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1.妹に婚約者を取られました


「ヴィオラ。すまないが、僕との婚約を破棄してほしい」


 婚約者にそう告げられたリーヴス伯爵家長女ヴィオラは、この話に興味がないといった様子でただただ冷めた表情を浮かべていた。


 ここはリーヴス伯爵家の応接室である。そしてヴィオラの向かいには、仲睦まじい一組の男女が座っていた。一人はヴィオラの婚約者――いや、元婚約者のオードニー伯爵家長男、ジョセフ。もう一人はヴィオラの二つ下の妹、キャロルだ。


「君のご両親の許可は取ってある。僕は、キャロルと結婚することにした」


 ジョセフのその言葉と同時に、隣のキャロルは勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。そして、彼の腕に抱きつきながら、ねっとりとした口調でこう言い放つ。


「ごめんなさい、お姉様。わたくしとジョセフ様は、愛し合ってしまったの」


 キャロルのその笑みと話し方に、ヴィオラは全身が粟立った。まるでどこぞの娼婦だ。


(男に媚びて何が楽しいんだか……)


 この女は別にジョセフのことを愛してなどいない。ただ姉の物を欲しがっただけだ。


 キャロルは昔から姉の物なら何でも欲しがった。理由は姉への嫉妬だ。


 ヴィオラは兄と妹の三人兄妹だった。兄は歳が離れているので、比べられるのはいつもヴィオラとキャロル。そして、ヴィオラは頭脳明晰でずば抜けて優秀だったのに対し、キャロルにはこれといった才能がなかった。そのため、両親は二人が幼い頃は出来の良い姉ばかりを可愛がった。しかし、それが良くなかった。


 姉に嫉妬したキャロルは、毎日のように「お姉様に虐められた」と両親に訴えるようになった。もちろん嘘だ。

 両親も始めは取り合っていなかったのだが、次第にキャロルの嘘に手が込んできて、両親にもその真偽がわからないことが増えてきた。そして、気づけばヴィオラは妹を虐める小賢しい性悪姉というレッテルを家中の人間に貼られてしまっていた。


 そう、キャロルは人に取り入る才能だけは人一倍あったのだ。


 両親は手のひらを返したようにキャロルを可愛がり、代わりにヴィオラを冷ややかな目で見るようになった。何かに付けキャロルを褒め、何かに付けヴィオラを叱った。


『ヴィオラ。お前もキャロルのように愛嬌のある人間になりたまえ。お前の態度はまるで男みたいだ』

『ヴィオラ! 背筋を伸ばしてもっとシャンとしなさい! 髪もボサボサで……みっともないったらないわ! キャロルを見習いなさい!』


 姉が叱られるたび、キャロルは両親の影でほくそ笑んでいた。そして、両親の前では可愛らしい笑顔を浮かべ、これでもかというほど媚を売る。そんな彼女を見るたびに、ヴィオラの心は氷のように冷めていった。


「そうか。それはよかったな」


 ヴィオラが表情ひとつ変えずそう言うと、キャロルは一瞬顔を引き攣らせた。


「ま、まあ、お姉様。無理に強がらなくてもよろしいのに」


 その反応に、ヴィオラは心の中で嘲笑を浮かべた。


 キャロルは姉が悲しんだり怒ったりする姿を見たかったのだろう。だがそうはならなかった。ヴィオラはこの婚約破棄に対して、何一つとしてダメージを負っていないのだから。むしろ喜びさえ感じているほどだ。


「強がる? どうして?」


 ヴィオラが怪訝そうな表情を見せると、ジョセフも少し困惑した様子で尋ねてくる。


「怒らないのか?」

「怒る理由など、なにも」


 ヴィオラはこのやりとりが面倒になってきて、あえてにこりと微笑んでみせた。これで自分が何もショックを受けていないことが伝わればよかったのだが、どうやらそうもいかないらしい。キャロルがわざとらしく眉根を寄せ、非難の言葉を浴びせてきたのだ。


「まあ、なんて冷たいんでしょう、お姉様ったら。ずっと一緒だった婚約者と離れることになっても、何も思わないの? やはり血が通っていないのではなくて?」


(それをお前が言うのか……)


