ヴィオラは彼の瞳をじっと見つめて答えを待った。すると、彼はほんの少し表情を曇らせる。
「……あなたには、僕の性根の悪い部分を見られたくないもので」
(なるほど。これが私に色々と隠していた理由か)
好きな相手には自分の良い面だけを見てほしいと思うのは自然な感情だ。今の彼の答えで、ヴィオラは得心がいった。
彼がやったことは言わば報復だ。彼の行いが正しいかと言われると、それは人によって評価が分かれるだろう。彼は自分の仄暗い部分を隠したかったのだ。
「君に裏表があっても、別に気にしない」
ヴィオラは本心からそう言ったが、オリヴァーは苦笑していた。
「それはヴィオラが僕に興味ないからでしょう? 振り向いてもらえるように努力しないと」
「勘違いしているようだが、私は君に恋愛感情はなくとも、興味を抱いていないわけではないよ」
その言葉に、彼は大層驚いたように目を見開いていた。ヴィオラは気にせず言葉を続ける。
「君はすこぶる優秀な研究者で、聡明で、何かを成し遂げる実行力もある。いつも紳士的で、しかし時に子供っぽい一面もある。そして、この上なく物好きだ。非常に興味深い人物だと思う」
ヴィオラが彼に抱いている印象を述べると、オリヴァーはしばらく呆気に取られた後、じわじわと笑いが込み上げてきたようで遂には吹き出した。
「フッ、ククッ……ハハハッ! まるで研究対象みたいに言いますね」
「見ていて飽きない観察対象だよ」
ヴィオラも微笑を溢しながら冗談を返すと、続けて彼を気遣うようにこう言った。
「別に裏表があるのは悪いことではないよ。人間とはそういうものだ。私の前でも君は好きなように振る舞えばいい。裏の面を隠したければ隠せばいいし、隠すのがつらければ自然体に振る舞えばいい。それも含めて君は君だ」
「……ヴィオラって、すごく達観してますよね」
「そうでもないよ」
気になっていたことを聞くことができたヴィオラは、彼との会話に満足していた。食後の紅茶を楽しんでいると、今度はオリヴァーの方が尋ねてくる。
「先生はどんな男が好みなんですか?」
そう問う彼の表情は笑顔の中に好奇心が入り混じっていた。唐突に聞かれたので咄嗟には出てこなかったが、ヴィオラは少し考えた後にこう答える。
「私を裏切らない人間」
「……! 僕ですね」
ハッと気づいたように彼がそう言うので、ヴィオラは冷ややかな視線を浴びせた。
「君がそういう人間がどうか判断するのは私だ。君じゃない」
「フフッ。そうですね」
厳しい言葉を言われたにも関わらず、オリヴァーは上機嫌に微笑んでいる。対するヴィオラは、彼の反応を見て不機嫌そうに顔を顰めた。
「なんでそんなに嬉しそうなんだ」
「いえ、少し希望が見えてきたなって。ヴィオラに信じてもらえるよう、頑張りますね」
「頑張らなくていい」
嬉しそうに笑っているオリヴァーに対して、ヴィオラは「はぁ」とわかりやすい溜息をついてから訝しげな表情で尋ねた。
「逆に聞くが、君は一体私のどこに惚れたんだ?」
意外にもオリヴァーの笑顔が一瞬固まった。そして、わずかに表情を曇らせながら口を開く。
「僕に言い寄ってくるのは、僕の地位と財産と容姿にしか興味のない女性ばかりでした」
オリヴァーは嫌な過去を思い出しているような様子だった。確かに王族で才気に溢れ、なおかつこれだけ美しい容姿を持つとあらば、令嬢たちはこぞって彼に群がるだろう。
「君が夜会嫌いだということは知っていたが、なるほど」
「そんな時間があったら研究をしていた方が余程生産的でしょう?」
「それは大いに同意する」
ヴィオラも夜会は苦手だった。キャロルが流す噂のせいで、好意的でない視線ばかり向けられるからだ。別に仲良くもなりたくない人と、上辺だけの会話をするのも面倒だった。
すると、オリヴァーの表情が穏やかなものに戻る。
「そんな令嬢たちとの縁談に嫌気が差していたところ、あなたに出会った。最初は一目惚れでした」
「いつ?」
「一年前、学会でマクガヴァン教授を論破してたとき」
彼の答えに、ヴィオラは羞恥心に苛まれた。あのときのことは、ヴィオラにとってあまり思い出したくはないことだったからだ。
