15.罠
翌日、学会当日。
次々に訪れる他大学の教授や学生を招き入れるため、ヴィオラは朝から慌ただしく過ごしていた。手伝ってくれている学生ボランティアたちもてんてこ舞いだ。
(体がだるい……)
間が悪いことに、今日は朝から何とも体がだるかった。ここ一ヶ月ほど学会準備に追われ、睡眠時間を削っていたからだろう。やはり昨日はもう少し早く寝るべきだったか。そんなことを後悔しつつ、ヴィオラは学会運営を淡々とこなしていった。
そして、目まぐるしく時間は過ぎ去り、気づけば学会自体は無事閉幕してくれた。残すは懇親会のみだ。
懇親会の会場には事務局員の面々が対応にあたってくれているので、ヴィオラは学生たちと共に学会で使った会場の後片付けを進めていた。
「皆、これまで一ヶ月ほど手伝ってくれて、本当にありがとう。後は私に任せて懇親会に行っておいで。他大学の学生と交流できるいい機会だから」
片付けがほぼほぼ終わった頃、ヴィオラは学生たちにそう声をかけた。その言葉に従い皆がぞろぞろと懇親会に向かう中、一人の学生がこちらに近寄ってくる。
「リーヴス先生、あとはこれを倉庫に運ぶだけですよね? 手伝います」
そう言ってひょいと荷物を持ち上げた彼は、最近ヴィオラの元に質問に来るようになったアルバート・リベラだ。彼は学会準備にもとても協力的で、よく働いてくれた。
「いいよ、私がやっておくから。気にせず懇親会に行っておいで」
ヴィオラがそう言うも、彼は荷物を手放そうとはしなかった。肌が青白くやや不健康にも見える彼は、寝不足なのか目の下に薄いクマが出来ている。
「これを運んだらすぐ向かいますので。それに、男手があったほうが早く終わります」
彼だけに手伝わせるのが申し訳なくて一瞬悩んだが、体調の優れなかったヴィオラは素直に彼の優しさに甘えることにした。
「すまないね。ありがとう。じゃあ、一緒に行こうか」
そう言ってヴィオラも荷物を持ち、彼とともに大学の校舎裏にある倉庫へと向かった。外は既に日が沈みかけていて、夕日が辺り一面をオレンジ色に染めている。
「さて、これで終わりだな。ありがとう、リベラ君」
荷物を倉庫に運び終えたヴィオラは、外に出るために扉に手をかけ開けようとした。しかし、扉はガタリと音を立てただけで開いてはくれなかった。
「開かない……参ったな、何か挟まったか?」
その後も何度か扉を開けようと試みたものの、一向に開く気配はなかった。リベラにも試してもらったが、結果は同様。そもそもヴィオラは閉めた覚えがないので、どうして開かなくなったのか見当がつかない。
(ああ……早く帰って休みたいのに……)
わずかな苛立ちを覚えたが、生徒の前で感情を吐き出すわけにもいかず、ぐっと堪えた。
「今はみんな懇親会に参加してる頃だし、この近くには誰もいないだろう。事務局の誰かに連絡してみるよ」
そう言ってヴィオラは通信用の魔道具を取り出し、ハリーに連絡を取ってみる。しかし、魔道具からはザーザーという機械音しか聞こえてこない。
「通じない……いや、遮断されている」
その考えに至った途端、ヴィオラは激しく顔を顰めた。通信を妨害する術式が倉庫にかけられているのだろう。明らかに何かがおかしい。
(何だ……? 誰かの嫌がらせか……? ああ、頭が痛い)
ヴィオラの苛立ちがさらに募っていく。この状況をどう打開しようかと考え始めたとき、後ろにいたリベラが声を上げた。
「先生!!」
突然の大声に驚いて振り返ると、彼はなぜか興奮したような表情を浮かべていた。目が血走っていて、息が荒い。
「ぼ、僕、ずっと先生に憧れてて!!」
ジリジリと歩み寄ってくる彼を前に、ヴィオラは本能的に後ずさった。しかし、すぐに扉にぶつかりこれ以上距離を取れなくなる。
「いつもあのオリヴァーとかいう奴が先生の近くをうろついてるから、なかなか近づけなくて。でも最近、奴をあまり見なくなったから、やっと……やっと……!」
「待て、どうした、落ち着け……!」
恍惚とした表情のリベラに声をかけ慌てて静止しようとするも、彼の暴走は止まらない。
「やっと……! 先生と二人きりになれた……!!」
とうとう彼との距離がなくなり、両肩を掴まれてしまった。その力が思ったよりも強くて、ヴィオラは思わず顔を顰める。これから彼が何をしようとしているのか、考えるのも面倒で思考を止めた。何よりも今は頭痛がひどい。頭が割れそうだ。
「…………れ」
「はい?」
「そこに座れと言っている!!」
ヴィオラの雷が落ちた。体調不良も相まって苛立ちが限界に来たヴィオラは、リベラを大声で叱りつけたのだ。叱られた本人は驚きと怯えで「はいっ」と言ってヴィオラの目の前にちょこんと座る。
「君はこんなくだらないことをするためにこの大学に入ったのか?! 違うだろう!!」