 ヴィオラは自分の妹に心底呆れて思わず溜息をついた。自分が婚約者を奪っておいて、その発言はないだろう。

 いよいよこの場が面倒になってきたので、さっさと会話を切り上げて自室に戻ろうとしたが、ふと良いことを思いつき「あ」と声を上げた。


「ジョセフ様。参考までに、私のどこが嫌だったか教えていただけませんか?」

「え?」

「どうぞ、正直に、包み隠さず。今後の参考にさせていただきたいので」

「…………」


 ジョセフは困惑した表情で押し黙っている。

 「嫌だった点」なんてただの悪口だ。流石に本人を目の前にしては言いにくいのだろう。そう思い、ヴィオラはもうひとつ彼の背中を押した。


「何を言われても傷つきませんので、何なりと。さあ」


 どんと来いというようにヴィオラが両手を広げると、ジョセフは気圧されたようにたじろいだ。隣のキャロルは怪訝そうな表情を浮かべている。


 すると、ようやく覚悟が決まったのか、ジョセフが少し眉根を寄せながら言葉を吐いた。


「まずその見た目だ。伯爵家の令嬢ともあろう者が、みすぼらしいことこの上ない」


 それは、ジョセフだけでなく両親からも再三言われたことだった。


 今、ヴィオラは白衣に眼鏡姿だ。本来は美しいはずのプラチナブロンドの髪も、後ろで無造作にひとつ括りにされている。

 対してキャロルは可愛らしい黄色のドレスを身にまとい、ピンクブロンドの髪を美しく結い上げていた。

 どちらが令嬢として相応しい格好であるかは一目瞭然である。


 なぜヴィオラがそんな格好をしているのかと言うと、家にいる間は四六時中、魔術研究に明け暮れているからだ。一日ずっと机に向かうというのに、ドレスなんか苦しくて着ていられない。また、眼鏡は眼精疲労を防止するためにかけている魔道具だ。目が悪いわけではないのだが、長時間作業を続けているとすぐに頭が痛くなるタチなのだ。


 もちろん、来客がある時や街に出かける時、夜会に参加する時などはきちんと身なりを整えるのだが、家ではいつも適当な格好をしていた。そして、今日はジョセフが突然訪れてきたので、着替える暇がなかったのだ。

 今日だけでなく、ジョセフには今までに何度か白衣姿を見られてしまったことがあり、その度に彼からは白い目を向けられていた。


「予想通りですね。他には?」


 ヴィオラがそう尋ねると、ジョセフは調子づいてきたようで、スルスルと「嫌な点」を挙げ始めた。


「その男勝りな口調、性格、態度。もう少し淑女として品よくしようとは思わないのかい?」


 これも両親から再三言われた言葉である。


 ヴィオラも昔は嫌々ながらももう少し女らしく振る舞っていた。しかし、魔術研究の学会に参加し始め、一回りも二回りも年上の男性研究者たちと熱い議論を交わすようになってからというもの、男勝りに拍車がかかっていった。

 もともと、妹のように女らしさを全面に押し出すのが苦手だったヴィオラにとっては、男社会に溶け込むほうが性に合っていた。


 昔から母親によく言われた「女は一歩引いて男を立てるもの」というのもよく理解できなかった。一体それが何になるというのか。男女なんか関係なく、有能な方が引っ張ればいいだろうと、幼い頃からずっと思っていた。


「それだけですか?」

「ああ」

「本当に?」


 どれもこれも予想通りの回答で、これといった収穫が得られていない。ヴィオラはジョセフをじっと見つめて、まだ「嫌な点」が出てこないか待ってみた。


 するとジョセフはヴィオラの視線に耐えられなくなったのかしばらく目を泳がせた後、ためらいながら言葉をこぼした。


「……君の頭が良すぎて、会話中たまに何を言ってるかわからない時があった」


 これは予想外の指摘だった。


 ヴィオラは貴族学校の中でも極めて優秀で、学年一位の座を譲ったことは一度もなかった。ジョセフも同じ学校に通い同じ学年だったが、彼の成績は平々凡々。学年のちょうど真ん中くらいの学力の持ち主だった。


 わからないことがあったのならそのとき聞いてくれればよかったのにとも思ったが、プライドが邪魔をして聞けなかったのだろう。ヴィオラは少しだけ申し訳ないことをした気分になった。曲がりなりにも伯爵家の長男であるジョセフが女に負かされるというのは、あまり気持ちの良いものではないはずだ。


 しかし、ここで謝罪するのも違う。余計に彼のプライドを傷つけてしまうだろう。そう思い、ヴィオラはただ感謝の意を伝えることにした。


「正直にお答えいただき、ありがとうございました」

「ああ……」


 そう返事をするジョセフは、少しバツが悪そうだ。


 これ以上の会話は不要だろうと思い、ヴィオラは淡々と別れの挨拶を告げた。


「この度はご結婚おめでとうございます、ジョセフ様。今までありがとうございました。どうか末永くお幸せに。それでは、私は自室に戻らせていただきますね。いま実験の途中でしたので」


 そう言ってヴィオラは立ち上がり、早々に応接室から出ていこうとした。すると、キャロルが悔しそうな表情でこちらを睨みつけているのが目に入る。最後まで姉の表情が崩れなかったため、心の内は怒りで相当煮えたぎっているのだろう。


 そんな彼女に、ヴィオラはフッと嘲笑を浴びせて部屋を後にした。


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