「ああ……あれは忘れてくれ。若気の至りだと思ってる。何もあんな公衆の面前で言い負かす必要はなかった」
准教授になり自分の城を持って浮かれていたのかもしれない。あの頃はいつでもどこでも誰彼構わず議論をふっかけては、自分が正しいことを証明し、相手を困らせていた。
しかし、しばらくしてその行為があまり褒められたものではないことに気づき、自分のことが恥ずかしくて仕方がなかった時期がある。誤りを正すことはもちろん大切だが、時と場合、そして言い方が重要なのだ。相手に恥をかかせるような真似はしてはいけない。
「あなたが指摘してなかったら、僕が指摘してましたよ。あの教授も、あれで少しは偉ぶらなくなったでしょう」
彼はこちらへ最大限のフォローを入れつつ、続きを話した。
「最初は、気高くて美しく、才あるあなたに一目惚れをしました。でも、あなたを知っていくうちに、ますます好きになっていった」
オリヴァーはまた過去を思い出しているような様子だった。しかし今度は、とても楽しそうに笑っている。
「研究一辺倒かと思ったら実は面倒見がよくて、根気よく僕の質問に付き合ってくれた。努力家で、ちょっと負けず嫌いなところも可愛い。あなたはとても律儀で、優しくて、慈愛に満ち溢れている人だ」
人からこんなに褒められるのは初めてのことだったので、ヴィオラは聞いていて目眩がしそうだった。才能を褒められたことはあっても、内面を褒められたことはほぼ初めてかもしれない。
返す言葉も思いつかないので、ひたすら押し黙る。褒められている時というのは、こんなにも気持ちがくすぐったくなるものなのだと思い知った。
「そして何より、あなたは人の本質を見てくれる。僕そのものを見てくれる。それがとても嬉しかった」
そう言って微笑む彼の瞳は、こちらの心を射抜くような熱を帯びていた。そして、触れていいか伺うようにゆっくりとこちらに手を伸ばしてきたかと思うと、そっとヴィオラの手を取った。
「僕は心底、あなたに惚れています」
「ああ、わかった。わかったからそれ以上はもういい」
彼の愛のささやきにも随分と慣れてきていたはずだったが、直前に褒め倒されたこともあり、ヴィオラは恥ずかしさのあまり顔を逸らした。そんなヴィオラを見てオリヴァーは「もっと気持ちを伝えたかったのに残念だ」と言ってにこりと笑っていた。
なんだか何かに負けた気がして悔しいが、ヴィオラはさっさと話題を変えるべく口を開く。
「オリヴァー、何か欲しい物はあるか?」
「ヴィオラ、ですかね」
真面目な顔で即答され、ヴィオラはじとりと彼を見遣る。
「私は物ではない」
「フフッ、失礼。でもどうして?」
「もうすぐ誕生日なんだろう? 何か贈ろうと思うんだが、私は君のことをよく知らないことに気づいてね」
ヴィオラの言葉に、彼は心底驚いた顔をしていた。自分が祝ってもらったので返すのは当然のことだと思っていたが、何がそんなに意外だったのだろう。
「……知ろうとしてくれるんですか?」
驚いた顔のまま、オリヴァーはぽつりとそう言った。
その言葉に、ヴィオラもはたと気づく。ここまで他人に興味を持ち、ましてや自分から相手を深く知ろうとするなんて随分と久しぶりだった。その事に気づき、ヴィオラは何とも複雑な感情を抱く。オリヴァーは自分を惚れさせようとしている相手だ。そんな相手を知ろうとするなど、彼の思惑通りに事が進んでいるような気がして何とも癪だった。
ヴィオラは不服そうな表情で言葉を返す。
「……君の好みを知らないと、何か贈ろうにも贈れないだろう」
「すごく嬉しい」
こちらの気も知らず、オリヴァーはにこにこと笑っていた。
その後、彼の食や服飾の好み、趣味や特技などを教えてもらった。どうやら彼には剣術や武術の心得があるそうで、今もたまに体を動かす目的で手合わせをする時があるらしい。道理で鍛え抜かれた体だったわけだ。
欲しい物に関しては、「あなたからいただける物ならなんでも嬉しい」と言われてしまい、結局何を贈るかは決められなかった。
そうして、穏やかな時間はあっという間に過ぎていった。