「ご、ごめんなさい……」
鬼の形相で怒るヴィオラにリベラはすっかり萎縮してしまい、ただただ謝り倒していた。その後も怒りに任せてしばらく説教を続けていたが、ヴィオラはふと我に返り、彼にどうしてこんなことをしたのか尋ねた。すると彼は、自分の家族との不和について話し始めた。
曰く、彼は医者になることを志していたが、学力が足りず、渋々研究者の道に進むことにしたのだという。この大学に入れるだけで十分素晴らしいと思うのだが、医者一家の彼にとって、自分の家はとても居心地が悪いものだったらしい。
両親には出来損ないだと責められ、兄弟からは落ちこぼれだと馬鹿にされる。そんな日々に精神を病んでいたところ、周囲の目を気にせず堂々と自らの道を突き進むヴィオラに目を奪われ、憧れ、恋い焦がれた、とのことだ。
ヴィオラ自身も生家では居心地の悪い日々を送っていたので彼と重なる部分もあり、怒る気が削がれてしまった。
そして大きく溜息をつきながら、素朴な疑問をリベラにぶつける。
「でも、どうしてこんな無茶苦茶な方法を選んだんだ? もっと他にあっただろう」
「見知らぬ綺麗な人に勇気づけてもらったんです。君なら絶対に振り向いてもらえるから頑張れって。二人きりになれる機会を作って、想いを伝えてみたらって。だから、自分なりに……考えて……」
彼の話を聞くうちに、ヴィオラの心には怒りとも恐怖とも取れない感情が湧き上がってきていた。心拍が速まり、頭からわずかに血の気が引いていく。
(またあいつか……!)
ある人物が脳裏によぎった時、倉庫の扉がガラガラと大きな音を立てて開いた。外はもうすっかり暗くなっていて、自分が一時間以上リベラに説教をしていたことに気がつく。
「ヴィオラ!!」
勢いよく倉庫に入ってきたのは、青ざめた顔のオリヴァーだった。しかし彼は入った途端、中の状況を確認して目を丸くする。仁王立ちで佇むヴィオラ。その前にちょこんと座るリベラ。
「どういう状況ですか……?」
ヴィオラも突然のことに驚き、目を丸くして彼を見つめ返す。
「……説教をして人生相談に乗っていた。君は……何でここに?」
ヴィオラがそう答えると、オリヴァーはホッと安堵の表情を浮かべた。そしてすぐに、座っているリベラを鋭く睨みつける。オリヴァーのあまりの形相に、リベラは「ヒッ」と悲鳴を上げて後ずさった。どうやらオリヴァーは大体の事情を察しているらしい。
(これは……相当怒ってるな……)
この状況で二人をぶつけるのは良くないと判断したヴィオラは、リベラのそばでしゃがみ込むと、怯えている彼に優しく声をかけた。
「リベラ君、もう行きなさい。二度とこんなことをしないように。家にいるのがつらいなら、思い切って逃げるのも選択肢のひとつだ。困ったことがあったら事務局員のハリー・レッドメインという人に相談しなさい。きっと良くしてくれるから。いいね?」
諭すようにそう言うと、リベラはブンブンと首を縦に振り、逃げるように開け放たれた倉庫の扉から出ていった。
「貴様ッ」
「オリヴァー!」
険しい顔で追いかけようとする彼を、ヴィオラの鋭い声が制した。こちらを振り向いた彼は、不満と怒りに満ちあふれている。まるで獰猛な肉食獣のように、呼吸を荒げていた。
「見逃してやれ。彼は悪くない」
そう言った途端、ヴィオラはしまったと思った。勘の鋭い彼は気づいてしまっただろうか。彼の表情を見る余裕もなく、ヴィオラは慌てて誤魔化すように言葉を続けた。
「少し家庭環境が複雑らしい。今回は大目に見てやってくれ、な?」
「…………」
しばらく沈黙した彼は段々と怒りを収めていったようで、最後にはふぅとひとつ息を吐いた。そして、不満顔で渋々こう言った。
「……あなたがそう言うなら、僕はあなたに従います」
「ありがとう」
オリヴァーが気を静めてくれたことにホッとし、彼の方へ一歩踏み出した途端、視界がグラリと揺れた。足から力が抜けてしまい、その場にしゃがみ込む。
「ヴィオラ!」
慌ててオリヴァーが駆け寄って来たのがわかったが、ヴィオラは頭が割れるように痛くて、意識も朦朧とし始めていた。
「……すまない、目眩がして。どうも体調が優れないようだ」
「熱があります。早く医者に診てもらわないと」
「ああ……そうだな……」
そう返事をしつつも、ヴィオラはここから立ち上がれそうになかった。どうやら緊張の糸が切れてしまったらしい。段々と息も荒くなってきた。
そんなヴィオラを見かねて、オリヴァーは強く眉根を寄せる。
「すみません……少し触れます。あとでいくらでも叱られますから」
彼はそう言うと、徐にヴィオラを横抱きにして軽々と持ち上げた。そしてそのまま、ゆっくりと運ばれていく。
(ああ……意外と、力あるんだな……)
意識が途切れる前、ヴィオラはそんなどうでもいい感想を抱いていた。